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Episode1・ゼロス誕生

王妃の外遊11

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「イスラ、まずは簡単に掃除をしましょう。今夜はここで眠るのですよ」
「わかった。オレ、おてつだいできるぞ」
「ありがとうございます。助かります」

 私はシーツの埃を払ってベッドを整えます。
 眠っているゼロスをそっと降ろしましたが。

「うんん……。あぶ……」
「ああ、すみません。起こしてしまいましたね」

 ゼロスがぱちりと瞳を開けました。
 寝かせようとしたのに、もぞもぞ動いてちょこんとベッドでお座りです。
 ちゅちゅちゅちゅ、いつもの指吸いが始まりました。

「今から掃除しますから、少しだけそこで待っていてください」
「あぶ」
「いい子ですね」

 私はイスラにゼロスを頼み、外の井戸に水を汲みに行きました。
 冷たい井戸水で雑巾を絞り、テーブルや椅子などの主だったところを拭いていく。最後に床を掃いてから拭き掃除をして家の中を一晩越せるくらいには綺麗にしました。

「こんなものでしょうか。さすがにこれ以上は無理ですよね」

 木窓の外は闇夜が広がっています。そもそも満足に掃除ができる時間ではないのです。

「ブレイラ、ゼロスがうごく。ベッドからおりたいって」
「もういいですよ」

 床も綺麗に掃除しました。
 ゼロスが腹這いで移動しても問題ないでしょう。

「ゼロス、ブレイラがいいよって」
「あぶ」

 イスラがゼロスを抱っこし、ゆっくりと床に降ろしてくれます。
 初めての場所をゼロスはきょろきょろ見回していましたが、好奇心のままにもぞもぞと腹這いで移動し始めました。

「こっちだゼロス」

 イスラがしゃがんでゼロスを呼びます。
 もぞもぞ、ずりずり。
 腹這い移動はじりじりとしか進まず、イスラがつまらなさそうに唇を尖らせてしまう。

「ふふ、そんな顔しないでください。ゼロスはまだ赤ちゃんなんですから」
「ばぶぶー!」
「ほら、ゼロスだって頑張ってるじゃないですか。ゼロス、こっちですよ」
「あぶ!」

 手を差し出すと、もぞもぞ腹這いしながら到着しました。
 抱き上げていい子いい子とたくさん褒めてあげます。
 まだ卵から誕生して間もないのですから、これで上出来なのです。
 でもイスラには物足りないようで、イスラは部屋の端まで行くとゼロスに向かって手を差し出します。

「ゼロス、こんどはこっちだ! こっちだぞ!」
「きゃあ、あーあー!」
「もう一度頑張ってみますか? どうぞ」

 身じろいで手を伸ばしたゼロスをそっと床に降ろしてあげました。
 呼ばれるままにゼロスはもぞもぞ腹這いで頑張ります。

「こっちだ! こっち!」
「ふふふ、頑張ってください」
「あーうー、あぶー」

 イスラの呼ぶ声と私の応援に応えるようにゼロスが腹這い移動を頑張ります。
 少ししてゼロスが無事にイスラの元へ辿りつきました。

「よし、よくやった。つぎはこっちだ」
「ばぶ!」
 今度は逆の端まで行って、そこからゼロスを呼びました。
 ゼロスもそれを追いかけるようにイスラに向かって腹這い開始です。どうやら遊んでもらっていると思っているようですね。
 それにしても……。

「……イスラ、少し厳しくないですか?」

 子ども同士の微笑ましい遊びのはずですが、イスラはゼロスに休む間も与えず腹這いさせるのです。まるで体力強化の特訓のような……。

「あの、イスラ? 少し休みませんか? ゼロスもそろそろ疲れたと思うのですが」

 そろそろ休んではどうでしょうか。
 でもイスラは腰に手を当てて厳しい顔で首を横に振る。眉間に小さな皺を刻んで、あ、それハウストの表情に少し似ていますよ。

「だめだ。もっと、しゅうちゅうしろ」

 集中?
 なんだか厳しいセリフです。
 普通の腹這いには集中が必要だったのでしょうか。

「おうをなのるなら、つよくなれ」

 思わず口元を手で覆う。
 まさか、あなた、それ、誰かさんにそっくりではないですか。

「…………もしかして、イスラ、あなた」
「ハウストがいってた!」

 ああやっぱり……。
 勇者イスラを鍛えたのは魔王ハウストです。
 卵から誕生して十日目で始まった鍛錬はイスラを強くしましたが、とても厳しいものでもありました。でも王だから、勇者だからイスラは耐えたのです。
 どうやらイスラはハウストの真似をして、同格の王であるゼロスを鍛えているようです。

