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Sharp ears 1
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耳が良すぎることで、幸運だったことなんてない。
セトの記憶にはないが、乳児期から音に敏感なせいでひどい癇癪を起こしていたらしいし、ライブ活動をしていたときも調整機が外せなかった。それくらい音には悩まされている。
子供の頃、ハウスにやってきて森に入ったあの日。初めて心地のよい静寂を知った。マシンが発する不快音ではなく、風と木々が鳴らす騒めきだけの——優しい静寂。あの感動は一生忘れられない。
——いや、それは今どうでもいい。森の静寂は関係なく、耳が良すぎることで幸運だった試しがないという話だ。
§
何か話しているな、と。トレーニングルームから出てエントランスに向かう過程で、気づいてはいた。誰かの話し声。片方はすぐにウサギだと察して、わずかに遅れて相手がイシャンであると。ウサギとイシャンがなんか喋ってるな。怖がってねぇよな……? 心配する気持ちで、聞くともなしに聞いていた。ホールに差し掛かるときには、音も明瞭に捉えられていて、
——こんや、あいてますか?
——ああ。
(……は?)
思わず足が止まった。理解できない(したくない)やり取りに、知らずしらずセトの表情は険しく……
穏やかな表情で階段を下りてきた彼女が、「(……ひっ)」セトを見つけて、悲鳴を呑み込んだ。しかし、セトの耳には届いている。かすれた悲鳴の断片に、手すりの手前で止まっていたセトは一応、「怒ってねぇよ」先手を打った。
「……せと、いつから……そこに?」
「……いつでもいいだろ」
(え? ほんとに怒ってないの?)と言いたげではあるが、言えずに様子をうかがうような間があった。
「……いまの、きいてた?」
「………………」
聞いてた。とも返せず、微妙に目をそらしてから……今更うまい嘘も浮かばず、「聞いてた」結局シンプルに肯定した。
聞かれちゃったのか、くらいの反応でウサギは困った顔をしている。——まじか。否定しないのか。
「お前、なんで……」
イシャンなんか。
言いかけて、なんかは良くないなと口をにごし、
「……イシャンがありなら、俺でも……」
可能性あるのか?——も、駄目だろ。何言おうとしてんだ。
自分で自分を諫め、(なんでイシャンを誘ってんだ? お前らいつからそんな仲なんだ? つぅかロキはどうした?)混乱していく思考を落ち着かせようと試み、けれども沈着しない脳は最終的に停止した。
何か言葉がつながるのだろうと待っていたウサギも、「(……?)」はっきりと分かるほど疑問符を浮かべて首をかしげる。
何か言わなくてはと、口を開きかけたセトよりも先に——彼女が、はっとひらめきを見せた。
「せとも、いっしょに——する?」
「はぁっ?」
意図せず大きくなった声に、ウサギの肩が跳ねた。おびえたというよりは驚いたようすだったが、念の為に「怒ってねぇぞ」……最近こればっかり言っている気がする。
戸惑いに満ちた双眸と向き合いながら、(一緒に?)提案を1秒だけ真剣に考えて、(……いや無理だろ) 冷静に却下した。ほかの誰かと触れ合う姿なんて見たら、自分でも何をしでかすか分からない。
そうでなくとも——罪悪感と後悔の念で、セトは永遠に苦しめられているのだから。
「……せと?」
「……いや、俺は無理だ」
「……いそがしい? わたしに、できること……ある?」
「そういう問題じゃ……」
言いきる前に、名案が浮かんだ。
「——いや、そうだな。仕事あるかも知んねぇな。節電で制限も多いし、人手が要るとこもあるだろ。あるな。よし、仕事するか」
「(いま思いついたような……?) はい、わたしも、てつだう」
「森の除雪が間に合ってねぇから……」
仕事で疲れきってしまえば、早く眠りたくなるはず。イシャンとの夜の約束を破綻させちまえ——と画策するセトは、雪かきの仕事を説明していく。セトに頼られたことを、無邪気に誇っているような彼女の表情には良心が痛むが……それよりも今夜を阻止したい。セトの素直な願望に、彼女は全く気づいていない。
「——よし、やりにいくか!」
「はい! 〈ゆきかき〉、できるだけ、がんばる。……よるは、いっしょに、うたのれんしゅうを……できるように」
「…………ん?」
「?」
「……今なんつった?」
セトが真実にたどり着くまで、もうしばらく。
真実にたどり着いたうえで、
——セト君、きみちょっとダメだ。どこから突っこめばいいのか分かんない。
いつだったか、ティアに指摘されたことについて、(俺に問題があるのか……)真面目に自分を見つめ直す、いいきっかけとなりそうだった。
セトの記憶にはないが、乳児期から音に敏感なせいでひどい癇癪を起こしていたらしいし、ライブ活動をしていたときも調整機が外せなかった。それくらい音には悩まされている。
子供の頃、ハウスにやってきて森に入ったあの日。初めて心地のよい静寂を知った。マシンが発する不快音ではなく、風と木々が鳴らす騒めきだけの——優しい静寂。あの感動は一生忘れられない。
——いや、それは今どうでもいい。森の静寂は関係なく、耳が良すぎることで幸運だった試しがないという話だ。
§
何か話しているな、と。トレーニングルームから出てエントランスに向かう過程で、気づいてはいた。誰かの話し声。片方はすぐにウサギだと察して、わずかに遅れて相手がイシャンであると。ウサギとイシャンがなんか喋ってるな。怖がってねぇよな……? 心配する気持ちで、聞くともなしに聞いていた。ホールに差し掛かるときには、音も明瞭に捉えられていて、
——こんや、あいてますか?
