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Birthday Story 花火消えたるあとの
Into the Flame 4
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「なァ、どこ行くの? 輪投げあっちなンだけど」
早足で進みたいのに、浴衣の裾と下駄が邪魔をする。もどかしい気持ちで歩いていた足を止めずに、横から絡んでくる彼を一瞥することなく口を開いた。
「帰ります」
「は? 帰るってどこに?」
「自宅に、帰ります」
「えェ? ……オレと花火見るンじゃねェの? なんでいきなり?」
「……食べ終えたので」
「射的のとこで食べ終えてたじゃん?」
「……だから、帰ろうとしてました。輪投げなんて並ばずに、あなたを置いて、そのまま帰るつもりでした」
「……はァ?」
屋台のある道を外れてしまえば、ひとけのない小道は急に明かりをなくし、普段の夜を思い出させた。
いつもなら通らない暗がりに、下駄の音がカランカランと頼りなげに鳴っている。その音が、進んでいることだけは教えてくれる。
「待って、いっかい足止めてよ」
伸びてきた長い手に、肩をつかまれる。前に固定していた目線が、彼に奪われた。
薄暗い場所であっても、彼の鮮やかさは消えていない。目の合った彼の瞳が、瞠るように驚きを映して、
「……なんで、泣いてんの……?」
鮮やかな色彩が、じわりと滲んでいる。困惑したような彼の表情に、無意識ながら睨むような目を送っていた。
「泣いてません」
「……いや、目が濡れてんだけど……」
「………………」
泣いていない。泣いているっていうのは、涙を目からこぼした状態をいうのであって、私のは違う。
仮に泣くとして、こんな誰でもないひとの前で泣いて何になるのか。引き止めてほしかった男の前で一粒もこぼせない涙に、なんの意味が?
そんな無益なこと——私はしない。
「オレ、何かした? ……ごめん?」
背の高い彼が、のぞき込むように顔を寄せた。いたずらして親に謝る子供みたい。何が悪いのか、理解しきれていない。
「謝るから……ゆるしてよ」
どうして、そんな悲しい顔をするの。あなたは何も悪くないでしょう。
落ち込むように伏せられた瞳が、罪悪感を煽っていく。捨て置いてしまいたいのに、……できなくなる。
「……謝る必要なんて……ない」
開いた唇が、まとまらない思考のもとで、勝手に言葉を発した。
「あなたは、何も……悪くない。……悪いのはっ……」
悪いのは——私だ。
見せつけようとした。惨めな自分を取り繕うためだけに、名前も知らないあなたを利用した。
未練なんて無いのよ、と。復讐するような気持ちで。
あの男より背が高くて、整った顔立ちだったから——そんな理由だけで、利用できると判断した。わざわざ絆創膏を付けてくれたことだとか、座るときにタオルを敷いてくれたことだとか——そんな思いやりは、念頭になかった。
あなたの優しさを、なにひとつ評価せず。都合よく。
——みにくい。
誰かを好きだった気持ちを、幸せだった記憶を、こんなふうに汚してしまえる自分が——見苦しくて、嫌になる。
「……お願いだから、私のことはもう……放っておいて……」
瞳から、はらりとこぼれ落ちた感情は、どろどろとした自己嫌悪に満ちている。彼と目を合わせていられなくなって、顔を背けた。逃げるように足を前へと——出し、かけて、
そっと、手を取られた。包み込むようにして握られた手のなか、指輪の存在が——片割れの、ラムネ色の指輪が——私を引き留める。
「泣いてるやつを……ほっとけるわけねェじゃん……」
振り払えなかった。繋がった手を引いて、優しく肩を抱き寄せてくれた彼の腕を拒むなんて……今の私には、できない。
「帰らないでよ。……オレと、一緒にいて」
その声が、まるで縋りつくような——そう聞こえたのは、自己投影かもしれない。
逃げるのを妨げた腕のなかは、暑く、熱く、世界から護るように私の泣き顔を隠してくれる。
