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3、変革のシトリン
184、「ごめんね、ミランダ」
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【この世界の人類は、この私が創ったのだ。私は創世の神ともいえる偉大なる父なのだ。だから子どもたちを好きにしていい……】
【いいえ、そうではありません。私はただの人間で、ハルシオンなのですから。他人の人生の選択は、他人の自由で自己責任。でも、近しい他人に口出しするのも私の自由で、ミランダは私の……私の――あれえ?】
私の子、ではない。
私の騎士。これは合っている。
私の幼馴染。これも正解だといえよう。
それで、私は臣下の結婚を邪魔するんだ。
邪魔したあとは? 別の相手を探してあげる?
それとも、誰とも結婚せずに、ずっと自分のそばにいろとでも言うのか?
空国の客船『ラクーン・プリンセス』に乗り込むハルシオンは、頭を悩ませながらミランダの手を引いていた。
「また殿下が突然……」
「あの殿下はいつもああなのですよ」
自分に注がれる視線と噂話は、途中から聞こえなくなる。
それほど悪意はなく、人によっては「我が国の名物です」的な謎の親しみを感じさせるニュアンスだったが、きっとルーンフォークが気をまわして呪術で遮断したのだ。
(注意する必要はないよ?)
視線で訴えれば、ルーンフォークは心得た様子であった。
(私は孤独なカントループを知っている。無音と無反応の世界よりも、他者のさえずりが聞こえる世界が素晴らしいと感じる)
でも、ルーンフォークはそうではないのだ。
自分の一挙一動にあれこれと言われるのをハルシオンが気にするだろう、と心配してくれているのだ。
その心配は「自分だったら気にする」という感性から発生していて、その感性がブラックタロン家という生家で培われたのだと思うと、ハルシオンはルーンフォークを哀れに思った。実家では不遇だったと聞いているから。
「殿下、殿下……」
「ん」
ミランダの声に、はっと状況を思い出す。
「預言というのは、なんです? 私は青王陛下の婚約者候補ではいられなくなったのですか?」
「ああ……」
視線を向けると、自分に手を引かれるまま付いてきたミランダがいる。
さらりと揺れる茶色の髪は繊細に編み込まれて、花を象った可憐な髪飾りで飾られていた。
翡翠の瞳には、責めるような色はない。
けれど、自分ではどうにも変えられない決定済の事実を残念がり、悲しむような感情が揺れていたので、ハルシオンは胸を突かれた。
「ごめんね、ミランダ」
他の婚約者候補に負けじと気合を入れたであろう華やかなドレス姿のミランダは、騎士服を着ているときとは別人のようだった。
「――預言なんて、嘘です」
そうだと思った、という表情が返ってくる。
騎士として仕えていたときよりも濃いめで、艶やかな化粧に彩られたかんばせは、成熟した女性らしい美しさと色香がある。
思えば、子どものころからミランダは自分とアルブレヒトのそばにいた。
(大人になったんだなぁ。ミランダも、アルも……私も)
自分がカントループの記憶を思い出し、精神の安定を損ねて周囲を困らせるばかりの時期も、猫になって王位を逃したあとも、ミランダは離れずにいた。
従者に傅かれて紅茶を淹れてもらう側から、ハルシオンに傅いて紅茶を淹れる側になって。ドレスを脱いで、騎士服を着て。
同年代の令嬢たちがドレスで身を飾り、婚約者の話で盛り上がる中、彼女は精神不安定で何をしでかすかわからないハルシオンに、ずっと仕えてくれたのだ。
それは途切れることのない日々で、変化に気付きにくい日常で、いつの間にか自分たちは子どもから大人へと変わっていた。
貴族社会では早いものは十代の半ばぐらいから結婚していく。
人生の時間は限られていて、女性が子どもを産める期間はその中でもさらに一定の年齢まで……。
ミランダの時間は貴重なのだ。
彼女の家は今回の縁談に、それはもう期待していたことだろう。なにせ、隣国の新王が相手なのだ。
ハルシオンは、そんな縁談を破算にしたことに責任を感じる。感じるが――
「ミランダが結婚したいなら応援しよう、と思っていたんですよ」
子どもが拗ねたみたいな声になってしまう。
