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2、協奏のキャストライト

145、僕が負け犬でございます/吾輩が愚痴を聞こうではないか

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 青王の騎士でありアインベルグ侯爵家の公子であるシューエンは、夜の出店をぼんやりと見て回っていた。
 
 父アインベルグ侯爵が言ったのだ。
『いいかシューエン。お前はちょっと情けないが、親からするとそういうところも可愛いんだ』
 
 父親がダメ息子にかける言葉だ。優しいではないか? 愛情を感じるではないか?
 でも、もやもやする。

 情けないところが可愛いと言われても、そんなのは褒め言葉ではないではないか。

 あの可愛い姫様と結ばれるのは自分だ、そんな未来をこの手でつかんでみせる。自分にはできる。できるってところを見せてやるんだ。
 ちょっと前まではそう強く思っていた。
 王太子時代のアーサーに取り入ったりして、「俺はお前を推すぞ」と言わせたのだ。大成功だ。うまいことやったではないか。

 ……なのに、シューエンは途中で迷ってしまった。
 フィロシュネー姫の幸せを考えてしまったのだ。
 
(後悔なんてしていない。僕はフィロシュネー姫の幸せのために身を退いたんだ)
 でも、「情けない」と言われたのは悔しい。それとこれとは、別の問題なのだ。
(僕はやろうと思えばやれたんだ)
 
「おっと、失礼」
「ん」
 すれ違い様に他者にぶつかられて、シューエンは手を伸ばした。スリだとわかったからだ。
 けれど。
「ウアッ! は、放せ!」
 スリが悲鳴をあげる。
 シューエンが捕まえるより早く、別の人物がスリの腕をひねりあげたのだ。
「盗んだものを返すように」
「あいたたた!」

 スリの手からシューエンのお金を取り返してくれたのは、陰鬱な雰囲気の男だ。深緑色の髪をしていて、血の色みたいな真っ赤な眼の……『フェリシエン・ブラックタロン』だ。話したことはないが、教えられたことがある。知っている。

「あっ。ルーンフォークさんの、お兄さん……フェ、フェリシエンさ……」
 言ってしまってからシューエンは口をおさえた。
(知らないフリをした方がよかったかも)
 フェリシエンは、そんなシューエンを小動物でも見るような眼で見下ろした。

「……」

 無言だ。何も言わずに取り返したものを手に押し付けてくる。不気味だ。目付きが悪くて、妙に圧が強い。怖い。近くにいるだけで不幸になりそうな謎のオーラがある。シューエンは気圧された。
 
「あ、僕のお金でございますね、それ。取り返してくださってありがとうございま……」 

 がしっ。
 お礼を言い終わるより先にフェリシエンはシューエンの肩をつかんだ。びくぅ、と肩が跳ねる。

「ひっ?」
「弟が世話になっている」
「ふぁいっ?」
「空国に帰国しようと思ったのだが、兄として礼をしてからにしようと思ってな」 
「え、え」

(なんて? このお兄さん、今なんて? 礼?)
 それはどういう意味の「礼」? この人は、弟と仲が悪いはず?
 殴られたりします? 闇討ちでございます? 僕、戦います?

 身構えるシューエン。
 
 けれど、気付けば数刻後、シューエンはフェリシエンと酒場にいて、ジュースをすすっていた。

(あ、あれえ……)
 前にも来たことのある酒場だ。空国勢に連れられてきた場所だ。

 フェリシエンは、一番隅の席にじっとりと落ち着いてちびちびと酒をすすっている。カビが生えそうな陰気さだ。明るい酒場なのに、そこだけなんか暗い。空気がどんより澱んでいるみたいだ。
 
(ぼ、僕はなぜ。この人はなぜ……あれえ~?)

 シューエンが恐々と縮こまっていると、フェリシエンの赤い瞳がじろり、とシューエンを見る。
 自分で連れてきたくせに、このお兄さんの眼は「こいつといるのが嫌だ」という温度感だ。すごく嫌そうな気配だ。
 しゃべるときも、「しゃべりたくないのに」という凍えそうなほど冷たく低音の声なのだ。
 
「聞けばフィロシュネー姫の婚約相手も定まったというではないかね」
 名乗りは済ませたが、フェリシエンはぜったい名前を呼ばない。「貴様も名前を気安く呼ぶなよ」というオーラを出している。
「あ、あ、はい。僕が負け犬でございます」
 
 その話題、今の僕にはつらいのですが? ――なんて言えそうな空気ではない。シューエンは膝の上でクッと拳を握った。
 
 フェリシエンはというと、「なんだこの卑屈な犬は」という眼でシューエンを見てくる。
「空国の王兄殿下と弟は失恋同好会とやらを設立していたと聞くが、……」
 
(あとこの人、すごくスローペースにしゃべりますね!)
 やる気がないんだ。面倒そうなんだ。びんびん伝わる!
 
