【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.15 A Mad T-Party

Chap.15 Sec.11

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 医務室は極度に消毒されていて、いつも白い。色彩のやかましすぎるロキが忍び込めるはずもなく、中にサクラがいる場合は見つかる前提で入室した。いない蓋然性も低くはないので、開錠の通知がいかないように——その程度の偽装だけ。待機命令に逆らっている時点でペナルティ対象ではある。
 幸運なことに、医務室にはサクラもイシャンもいなかった。

 医務室は、複数の小部屋が繋がっている。入室してすぐの簡易的な治療がおこなえる空間と、大掛かりな手術をするための治療室が正面と左手に二部屋。治療室は透明な壁で仕切られているが、現在どちらも遮光されていて内部が見えない。どこに誰がいるか。ミヅキは使えないが検討はつく。新たな患者がいるわけでもないので、治療を終えているティアもここで眠っていると思われ、左手のメイン治療室だろう。セトは正面のはず。遮光を解くことなくロキが正面の壁に向き合うと、一枚板のような壁に切れ目が入り、人ひとりぶんのドアが生まれてスライドした。
 中をのぞく。頭上の照明は消えていて、足許だけ。淡い光のなか、中央のベッドには白っぽく浮き上がる頭が見えた。髪が短いのでティアではないと判断できる。ただ、髪の長さではなく、ロキは見た瞬間にセトだと判別がついていた。もっと遠目であっても、あるいはもっと暗くとも、彼はわかったかも知れない。

 近寄ってみる。白い服で静かに横たわる身体を見るに、治療はとうに終わっているらしい。内部の壁に設置されたコンピュータから、治療を確認する。弾丸は体内から取り出されていて、ロキの推測どおりサイズも威力も小さい物だった。一瞬も目を離すことなく撃ち抜いたサクラは、割り込んでくるだろうセトの肩口の位置を正確に予測していた——と、ロキはみている。ロキがセトの動きを予測できたのだから、サクラも不可能ではないだろう。
 ——かといって、サクラの立場であったら、ロキは撃てない。後遺症を残すことなく撃てる自信はある。しかし、実際には撃てないだろう。そのあとでセトがどんな目を向けてくるか——ロキには予想できないから。忠誠心を試すために撃ったのなら、ロキからすれば、サクラは傲慢ごうまんだった。あれだけのことをして、セトが自分から離れない自信があるとは。

「犬のくせに、飼い主にみついてンじゃねェよ……」

 小さな悪態は、空虚に響いた。独り言になるかと思われたロキの呟きは、しかしながら、

「——ロキか?」

 びくぅ! っと、ロキの身体が飛び跳ねた。床から数センチ浮いていた。
 目前で目を閉じる——当然眠っているだろうと思われた人間がいきなり喋ったのだから、その反応も無理はないが……ロキにしては大げさな反応だった。

「はっ? アッ? てめェ起きてンのっ?」
「起きてるっつぅか……少し前から意識はあんのに動けねぇんだよ。手足どころか目も開けられねぇ……どうなってんだ?」
「……薬が効いてンじゃね……」
「やっぱりか。今サクラさんいねぇんだよな? お前、薄めるかなんかして抜いてくれよ」
「はァ? 何言ってンの?」
「動けるようにしてくれって頼んでんだよ」
「するわけねェじゃん。……死に損ないの犬は安静にしとけば」
「頼むから。……お前にしか頼めねぇって思ってたら……お前が来たんだろ。やってくれよ」
「いや、なんの理屈にもなってねェよ?」
「頼むって」
「………………」
「ロキ」
「……なんで、オレなわけ?」
「俺が苦境のときは昔からお前が来るだろ」
「知らねェし」
「いいから、早く。サクラさんが戻ってくる前に……喋るのもきついんだよ。早く」
「はァ~?」

 ふざけたことを平然と指示してくるセトに、これだけ元気なら安静も要らないと判断し、言われたとおりにコンピュータで設定した。素直に従うのは腹立たしいのか、

「逆に麻酔ぶち込んで永眠させてやろっかなァ~」
「やめろ」

 天井に収まっていたマシンが動き、マシンアームの先から伸びる、さらに細い触手状のアームがセトの腕を押さえた。細い針を通して、適切にブレンドされた薬剤が、セトの体内に流れ込んでいった。