かつての想い人を惹きつけることのない涙が、絶えまなく頬を伝っていく。濁った心のうちを、すべて残らず、吐き出すように。
婚約を聞かされてから泣いたのは、これが初めてだった。
早足で進みたいのに、浴衣の裾と下駄が邪魔をする。もどかしい気持ちで歩いていた足を止めずに、横から絡んでくる彼を一瞥することなく口を開いた。
「帰ります」
「は? 帰るってどこに?」
「自宅に、帰ります」
「えェ? ……オレと花火見るンじゃねェの? なんでいきなり?」
「……食べ終えたので」
「射的のとこで食べ終えてたじゃん?」
「……だから、帰ろうとしてました。輪投げなんて並ばずに、あなたを置いて、そのまま帰るつもりでした」
「……はァ?」
屋台のある道を外れてしまえば、ひとけのない小道は急に明かりをなくし、普段の夜を思い出させた。
いつもなら通らない暗がりに、下駄の音がカランカランと頼りなげに鳴っている。その音が、進んでいることだけは教えてくれる。
「待って、いっかい足止めてよ」
伸びてきた長い手に、肩をつかまれる。前に固定していた目線が、彼に奪われた。
薄暗い場所であっても、彼の鮮やかさは消えていない。目の合った彼の瞳が、瞠るように驚きを映して、
「……なんで、泣いてんの……?」
鮮やかな色彩が、じわりと滲んでいる。困惑したような彼の表情に、無意識ながら睨むような目を送っていた。
「泣いてません」
「……いや、目が濡れてんだけど……」
「………………」
泣いていない。泣いているっていうのは、涙を目からこぼした状態をいうのであって、私のは違う。
仮に泣くとして、こんな誰でもないひとの前で泣いて何になるのか。引き止めてほしかった男の前で一粒もこぼせない涙に、なんの意味が?
そんな無益なこと——私はしない。
「オレ、何かした? ……ごめん?」
背の高い彼が、のぞき込むように顔を寄せた。いたずらして親に謝る子供みたい。何が悪いのか、理解しきれていない。
「謝るから……ゆるしてよ」
どうして、そんな悲しい顔をするの。あなたは何も悪くないでしょう。
落ち込むように伏せられた瞳が、罪悪感を煽っていく。捨て置いてしまいたいのに、……できなくなる。
「……謝る必要なんて……ない」
開いた唇が、まとまらない思考のもとで、勝手に言葉を発した。
「あなたは、何も……悪くない。……悪いのはっ……」
悪いのは——私だ。
見せつけようとした。惨めな自分を取り繕うためだけに、名前も知らないあなたを利用した。
未練なんて無いのよ、と。復讐するような気持ちで。
あの男より背が高くて、整った顔立ちだったから——そんな理由だけで、利用できると判断した。わざわざ絆創膏を付けてくれたことだとか、座るときにタオルを敷いてくれたことだとか——そんな思いやりは、念頭になかった。
あなたの優しさを、なにひとつ評価せず。都合よく。
——みにくい。
誰かを好きだった気持ちを、幸せだった記憶を、こんなふうに汚してしまえる自分が——見苦しくて、嫌になる。
「……お願いだから、私のことはもう……放っておいて……」
瞳から、はらりとこぼれ落ちた感情は、どろどろとした自己嫌悪に満ちている。彼と目を合わせていられなくなって、顔を背けた。逃げるように足を前へと——出し、かけて、
そっと、手を取られた。包み込むようにして握られた手のなか、指輪の存在が——片割れの、ラムネ色の指輪が——私を引き留める。
「泣いてるやつを……ほっとけるわけねェじゃん……」
振り払えなかった。繋がった手を引いて、優しく肩を抱き寄せてくれた彼の腕を拒むなんて……今の私には、できない。
「帰らないでよ。……オレと、一緒にいて」
その声が、まるで縋りつくような——そう聞こえたのは、自己投影かもしれない。
逃げるのを妨げた腕のなかは、暑く、熱く、世界から護るように私の泣き顔を隠してくれる。
かつての想い人を惹きつけることのない涙が、絶えまなく頬を伝っていく。濁った心のうちを、すべて残らず、吐き出すように。
婚約を聞かされてから泣いたのは、これが初めてだった。
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