格好つかないや――自嘲しながら、ハルシオンは柱の影で見守っているルーンフォークに手を振った。ルーンフォークが周囲に防諜と認識阻害の術を展開するのを確認してから、ミランダを自分の腕の中に閉じ込めた。
「殿下」
困惑したような、焦燥を感じさせるミランダの声がする。
これがハルシオンの現在、現実だ。
「人目がございます」
人目を気にするのは、当然だ。自分たちは子供ではなく、成人した男女で、彼女は未婚の令嬢なのだから。
(私は常識を考えることができている。私は、正気だ)
ハルシオンはそんな自分に自信をもらいながら、ミランダを見た。
この自分に忠実な騎士は、しっかり者で、頼りないハルシオンに対してはお姉さん風を吹かせるところがあって、でもカントループの超然とした態度を取れば神のように崇めてくれるのだ。
(こういうとき、ハルシオンが言うより、カントループが言った方がミランダは安心するのだろうな)
――そんな考えが湧く。
「っふふ」
ハルシオンは意地悪をしたい気分になって、ルーンフォークが術を使っていることは伏せた。
「……人目が気になるなら、周り中を眠らせればいい? 全員の記憶を奪えばいい? 眉を寄せる者の価値観を変えてしまえばいい?」
カントループのような口調で言えば、ミランダは崇拝の情を瞳にのぼらせた。
(ああ、ミランダは、私を神様みたいに思っている……)
私は神様でもなんでもないのに。
ハルシオンは優しく微笑んだ。
「動物は生殖して種を存続させるもので、生まれた個体は、種を後世に存続させるために生殖して死ぬ……さて、人間の人生とは、子どもを作って死ぬためだけにあるのだろうか? ……私は疑問に思う……」
(わかる? ミランダ。まるでカントループのような声でまわりくどく高尚なことを言って、でも私が言いたいのは「私のそばにいてほしい」ということでしかない……なら、ひとことそう言えばいいのにね)
「人間の王侯貴族は世継ぎを作り、その血統が途絶えないようにしないといけない。貴族の家に生まれたミランダにとって、幼少期から『家のために結婚して子供を作れ』という価値観は当たり前のことだったと思う……私も、カントループの記憶がなければ常識しか頭になかったかも……」
記憶がなければ、自分はどんな人物になっただろう。ハルシオンはそんなことを考えて馬鹿らしくなった。考えても、過去は変わらないのだ。無駄なことだ。
「ミランダは私のものですね」
「はい、殿下」
迷わず答えるのだ、このミランダは。
ハルシオンは苦笑した。
「ミランダは、特に青王陛下に恋慕の情を抱いていたり、青国の国母になりたいわけでもないのですね」
偽ることは許さない。そんな声色で問えば、ミランダは頷いた。
「想う男がいるわけでもなし。子を作りたいわけでもなし……?」
これには微妙な顔をしている。ハルシオンは「あれっ」と思いながら視線を逸らした。
「少なくとも、想う男は青王陛下ではない……」
「はい」
返事があった。しかし、この感じだと想う男がいるのか? ――ハルシオンは複雑な心境になった。
(想う男がいるのに、私のために別の男に嫁ごうとするとは。なんて忠誠心なんだ、ミランダ。そして想い人は誰なんだ。まさかあのアロイスというわけではないと思うけど)
一瞬、脳裏にもふもふ獣人のアロイスが思い浮かぶ。ミランダの「もふもふ愛」は恋慕とは違うと思うのだが……と思いつつ、ハルシオンは言葉をつづけた。
「私のミランダは、義務感や使命感での結婚をしてはいけない。そんな選択肢は私が取り上げてしまうよ。結婚するなら、望む相手とするように。カントループの人類は……」
ハルシオンは腕の中にいるミランダの体温に現実を感じながら言葉をつづけた。
「カントループの仲間たちは、義務感で種を存続させることをやめたんだ」
ハルシオンは語った――神話よりも前の時代、滅びた人類の歴史を。
(こんな壮大な話をして冷静ぶって格好つけなくても、ただ「私が嫌だから結婚しないで」と言えばいいのに)
……そう自嘲しながら。
【いいえ、そうではありません。私はただの人間で、ハルシオンなのですから。他人の人生の選択は、他人の自由で自己責任。でも、近しい他人に口出しするのも私の自由で、ミランダは私の……私の――あれえ?】
私の子、ではない。
私の騎士。これは合っている。
私の幼馴染。これも正解だといえよう。
それで、私は臣下の結婚を邪魔するんだ。
邪魔したあとは? 別の相手を探してあげる?