「イスラ、ゼロスはまだ赤ちゃんですから。ね?」
「あかちゃんでも、おうだ。おうは、つよくなきゃだめだ」
「そうですね……」

 ご尤もです。立派ですよ、イスラ。
 でもゼロスはやっぱり赤ちゃんですし、あなただって鍛錬を始めたのは歩きだしてからだったじゃないですか。
 どうしましょうと見守る中で、勇者イスラによる冥王ゼロスの鍛錬が続いてしまう。

「ゼロス、おそいぞ!」
「ばぶ!」
「もっとはやくだ!」
「ばぶぶ!」

 はやくはやくと急かすイスラ。
 ゼロスも最初は遊んでいると思っていましたが。

「むうー、ぶーっ」

 べたり。ゼロスが床にうつ伏せになりました。
 ゼロスは大きな瞳を据わらせて、小さな唇を尖らせている。不機嫌丸出しです。
 でも気付かないイスラは一時停止してしまったゼロスに檄を飛ばします。

「ゼロス、とまるな! つよくなれないぞ!!」
「あぶぶーーーーーー!!」

 突如、ひと際大きな声があがりました。
 私もイスラもびっくりして振り返ると、――――しゃかしゃかしゃかしゃかしゃか!!
 なんとゼロスが高速でハイハイしだしたのです。
 今までもぞもぞ身じろぐだけの腹這いしか出来なかったのに、両腕をぴんっと伸ばし、膝を動かして上手にハイハイしています。しかも。

「は、はやいですっ……」

 ごくりっ、息を飲む。
 今までもぞもぞ動いていたのがウソのような速さです。

「すごいっ、すごいじゃないですか! こんなに上手にハイハイできるなんて!」
「はやいぞゼロス! そうだ、しゅうちゅうだ! そのはやさだ!」

 大きな声援を送るイスラ。
 どうしてここで集中なのか不明ですが、きっと鍛錬ではハウストから何度も集中しろと叱られていたのでしょうね。どうしましょう、なんだかおかしい。

「きゃあ! あぶー!」

 ゼロスも初めてのハイハイに興奮したのか凄まじい勢いで床を動き回ります。
 とてもハイハイを覚えたばかりの速さではありません。
 テーブルの脚を縫うようにハイハイし、壁から壁へとしゃかしゃかしゃかしゃか!
 ちょこちょこ動く小さな手足はとても可愛いですが、ちょっと動き過ぎではないでしょうか。

「ゼロス、そろそろハイハイは休憩しませんか?」

 私が呼びかけるとぴたりっと動きを止めました。
 目が合うとニコリッと愛らしく笑い、会得したばかりのハイハイで近づいて来てくれます。

「あーうー、あぶー」
「上手にハイハイが出来ましたね。驚きましたよ?」
「あうー、あー」

 側まで来て手を伸ばされ、小さな体をそっと抱き上げました。
 するとむにゃむにゃと目を擦り、ちゅちゅちゅちゅちゅ、いつもの指吸いです。

「たくさん遊んで眠くなったんですね」
「ブレイラ、ちがう。あそびじゃない、たんれんだ」
「……やっぱり鍛錬だったんですね」
「じょうずにハイハイできた。つぎは、もっとはやくだ」
「お手柔らかにお願いしますね」

 そうお願いすると、むむっ……と眉間に皺をつくってしまう。
 ああその表情、やっぱりハウストそっくりですよ。
 私は苦笑してイスラの小さな眉間をもみもみしてあげました。

