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Chap.5 The Bubble-Like Honeymoon
Chap.5 Sec.9
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(なんだ、プロじゃねぇのか)
初めて生で見る格闘技——というセトの期待感は、すぐに消えていた。
ステージで繰り広げられたのは、素人同然の喧嘩だった。派手な見せ方をするわけでも、シナリオがあるわけでもない。その辺の頑丈そうな輩を捕まえてきて、闘わせているようなもの。多少は見せ方を意識しているが、洗練されてはいない。
賭けの行方で盛り上がる青年たちを横目に、手にしていたビール瓶へと口をつけた。加工マシンによるラガービール。喉越しはいいが、美味くはない。軽食も加工食。
セトは隣を見る。ウサギがどんな目で見ているのかと、
「……おい、大丈夫か?」
「………………」
「ウサギ?」
凍りつく顔が、ぎこちなくセトを振り返った。
「とても、いたそう……」
「………………」
(お前、この場所に向いてねぇよ)
そんな意見は抑え込んで、「帰るか」再三の提案を口にするセトに、これまた何故か「だいじょうぶ」と頑なな応答。
「無理して見んな」
「……でも、セトは、〈きょうみ〉がある」
「もう興味ねぇから。それ飲んだら帰るぞ?」
「……だいじょうぶ」
「いや、なんで強情なんだよ」
セトの突っこみに、眉を八の字にした顔で見返しながら、
「はじめての〈でーと〉だから……もうすこし」
「………………」
セトは、無言で眉を寄せた。
ステージの闘いが決着する。歓声とブーイングで沸く者たちに混じって、セトは立ち上がった。
「セト……?」
「帰るぞ」
「……でも、」
セトは、渋るウサギの腕をつかんで引き上げると、
「——明日、また出掛ければいいだろ」
喧騒に負けないよう、耳許に顔を寄せた。
「加工食、飽きたよな? マップにレストランが載ってたから……行ってみねぇか?」
「……あしたも、おでかけ、いいの?」
「ああ。1、2時間くらいの作業量なんて大したことねぇよ」
「………………」
「お前も、息抜きに。……嫌か?」
「いいえ。とても、うれしい」
応じたが、いまだ少しだけ悩むようなウサギの表情に気づいて、セトは少しばかり付け加える。
「これは仲間付き合いで……デートじゃねぇだろ。明日が“初めて”だからな?」
「あしたが——はじめて?」
「ああ。……だから今日は、もう帰るぞ?」
「……はい」
ウサギはやっと帰る気を見せ、「あしたが、はじめて」確認するように小さく唱えた。
「おう」と返したセトは(デートって何するか正しく知らねぇけど)とは言わなかった。
(……つぅか、家族以外と出掛けたことねぇな?)
思い浮かぶ記憶は、ヴァシリエフハウスが占めている。
人付き合いを学ぶためのコミュニケーショングループは、毎度セトが問題を起こすせいで母親も諦め、それ以降ハウスの兄弟しか子供を知らない。
学習の時間は成長するにつれて研究に代わり、兄弟で遊ぶ時間はスポーツになった。
反抗してハウスを抜け出した時期もあったが、それでも週一。人生の多くは“遊び”ではなく、“義務”に使われていた。
——それが、普通だと。
セトを含む兄弟たちの多くは、“遊ぶために稼ぐ”という感覚を知らない。
自由に振るまっていたロキですら、稼ごうとはしていない。趣味で研究開発したものが、市場に出て評価されたために資産ができただけで——金銭に執着はない。
ティアやハオロンのように、一部特殊な立場の兄弟もいたが、たいていの者はより良い社会のために作られたと言っても、おそらく過言ではなかった。
「おい、俺ら帰るからな?」
騒ぐ友人に向けて告げると、セトは出口に向けて足を——
「——帰んのかぁ?」
騒めきを縫って、セトの耳に低く重たい声が届いた。
目を向けると、モルガンが薄い笑みを浮かべて立っていた。
横には女がひとり。モルガンの腕は女の肩に回されている。背後にはユーグもいた。
騒々しかった周囲は、わずかに声量を下げた。
「セトはついさっき来たとこじゃねぇのか? もう少し遊んで行けよ」
「……暇じゃねぇんだよ。押し付けられた仕事がクソほどあるからな」
