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1、贖罪のスピネル

44、兄がやったのだ/弟がやったのだ

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 神鳥が紙のはしっこでころんと転がって、出番を待っている。フィロシュネーが撫でると、つぶらな瞳が気持ちよさそうに瞬きするのが、可愛い。
 
「ミランダ。ハルシオン殿下のこれまでについて、あなたの知っていることを教えてくださる?」
「ええ、姫殿下。ハルシオン殿下は……」
 ミランダが迷っている。
 ミランダは、ハルシオンに好意がある。アルブレヒトと同じだ。ハルシオンがどんな悪事をしても庇いたいのだ。
「ミランダ、お話して。わたくしもハルシオン様のことを好意的に思っています。味方したいと思っています」

 言いながら、フィロシュネーの胸には「ほんとうに?」という思いが湧く。

 女王役の子供をさらったのは、彼ではないか。
 彼はためらいなく悪事に手を染めて、悪びれず気まぐれに人を殺せる。そんな人ではないか。

「もしも、ハルシオン様がとんでもない悪人だとして、今のわたくしには、安易に彼を裁くとか、守るとか言えない気持ちがあります。わたくし、お世話になっていますし、彼への好意があります。裁くとしても、迷うと思うわ。そういうのって、理屈じゃないわよね。ミランダもそうなのではないかしら?」
 
 ミランダが誠実そうな眼差しを向けてくる。
 ミランダは善良だ。そして情が深い。
 だからフィロシュネーはミランダが好きだと思った。
 
「奇跡で探るのは簡単だけど、わたくしはミランダに教えてほしいのです」
 フィロシュネーがまっすぐな視線を合わせると、ミランダは頷いた。そして、家紋入りの指輪を見せて自己紹介してくれた。本当の身分で。
「空国アンドラーデ家の三女、ミランダは、ハルシオン殿下の騎士でございます」
 アンドラーデ家は、空国において伯爵家としての地位を保持している。

 それを見て、シューエンは対抗するように家紋入りの剣を見せた。
「僕は青国アインベルグ侯爵家の七男にして、アーサー王太子殿下の騎士。そしてフィロシュネー殿下の婚約者候補でございます!」
 薄々とお互いに「この相手はこんな人物だろう」と思いつつ身分を偽りあっていたメンバーは、ここでようやく真実のお互いを知り合ったのだった。
 ひとりだけ家名を持たない男は空気のようになっていたけれど。

 ミランダは語る。空国の兄弟仲を。狂気に陥り、猫になり、人間に戻ったハルシオンのことを。
「姫殿下がさらわれたとお知りになったハルシオン殿下は、強引に兵を動かされました」
 ハルシオンは、フィロシュネーを心配していた。守りたいと思っていた。ミランダは擁護するように言った。

「空王陛下はそれを許されました。ハルシオン殿下は『弟には元々野心があるから』と仰せでした。そして、神鳥が空王陛下の罪を暴露したとき、ハルシオン殿下は『空王陛下が青国を正してくださる』と発言なさいました。空王陛下はそのご発言を受けて、兵を動かされたのです」

(ハルシオン様が兵を動かした。理由は、わたくしがさらわれたから。それが、最初)
 フィロシュネーは果実水をひとくち飲んだ。
 魔法で冷やされた果実水は、ひんやりしていて美味しい。
(わたくしがさらわれたのは、なぜ? お父様がさらわせたから)
 
「シューエン? 青国側の出来事を教えて?」
「はっ」
 シューエンは、深く頭を垂れた。
「空国の兵が進軍する中、青王陛下は『友に剣を向けるな、外交で解決しよう』と仰せでした。僕の父は抗戦を訴えていましたが、有力貴族のモンテローザ派が、青王陛下に従うと言い出しました。そして、恐ろしきことに、第二王妃様が青王陛下に毒を盛ったのです。青王陛下が倒れてしまわれて。アーサー王太子殿下は、青王陛下をお連れして紅国に亡命なさいました。そして、祖国奪還を誓われたのでございます」

 フィロシュネーは紙に「王太子が紅国を頼った。王太子は祖国を奪還したい」と書いた。そして、「空国の預言者ネネイは王太子が紅国を頼ったことを喜んでいる?」と書き足した。

「アーサー王太子殿下はフィロシュネー殿下をたいそう心配なさって、僕にお守りせよと命じられました。アーサー王太子殿下は、シスコ……フィロシュネー殿下をそれはもうご心配なさって。可能ならば黒の英雄を暗殺し、フィロシュネー殿下をアーサー王太子殿下の陣営までお連れするように、と」