それとも、誰とも結婚せずに、ずっと自分のそばにいろとでも言うのか?
空国の客船『ラクーン・プリンセス』に乗り込むハルシオンは、頭を悩ませながらミランダの手を引いていた。
「また殿下が突然……」
「あの殿下はいつもああなのですよ」
自分に注がれる視線と噂話は、途中から聞こえなくなる。
それほど悪意はなく、人によっては「我が国の名物です」的な謎の親しみを感じさせるニュアンスだったが、きっとルーンフォークが気をまわして呪術で遮断したのだ。
(注意する必要はないよ?)
視線で訴えれば、ルーンフォークは心得た様子であった。
(私は孤独なカントループを知っている。無音と無反応の世界よりも、他者のさえずりが聞こえる世界が素晴らしいと感じる)
でも、ルーンフォークはそうではないのだ。
自分の一挙一動にあれこれと言われるのをハルシオンが気にするだろう、と心配してくれているのだ。
その心配は「自分だったら気にする」という感性から発生していて、その感性がブラックタロン家という生家で培われたのだと思うと、ハルシオンはルーンフォークを哀れに思った。実家では不遇だったと聞いているから。
「殿下、殿下……」
「ん」
ミランダの声に、はっと状況を思い出す。
「預言というのは、なんです? 私は青王陛下の婚約者候補ではいられなくなったのですか?」
「ああ……」
視線を向けると、自分に手を引かれるまま付いてきたミランダがいる。
さらりと揺れる茶色の髪は繊細に編み込まれて、花を象った可憐な髪飾りで飾られていた。
翡翠の瞳には、責めるような色はない。
けれど、自分ではどうにも変えられない決定済の事実を残念がり、悲しむような感情が揺れていたので、ハルシオンは胸を突かれた。
「ごめんね、ミランダ」
他の婚約者候補に負けじと気合を入れたであろう華やかなドレス姿のミランダは、騎士服を着ているときとは別人のようだった。
「――預言なんて、嘘です」
そうだと思った、という表情が返ってくる。
騎士として仕えていたときよりも濃いめで、艶やかな化粧に彩られたかんばせは、成熟した女性らしい美しさと色香がある。
思えば、子どものころからミランダは自分とアルブレヒトのそばにいた。
(大人になったんだなぁ。ミランダも、アルも……私も)
自分がカントループの記憶を思い出し、精神の安定を損ねて周囲を困らせるばかりの時期も、猫になって王位を逃したあとも、ミランダは離れずにいた。
従者に傅かれて紅茶を淹れてもらう側から、ハルシオンに傅いて紅茶を淹れる側になって。ドレスを脱いで、騎士服を着て。
同年代の令嬢たちがドレスで身を飾り、婚約者の話で盛り上がる中、彼女は精神不安定で何をしでかすかわからないハルシオンに、ずっと仕えてくれたのだ。
それは途切れることのない日々で、変化に気付きにくい日常で、いつの間にか自分たちは子どもから大人へと変わっていた。
貴族社会では早いものは十代の半ばぐらいから結婚していく。
人生の時間は限られていて、女性が子どもを産める期間はその中でもさらに一定の年齢まで……。
ミランダの時間は貴重なのだ。
彼女の家は今回の縁談に、それはもう期待していたことだろう。なにせ、隣国の新王が相手なのだ。
ハルシオンは、そんな縁談を破算にしたことに責任を感じる。感じるが――
「ミランダが結婚したいなら応援しよう、と思っていたんですよ」
子どもが拗ねたみたいな声になってしまう。
格好つかないや――自嘲しながら、ハルシオンは柱の影で見守っているルーンフォークに手を振った。ルーンフォークが周囲に防諜と認識阻害の術を展開するのを確認してから、ミランダを自分の腕の中に閉じ込めた。
「殿下」
困惑したような、焦燥を感じさせるミランダの声がする。
これがハルシオンの現在、現実だ。
「人目がございます」
