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Birthday Story 花火消えたるあとの
Into the Flame 5
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返報性の原理——という心理がある。
人は相手から施しを受けた場合、それに対してお返しをしたくなるらしい。
「お姉さん、さっきの二人に、オレとふたりきりで見たいって言ってたじゃん?」
さらには、一貫性の原理というものもある。
自分の信念や価値観、行動を一貫させる傾向があるという、こちらも心理学の概念で……つまりは、一度自分が取った行動に忠実になろうとする傾向があるらしい。
「ふたりきりで花火が見られるとこ、オレ知ってンだけど……来ねェ?」
犯罪に巻き込まれるひとの心理って、こうなのだろうか。普段の私であれば絶対について行かない。
しおらしく見えた誘いを断れず、つい一緒に来てしまった私は、きらびやかなマンションのエントランスを抜けて乗り込んだエレベータのなか、人知れずため息をついた。
独身向けっぽいデザイナーズマンション。オシャレなインテリアで飾られたエントランスと、「お帰りなさいませ」と迎えてくれたコンシェルジュらしきスーツの女性。女性の平均値からみて、わりと稼いでいるほうの私が住む賃貸と比べ……どう考えても高級すぎるのだが。
童顔でなければ彼は同年代のはず。なんなら歳下。なのに、なんだこれ。なにこれ。……むかつく。
「ど~ぞ♪」
上機嫌な彼が、渋い顔をした私を招き入れた部屋は、これまた腹立つほどにハイセンスで。目につくだけでも有名ブランドのインテリアが複数、家電もハイエンドモデル。それらの奥、正面にある大きな窓から、すがすがしい夜空が見えた。なるほど、花火もよく見えそう。ただ、左手にある寝室がガラス張りで——やはり何かがむかつく。
そんな私の苛立ちが落ち着いたのは、ベランダに誘われて、手すりに寄り掛かりながらペールエールの瓶を傾けたころだった。
「……さっきの、元彼なんですよね」
軽快に上がる花火を(上ではなく下に)見ながら、いろんなことがどうでもよくなってきて、投げやりに呟いていた。
なんの話? というように、横にいた彼がきょとんとした目でこちらを見てくるので、(今ので分かれ)と言いたくなるのを堪え、
「射的のあとに出会った後輩が、元彼なんですよね。知らぬ間に別れたことになっていて、気づいたときには知らない女性と婚約していて、その婚約者が非の打ち所がないくらい可愛くて……さっき見ただけなんで実際は知りませんけど……まぁ、そういう感じだから、すこし虚しくなって泣けました」
とても丁寧に説明した。口にすると意外と大したことのないように思えた。よくある話だなと、客観性も得た。
淡い苦みのある炭酸を喉に流しながら彼の様子を見ると、眉根に力を入れた不満顔が。
「はァ? オレのせいで泣いてたンじゃねェの?」
「……あぁ、そこからか……」
「なに? どォゆうこと? 全然意味わかんねェんだけど?」
「…………それはもう、分かっていただくしか。今さっき言った情報が全てなんで、それ以上説明できません」
「………………」
花火の上がる音が、沈黙を際立たせるように響き渡った。空には次々と花が咲いている。黒いキャンバスにカラフルな絵の具をぶちまけたみたいだ。思いっきり、盛大に。
鮮明な光を受けながら、手中の瓶を傾ける。このビール美味しいな。ネットで探して買おう。高いかな。
「………………」
「………………」
「…………なァ」
「なんですか?」
「別れた男のことで泣いてたワケ? ずっと? あんなに?」
「…………そうですね」
「嘘だろ? オレ全然関係ねェじゃん」
「そうですね、全然関係ないですね」
「はァ~っ? オレ謝ったのに? その態度おかしくねェ? ムカつくんだけど」
