帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第二十二章:皇太子と王女の関係

132:目覚めた王女

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 ――いしずえとなれ。

 謳うような天女の声が響いている。目前を流れる光のとばりがスーを包み込むように輝いていた。
 もう苦痛を感じない。眼前にあるのは安穏とした完璧な世界だった。

 変化のない世界に、ぼうと赤い光がにじみはじめる。それは光のとばりを飲み込むように広がり、完璧な世界を乱すようにゆらゆらと揺れている。

 生き物のように揺れる赤い光は、小さな炎だった。炎は紙を燃やすようにゆっくりと広がっていく。
 辺り全体が赤い炎に包まれているのに、まるで蝋燭の火を眺めるように、スーはじっと炎を見つめていた。

 赤い炎の向こう側に何かが見える。
 幾何学模様のようにも見えるけれど、見慣れた特別な意匠。

麗眼布れいがんふが燃えている)

 ずっと求めていた美しい模様だった。赤い炎に焼かれて失われていく。

 手を伸ばして触れたい気持ちに占められたが、麗眼布が燃える様子はこの上もなく美しく、甘美だった。スーは身動きもできず、ただその光景に魅入ってしまう。

 模様が燃え尽き失われてしまうと、赤い炎が白く変化した。
 いつのまにか広大な光のとばりは失われ、深淵の闇が白い炎に呑み込まれている。

 ひたすらに白い、陽炎のような火。
 白い炎の向こう側に、また光景がうつり始めた。

 麗眼布れいがんふのような美しい模様ではなかったが、スーは白い炎の向こう側へ行ってみたくなった。
 何かとても大切なものがあるような気がするのだ。

 ただ浮遊するだけに任せていた身体を動かす。しっかりと地に足がついた。
 白い炎の向こう側へ一歩を踏み出す。

――礎となれ。

 遠くで天女の声が聞こえた。

 残り火のような赤い炎が一瞬だけ視界で揺らめき、それは白い炎の先にある光景にのまれて消えた。

 ただ天女の声だけが、最後まで響いていた。

――礎となれ。

 スーはさらにもう一歩踏み出す。そして、白い炎の向こう側へ身を投じた。




 落下するような浮遊感でスーはびくりと目覚めた。

 天蓋のある寝台をたしかめると、ひどく懐かしい気持ちになった。自分のためにルカが与えてくれた私邸の寝室。辺りに視線を巡らせると、見慣れた室内の模様が広がっている。

 心の底からホッと安堵する。自分が何か悪い夢を見ていたのだと思いながら、ゆっくりと寝台の上で身を起こした。

「スー王女!」

 背後から声がして、スーは再び、びくりと反応する。穏やかな私邸の様子に気を取られて、寝室に誰かがいる気配を感じていなかったのだ。

「良かった」

 自分とそっくりな女が奥にあった棚の前から寝台に駆け寄ってくる。奥の棚の上では何かの燃えかすが燻っていた。ゆるゆると巻き上がる煙を感じると、室内に飾られた花の香りに、何かが焦げるような匂いが紛れて流れていた。

 ぼんやりとしていたスーの意識が、自分と同じ顔の女を見た途端、はっきりと目覚める。

「あなたは!」

 断片的に蘇る記憶をたどると、憤りがこみ上げてきた。
 自分を監禁していた女。

 くっきりと蘇ってきた記憶は決して夢ではないはずである。スーは再び辺りの様子を確かめるが、今度はルカの私邸に似せた部屋に閉じ込められているのかもしれないと、女への警戒を強くする。
 もしこの部屋がルカの私邸であれば、ユエンが傍にいないことが不自然なのだ。

「ここはどこなの?」

「王女、どうか落ち着いてください」

 女は相変わらず冷静沈着である。

「ここはどこなのか? と聞いているのよ!」

 これまでの経験で、女が決して自分の問いに答えないとわかっていたが、スーは憤慨した気持ちのまま繰り返した。さいわい頭の割れそうなひどい頭痛や、内臓を吐き出してしまいそうな吐き気はなくなっている。体調が戻ると気分の落ち込みもなくなるようだ。

 今ならしつこいくらいに女を質問攻めにできるし、飛び掛かって戦うこともできる気がした。

「ここはルカ皇太子殿下の私邸であり、皇太子妃となるあなたの寝室です」

「そんなわけないでしょう! ここがもしルカ様の私邸ならユエンがーー私の侍女がいないなんてあり得ないわ!」

「ユエンは今、自身と戦っております」

「何を言っているの?」

「サイオンの抑制機構から逃れるためには、麗眼布れいがんふの依存性を乗り越えなければなりません。あなたが苦しんだように」

「あなたの妄想を聞いているのではないのよ!」

 繰り返される荒唐無稽な話など聞いていたくない。スーは思い切って寝台から出ると、部屋からの脱出を試みようと一直線に扉まで走った。

 扉に手が届くと思った瞬間、トントンと外から扉を叩く音がする。

「フェイ様。騒がしいようですが、いかがなさいましたか?」

 聞きなれた声がして、スーはその場に立ち止まる。

「まさか、オト?」

 信じられない気持ちで、スーは勢いよく扉を開け放った。記憶にあるとおりの、何も変わらない様子でオトが立っている。

「スー様!?」

「オト!」

 スーは思わず飛びついてしまう。飛びついてから、もしかしてオトにそっくりな女かもしれないと思い直して身を離す。けれど、オトへの疑念はすぐに頭の中から追い払われてしまった。

「スー様……」

 嗚咽をこらえるようにして、オトが泣いているのだ。何度も「よかった」と呟きながら、目元を拭っている。スーは彼女が本物であることを理解したが、自分の置かれた状況については、さらにわからなくなった。

「スー王女」

 自分とそっくりの女がゆっくりと傍に歩み寄ってきた。もう彼女から逃げようという気持ちは湧いてこなかったが、だからと言って心を許せるはずもない。

「いったい、どういうことなの?」

 困惑するスーの気持ちを察したのか、オトがようやくいつもの柔和な笑顔を見せた。

「スー様。お目覚めになられて本当に良かったです。スー様が目覚めたことをお伝えすれば、すぐにルキア様がいらっしゃるでしょう」

「ルキア様が……」

 やはりここは本物のルカの私邸なのだと腑に落ちた瞬間、スーはハッと一番重大な問題に気がつく。

「ルカ様は? ルカ様はどちらにいらっしゃるの? もしかしてルカ様に何かあったのかしら?」

 勢い込んでオトに聞くと、彼女はうろたえたように目を伏せた。

「オト? ルカ様は? 何かあったの?」

「私からは何も申し上げられません。とにかく、スー様はルキア様がいらっしゃるまで、こちらでお休みください」

 スーがさらに食い下がっても、オトは決して口を開かない。
 傍らに立っている女を振り返るが、彼女も口を閉ざしている。

 嫌な予感に支配されたが、とにかく今はルキアの到着を待つしかなかった。
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