「ご苦労さん。こっちは問題が解消されて助かってるからなぁ、少しくらい遊んだって文句は言わねぇよ。早く片付けろ——なんて言ってねぇだろ?」
「………………」
「——よぉ、ウサギ。新生活はどうだ? なんか困ってねぇか?」
流れたモルガンの目に、ウサギはとくに威圧されることなく、
「わたしは、へいきです。でも、セトが、とてもたいへん……」
「そうだよなぁ? 無理せずに、ゆっくりやってくれりゃいいさ。働きすぎてぶっ倒れたら、ウサギが心配すんだろ? 緊急性の低いものは後回しにして、休息をしっかりとれよ? ストレス溜めんな?」
上っ面だけの労いを、セトの目は細く見返した。
二人のあいだでぶつかる火花は、周囲の者には見えていない。
「——なら、その言葉に甘えて休ませてもらう。家でな」
帰る気は変わらない。セトは、ウサギの腕を取って連れ帰ろうとした。
しかし、モルガンの背後にいたユーグが、
「セトって強いんすか?」
場違いな空気感で、すれ違う前のセへと足を出して尋ねた。
「……あ?」
「けっこう動けるって聞いたんすけど」
「大したことねぇよ。人並みだろ」
「人並み——とか謙遜するヤツに限って強かったりしません?」
「知るか。そこどけよ」
「…………僕と対戦しましょーよ。せっかくなんで?」
「はぁ?」
「……その反応、どっちなんすか? “勝てるわけねぇだろ”?」
「——ふざけんな。お前みたいに細ぇやつとやれるわけねぇだろ」
「……やっぱりそっちっすよね。……うざ」
「あ?」
「その無駄に聞こえのいい耳を切り落としてやりたいっす」
「暴力反対の平和主義はどこ行った」
「都合わるいことを都合よく忘れられるんすよ。僕、馬鹿なんで」
「………………」
ははっと軽い笑いをこぼしたのは、モルガンだった。
「面白いじゃねぇか、対戦しろよ」
「はっ? 俺はしねぇぞ」
「……あぁ、ウサギの前で負けたくねぇか?」
「挑発しても無駄だ。つぅかユーグを殴れるわけねぇだろ。殴る気おきねぇ」
セトの主張に、ユーグが、
「僕は殴れるっす。セト殴ってみたいっす」
「お前な……」
セトの半眼は見えていないらしい。
帰宅するのかしないのか、会話を追いかけるので精一杯なウサギは挟まれて困惑している。
眺めていたモルガンが、
「対戦してやれよ。勝ったら褒美も出るぞ」
「賞金なんか要らねぇよ。生活は仕事の分で足りてる」
「欲がねぇな~……だったら、お前の要求を呑んでやるかぁ?」
「は? 解放してくれんのか?」
「馬鹿か? ウサギの話だろ」
「……対戦したらウサギは解放してくれんのか?」
「勝ったらなぁ」
「……ハウスに? 安全に戻す手配してくれんのか? 勝ったら?」
「ああ」
「……ほんとか?」
「疑うなよ、俺は約束を守る男じゃねぇか」
「疑いしかねぇよ」
セトの悪態に、モルガンは大きな声で笑っていた。
心の底から笑いこぼすみたいな声に、セトは眉を寄せて戸惑う。
肩を震わせるモルガンは、セトに向けて、
「お前がそこまで言うなら、帰してやるよ。疑うなら証拠もちゃんと取って来てやる。……そうしたら、お前は残ってくれんだろ?」
「……ああ、俺はハウスを出た身だ。行くとこもねぇよ」
「話がついたな? ——おい、次の試合を組み直せ! ユーグに挑戦者だ!」
モルガンの指示が、素早く通っていった。
5秒ほど遅れて、「ん?」セトは首をひねる。
「……挑戦者ってなんだ?」
「僕、ここのトップなんで。最近は誰も挑んで来ないんすよ、最強すぎて」
「……嘘だろ? もしかして最強って言葉の意味が分かんねぇのか?」
「あ、うざいっす。ガチでいきます」
ステージに移動するユーグに、セトもそのあとを追おうとしたが、ふと腕を取られて足を止めていた。
見上げるウサギの目が、
「……かえらない、の?」
「あぁ、伝わってねぇか? ユーグと対戦することになったんだよ。すぐ済むから、少し待っててくれ」
「どうして……」
「勝ったらお前をここから出すって、あっちから提案してくれた。好条件だろ?」
(——ちょうどよかった。俺も限界だと思ってた)
セトの思いは、明るい顔に表れていた。
ウサギの返事を待たずに、軽快な動きでステージに上がる。
「……わたしを、だす……?」
困惑した顔つきのウサギに、気づいたモルガンが笑った。
「セトはウサギが要らねぇみたいだなぁ?」
「………………」
「まぁ、仕方ねぇな。ウサギは何もできてねぇもんなぁ……」