「……どうもすみませんでした?」
「もっと心込めて言えねェの?」
「…………勝手に勘違いしたのはそちらなので……」
「う~わ開き直った……」
細められた彼の横目は、ビールを含んだ頬で受け流した。
湿度の高い、暑さがまとわりつくような夏の夜。人ごみのない花火と冷えたビールは実に快い。隣でぶつくさ言っている者もいるが。
「……目の前にいたのはオレなのに、他の男のことで泣いてたとか……ムカつく……」
「(しつこいな……)」
「大体さァ~、別れたヤツのことなんてどォでもよくねェ?」
「……どうでもよくないから泣いたんですけどね」
「……あの男のどこがスキなわけ?」
「そんなの、あなたに教える義理ないですから」
「うざ……」
吐き捨ててビールを呷る姿を視界の端に捉え、怒っただろうか? と。気になって顔を横に向けた。
——すると、ぐっと距離を寄せた彼の顔が、目前に。
「……なんですか?」
「キスしていい?」
「……は?」
「オレといるのに他のヤツのこと考えてンだろ? ムカつくから、やめてくんない?」
「……いや、私もべつに好きで考えてるわけじゃないんですよ? ……むしろ忘れたいくらいで……」
「じゃ、忘れて」
「そんな簡単な話じゃないんですよね?」
「簡単な話じゃん。協力してあげるから、さっさと忘れて」
協力とは?
頭に湧いた疑問は、近寄ろうとする唇によって解消された。色みのはっきりしたそれが、吐息みたいな声で、
「その頭んなか、オレだけにしてよ」
——拒めなかった。
ゆっくりと近づく唇は、よけるには十分なほど間があった、のに。……なのに、受け入れてしまった。
触れた唇。ビールで冷やされたそれは心地よく、その先を求めて開くと、なめらかな舌が重なった。
あっという間に搦め捕られる。蜘蛛の巣にかかる蝶みたいに、一瞬で、たやすく——いや、分かっていて、みずから巣に飛び込んだのか。リスクは承知のうえで——それとも、花火に眩んだふりをして——鮮やかな、あなたの腕のなかへ。
飛んで火に入る夏の虫、か。
なら——いっそ燃え尽きるまで?
人は相手から施しを受けた場合、それに対してお返しをしたくなるらしい。
「お姉さん、さっきの二人に、オレとふたりきりで見たいって言ってたじゃん?」
さらには、一貫性の原理というものもある。
自分の信念や価値観、行動を一貫させる傾向があるという、こちらも心理学の概念で……つまりは、一度自分が取った行動に忠実になろうとする傾向があるらしい。
「ふたりきりで花火が見られるとこ、オレ知ってンだけど……来ねェ?」
犯罪に巻き込まれるひとの心理って、こうなのだろうか。普段の私であれば絶対について行かない。
しおらしく見えた誘いを断れず、つい一緒に来てしまった私は、きらびやかなマンションのエントランスを抜けて乗り込んだエレベータのなか、人知れずため息をついた。
独身向けっぽいデザイナーズマンション。オシャレなインテリアで飾られたエントランスと、「お帰りなさいませ」と迎えてくれたコンシェルジュらしきスーツの女性。女性の平均値からみて、わりと稼いでいるほうの私が住む賃貸と比べ……どう考えても高級すぎるのだが。
童顔でなければ彼は同年代のはず。なんなら歳下。なのに、なんだこれ。なにこれ。……むかつく。
「ど~ぞ♪」
上機嫌な彼が、渋い顔をした私を招き入れた部屋は、これまた腹立つほどにハイセンスで。目につくだけでも有名ブランドのインテリアが複数、家電もハイエンドモデル。それらの奥、正面にある大きな窓から、すがすがしい夜空が見えた。なるほど、花火もよく見えそう。ただ、左手にある寝室がガラス張りで——やはり何かがむかつく。
そんな私の苛立ちが落ち着いたのは、ベランダに誘われて、手すりに寄り掛かりながらペールエールの瓶を傾けたころだった。
「……さっきの、元彼なんですよね」