「……こんな夜こそ、想いを吐き出してスッキリするべきなのではないかね」
「ふぁ……、さ、さようでございますかね」
「……弟に代わり吾輩が愚痴を聞こうではないか。存分に愚痴るとよい」
「え、ええ……?」
「愚痴れ」

 ――命令形!
  
 シューエンの不思議な夜は、こうして始まった。
 
「悔しくないのかって言ってくる人もいるのでございますよ。そんなの悔しいに決まっているではありませんか。平気なフリをしてるに決まってるではありませんか」
「……」
 
 フェリシエンは、相槌すら打たない。でも、たまに頷いてくれたりする。虫を見るような眼で見てきたりもする。
 言葉がとだえて沈黙が三秒つづくと「まだあるだろう。吐け」と睨んできたりする。

(この現実はなんでしょうか。僕がなにをしたというのでしょうか)
 でも、愚痴を吐いていくうちに、ちょっとずつスッキリする感じもある。
 
「セリーナ嬢は心配してくださって優しく声をかけてくださるのでございます。でもでも、ご令嬢に気を使わせてしまう僕って情けなくないですか……」 

 ああ、この蔑むような眼。
 「そんなことないぞ」なんて絶対言ってやらんぞウジ虫め、って眼だ。
 同情してくれない。でもそこが意外といい。

「アーサー陛下は、『初恋は実らないというしな。俺と同じだな』などと仰り……なまじ陛下の初恋相手が亡くなっているだけに何も言えないではありませんか。あんなことを仰られては、こ、困りますよ……」

 しかも、ちょっと悲しそうに仰ったのだ。
 涙腺を刺激されて困ったではないか。

「僕、アーサー陛下にはもともとそれほど忠誠心を抱いてなくて。王太子時代に、この王子様はこんな風に接したら僕を気に入るだろうーって思って計算して媚びを売りまくったのでございますよ。狙い通りに懐に入り込めたので、ちょろいなって思ってたくらいで……ざ、罪悪感が湧くではございませんか」

 フェリシエンが寒々とした視線を突きさしてくる。
 貴様はクズだなって気配だ。でも、そこがいい。自分がクズだと自覚しているときには、責められた方が気持ちが楽だ。
 
「やはり、父たちの『シューエンだからなぁ』という空気も嫌なのでございます。言い返せたらいいのに。でも僕、……他者に僕が言い返してやるためだけに姫殿下の恋を邪魔するのも……嫌なのでございますよ」

 はぁっ、とため息をついて、シューエンは望みを吐き出した。
「僕だって特別です、僕だってすごいです、って言えたらいいのに」

 でも、言えないんだ。
 
「ふうむ。特別になりたいのか」
 低い声がして、びくびくっと身体が跳ねる。びっくりした。突然しゃべるから。
 
「ふぁい」
  
 このお兄さんは、もしかしたら良い人なのかもしれない。だって、僕のどろどろした感情をずーっと静かに受け止めてくれているんだ。
このまま話し続けると、好きになってしまいそうだった。

 何を言ってくださるのでしょうか――わくわくと見つめると、嫌がるようにしかめっ面をされる。
 
「親兄弟や自分を知っている者たち……現在の環境から一度離れてみてはどうか。空国には『可愛い子には旅をさせよ』という言葉がある」
 
 意外とよいことを言ってくれていないだろうか?
 ここまでの態度がヒンヤリすぎただけに、ギャップ効果も相まってシューエンは感動した。
 
 この人、僕のことを思いやってこんな発言してくれてるんですよね? 
 間違いなく、僕を思っての発言ですよね?
 
「ありがとうございます、お兄さん!」
「おに……」
「ですが、僕は貴族の家の公子で、アーサー陛下に忠誠も誓いましたから、居心地が悪いからといって離れたりはできないのでございます」

 貴族の自覚を胸に言いながら、シューエンは「でも」と迷いをみせた。
 
「うぅん……でも――、それっていいかもしれない……」
 
 精神的な疲労や緊張のせいか、とても眠い。ふーっと息をついて、シューエンはテーブルに突っ伏した。

「すみません、僕、ねむぅ……い……」
 
 ――そして、ふにゃふにゃと目を閉じて眠ってしまったのだった。
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