「ワンショットだよな? 点滴してる暇はねぇぞ」
「うるせェな~。薬少ないし、それくらい分かってる」
「効くまでどれくらいだ?」
「てめェなら5分じゃね」
「よし。ありがとな」
「………………」

 むっと唇を閉ざしたロキは、何も言葉を返さなかった。
 セトは指先やまぶたに力を入れているのか、痙攣けいれんのように動くようすが見られる。ゆるゆると自己の指揮下に取り戻していくが、身体が思いどおりになるまで耐えられなかったのか、

「——ウサギは?」
「知らねェ」

 おそらくロキを巻き込むまいと訊かずにいたのだろう。その配慮から、セトが何をしようとしているのか、ロキは察してしまった。

「サクラに問い詰めンの? また攻撃されるだけじゃん」
「次はらわねぇ。ブレスは外してく」

 サクラが致命傷を外して撃つ銃を、あえて避けてしまうと、いっそ危険なのではないか。ロキの脳裏で、よくないシミュレーションが繰り広げられる。

「反撃する気がねェのに、無理じゃねェ?」
「——いや、脅す気はある」
「サクラを脅しても効かねェよ? そもそも、てめェに駆け引きは無理」
「………………」

 開いた目が、細く天井を睨んだ。セトは拳を握りしめていた。

「——お前は?」
「は?」
「ロキは、ウサギがどうなってもいいのか」
「……ヤだけど」
「なら、協力してくれ」

 手を開いては握る。腕に力を入れて起き上がろうとしたセトの上体が、がたんっと倒れそうになり、思わずロキは手を伸ばしていた。セトは、その手を取ることなく耐えた。

「身体が重てぇ……」
「動くの早すぎンだって。完全に中和されるわけでもねェんだしさァ……もうちょい大人しくしとけよ……」
「……ウサギ、どこにいるか分かるよな?」
「知らねェって言ったじゃん」
「捜してくれるか?」
「見つけてどォすんの?」
「逃がす」
「まさかハウスから? ウサギひとりじゃ車も動かせねェよ? 行けるわけなくねェ?」
「俺も行く。外で預けられるとこ見つけたら、そこに託せばいいしな」
「あのさァ……ウサギが出ていくなんて、今のサクラは認めねェよな? サクラを攻撃する覚悟もねェのに、勝率あると思ってンの?」
「分かってる。——だから、お前に協力を仰いでるんだろ」

 セトの眼が、ロキを見上げた。狼のような眼は、薄明かりを拾って深いあめ色に輝いている。小さな頃から、ロキのそばにあったもの。大好きだった笑顔を持つひとと類似する、金の眼。これが自分の眼窩がんかまっていたなら——と、ロキが一度は欲した物の、ひとつ。

「ウサギを助けたいなら、俺とハウスから逃げてくれ」

 琥珀こはくの目が、強くロキを捉えていた。
 怒っているようにも見えるその目つきに、ロキの頭のなかで過去が鮮明に広がる。

——謝るなら、目を見て謝れ! 相手に伝わらなきゃ謝罪なんて意味ねぇんだよ!

 いつだって、根拠のないことを当たり前のように語ってきた。たいてい誰かのために怒ってばかりいる、旧知の——兄弟であり、ライバルであり、家族でもあった——友達。
 この瞳が嘘をつかないことを、知っている。

「……マジで言ってる?」

 ——それでも、ロキは信じられずに尋ねていた。

「冗談で言うわけねぇだろ」
「……オレがウサギの為に、てめェなんかと逃げると思ってンの?」
「お前、ハウスに未練なんてねぇだろ」
「そォでもないけど? ここ以上の設備と資源に余裕ある場所なんて近場でなくね?」
「かもな。ハウスに戻りたいなら、あとで俺に全部なすりつけてサクラさんに泣きつけよ」
「誰が。サクラに泣きつくとか、ぜってェやだ」
「なら俺と逃亡だな。ほとぼりが冷めるまで……冷めるとして。ウサギがお前と離れたくないっつったら、預けず3人で? ウサギがお前をあっさり捨ててコミュニティ決めたら、俺と。まあ……なんとかなるだろ」
「……マジで言ってる?」
「しつけぇな。まじで言ってるに決まってんだろ」
「……オレと? なんでオレ?」