言葉じりに、軽い笑い声が鳴る。
ひとり残された彼女がどんな顔をしていたか、セトは見ていなかった。
初めて生で見る格闘技——というセトの期待感は、すぐに消えていた。
ステージで繰り広げられたのは、素人同然の喧嘩だった。派手な見せ方をするわけでも、シナリオがあるわけでもない。その辺の頑丈そうな輩を捕まえてきて、闘わせているようなもの。多少は見せ方を意識しているが、洗練されてはいない。
賭けの行方で盛り上がる青年たちを横目に、手にしていたビール瓶へと口をつけた。加工マシンによるラガービール。喉越しはいいが、美味くはない。軽食も加工食。
セトは隣を見る。ウサギがどんな目で見ているのかと、
「……おい、大丈夫か?」
「………………」
「ウサギ?」
凍りつく顔が、ぎこちなくセトを振り返った。
「とても、いたそう……」
「………………」
(お前、この場所に向いてねぇよ)
そんな意見は抑え込んで、「帰るか」再三の提案を口にするセトに、これまた何故か「だいじょうぶ」と頑なな応答。
「無理して見んな」
「……でも、セトは、〈きょうみ〉がある」
「もう興味ねぇから。それ飲んだら帰るぞ?」
「……だいじょうぶ」
「いや、なんで強情なんだよ」
セトの突っこみに、眉を八の字にした顔で見返しながら、
「はじめての〈でーと〉だから……もうすこし」
「………………」
セトは、無言で眉を寄せた。
ステージの闘いが決着する。歓声とブーイングで沸く者たちに混じって、セトは立ち上がった。
「セト……?」
「帰るぞ」
「……でも、」
セトは、渋るウサギの腕をつかんで引き上げると、
「——明日、また出掛ければいいだろ」
喧騒に負けないよう、耳許に顔を寄せた。
「加工食、飽きたよな? マップにレストランが載ってたから……行ってみねぇか?」
「……あしたも、おでかけ、いいの?」
「ああ。1、2時間くらいの作業量なんて大したことねぇよ」
「………………」
「お前も、息抜きに。……嫌か?」
「いいえ。とても、うれしい」
応じたが、いまだ少しだけ悩むようなウサギの表情に気づいて、セトは少しばかり付け加える。
「これは仲間付き合いで……デートじゃねぇだろ。明日が“初めて”だからな?」
「あしたが——はじめて?」
「ああ。……だから今日は、もう帰るぞ?」
「……はい」
ウサギはやっと帰る気を見せ、「あしたが、はじめて」確認するように小さく唱えた。
「おう」と返したセトは(デートって何するか正しく知らねぇけど)とは言わなかった。
(……つぅか、家族以外と出掛けたことねぇな?)
思い浮かぶ記憶は、ヴァシリエフハウスが占めている。
人付き合いを学ぶためのコミュニケーショングループは、毎度セトが問題を起こすせいで母親も諦め、それ以降ハウスの兄弟しか子供を知らない。
学習の時間は成長するにつれて研究に代わり、兄弟で遊ぶ時間はスポーツになった。
反抗してハウスを抜け出した時期もあったが、それでも週一。人生の多くは“遊び”ではなく、“義務”に使われていた。
——それが、普通だと。
セトを含む兄弟たちの多くは、“遊ぶために稼ぐ”という感覚を知らない。
自由に振るまっていたロキですら、稼ごうとはしていない。趣味で研究開発したものが、市場に出て評価されたために資産ができただけで——金銭に執着はない。
ティアやハオロンのように、一部特殊な立場の兄弟もいたが、たいていの者はより良い社会のために作られたと言っても、おそらく過言ではなかった。
「おい、俺ら帰るからな?」
騒ぐ友人に向けて告げると、セトは出口に向けて足を——
「——帰んのかぁ?」
騒めきを縫って、セトの耳に低く重たい声が届いた。
目を向けると、モルガンが薄い笑みを浮かべて立っていた。
横には女がひとり。モルガンの腕は女の肩に回されている。背後にはユーグもいた。
騒々しかった周囲は、わずかに声量を下げた。
「セトはついさっき来たとこじゃねぇのか? もう少し遊んで行けよ」
「……暇じゃねぇんだよ。押し付けられた仕事がクソほどあるからな」
「ご苦労さん。こっちは問題が解消されて助かってるからなぁ、少しくらい遊んだって文句は言わねぇよ。早く片付けろ——なんて言ってねぇだろ?」
「………………」
「——よぉ、ウサギ。新生活はどうだ? なんか困ってねぇか?」
流れたモルガンの目に、ウサギはとくに威圧されることなく、
