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Chap.13 失名の森へ

Chap.13 Sec.5

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 ハオロンは目が合うと、にこっと愛らしい笑顔を返してくる。薄いハート型のくちびるを、平たくつぶして。オレンジブラウンの眼は、こちらを見すえたまま。
 威圧的な雰囲気は、いっさい出ていない。……でも、あの眼にいつも見張られている気がする。

「——ありす」

 私の名を呼ぶ声は、アクセントのない平坦へいたんな音。「そろそろ行こさ」翻訳機がないと聞き取れない発音に誘われ、覚悟を決めた。今夜はハオロンの番。夕食時から——意識のどこかでは、もっと前から、常に——手首に掛けられた手錠のような、小さな捕縛ほばく感があった。

 ハオロンは——こわい。
 胸に広がる恐怖を抑え、小柄な彼の斜め後ろについて、エレベータまで進んでいく。彼の背で揺れる細い三つ編みが、赤い。偽物の炎に染まっている。

——ハオロンに、約束させたから。ウサちゃんに痛いことはしないって。だから、なんか痛いことしてきたらオレに連絡入れて、すぐに。

 3日前に聞いた、ロキの言葉を思い出す。しかし、現状ロキには連絡が取れない。イシャンとので連絡を切った夜、食卓で目をそらされて以来、見かけてもいない。日々の夕食にも来ない。私のせいで来ないとは限らないが、連絡をまったく返してくれないのだから、とりあえず私に対しては怒っている。正しくいうなら、機嫌をそこねた——と思う。たぶんロキは私のことを気にしてくれていた。なのに、裏切ったみたいになってしまった。
 連絡がつかないので、直接会いに行って謝りたいけれど、部屋に行く機会がもてない。私には自由があまりないということを、改めて実感している。日中はメルウィンの手伝いをする約束であるし、夜はがある。
 アリアに続いて、ティアも性的な接触は何もなかった。散歩のあと、例の“着せ替え人形の時間”があっただけ。性行為はしなくていいのか確認してみたが、「いいの、僕はこの時間もすごく楽しいから」そう言っていた。あんなことで満足してもらえるなら、とても助かる……でも、ティアの場合は本音か分からない。気遣われているのかも知れない。
 日中のメルウィンについては、「すこし時間をください」と言えば、くれると思う。ただ、それを言っていい立場でもない。やるべきことがすべて片付いてから……と思っている間に、夜になった。

 そして、相変わらず夕食にロキはいない。私のせいだと思うのは、おこがましい……? けれど、ロキに関しては変な確信がある。私のことを怒っていて、反抗的な感情で夕食に出てこない……そんな、子供みたいなことを、やりそう。——ただ、それとは別に、ハオロンに何かされたとしても、ロキを頼るつもりは元からない。覚悟はした。自分の役割をまっとうする、覚悟。ここで生きていくには、なるべく誰かを頼ってはいけない。

「……?」

 意志をもって踏み出した足は、違和感に気づいて、瞬間的に止まった。ハオロンに続いて、エレベータから降りるために出された足が踏んだのは、ハオロンの部屋がある3階ではなく(……たしか、この感じは……2階?)左手に続く廊下の奥に、エントランスホールが見える。3階からは吹き抜けのエントランスホールは見えない。行き止まりの壁だけだったはず。

「ん? ……あぁ、どこ行くんやぁ? って?」

 困惑する私を振り返ったハオロンが、明るく笑った。

「今夜は、ゲームしよさ」
「…………げーむ?」
「完全没入のは、うちの部屋1台しかないしの。こっちやったら同時にやれるわ」

 エントランスホールに向かう廊下(カードゲームをした部屋へのドアがある)ではなく、エレベータを降りて右手の廊下を進みながら、ハオロンはドアを指さした。3階ならハオロンの部屋がある位置。
 開いたドアの先は、ひとり用の大きなリクライニングチェアが並んでいた。5台。一定の間隔をもって、2・1・2とサイコロの5の目みたいに置かれている。セト、ハオロン、ロキの3人の部屋にあった物と同じで、ヘルメットのように被れそうな装置が頭部にある。ロキの部屋では、これを使ったゲームを体験している。本当に別世界に行ったみたいな錯覚ができる機械。セトは、頭部の装置をつけずにサングラスみたいなもので作業(?)していたので、使い方はいろいろあるのだと思う。

「やり方、知ってるかぁ?」
「……はい」
「ほやったら、中で待ってて」
「げーむ……は、なにを……?」
「うちが作ったやつなんやけどぉ……簡単に言うと、鬼ごっこ? ……ん~? かくれんぼ、やろか? それで、うちと勝負しよっさ」
「しょうぶ……」
「そんな不安そうな顔せんでも平気やって。ありすには、お助けキャラ用意したし!」

(お助けキャラ……?)
 指摘されるまでもなく不安いっぱいの心でシートに座ると、ハオロンの音声に従った機械が起動し、装置が頭上から下がってきた。頭に重なって、闇のなか、しばらく。暗がりの中央から、ぽっと光が広がり、視界が機能し始め——