 セトは途中から目を離してストレッチを始めている。日常的な動作で、事もなげに話す内容が重いのか軽いのか、ロキはだんだんと分からなくなっている。
 セトはブレス端末を外しながら、「俺ひとりじゃサクラさんに勝てねぇし……お前ひとりでも無理だろうけど」ひょいっとベッドから降りて、

「ふたりなら勝てる。昔からそうだっただろ? 俺は、お前がいたら——なんだってやれる」

——昔のオレは、セトといるのがほんとに楽しくて。セトとオレなら、なんでもやれるって思ってた。

 それを言ったのは——ロキだ。似たようなことを、でも、少し違うかたちで。

「……なんでいま言うかなァ~?」

 天井を仰ぎ見て、思いっきり息を吐き出した。
 欲しかった言葉を、そんなあっさり、今までの全てがなかったみたいに。

 ロキのセリフが理解できず、(何言ってんだ?)みたいな顔をしたが、時間が惜しいらしいのかセトは「とにかくウサギ捜してくれ」非常に勝手な言い分。まだ逃亡幇助ほうじょのOKは出していない。
 しかし、迷いたいのに——迷えない。一瞬でほだされた自分を、どうしたらいいのだろう。ロキのなかの葛藤は、ひとまず彼女を助けるという目的に焦点を合わせ、行動を開始した。

 ジャケットの右ポケットから、薄い携帯端末を取り出す。ブレス端末を身につけているなら、ミヅキの監視の目をかいくぐって居場所を調べるのは難度が低い。余裕で引き出せる情報が映し出されるまでのあいだ、ついでに、

(あァ~あ、てめェは昔から勝手なンだよ。オレを——特別みたいに言ってくンのに、オレだけじゃ足りない。誰にでも優しくすンのに、一番はサクラで、いざとなったら他は捨てられる。……オレの敗北感も知らない。そういうところが、昔からマジで……)

 感情を言語化して、人間っぽく口の中で呟いてみる。「何ぶつぶつ言ってんだよ? ウサギの居場所わかったのか?」横から端末をのぞきこもうとしてくる金髪がうっとうしいので、空間に映し出した。ハウスの立体マップ。

「……中央棟か」

 セトの声は重かった。中央棟の〈暖炉の間〉からワンフロア上がった——おそらくサクラの私室。内情が知れない、現状では最難関といえる場所に、彼女とサクラのマークがついている。ロキは「軍犬は一緒じゃねェな……」ついでに表示された各個人の位置情報に目をすべらせてから、ハッとした。

「なァ、イシャンがこっち向かってる」
「……ほんとだな」
「どォすんの? 見つかったらサクラに報告されてゲームオーバーじゃね?」

 マップから目を離したセトは、診療台の横にあったワゴンに寄った。置かれていた自身の服を取り、素早く着替えていく。動きやすいそれに身を包みながら、「イシャンは、俺がやる」短く答えた。

「は? やるって何?」
「気絶させるだけだ。なるべく怪我させねぇように気をつける」
「……マジで、サクラに歯向かう気なんだ」
「ああ」

 セトが、服と並んでいたバトンを手に取った。収納されていた30センチほどのバトンを引き伸ばす。室内のスペースから判断し、適切な長さに。
 ロキを、睨むような目で見返し、

「今のサクラさんには従えねぇ。ウサギは——俺とお前で護る」
 
 ——いいな?
 セトの強い意思確認に、ロキは幼い頃の高揚感が重なるのを感じていた。わくわくするような、場違いな感情。無理やり言葉にしてしまえば、誰にも理解してもらえず批判されるような、にぎやかでカラフルな感情。

「——おっけェ、やってやろ~じゃん♪」

 軽快な声で返すロキの横で、マップのなかを動くイシャンのマークが、医務室前に。
 身構えたセトが、治療室のドアから滑り出る。

 医務室の開いたドアの所で、目を開き驚いたようなイシャンへ、突進しようと——
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