「さあ、そろそろ休みましょう。今夜は疲れたでしょう?」
「ブレイラもいっしょ?」
「はい、私も一緒ですよ。一緒に眠りましょうね」

 そう言ってイスラに笑いかけ、まずはゼロスをベッドに降ろしました。
 ちゅちゅちゅちゅちゅちゅ、指を吸いながらじっと私を見上げてきます。
 頭を撫でて額にそっと口付けました。

「おやすみなさい、ゼロス」
「あーうー」

 眠たいのにまだ眠りたくないようで、ぺちぺちと私の顔に触れてくる。
 くすぐったいですよ。ゼロスの小さな手を捕まえて、可愛らしい指先に唇を寄せます。

「ふふ、遊ぶのではありません。眠るのですよ?」
「あぶ、うー」

 いい子いい子と頭を撫でて、今度はイスラを手招きする。

「イスラ、あなたも来なさい」
「うん」

 イスラが駆け寄ってきてベッドに潜り込みます。
 ゼロスと並んでイスラが横になりました。
 イスラの前髪を指で払い、露わになった額に口付けを一つ。
 二人に布団をかけると、並んでちょこんと顔をだす姿が可愛らしい。

「おやすみなさい、イスラ」
「おやすみ、ブレイラ」

 枕元に腰を下ろし、二人がよく眠れるように胸を優しくトントンしてあげます。
 うとうとと二人の瞼が重くなっていきますが、イスラがそれに逆らって不思議そうに私を見る。

「……ブレイラ、ねないのか?」
「私ですか? 私はもう少しだけこうしています」

 そう言って笑いかけましたが、本当は嘘です。
 今夜は眠るつもりはありません。
 山にトロールが潜んでいると分かっているのに、どうして眠れる親がいるのですか。
 イスラやゼロスがいるから大丈夫なのかもしれませんが、そういう問題ではありません。私の子ども達の眠りを私は守りたい。

「…………かいぶつ、いるから?」
「さあ、どうでしょうね」

 誤魔化した私にイスラがムッと唇を尖らせます。
 賢い子です。でも教えてあげません。
 あなたは私の子どもです。非力な親ですが、こうして眠る時くらい見守りたい。
 でもイスラは私の手をぎゅっと握りしめました。

「だいじょうぶ。かいぶつなら、こない」
「こない?」
「そうだ。こない」

 自信たっぷりなイスラに目を瞬く。
 山に潜んでいるトロールは討伐されたのかもしれません。でもその情報はまだ入ってこないのだから警戒を緩めるわけにはいきません。
 しかしイスラの理由は違いました。

「ハウストが、まもってるから」
「え、ハウストが……」

 そして気付く。
 イスラが握っているのは私の左手。左手薬指には環の指輪。

「ハウストのちからが、ブレイラをまもってる」
「この指輪が……」

 私はイスラの手に右手を重ね、指輪を嵌めている左手に触れる。
 離れていてもハウストが守ってくれているのですね。

「そうですか。ハウストが私を」

 目を伏せて、ぎゅっと左手を握りました。
 嬉しい。ハウスト、あなたはすぐ側にいてくれている。

「だから、だいじょうぶだぞ?」
「そうですね、安心しました。ハウストが私も、あなた達もちゃんと守ってくれているのですね。ではイスラ、一緒に眠りましょう」

 私もイスラとゼロスがいるベッドに入りました。
 壁側にイスラ、真ん中に一番幼いゼロス、外側が私の並びです。
 小さなベッドは窮屈ですが甘やかな温もりが気持ちいい。
 それはイスラも感じたようで、嬉しそうに目を細めています。

「ブレイラ、ゼロスがねむったぞ」
「本当ですね、よく眠っています。イスラ、あなたも眠りなさい」
「うん。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 少ししてイスラはうとうとと瞼を閉じていく。
 やがて寝息が聞こえて、ゼロス越しに見る寝顔に私の口元が綻びます。
 私は環の指輪にそっと口付けし、「ハウスト、おやすみなさい」と遠くの彼を思いながら目を閉じました。




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