「……ウサちゃん?」

 白く開けた空間の、目の前から。とても聞き知った声が。

「……ろき?」

 頭に浮かんだ名を呼ぶと、目前のカラフルな髪をした——少年? 10歳にも満たない小さな子供に見える……。知っている姿よりも、なんだかとっても小柄な子が……「は? 本物じゃねェよな?」怒った顔でいきなりめあげてきた。もしかすると、この子が“お助けキャラ”だろうか。ハオロンが作ったゲームらしいので、ロキに似せたサポートキャラを作ってくれた? 本来よりかなり小さいけれど。ゲーム内容はかくれんぼらしいから、ちょうどいい……のか。……ただちょっと、問題が。

「アンタ、ゲームキャラだよな? ウサちゃんの見た目してるけど、本物じゃねェよな?」
「…………?」
「なんか言えねェわけ? 話せねェキャラ?」
「……はなしは、できる」
「あァ~判断つかねェ~。ウサちゃんのトークなんてひと昔前のAIキャラみてェなもんだし? 再現よゆ~じゃん」

 問題は、ふたつ。ひとつは、翻訳機が意味を成していない。このリクライニングチェアの機械は脳へとじかつながっているので、対象の音を拾って訳してくれる翻訳機は機能できないのか。これはゲームをするうえで大問題な気がする……そして、問題のふたつめ。この小さなロキも、どうやら私に怒っている。そこまで現実を反映しなくても。ただ、表情が単調というか、目線は合うけれど怒る顔は人形みたいで細かな変化がなく、本物よりも小さくて幼いのもあって、それほど怖くはないけれど……。

「ウサギいるなら、オレ抜けるけど。——なァ、ハオロン。自作ゲームのテストプレイって話じゃん? 本物のウサギなら、ハオロンもこれ聞いてンだろ? 今日アンタのじゃねェの? ウサギと遊ばなくてい~わけ?」

 早口にペラペラとしゃべるミニロキ(小さいので、そう呼んで本物と区別することにした)は空中を見ている。言葉のスピードが速すぎる。ゲームの説明をしてくれているのだとしたら、困る。何も理解していない。焦りを覚えていると、

《ふっふっふっ!》

 どこからともなく、笑い声が。ハオロンの声だと思うが、姿は見えない。空間全体に反響しているような……。
 辺りを見回していると、真っ白な世界が、まるで霧がれるように暗い緑へと変わった。暗い緑——それらは、全体が現れると、夜の森だと分かった。立っているのは、森の広場のような場所。湿りけのある土と木の匂いが、うっすらと感じられる。これは錯覚だと、あらかじめ知らされていないと分からない。それほどの現実感。

《——失名しつめいの森へ、ようこそ。たった今、あなた方は名前を失いました。今回のプレイヤーは、3名。——ひとりは、名を失い、おのれを見失い、森の魔物と化しました。魔物は人をらい尽くすことで、森の守護神となり、闇にちることなくながらえるでしょう。——対して、人は、名を取り戻すことで、この森から脱け出せるでしょう。——これは、プレイヤー同士のゲーム。さぁ、名無しのおふたりさん! 魔物から逃げなくては!》

 ざわ——と、ひときわ強い風が吹いた。
 周囲に広がる森の一部が、風の通り道となり、そこを目指せと言わんばかりに開かれた。——同時に、背後から獣の咆哮ほうこうがとどろき渡った。びくりと身をすくめながら振り返り——かけたが、背後の正体をつかむよりも早く、ミニロキが、

「振り返んなっ!」

 とっさに出たらしい小さな手で、私の手を取った。「こっち! 走れ!」引かれるままに足を動かし、開いた森の道に向けて走り出す。——けれど、うまく走れない。足が土を踏む感触はあるのに、強く蹴って前へと進む反動力を得られない。

「ポンコツ! やっぱ   じゃん!」

 悪口の音で、少年が何か叫んだ。
 でも、一部だけ聞こえない。口の動きはあったのに、音声だけ消失したみたいに。

「身体に返ってくる感覚に頼るなって! 頭でイメージすンだよ! 教えただろ!」
「? ……もういちど、ゆっくり、はなして……」
「ゆっくりしてられるワケねェじゃん! このポンコツ   !」

 また、音が消えた。
 唇の動きを見ていたので、今回は分かった。〈うさぎ〉——名前だ。名前の音が、消えている。

 小さな発見をしたが、足のほうは変わらずにのろい。もたつく私を待てなくなったのか、ミニロキは手をつないだ状態で前を向いて走り出した。引っぱられて、強制的にハイスピードで森の奥へと連れ去られる。

「完全に足手まといじゃねェっ? ——だからチームプレイは嫌いなンだよ! どいつこいつも役立たずばっかでさァ! ってかハオロンのほうソロプレイじゃん! ずりィ!」

 前方に向けてわめいている少年の、細い身体を見下ろしながら、

(……この子、ずっと怒ってる……)

 怒りんぼうのミニロキに、困惑しながらも。声や態度は本来とそっくりなのに、見た目が小さいだけでこんなにも可愛いのか——と。意外な事実を認め、ひとり感心していた。

 ——つまりこの時点では、非常に呑気のんきな思考だった。
 背後から、恐ろしい化け物が来ていたことを知るのは……もうすこし、先のこと。
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