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2、協奏のキャストライト

146、今、あなたに触れています

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「シューエンは見つかりませんの?」

 フィロシュネーは心配していた。
 帰国の時期もそろそろだというのに、数日前からシューエンがいないのだ。

「もうすぐ帰国の時期ですのに……」 
 侍女のジーナがハーブティーを淹れてくれる。気持ちを落ち着かせる効果があるお茶だ。口当たりは美味しい。でも、気持ちは落ち着かない。
 
「平気そうに振る舞っておられましたけど、やっぱり傷心でしたのね」
 オリヴィアが遠慮がちに呟くと、セリーナはワッと顔を覆って泣き出した。
「わ、私、気付いていたんです。シューエン様は平静を装っているだけで、落ち込んでいらっしゃるって。今ごろ、世を儚んで……」
「落ち着いて……セリーナ、落ち着いて……」

 青国勢は日夜シューエンを探している。当然ではあるが、紅国は公子シューエンの捜索を手伝ってくれている。

 青国の王妹フィロシュネーの元婚約者候補。氷雪騎士団の団長。アインベルグ侯爵家公子。青王アーサーの騎士。外交団の一員。
 シューエンには、たくさんの肩書きがある。

「公子は自発的に姿をくらませたのか。それとも、事件に巻き込まれたのか」
 まず気になるのがその点であった。当然、事件に巻き込まれたとなれば責任問題になる。
 
「ジーナ、ハルシオン様からお返事はありまして?」
 フィロシュネーは捜索に際して、空国の王兄ハルシオンを頼ろうと考えていた。

(ハルシオン様なら、あっという間に見つけてしまうに違いないと思うの)
 できないことは何もない。フィロシュネーにとって頼もしい存在がハルシオンだ。それなのに。
  
「空国の王兄殿下はご体調が優れないらしく、ずっと伏せっておられるのだそうです」
「ええっ」
 なんとハルシオンは体調を崩しているという。

「いつから? そういえば姿をお見掛けしないと思っていたけれど……け、仮病ではないのよね?」
 
 フィロシュネーは自国の預言者ダーウッドを思い出した。ダーウッドは青王アーサーからの「シューエンはどこにいるんだ。お前ならわかるだろう」攻撃に困り果て、仮病を使っているのだ。

「陛下のお顔を拝見すると悪化する――これは預言でございます。私に近寄らないでくださいますかな」
 そんな怪しすぎる預言が通じるものですか、とフィロシュネーは思ったのだが、アーサーはしょんぼりとして言いなりになっている。

「軽い風邪、というお話なのですが」
 ジーナはそう言って声をひそめる。
「ま、まあ。そうですの」

 学友たちの視線がもの言いたげだ。
「姫様のせいとは絶対に申し上げたりはしませんけど……」
「お二人とも、傷付いて……」
 ぼそぼそとセリーナとオリヴィアが交わす声が聞こえている。

(わ、わたくしの婚約が原因……なの……?)
 フィロシュネーは気にしつつ、ハルシオンへの見舞いを申し込んだ。
 
 ハルシオンの部屋の前には、ミランダがいた。
「姫殿下。お見舞いに来てくださってありがとうございます」
 ふわりと微笑む表情が思っていたより深刻ではないのでフィロシュネーは安心した。
「殿下は、実は姫殿下には弱っている姿を見せたくないので、教えないでほしいと仰っていたのですが……」
 お姉さんな声色が心配そうに小声になる。
「風邪はほとんど治っておられて、今は読書をなさっています」
「ま、まあ。そうでしたの」

 ミランダは「フィロシュネー姫殿下がいらっしゃいました」と部屋の中に声かけをしなかった。ただそっと扉を開けて、中へと誘ってくれた。

(む、無言……?)
 フィロシュネーが静かに部屋にお邪魔した。

 * * *
 
 清潔感のあるベッドの上で半身を起こして、ハルシオンはぼんやりと本を読んでいた。

 
 思っていたより顔色はよい。
 長い睫毛に彩られた王族の瞳は夢と現実の狭間を彷徨うような風情だ。
 あまり文字を読んでいるようには見えない。
 開いた本のページは、ぜんぜん進む様子がない。
 その瞳と思考は現実とは離れた場所にあるのだ――フィロシュネーには、そう感じ取れた。
 
 
 そろり、そろりとミランダがエスコートしてくれる。片手の人差し指を唇にあてて悪戯っぽく「しーっ」とウインクをして。フィロシュネーはその意図を察して無言のままベッドに近付いた。