——ああ。
(……は?)
思わず足が止まった。理解できない(したくない)やり取りに、知らずしらずセトの表情は険しく……
穏やかな表情で階段を下りてきた彼女が、「(……ひっ)」セトを見つけて、悲鳴を呑み込んだ。しかし、セトの耳には届いている。かすれた悲鳴の断片に、手すりの手前で止まっていたセトは一応、「怒ってねぇよ」先手を打った。
「……せと、いつから……そこに?」
「……いつでもいいだろ」
(え? ほんとに怒ってないの?)と言いたげではあるが、言えずに様子をうかがうような間があった。
「……いまの、きいてた?」
「………………」
聞いてた。とも返せず、微妙に目をそらしてから……今更うまい嘘も浮かばず、「聞いてた」結局シンプルに肯定した。
聞かれちゃったのか、くらいの反応でウサギは困った顔をしている。——まじか。否定しないのか。
「お前、なんで……」
イシャンなんか。
言いかけて、なんかは良くないなと口をにごし、
「……イシャンがありなら、俺でも……」
可能性あるのか?——も、駄目だろ。何言おうとしてんだ。
自分で自分を諫め、(なんでイシャンを誘ってんだ? お前らいつからそんな仲なんだ? つぅかロキはどうした?)混乱していく思考を落ち着かせようと試み、けれども沈着しない脳は最終的に停止した。
何か言葉がつながるのだろうと待っていたウサギも、「(……?)」はっきりと分かるほど疑問符を浮かべて首をかしげる。
何か言わなくてはと、口を開きかけたセトよりも先に——彼女が、はっとひらめきを見せた。
「せとも、いっしょに——する?」
「はぁっ?」
意図せず大きくなった声に、ウサギの肩が跳ねた。おびえたというよりは驚いたようすだったが、念の為に「怒ってねぇぞ」……最近こればっかり言っている気がする。
戸惑いに満ちた双眸と向き合いながら、(一緒に?)提案を1秒だけ真剣に考えて、(……いや無理だろ) 冷静に却下した。ほかの誰かと触れ合う姿なんて見たら、自分でも何をしでかすか分からない。
そうでなくとも——罪悪感と後悔の念で、セトは永遠に苦しめられているのだから。
「……せと?」
「……いや、俺は無理だ」
「……いそがしい? わたしに、できること……ある?」
「そういう問題じゃ……」
言いきる前に、名案が浮かんだ。
「——いや、そうだな。仕事あるかも知んねぇな。節電で制限も多いし、人手が要るとこもあるだろ。あるな。よし、仕事するか」
「(いま思いついたような……?) はい、わたしも、てつだう」
「森の除雪が間に合ってねぇから……」
仕事で疲れきってしまえば、早く眠りたくなるはず。イシャンとの夜の約束を破綻させちまえ——と画策するセトは、雪かきの仕事を説明していく。セトに頼られたことを、無邪気に誇っているような彼女の表情には良心が痛むが……それよりも今夜を阻止したい。セトの素直な願望に、彼女は全く気づいていない。
「——よし、やりにいくか!」
「はい! 〈ゆきかき〉、できるだけ、がんばる。……よるは、いっしょに、うたのれんしゅうを……できるように」
「…………ん?」
「?」
「……今なんつった?」
セトが真実にたどり着くまで、もうしばらく。
真実にたどり着いたうえで、
——セト君、きみちょっとダメだ。どこから突っこめばいいのか分かんない。
いつだったか、ティアに指摘されたことについて、(俺に問題があるのか……)真面目に自分を見つめ直す、いいきっかけとなりそうだった。
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