上 下
14 / 28

Sharp ears 1

しおりを挟む
 耳が良すぎることで、幸運だったことなんてない。
 セトの記憶にはないが、乳児期から音に敏感なせいでひどい癇癪かんしゃくを起こしていたらしいし、ライブ活動をしていたときも調整機が外せなかった。それくらいには悩まされている。
 子供の頃、ハウスにやってきて森に入ったあの日。初めて心地のよい静寂を知った。マシンが発する不快音ではなく、風と木々が鳴らすざわめきだけの——優しい静寂。あの感動は一生忘れられない。
 ——いや、それは今どうでもいい。森の静寂は関係なく、耳が良すぎることで幸運だった試しがないという話だ。



 §



 何か話しているな、と。トレーニングルームから出てエントランスに向かう過程で、気づいてはいた。誰かの話し声。片方はすぐにウサギだと察して、わずかに遅れて相手がイシャンであると。ウサギとイシャンがなんか喋ってるな。怖がってねぇよな……? 心配する気持ちで、聞くともなしに聞いていた。ホールに差し掛かるときには、音も明瞭めいりょうに捉えられていて、

——こんや、あいてますか?
——ああ。

(……は?)
 思わず足が止まった。理解できない(したくない)やり取りに、知らずしらずセトの表情は険しく……

 穏やかな表情で階段を下りてきた彼女が、「(……ひっ)」セトを見つけて、悲鳴をみ込んだ。しかし、セトの耳には届いている。かすれた悲鳴の断片に、手すりの手前で止まっていたセトは一応、「怒ってねぇよ」先手を打った。

「……せと、いつから……そこに?」
「……いつでもいいだろ」

 (え? ほんとに怒ってないの?)と言いたげではあるが、言えずに様子をうかがうような間があった。

「……いまの、きいてた?」
「………………」

 聞いてた。とも返せず、微妙に目をそらしてから……今更うまい嘘も浮かばず、「聞いてた」結局シンプルに肯定した。
 聞かれちゃったのか、くらいの反応でウサギは困った顔をしている。——まじか。否定しないのか。

「お前、なんで……」

 イシャンなんか。
 言いかけて、は良くないなと口をにごし、

「……イシャンがありなら、俺でも……」

 可能性あるのか?——も、駄目だろ。何言おうとしてんだ。
 自分で自分をいさめ、(なんでイシャンを誘ってんだ? お前らいつからそんな仲なんだ? つぅかロキはどうした?)混乱していく思考を落ち着かせようと試み、けれども沈着しない脳は最終的に停止した。
 何か言葉がつながるのだろうと待っていたウサギも、「(……?)」はっきりと分かるほど疑問符を浮かべて首をかしげる。
 何か言わなくてはと、口を開きかけたセトよりも先に——彼女が、はっとひらめきを見せた。

「せとも、いっしょに——する?」
「はぁっ?」

 意図せず大きくなった声に、ウサギの肩が跳ねた。おびえたというよりは驚いたようすだったが、念の為に「怒ってねぇぞ」……最近こればっかり言っている気がする。
 戸惑いに満ちた双眸そうぼうと向き合いながら、(一緒に?)提案を1秒だけ真剣に考えて、(……いや無理だろ) 冷静に却下した。ほかの誰かと触れ合う姿なんて見たら、自分でも何をしでかすか分からない。
 そうでなくとも——罪悪感と後悔の念で、セトは永遠に苦しめられているのだから。

「……せと?」
「……いや、俺は無理だ」
「……いそがしい? わたしに、できること……ある?」
「そういう問題じゃ……」

 言いきる前に、名案が浮かんだ。

「——いや、そうだな。仕事あるかも知んねぇな。節電で制限も多いし、人手が要るとこもあるだろ。あるな。よし、仕事するか」
「(いま思いついたような……?) はい、わたしも、てつだう」
「森の除雪が間に合ってねぇから……」

 仕事で疲れきってしまえば、早く眠りたくなるはず。イシャンとの夜の約束を破綻はたんさせちまえ——と画策するセトは、雪かきの仕事を説明していく。セトに頼られたことを、無邪気に誇っているような彼女の表情には良心が痛むが……それよりも今夜を阻止したい。セトの素直な願望に、彼女は全く気づいていない。

「——よし、やりにいくか!」
「はい! 〈ゆきかき〉、できるだけ、がんばる。……よるは、いっしょに、うたのれんしゅうを……できるように」
「…………ん?」
「?」
「……今なんつった?」

 セトが真実にたどり着くまで、もうしばらく。
 真実にたどり着いたうえで、

——セト君、きみちょっとダメだ。どこから突っこめばいいのか分かんない。

 いつだったか、ティアに指摘されたことについて、(俺に問題があるのか……)真面目に自分を見つめ直す、いいきっかけとなりそうだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

魔王討伐から凱旋した幼馴染みの勇者に捨てられた

恋愛 / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:144

旦那様、本当によろしいのですか?【完結】

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:600

【短編集】初恋は眠れない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:22

美容講座は呑みながら

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:711pt お気に入り:16

妹に全てを奪われた私は〜虐げられた才女が愛されることを知るまで〜

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:163pt お気に入り:7,718

竜王はワシじゃろ?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

図書館のかみさま

青春 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:0

処理中です...