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Chap.11 致死猫は箱の中
Chap.11 Sec.12
しおりを挟む濡れた土の匂いで肺を満たそうとした。
冷えびえとした夜気は脳を冴え渡らせていく。森まで全速力で走ったセトの息は弾んでいたが、呼吸をくり返すうちに落ち着いていった。
鬱蒼とした森は闇色の絵の具で描いたかのように、濃淡だけで世界をかたち作っている。黒い静寂のなか耳をすますと、獣たちの息づかいが、ひっそりと闇に溶けていた。恐るべき夜の森。しかしながら、セトにとっては生命を感じられる、温かな世界。
セトは闇の中で切株に腰を掛けた。長い時をかけて刻まれた年輪はずっしりとして、セトを難なく受け止める。しばらくすると、木の陰からこちらの動向をうかがう獣の顔が、夜目に浮かび上がった。狐のような、犬のような、狼のような。ピンと立った三角の大きな二対の耳に、鋭い眼。セトが声をかけると、するりとした足どりで距離をつめ、顔をすり寄せた。懐っこさを見せるその獣は、セトが拾って躾けたオスのジャッカルで、この森には1匹のみとなる。つがいとなるメスはおらず、自然に繁殖することはない。
フサフサとした毛並みに指をすべらせると、心地のよい温もりに、脳裏にこびりついていた冷ややかな感覚が薄れていく。
彼女の、首から肩にかけて。
白い背に赤く残る、いくつもの痕。
こんなにも寒気を覚えるなんて——どうかしてる。
彼女が娼婦で、多数の人間と性行為を為していることなど、知っていたはずだ。無意識のうちに考えないようにしていたのか、あるいは欲がまさって都合よく忘れていたのか。
目の前に突きつけられるまで忘れていたこと自体が、どうかしている——いや、元より、その程度のことで動揺するのがおかしいのか。
——わたしは、せとと、ちゃんと、はなしたい。
——せとと、いちばん、はなしたい。
話したい。
彼女はそう言っていた。こちらもまた、訊くべきことがあったはずなのに。
——サクラさんに脅されてなんかねぇよな?
翻訳機を通せば、瞬時に確認することができただろう。ティアが言ったように、ハウスに残った理由がセトに関しているかどうかも、つまびらかにできた。
それなのに、話し合いを放棄して手を出したのが根本的な過失といえる。
「……何やってんだろな……」
腕のなかの温かな存在が、セトの問いに反応して顔を上げた。見上げる眼は、夜にただよう薄い光を拾い、つぶらな印象を与える。日中に見られる獰猛さが緩和し、何かを訴えているようにも見えた。真摯なまなざしは彼女を彷彿とさせ、セトの良心をちくりちくりと刺していく。
(あんな言い方しなくても……もっとマシな言い方、あったよな……)
必要ないと言い切ったあとに見せた、彼女の顔が思い出される。感謝のための性行為なんて、必要ない——と捉えてくれればよかったのだが。かすかに息を呑んで硬直した顔は、まるで存在自体を要らないと捉えたかのように見えた。見えたが、それを否定できる余裕はなかった。理性では冷静であろうとしたし、表面的には装えていたはずだが……感情はひどく攻撃的で、あれ以上そばにいると無意に傷付けてしまいそうだった。
ただでさえ目が合うだけで怖がられている。それを表に出さないよう、身を硬くして構えているのがわかる。
——笑うと可愛かった。ずっと笑ってればい~のに。
(……ほんとに笑うのかよ)
ロキの話には疑念しかない。しかし、本当なのだろう。
彼女とロキの距離感は近く、どこか親密な空気がある。不機嫌なロキに対しても平然と話しかける姿を見せている。彼女にとってロキが特別であることは、分かっていたはずだが……その認識すらも、あの瞬間に、揺るがされた。
行為中のリップサービス。経験豊富なら、とっくに口慣れしている空疎なフレーズ。初めて言われたわけではないし、そこまで気の利いたものでもないのに、一瞬で。
それまで燻っていた苛立ちも含め、全て掻き消され、都合のよい解釈をしてしまった。
——わたし、せとが、すき。
あんな、言葉ひとつで。
……深い闇に、セトのため息が吸い込まれる。
森の夜は昏々とし、忍びやかに更けていく。
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