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第八章:蝕まれていく予兆
38:失われた人影
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地面に降り立ったヨルムンドの力が緩むと、ルシアは再び一目散に宮殿の屋上へと向かった。
「ディオン様!」
悲鳴のような金切り声でひたすら彼の名を繰り返し、城の石造りの階段を駆け登る。がむしゃらに駆けあがり、呼吸が続かず胸が張り裂けそうに苦しい。それでも立ち止まることが出来ず、ルシアは屋上に出ると再びディオンを呼んだ。
精緻な石組みで作られた屋上の広場。憩うこともできるはずの場所を、まるで刑場のように感じてしまう。もつれそうな足取りで屋上を一回りするが人影がない。
ただディオンの在った場所には凄惨な血痕が残され、石組みを暗褐色に染めている。大きな黒い羽がむしられたように散っていた。
先ほどの出来事が決して幻ではないのだと教えてくれる。
「ディオン様!」
屋上の景色がこみ上げた熱で歪み、滲んだ。渇いた石の上に涙が染みを作る。
ルシアは手掛かりを失って、その場に崩れるように膝をついた。刻まれたディオンの悲鳴。悲痛な叫びが耳に残っている。彼の安否を確かめる術がない。あまりの不安にルシアは自分の方がどうにかなってしまいそうだった。
「ルシア様! いったい何があったのですか?」
悲嘆に暮れていると、クルドの声が響いた。ルシアが涙に濡れた顔をあげると、彼女はすぐに駆けつけ、辺りに残された惨状を目にして言葉を詰まらせる。
「な、何があったのですか?」
「クルドーーっ」
ルシアはクルドの細い体に縋りつく。クルドはしっかりとルシアを受け止めて、強く抱きしめてくれた。
「何度もルシア様の悲鳴が聞こえて、本当に心配しました。お怪我がなくて良かったです」
繰り返しディオンを呼んでいたが、それは言葉になっていなかったのかもしれない。ルシアがただ体を震わせていると、クルドはルシアを支えたまましばらく沈黙を守ってくれる。小さな手が慰めるようにルシアの背中をさする。少しずつ恐慌に染まった心が落ち着きを取り戻すと、ルシアは彼女に縋りついていた手を放した。
「ごめんなさい。取り乱してしまいました……」
涙で濡れた顔を拭ってようやく顔をあげると、クルドは横に首を振る。
「お顔の色が真っ青です。いったい何があったのですか? この血痕と羽根は魔鳥ですか?」
「それはーー」
脳裏にこびりつく凄惨な光景。ルシアは気持ちが折れないように努める。
「それはディオン様のものです」
「え?」
自分が見たディオンの様子を説明すると、クルドの顔色にも不安が滲む。顔色を失っていく少女の様子に、ルシアは自分が狼狽えている場合ではないと、ぐっと気持ちを立て直した。
「クルド。とにかくさっきまでディオン様はこちらにおいでだったのです。お姿がないという事は動けるという事です。まだ近くにいらっしゃるかもしれません。探してみましょう」
「はい」
ルシアは立ち上がり、クルドと手分けしてディオンを探す。城内を回る前に見晴らしの良い露台に向かった。露台からは外庭を一望できるが、目を凝らしてもそれらしき人影はない。
会いたくてたまらなかったが、こんな再会は望んでいなかった。
(いったい、ディオン様の身に何が……)
音沙汰のない日々。あの悲壮な姿を見た後では、能天気な物思いをしていた自分が恥ずかしくなる。彼は魔王の丘を訪れなかったのではなく、訪れる事ができなかったのではないか。
(ーー邪悪……)
ルシアはこみ上げた不安をやり過ごそうと、露台を後にして城内を回る。いつも行き来するところには気配がない。全てを隈なく回るには宮殿は広すぎたが、ルシアはディオンの姿を求めて彷徨った。
「ディオン様!」
声を限りに呼び続ける。曇天の空が日中の輝きを失い、辺りが夕闇に包まれ始めても、ルシアは城内や中庭を回ることをやめられない。諦めてしまうと、二度とディオンに会えなくなるような不安があった。
(必ずどこかにいらっしゃる)
「ディオン様」
数えきれないほど叫び、声が枯れ始めていた。通ったことのないような細い通路で、ふっと目に入った灯りがあった。同時に影が動く。
「ディオン様?」
暗い通路を照らす灯りへ向かって駆けだしたルシアに、人影が気付く。
「ルシア様!」
「あ、クルド」
手に燭台をもって、クルドが駆け寄ってくる。灯りがルシアを照らした。
「ああ、良かった。ルシア様までいなくなってしまったのかと」
ルシアはクルドの掲げる灯りを見て、時間の感覚を取り戻す。いつのまにか辺りは夕闇に沈み始めていた。
「ディオン様は?」
ルシアの枯れてしまった声を聞いて、クルドが労わるような顔をする。
「まだ見つけられていません。だけど、ヨルムンドの姿も見えません。もしかすると、魔王の丘を出られて最果てにお戻りになったのかも。今、ムギンを飛ばしてアルヴィに確認をとっています」
「ヨルムンドが……」
言われてみればそうかもしれない。あの利口な魔獣があんな状態のディオンを置き去りにするはずがなかった。ルシアよりも早く屋上へ戻り、ヨルムンドがディオンを連れ去ったのだろうか。
「とりあえず一度お部屋に戻りましょう。このままではルシア様が倒れてしまいます」
