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5、鬼謀のアイオナイト
351、世界樹にお歌を、聖女様
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夕映えの空が情緒を揺らす色彩で世界を染める頃。
馬車は、雪化粧の森林に近づいていく。
空気は冷たく清新で、鳥たちのさえずりが爽やかだ。
「鳥は寒くないのかしら」
「羽毛がありますから」
馬車が止まり、外側から出入り口が開けられると、ヒヤッとした外の空気が入ってくる。
内部は魔法で空調を整えていたので、温度差で身を縮めていると。
「光の森内部はあたたかいようですから、そこまでご辛抱ください」
と、サイラスがふわりと首元にマフラーを巻いてくれる。
「行ったことがありますの?」
「ありません」
「あ、そう……」
もはや発言が真実なのか虚偽なのかも考える気にならない。
前世の実体験にせよ、石で知ったにせよ、大きな差もない。フィロシュネーは気にするのをやめて外に出た。
エルフの森の入り口のずっと手前で馬車を停めて歩いて近づくと、出迎えのエルフが現れる。
数人のエルフを率いて先頭に立っているのは、ヴァイロンだ。
彼は配下らしきエルフを何人も連れている。手に持っているのは、……花冠?
「ようこそ、聖女フィロシュネー姫……先回りの使者に聞いていたが、ほんとうに神師伯もいらしたのだな」
ヴァイロンは緊張気味に神師伯を見て、手に持っていた花冠をそっと後ろ手に隠した。
「ご歓迎ありがとうございます。二度会っただけの姫に花冠の贈り物とは驚きますね。隠さずともいいですよ」
サイラスが友好的な微笑を浮かべて花冠を受け取っている。
友好的なはずだけど、どことなくモンテローザ公爵の暗黒微笑にも似た不穏さがあるのが不思議だ。
「どうぞ、姫。……お似合いですよ。それにしても、エルフは敬語も使えないのですね。無礼ですね」
サイラスに花冠をかぶせてもらって、フィロシュネーはにっこりとした。
「文化の違いがあるのと、人間の言葉に不慣れなのですわ、サイラス。わたくし、知っています。エルフはエルフ語が普段使う言葉ですの」
自然なイントネーションで喋れているだけですごい。フィロシュネーはニコニコとコメントして、覚えてきたエルフ語を披露した。
「ハンタンイェル、レ・メリン。ヒリル・ニン」
「……」
ヴァイロンは複雑そうな表情で視線をそらし、頭を下げた。
「光の森に滞在用のツリーハウスを用意しました。ささやかですが歓迎の料理の準備もできています。魔法薬のレシピを教えていただけますか」
発せられる言葉は、ちょっと丁寧になっている。
エルフは人間と文化が違うというが、こうして話しているとなかなか人間っぽい。
フィロシュネーは親近感を覚えながら頷いた。
「レシピを書いた紙ですわ。先にお渡しします」
「ありがとうございます」
ヴァイロンはそう言って森の中へと案内してくれた。
最初に入る森、『まどろみの森』は、普通の森よりも魔法植物がちょっと多い程度。
どんどんと奥に入り、ヴァイロンは大きな木の前で立ち止まる。そして、エルフ語と思しき言葉で何かを言って、木の幹を撫でた。
ふわふわとした光が周辺に満ちて、数秒後――
「あ……っ」
――周囲の景色は変わっていた。
空気はあたたかい。
周囲には淡く発光する木々が並んでいて、明らかに一帯の魔力が濃い。
土はやわらかで、転がっている石はどれも魔宝石のようにキラキラしている。
空の色は紫だったりピンクだったりして、太陽と月と星がすべてそろっている。月の数は、ひとつだった。
(なるほど、ここは異世界ね……)
見渡す限り、不変といった雰囲気の幻想景色。
どこまでも続く大森林地帯は、希少な魔法植物でいっぱいだった。
淡く色彩を帯びた小さな光の粒が生き物みたいにひらひら飛んでいて、視界がきらきらしている。
「きれい」
フィロシュネーはうっとりとした。その耳に、サイラスが軽く身をかがめて情報をくれる。
「普通、エルフはもっと排他的でのんびりしているのです。大切な光の森に人間を簡単に招いたりはしません。珍しいことですよ」
「普通ではないのね」
「ええ。これが普通だと思っていると、今後彼らが平常に戻った際、驚かれるかもしれません」
「ふむん……今は特殊だってことを頭に入れておきますわ」
しばらく進んでからたどり着いた空間はひらけていて、かなり存在感のある巨大な樹木がある。
ヴァイロンは、「これが世界樹だ」と教えてくれた。
世界樹の手前には木製の長いテーブルや椅子が用意されている。
「この光の森は通常、時の流れが止まっています。われわれエルフは平時であれば何事も急ぎません」
ヴァイロンはそう言って席を進め、歓迎の宴を開いてくれた。
彩り豊かな野菜を使用したサラダに、リンゴやベリーを使ったタルトやソルベ、香り高いハーブティがテーブルに並べられて、席についた人間たちを笑顔にさせた。
「今は通常でも平時でもない?」
「残念ながら」
フィロシュネーは興味をそそられた。サイラスが言った通りだ。
『世界樹にお歌をうたうと、喜ばれますよ』
出発前の手紙も思い出して、フィロシュネーは「もしや」と思いついた。
「わたくしが当ててみせましょう。世界樹に問題が発生しているのではなくて?」
「その通りです。さすが『真実を暴く聖女』様……!」
エルフが目を瞠っている。
パチパチと手を叩く音がすぐそばでしたので見てみると、サイラスが無表情に拍手をしていた。
「なんですの、それは」
「姫がまた聖女様としての名声を高めてしまわれたなと思い」
「あなたがヒントをくれたのよ」
「よくできました」
――偉そう!
