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Bal masqué
Chap.4 Sec.17
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「お父様、お話があるの」
眠る用意を終えてから、父のいる書斎に入った。母は先に眠っている。父が眠るまでは付き添いのメイドがいる。
わたしは夜着の上にガウンだけの姿だったけれど、はしたないと怒る親ではない。寒くないかい、と案じてくれるタイプの甘い父である。
父は奥の机から立ち上がると、使用人に二人分のホットワインを言いつけて、手前のソファへと移った。わたしも向かい合うように座る。父の顔を見ると、くたびれた顔つきに(こんなに歳をとっていただろうか……)と小さな衝撃を受けた。
「お父様、お疲れじゃない? お休みになったほうが……」
「いやいや大丈夫だよ」
「お仕事、大変なの?」
「いいや、そうでもないよ。やることは多いが……最近はルネくんが家のことをしてくれるおかげで、仕事の細かいことは全てゲランさんがしてくれるからね。仕事の人間も我が家の使用人も、随分と増えて……かなり楽になったほうだ」
「……そうなの。ならよかったわ」
若いメイドがころころ問題はさておき、使用人のほとんどは屋敷に長く仕えてくれている。みな優しく、子供の頃からいつも温かい目で見守られているのを感じる。
「——お前のほうは、どうだい? 今夜は楽しかったかね?」
「ええ……まぁ」
「デュポン夫人とは長い付き合いだからね。今後もうちのワインを贔屓にしてもらいたいものだ」
「………………」
「……何か、やらかしたのか」
「えっ……ううん、なにも」
「………………」
「………………」
「……正直に言ってごらんなさい、怒らないから」
「怒られるようなことはしてないわ!」
——たぶん。わたしの執事に手を出してきたからちょっと邪魔しただけでそれは別にわたし悪くないと思うのよ。ただでさえお世話になってるらしいデュポン家のみなさまに失礼とならないよう夫人の過ちを止めたわけでわたしのルネに対する気持ち関係なく主人として正しい行動をしたと思うわ。
脳内で言い訳がずらっと並んだけれど、内容が内容だけに口にできない。
難しい顔で黙る娘に、父は眉を下げて困ったように笑っている。ちょうど運ばれてきたホットワインを受け取ると、使用人には部屋から出るように告げた。
「……お前は家宝のことを覚えているかね?」
「……?」
思い出したような父の言葉に、記憶から地下室のルネが浮かんだが、意識的に振り払った。
「宝石ね? お父様が家宝にしたい、今はただの裸石」
「うむ。……こんなことを言うと、より心配させてしまうのだが……私に、もしものことがあったら、家宝を確認しておくれ。あの場所はお前にしか話していないから……何かのときは、あれを頼りにしなさい」
思いがけず語られる話に、うまく言葉を返せなくなった。応えられないわたしに、父は眉を下げたままの笑顔で、
「そんな顔をしないでおくれ。一人娘に伝えておく話としては……そうおかしなことでもないはずだよ?」
「……そう……ね」
「うむ、あれについては頼むね」
「……はい」
「それから……何かあったときの相談は、ルネくんにしなさい」
「? ……ゲランさんではなく?」
「そう、まずはルネくんに話しなさい。彼が、お前にとって一番いい選択をしてくれるだろうから——約束だよ?」
「……わかったわ」
頭には疑問があったが、表向き素直に頷くと、父は安心したように笑ってワインへと口をつけた。わたしも釣られるようにしてワインを手に取ったが、わずかに触れるだけで口内を濡らす程度に終える。
「——ところで、何か話があったのではなかったかね?」
「……え?」
「話があると言って入って来なかったかい……?」
ワインのスパイスを感じながら、思考をぐるり。はっと思い当たった。
「そう、お話があるの」
「うむ?」
「フィリップ様のことなんだけど……」
「——あぁ。そうだね、私も話さなくてはと思っていたのだよ」
あいだのテーブルに、ふたつのカップが置かれる。父は顎ひげに手を伸ばし、
「正式な婚約と……できることなら、婚姻の日取りも決めたいと言っていてね……」
「……早すぎるわ」
「うむ……まぁ、両家互いに知らぬ仲ではないからね。しかし、この婚姻はあちらにメリットがないようにも思うのだが……よほどお前を気に入ったのだろうかね?」
「……わたしにもさっぱり分からないの」
「うぅむ。フィリップ様は悪い方ではないようだが……むしろ楽しい青年ではあったが……」
そこで、じろりと目を送る。ワインを飲ませすぎた事実に、父がわたわたと動揺した。
「あれはね? 彼も喜んで飲んでいたんだよ? この国のワインで一番うまいと言ってくれてね? 可愛い青年だね?」
「………………」
「いや、分かってるよ。私が悪かった……次からは気をつけよう」
「ええ、気をつけてちょうだい」
「うむ……」
肩を落とす父に、胸中で(次はないと思うけれどね)と唱える。わたしの気持ちを察したのか、父のほうから、
「彼とは仲良さげに見えたが……タレラン家に嫁ぐ気は、お前にないのだね?」
はい、と。答えるつもりだった。
——けれども、その答えはドアを叩く鋭い音に遮られていた。
「旦那さま! 奥さまのご容態が!」
メイドの声に、父の体がソファから跳ね上がる。