「ーーそうですね、ごめんなさい」
襲ってくる不安に囚われて、ルシアは冷静さを欠いていたのだと気づく。胸に不安を閉じ込めたまま、クルドと共に慣れ親しんだ塔へと戻った。
「ディオン様!」
悲鳴のような金切り声でひたすら彼の名を繰り返し、城の石造りの階段を駆け登る。がむしゃらに駆けあがり、呼吸が続かず胸が張り裂けそうに苦しい。それでも立ち止まることが出来ず、ルシアは屋上に出ると再びディオンを呼んだ。
精緻な石組みで作られた屋上の広場。憩うこともできるはずの場所を、まるで刑場のように感じてしまう。もつれそうな足取りで屋上を一回りするが人影がない。
ただディオンの在った場所には凄惨な血痕が残され、石組みを暗褐色に染めている。大きな黒い羽がむしられたように散っていた。
先ほどの出来事が決して幻ではないのだと教えてくれる。
「ディオン様!」
屋上の景色がこみ上げた熱で歪み、滲んだ。渇いた石の上に涙が染みを作る。
ルシアは手掛かりを失って、その場に崩れるように膝をついた。刻まれたディオンの悲鳴。悲痛な叫びが耳に残っている。彼の安否を確かめる術がない。あまりの不安にルシアは自分の方がどうにかなってしまいそうだった。
「ルシア様! いったい何があったのですか?」
悲嘆に暮れていると、クルドの声が響いた。ルシアが涙に濡れた顔をあげると、彼女はすぐに駆けつけ、辺りに残された惨状を目にして言葉を詰まらせる。
「な、何があったのですか?」
「クルドーーっ」
ルシアはクルドの細い体に縋りつく。クルドはしっかりとルシアを受け止めて、強く抱きしめてくれた。
「何度もルシア様の悲鳴が聞こえて、本当に心配しました。お怪我がなくて良かったです」
繰り返しディオンを呼んでいたが、それは言葉になっていなかったのかもしれない。ルシアがただ体を震わせていると、クルドはルシアを支えたまましばらく沈黙を守ってくれる。小さな手が慰めるようにルシアの背中をさする。少しずつ恐慌に染まった心が落ち着きを取り戻すと、ルシアは彼女に縋りついていた手を放した。
「ごめんなさい。取り乱してしまいました……」
涙で濡れた顔を拭ってようやく顔をあげると、クルドは横に首を振る。
「お顔の色が真っ青です。いったい何があったのですか? この血痕と羽根は魔鳥ですか?」
「それはーー」
脳裏にこびりつく凄惨な光景。ルシアは気持ちが折れないように努める。
「それはディオン様のものです」
「え?」
自分が見たディオンの様子を説明すると、クルドの顔色にも不安が滲む。顔色を失っていく少女の様子に、ルシアは自分が狼狽えている場合ではないと、ぐっと気持ちを立て直した。
「クルド。とにかくさっきまでディオン様はこちらにおいでだったのです。お姿がないという事は動けるという事です。まだ近くにいらっしゃるかもしれません。探してみましょう」
「はい」
ルシアは立ち上がり、クルドと手分けしてディオンを探す。城内を回る前に見晴らしの良い露台に向かった。露台からは外庭を一望できるが、目を凝らしてもそれらしき人影はない。
会いたくてたまらなかったが、こんな再会は望んでいなかった。
(いったい、ディオン様の身に何が……)
音沙汰のない日々。あの悲壮な姿を見た後では、能天気な物思いをしていた自分が恥ずかしくなる。彼は魔王の丘を訪れなかったのではなく、訪れる事ができなかったのではないか。
(ーー邪悪……)
ルシアはこみ上げた不安をやり過ごそうと、露台を後にして城内を回る。いつも行き来するところには気配がない。全てを隈なく回るには宮殿は広すぎたが、ルシアはディオンの姿を求めて彷徨った。
「ディオン様!」
声を限りに呼び続ける。曇天の空が日中の輝きを失い、辺りが夕闇に包まれ始めても、ルシアは城内や中庭を回ることをやめられない。諦めてしまうと、二度とディオンに会えなくなるような不安があった。
(必ずどこかにいらっしゃる)
「ディオン様」
数えきれないほど叫び、声が枯れ始めていた。通ったことのないような細い通路で、ふっと目に入った灯りがあった。同時に影が動く。
「ディオン様?」
暗い通路を照らす灯りへ向かって駆けだしたルシアに、人影が気付く。
「ルシア様!」
「あ、クルド」
手に燭台をもって、クルドが駆け寄ってくる。灯りがルシアを照らした。
「ああ、良かった。ルシア様までいなくなってしまったのかと」
ルシアはクルドの掲げる灯りを見て、時間の感覚を取り戻す。いつのまにか辺りは夕闇に沈み始めていた。
「ディオン様は?」
ルシアの枯れてしまった声を聞いて、クルドが労わるような顔をする。
「まだ見つけられていません。だけど、ヨルムンドの姿も見えません。もしかすると、魔王の丘を出られて最果てにお戻りになったのかも。今、ムギンを飛ばしてアルヴィに確認をとっています」
「ヨルムンドが……」
言われてみればそうかもしれない。あの利口な魔獣があんな状態のディオンを置き去りにするはずがなかった。ルシアよりも早く屋上へ戻り、ヨルムンドがディオンを連れ去ったのだろうか。
「とりあえず一度お部屋に戻りましょう。このままではルシア様が倒れてしまいます」
「ーーそうですね、ごめんなさい」
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