 兄アーサーは、フィロシュネーにとって、あまりよくわからない人物になっていた。お城にいた時は距離感があってツンツンしていたけど、心配してくれているらしい。とりあえず、味方だ。
(再会したら、お兄様とゆっくりお話ししてみようかしら)
 暗殺という単語を聞いた『黒の英雄』は顔をしかめているが。
 
「サイラスを殺してはいけない。お兄様は、父からそう言い含められている。そうよね?」
 呪いや予言のことは伏せて、フィロシュネーは暗殺の可能性を否定した。
 
「預言のためでございますね。その通りでございますが、アーサー王太子殿下は、『聖女がいるのだし、呪いが解けないなら解けなくてもいい』と。アーサー王太子殿下の最優先は、青国の領土から空国勢を追い出して制裁を加えること。そして、フィロシュネー殿下の安全でございまして」

「お兄様は、確か以前も預言にそむいたことがあったものね」
「いえ。アーサー王太子殿下は、一度痛い目をみてから預言者どののお言葉には従っておられます。でも、今回、黒の英雄を殺してはいけないと主張なさっているのは青王陛下ですから」

 シューエンの言いたいことはわかる。兄にとっては、父青王より預言者の発言のほうが重いのだ。今のフィロシュネーもそうかもしれない。
 フィロシュネーはサイラスに視線を向けた。
 預言ってなんだろう、俺がなんですか? といった顔だ。わかっていない。知らないのだ。

(サイラスは、大地の呪いが解けると知ったら、ハルシオン様を斬ってしまうかもしれない)
 フィロシュネーは話を逸らした。

「ねえ? 青国に協力した時点で、紅国は青国の味方よね? けれど、わたくしが休戦に持ち込んだ後、彼らは中立をうたって『青国と空国』が残念だと言い、両国を仲介すると言い出したわ」
 なぜかしら?
 フィロシュネーが呟くと、サイラスが口を挟んだ。
「なぜって姫。姫が休戦を望まれ休戦させたことに、ローズ女王陛下が感銘を受けたのではありませんか。陛下は青王が国や民をあまり気にしていないのを見抜いておいでなので」
「青王は、国や民をあまり気にかけていない」
「ええ、そうです」

 フィロシュネーは紙に「青王は国や民をあまり気にかけていない」と書いた。ちょっと気になるのは、今まで黙ってたのに聞かれてもいないサイラスが女王の気持ちを語ったことだけど。

「うん、うん。わかったわ。お気づきかもしれませんけど、わたくしは青王を疑っています。空国の預言者ネネイも、あやしいと言っていたの」
 空国の預言者ネネイも怪しんでいた。預言者を特別に思うフィロシュネーにとって、その事実は大きかった。

 フィロシュネーは真実を全員に共有するよう、奇跡を行使した。

 花びらが舞い、過去が見える。


 * * *

 最初に見えたのは、美しいスピネルの赤だった。
 その人物の足元に、青王は倒れていた。

 青王の遺体が燃える中、その人物は姿を変えた。青王そっくりに。
 スピネルの指輪を填めた青王は、呪術を使った。
 
「呪術師だ」
 サイラスが唸るように呟いた。濃厚な殺気が一言に籠っていて、フィロシュネーはぞくりとした。
  
 映像の中の呪術師は、姿を変えた。
 アルブレヒト。あるいは、ハルシオン。よく似た二人と酷似した姿に。

 呪術師は、先代の空王を殺した。それを目撃したハルシオンに呪いをかけた。
 呪術師は、第二王妃を誘惑した。
 呪術師は、時にアルブレヒト、時にハルシオンになりすまして悪事を働いた。

「兄が父を殺した」
「弟が父を殺した」

 兄弟は互いに「あれは兄がやったのだ」「あれは弟がやったのだ」と思い込み、互いを許し、庇い合った。

「兄上、なぜあんなことをなさったのです!」

 空王アルブレヒトが二人きりの時にそう怒れば、兄ハルシオンは弟が罪をなすりつけたいと主張したのだと解釈した。

「アハ、あんまり覚えてなぁい。でも、兄様はやってしまった。んふふ」

 兄の罪を隠さねば。
 兄の罪を誤魔化さねば。

「アルは青国に野心があるのかぁ……アルにあんな罪があったのか……でも大丈夫、兄様は味方だよ」

「陛下。王兄殿下が勝手に王の意向を公言なさり、王の兵を動かされました! これは許されることではございません!」

 アルブレヒトは――、
「勝手に、ではない。私が命令したのだ。……何か問題があるか」
 兄を守った。
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