弾みで当たったカップが倒れ、テーブルに赤く中身をぶちまけていたが、誰も気に留めなかった。
眠る用意を終えてから、父のいる書斎に入った。母は先に眠っている。父が眠るまでは付き添いのメイドがいる。
わたしは夜着の上にガウンだけの姿だったけれど、はしたないと怒る親ではない。寒くないかい、と案じてくれるタイプの甘い父である。
父は奥の机から立ち上がると、使用人に二人分のホットワインを言いつけて、手前のソファへと移った。わたしも向かい合うように座る。父の顔を見ると、くたびれた顔つきに(こんなに歳をとっていただろうか……)と小さな衝撃を受けた。
「お父様、お疲れじゃない? お休みになったほうが……」
「いやいや大丈夫だよ」
「お仕事、大変なの?」
「いいや、そうでもないよ。やることは多いが……最近はルネくんが家のことをしてくれるおかげで、仕事の細かいことは全てゲランさんがしてくれるからね。仕事の人間も我が家の使用人も、随分と増えて……かなり楽になったほうだ」
「……そうなの。ならよかったわ」
若いメイドがころころ問題はさておき、使用人のほとんどは屋敷に長く仕えてくれている。みな優しく、子供の頃からいつも温かい目で見守られているのを感じる。
「——お前のほうは、どうだい? 今夜は楽しかったかね?」
「ええ……まぁ」
「デュポン夫人とは長い付き合いだからね。今後もうちのワインを贔屓にしてもらいたいものだ」
「………………」
「……何か、やらかしたのか」
「えっ……ううん、なにも」
「………………」
「………………」
「……正直に言ってごらんなさい、怒らないから」
「怒られるようなことはしてないわ!」
——たぶん。わたしの執事に手を出してきたからちょっと邪魔しただけでそれは別にわたし悪くないと思うのよ。ただでさえお世話になってるらしいデュポン家のみなさまに失礼とならないよう夫人の過ちを止めたわけでわたしのルネに対する気持ち関係なく主人として正しい行動をしたと思うわ。
脳内で言い訳がずらっと並んだけれど、内容が内容だけに口にできない。
難しい顔で黙る娘に、父は眉を下げて困ったように笑っている。ちょうど運ばれてきたホットワインを受け取ると、使用人には部屋から出るように告げた。
「……お前は家宝のことを覚えているかね?」
「……?」
思い出したような父の言葉に、記憶から地下室のルネが浮かんだが、意識的に振り払った。
「宝石ね? お父様が家宝にしたい、今はただの裸石」
「うむ。……こんなことを言うと、より心配させてしまうのだが……私に、もしものことがあったら、家宝を確認しておくれ。あの場所はお前にしか話していないから……何かのときは、あれを頼りにしなさい」
思いがけず語られる話に、うまく言葉を返せなくなった。応えられないわたしに、父は眉を下げたままの笑顔で、
「そんな顔をしないでおくれ。一人娘に伝えておく話としては……そうおかしなことでもないはずだよ?」
「……そう……ね」
「うむ、あれについては頼むね」
「……はい」
「それから……何かあったときの相談は、ルネくんにしなさい」
「? ……ゲランさんではなく?」
「そう、まずはルネくんに話しなさい。彼が、お前にとって一番いい選択をしてくれるだろうから——約束だよ?」
「……わかったわ」
頭には疑問があったが、表向き素直に頷くと、父は安心したように笑ってワインへと口をつけた。わたしも釣られるようにしてワインを手に取ったが、わずかに触れるだけで口内を濡らす程度に終える。
「——ところで、何か話があったのではなかったかね?」
「……え?」
「話があると言って入って来なかったかい……?」
ワインのスパイスを感じながら、思考をぐるり。はっと思い当たった。
「そう、お話があるの」
「うむ?」
「フィリップ様のことなんだけど……」
「——あぁ。そうだね、私も話さなくてはと思っていたのだよ」
あいだのテーブルに、ふたつのカップが置かれる。父は顎ひげに手を伸ばし、
「正式な婚約と……できることなら、婚姻の日取りも決めたいと言っていてね……」
「……早すぎるわ」
「うむ……まぁ、両家互いに知らぬ仲ではないからね。しかし、この婚姻はあちらにメリットがないようにも思うのだが……よほどお前を気に入ったのだろうかね?」
「……わたしにもさっぱり分からないの」
「うぅむ。フィリップ様は悪い方ではないようだが……むしろ楽しい青年ではあったが……」
そこで、じろりと目を送る。ワインを飲ませすぎた事実に、父がわたわたと動揺した。
「あれはね? 彼も喜んで飲んでいたんだよ? この国のワインで一番うまいと言ってくれてね? 可愛い青年だね?」
「………………」
「いや、分かってるよ。私が悪かった……次からは気をつけよう」
「ええ、気をつけてちょうだい」
「うむ……」
肩を落とす父に、胸中で(次はないと思うけれどね)と唱える。わたしの気持ちを察したのか、父のほうから、
「彼とは仲良さげに見えたが……タレラン家に嫁ぐ気は、お前にないのだね?」
はい、と。答えるつもりだった。
——けれども、その答えはドアを叩く鋭い音に遮られていた。
「旦那さま! 奥さまのご容態が!」
メイドの声に、父の体がソファから跳ね上がる。
弾みで当たったカップが倒れ、テーブルに赤く中身をぶちまけていたが、誰も気に留めなかった。
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