軽快に上がる花火を(上ではなく下に)見ながら、いろんなことがどうでもよくなってきて、投げやりに呟いていた。
なんの話? というように、横にいた彼がきょとんとした目でこちらを見てくるので、(今ので分かれ)と言いたくなるのを堪え、
「射的のあとに出会った後輩が、元彼なんですよね。知らぬ間に別れたことになっていて、気づいたときには知らない女性と婚約していて、その婚約者が非の打ち所がないくらい可愛くて……さっき見ただけなんで実際は知りませんけど……まぁ、そういう感じだから、すこし虚しくなって泣けました」
とても丁寧に説明した。口にすると意外と大したことのないように思えた。よくある話だなと、客観性も得た。
淡い苦みのある炭酸を喉に流しながら彼の様子を見ると、眉根に力を入れた不満顔が。
「はァ? オレのせいで泣いてたンじゃねェの?」
「……あぁ、そこからか……」
「なに? どォゆうこと? 全然意味わかんねェんだけど?」
「…………それはもう、分かっていただくしか。今さっき言った情報が全てなんで、それ以上説明できません」
「………………」
花火の上がる音が、沈黙を際立たせるように響き渡った。空には次々と花が咲いている。黒いキャンバスにカラフルな絵の具をぶちまけたみたいだ。思いっきり、盛大に。
鮮明な光を受けながら、手中の瓶を傾ける。このビール美味しいな。ネットで探して買おう。高いかな。
「………………」
「………………」
「…………なァ」
「なんですか?」
「別れた男のことで泣いてたワケ? ずっと? あんなに?」
「…………そうですね」
「嘘だろ? オレ全然関係ねェじゃん」
「そうですね、全然関係ないですね」
「はァ~っ? オレ謝ったのに? その態度おかしくねェ? ムカつくんだけど」
「……どうもすみませんでした?」
「もっと心込めて言えねェの?」
「…………勝手に勘違いしたのはそちらなので……」
「う~わ開き直った……」
細められた彼の横目は、ビールを含んだ頬で受け流した。
湿度の高い、暑さがまとわりつくような夏の夜。人ごみのない花火と冷えたビールは実に快い。隣でぶつくさ言っている者もいるが。
「……目の前にいたのはオレなのに、他の男のことで泣いてたとか……ムカつく……」
「(しつこいな……)」
「大体さァ~、別れたヤツのことなんてどォでもよくねェ?」
「……どうでもよくないから泣いたんですけどね」
「……あの男のどこがスキなわけ?」
「そんなの、あなたに教える義理ないですから」
「うざ……」
吐き捨ててビールを呷る姿を視界の端に捉え、怒っただろうか? と。気になって顔を横に向けた。
——すると、ぐっと距離を寄せた彼の顔が、目前に。
「……なんですか?」
「キスしていい?」
「……は?」
「オレといるのに他のヤツのこと考えてンだろ? ムカつくから、やめてくんない?」
「……いや、私もべつに好きで考えてるわけじゃないんですよ? ……むしろ忘れたいくらいで……」
「じゃ、忘れて」
「そんな簡単な話じゃないんですよね?」
「簡単な話じゃん。協力してあげるから、さっさと忘れて」
協力とは?
頭に湧いた疑問は、近寄ろうとする唇によって解消された。色みのはっきりしたそれが、吐息みたいな声で、
「その頭んなか、オレだけにしてよ」
——拒めなかった。
ゆっくりと近づく唇は、よけるには十分なほど間があった、のに。……なのに、受け入れてしまった。
触れた唇。ビールで冷やされたそれは心地よく、その先を求めて開くと、なめらかな舌が重なった。
あっという間に搦め捕られる。蜘蛛の巣にかかる蝶みたいに、一瞬で、たやすく——いや、分かっていて、みずから巣に飛び込んだのか。リスクは承知のうえで——それとも、花火に眩んだふりをして——鮮やかな、あなたの腕のなかへ。
飛んで火に入る夏の虫、か。
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