「ミランダ? 私の黄金の林檎を客人が勝手に食べているよ。彼らはどこから来たのだろう。あんな子たち知らないよ……私の果樹園に勝手に……、ん……?」 
 
 フィロシュネーの指先が袖に触れる。ハルシオンは不思議そうにその指を見た。
 指から手首へ、手首から腕へ、腕から肩へ――視線が移る。

 ぱちりと眼が合って、ハルシオンは口をぽかんと開けた。

「あ」
 
 なんだか、すごく特別なものに出会った。
 忘れていた何かを思い出した。
 そんな顔だ。その様子を見て、フィロシュネーは懐かしい気持ちになった。

 ――この殿下は、不安定で繊細な、壊れやすい心を持っているのだ。
 
「シュネーさん」
 現実を疑うような声が、名前を呼ぶ。

「はい」
 フィロシュネーはしっかりと存在を知らしめるように頷いた。

 ――わたくしは、この貴きお兄様の名前を呼ばなければならない。
 
 使命感にも似た想いが、胸の底から湧く。

「ハルシオン様」

 わたくしの、親戚のお兄様。近しい方。親しい方。同盟者。味方。仲間。……お友達?
 頼りになる方。不安定な方。安心できる方。心配になる方。

 名前を大切に呼ぶ声が、空気を震わせる。
 それは、なんだか神聖で特別な出来事に思えた。

「本物、かな?」
「触れてみますか」
 
「触れて……いいの?」
「だめかしら。ほら、シュネーが教えてあげますわ。ここにいるのです、と」

 フィロシュネーはお姉さんな気分になっていた。
 ハルシオンは年上なのに。不思議。

「ほら、ハルシオン様。あなたが今お話しているシュネーは、ここでこのように笑っていますの」 
 青年らしさのある手を取って自分の頬にあてると、ハルシオンは大きく目を見開いた。そして、とびきり綺麗な笑顔を浮かべた。

「いた」
 
 かくれんぼでずっと見つからなかった相手をようやく見つけた。そんな気配だった。

「ふふ、いました」
  
 フィロシュネーはぺたりと手のひらをハルシオンの額にあてた。
 額がそれほど熱くないので、ほう、と息をつく。
 
「わたくしも、ハルシオン様を見つけましたの」
「私を見ている?」
「ええ、ええ」
  
 移り気な空の青チェンジリング・ブルーの瞳が、きらきらと輝いている。
 
「そこにいるね。感じる。わかる」
「はい。今、あなたに触れています」

 近くにいるのに、なんだか遠く離れて一生懸命に手を振っている気分。
 フィロシュネーはハルシオンの白銀の髪を撫でた。さらりとした感触は、心地よい。
 
「わたくし、今あなたの近くにいるの」
「私は、今撫でてもらっているね。わかる」 
 
 にこにこと微笑むハルシオンは、迷うように手をフィロシュネーの肩に置いた。

「人心地つきました。私は今、とても……ハルシオンな気分です」
「その仰りようは不安になりますけど、よかったですわ」

 見つめ合うと、ハルシオンは照れたように頬を染めて視線を逸らした。

「……よくないです。シュネーさん。ミランダも、止めなきゃ」
 
 何を仰るのか。続きを待つと、ハルシオンはもじもじとしながら言った。

「わ、私は異性ですよ。婚約者がいる姫君が、寝所でこんなに接近を許して、触れさせたりして、……よくないです」

 一線を引く気配は、とても人間らしかった。フィロシュネーはにっこりとした。
「うふふ、わたくし、はしたなかったですわね。失礼しましたわ」
 
「いえ、いえ……、お、お見舞いは嬉しく思います」
 うつむいて口元を手で隠すようにしながら、ハルシオンは恥ずかしそうにはにかんだ。

 その様子が本当に嬉しそうなので、フィロシュネーは複雑な気持ちになった。
 
 『シューエンを探してほしい、お力を頼りたい』と依頼しにくい雰囲気だ。
 『本日は純粋にハルシオンを心配して、お見舞いの目的だけで来た』と言った方が、絶対喜ぶ。
 
(けれど、だからと言って、嘘をつくのも違うのではないかしら、シュネー?)
 シューエンが今この瞬間にも危機的状況にいるのかもしれないのだし――フィロシュネーは言葉を慎重に選んだ。
 
「ハルシオン様。わたくし、とても心配しましたの。ハルシオン様がご不調だと知ったのは、今日でしたの」

「あ、……そうでしたか。うん。多分、私がシュネーさんに内緒にしてって言ったのだったかな。その……よ、弱ってるところを見せるのが恥ずかしくて……」  
 
「わたくし、ハルシオン様がご不調だと知ったとき、困ったことがあって、ハルシオン様を頼ろうと思っていましたの」
「ん……ん……? お困りごと、ですか? いかがなさいました……?」

 首をかしげるハルシオンの姿に、フィロシュネーの胸がずきりと痛む。

(わ、わたくし、困ったときだけ都合よくハルシオン様を頼ろうと考える女ですの。ご体調が優れないのに、お願いをしようとしていますの)

 そんな申し訳なさそうな気配を感じ取ったのだろうか。
「シュネーさん」
 ハルシオンはためらいがちに手を伸ばした。
 そして。
「……」
 フィロシュネーの手を取ろうとして、触れるか触れないかの距離で手を止めた。

 
 そこには、見えない一線があるようだった。

 
 そのまま困った様子で眉を下げて、ハルシオンはささやいた。
 
「頼って。……頼ってください。私はシュネーさんのお役に立ちたいです。頼ってくださると、嬉しいのです」

 ……心底そう思っているのだ。
 
 そんな気配で、ハルシオンは美しく微笑した。
 
 だから、フィロシュネーは頷いて、その優しさに甘えたのだった。
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