人目を気にするのは、当然だ。自分たちは子供ではなく、成人した男女で、彼女は未婚の令嬢なのだから。
(私は常識を考えることができている。私は、正気だ)
ハルシオンはそんな自分に自信をもらいながら、ミランダを見た。
この自分に忠実な騎士は、しっかり者で、頼りないハルシオンに対してはお姉さん風を吹かせるところがあって、でもカントループの超然とした態度を取れば神のように崇めてくれるのだ。
(こういうとき、ハルシオンが言うより、カントループが言った方がミランダは安心するのだろうな)
――そんな考えが湧く。
「っふふ」
ハルシオンは意地悪をしたい気分になって、ルーンフォークが術を使っていることは伏せた。
「……人目が気になるなら、周り中を眠らせればいい? 全員の記憶を奪えばいい? 眉を寄せる者の価値観を変えてしまえばいい?」
カントループのような口調で言えば、ミランダは崇拝の情を瞳にのぼらせた。
(ああ、ミランダは、私を神様みたいに思っている……)
私は神様でもなんでもないのに。
ハルシオンは優しく微笑んだ。
「動物は生殖して種を存続させるもので、生まれた個体は、種を後世に存続させるために生殖して死ぬ……さて、人間の人生とは、子どもを作って死ぬためだけにあるのだろうか? ……私は疑問に思う……」
(わかる? ミランダ。まるでカントループのような声でまわりくどく高尚なことを言って、でも私が言いたいのは「私のそばにいてほしい」ということでしかない……なら、ひとことそう言えばいいのにね)
「人間の王侯貴族は世継ぎを作り、その血統が途絶えないようにしないといけない。貴族の家に生まれたミランダにとって、幼少期から『家のために結婚して子供を作れ』という価値観は当たり前のことだったと思う……私も、カントループの記憶がなければ常識しか頭になかったかも……」
記憶がなければ、自分はどんな人物になっただろう。ハルシオンはそんなことを考えて馬鹿らしくなった。考えても、過去は変わらないのだ。無駄なことだ。
「ミランダは私のものですね」
「はい、殿下」
迷わず答えるのだ、このミランダは。
ハルシオンは苦笑した。
「ミランダは、特に青王陛下に恋慕の情を抱いていたり、青国の国母になりたいわけでもないのですね」
偽ることは許さない。そんな声色で問えば、ミランダは頷いた。
「想う男がいるわけでもなし。子を作りたいわけでもなし……?」
これには微妙な顔をしている。ハルシオンは「あれっ」と思いながら視線を逸らした。
「少なくとも、想う男は青王陛下ではない……」
「はい」
返事があった。しかし、この感じだと想う男がいるのか? ――ハルシオンは複雑な心境になった。
(想う男がいるのに、私のために別の男に嫁ごうとするとは。なんて忠誠心なんだ、ミランダ。そして想い人は誰なんだ。まさかあのアロイスというわけではないと思うけど)
一瞬、脳裏にもふもふ獣人のアロイスが思い浮かぶ。ミランダの「もふもふ愛」は恋慕とは違うと思うのだが……と思いつつ、ハルシオンは言葉をつづけた。
「私のミランダは、義務感や使命感での結婚をしてはいけない。そんな選択肢は私が取り上げてしまうよ。結婚するなら、望む相手とするように。カントループの人類は……」
ハルシオンは腕の中にいるミランダの体温に現実を感じながら言葉をつづけた。
「カントループの仲間たちは、義務感で種を存続させることをやめたんだ」
ハルシオンは語った――神話よりも前の時代、滅びた人類の歴史を。
(こんな壮大な話をして冷静ぶって格好つけなくても、ただ「私が嫌だから結婚しないで」と言えばいいのに)
……そう自嘲しながら。
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