「わたしは、へいきです。でも、セトが、とてもたいへん……」
「そうだよなぁ? 無理せずに、ゆっくりやってくれりゃいいさ。働きすぎてぶっ倒れたら、ウサギが心配すんだろ? 緊急性の低いものは後回しにして、休息をしっかりとれよ? ストレス溜めんな?」
上っ面だけの労いを、セトの目は細く見返した。
二人のあいだでぶつかる火花は、周囲の者には見えていない。
「——なら、その言葉に甘えて休ませてもらう。家でな」
帰る気は変わらない。セトは、ウサギの腕を取って連れ帰ろうとした。
しかし、モルガンの背後にいたユーグが、
「セトって強いんすか?」
場違いな空気感で、すれ違う前のセへと足を出して尋ねた。
「……あ?」
「けっこう動けるって聞いたんすけど」
「大したことねぇよ。人並みだろ」
「人並み——とか謙遜するヤツに限って強かったりしません?」
「知るか。そこどけよ」
「…………僕と対戦しましょーよ。せっかくなんで?」
「はぁ?」
「……その反応、どっちなんすか? “勝てるわけねぇだろ”?」
「——ふざけんな。お前みたいに細ぇやつとやれるわけねぇだろ」
「……やっぱりそっちっすよね。……うざ」
「あ?」
「その無駄に聞こえのいい耳を切り落としてやりたいっす」
「暴力反対の平和主義はどこ行った」
「都合わるいことを都合よく忘れられるんすよ。僕、馬鹿なんで」
「………………」
ははっと軽い笑いをこぼしたのは、モルガンだった。
「面白いじゃねぇか、対戦しろよ」
「はっ? 俺はしねぇぞ」
「……あぁ、ウサギの前で負けたくねぇか?」
「挑発しても無駄だ。つぅかユーグを殴れるわけねぇだろ。殴る気おきねぇ」
セトの主張に、ユーグが、
「僕は殴れるっす。セト殴ってみたいっす」
「お前な……」
セトの半眼は見えていないらしい。
帰宅するのかしないのか、会話を追いかけるので精一杯なウサギは挟まれて困惑している。
眺めていたモルガンが、
「対戦してやれよ。勝ったら褒美も出るぞ」
「賞金なんか要らねぇよ。生活は仕事の分で足りてる」
「欲がねぇな~……だったら、お前の要求を呑んでやるかぁ?」
「は? 解放してくれんのか?」
「馬鹿か? ウサギの話だろ」
「……対戦したらウサギは解放してくれんのか?」
「勝ったらなぁ」
「……ハウスに? 安全に戻す手配してくれんのか? 勝ったら?」
「ああ」
「……ほんとか?」
「疑うなよ、俺は約束を守る男じゃねぇか」
「疑いしかねぇよ」
セトの悪態に、モルガンは大きな声で笑っていた。
心の底から笑いこぼすみたいな声に、セトは眉を寄せて戸惑う。
肩を震わせるモルガンは、セトに向けて、
「お前がそこまで言うなら、帰してやるよ。疑うなら証拠もちゃんと取って来てやる。……そうしたら、お前は残ってくれんだろ?」
「……ああ、俺はハウスを出た身だ。行くとこもねぇよ」
「話がついたな? ——おい、次の試合を組み直せ! ユーグに挑戦者だ!」
モルガンの指示が、素早く通っていった。
5秒ほど遅れて、「ん?」セトは首をひねる。
「……挑戦者ってなんだ?」
「僕、ここのトップなんで。最近は誰も挑んで来ないんすよ、最強すぎて」
「……嘘だろ? もしかして最強って言葉の意味が分かんねぇのか?」
「あ、うざいっす。ガチでいきます」
ステージに移動するユーグに、セトもそのあとを追おうとしたが、ふと腕を取られて足を止めていた。
見上げるウサギの目が、
「……かえらない、の?」
「あぁ、伝わってねぇか? ユーグと対戦することになったんだよ。すぐ済むから、少し待っててくれ」
「どうして……」
「勝ったらお前をここから出すって、あっちから提案してくれた。好条件だろ?」
(——ちょうどよかった。俺も限界だと思ってた)
セトの思いは、明るい顔に表れていた。
ウサギの返事を待たずに、軽快な動きでステージに上がる。
「……わたしを、だす……?」
困惑した顔つきのウサギに、気づいたモルガンが笑った。
「セトはウサギが要らねぇみたいだなぁ?」
「………………」
「まぁ、仕方ねぇな。ウサギは何もできてねぇもんなぁ……」
言葉じりに、軽い笑い声が鳴る。
ひとり残された彼女がどんな顔をしていたか、セトは見ていなかった。
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