でも実際、偉いのが今のサイラスなので、フィロシュネーはリアクションに戸惑いつつ扇をひらいて顔を隠した。
「もしや褒められて照れておられるのですか? お可愛らしいですね」
「……たぶん、違いますっ」
慣れたとは思っていたけれど、やっぱりこの変なサイラスにはまだ慣れない。
そんな耳に、ヴァイロンの説明が聞こえる。
「世界樹は病んでいるのです」
説明によると、この世界樹は邪悪な気を吸い取って浄化する作用を持つ神聖な樹木らしい。
「しかし、つい最近になって浄化するのではなく、邪悪な気を溜め込んで自身が穢れていく様子が見受けられる……。ちょうど外の世界では月が降りてきたので、我々は関連性を疑っていたのです」
深刻な顔をするヴァイロンに、サイラスはあっさりと答えた。
「無関係でしょう。世界樹も長年浄化しているとくたびれたりするのですよ」
「サ、サイラスぅ……」
「月が降りてきたのは、カサンドラ・アルメイダ侯爵夫人が地上に引き寄せたせいです。何も関係ありませんし、こちらにいらっしゃる姫がこれから世界樹を癒してくれますよ」
「――なにっ」
平然と言い放つサイラスの声に、エルフたちが目を剥いて驚いている。
「ちょっと、サイラス。絶対できるみたいにおっしゃって」
「できますよ? さあ、世界樹にお歌を。聖女様」
余裕たっぷりに言ってから、サイラスはごそごそと荷物から何かを取り出した。
馬車は、雪化粧の森林に近づいていく。
空気は冷たく清新で、鳥たちのさえずりが爽やかだ。
「鳥は寒くないのかしら」
「羽毛がありますから」
馬車が止まり、外側から出入り口が開けられると、ヒヤッとした外の空気が入ってくる。
内部は魔法で空調を整えていたので、温度差で身を縮めていると。
「光の森内部はあたたかいようですから、そこまでご辛抱ください」
と、サイラスがふわりと首元にマフラーを巻いてくれる。
「行ったことがありますの?」
「ありません」
「あ、そう……」
もはや発言が真実なのか虚偽なのかも考える気にならない。
前世の実体験にせよ、石で知ったにせよ、大きな差もない。フィロシュネーは気にするのをやめて外に出た。
エルフの森の入り口のずっと手前で馬車を停めて歩いて近づくと、出迎えのエルフが現れる。
数人のエルフを率いて先頭に立っているのは、ヴァイロンだ。
彼は配下らしきエルフを何人も連れている。手に持っているのは、……花冠?
「ようこそ、聖女フィロシュネー姫……先回りの使者に聞いていたが、ほんとうに神師伯もいらしたのだな」
ヴァイロンは緊張気味に神師伯を見て、手に持っていた花冠をそっと後ろ手に隠した。
「ご歓迎ありがとうございます。二度会っただけの姫に花冠の贈り物とは驚きますね。隠さずともいいですよ」
サイラスが友好的な微笑を浮かべて花冠を受け取っている。
友好的なはずだけど、どことなくモンテローザ公爵の暗黒微笑にも似た不穏さがあるのが不思議だ。
「どうぞ、姫。……お似合いですよ。それにしても、エルフは敬語も使えないのですね。無礼ですね」
サイラスに花冠をかぶせてもらって、フィロシュネーはにっこりとした。
「文化の違いがあるのと、人間の言葉に不慣れなのですわ、サイラス。わたくし、知っています。エルフはエルフ語が普段使う言葉ですの」
自然なイントネーションで喋れているだけですごい。フィロシュネーはニコニコとコメントして、覚えてきたエルフ語を披露した。
「ハンタンイェル、レ・メリン。ヒリル・ニン」
「……」
ヴァイロンは複雑そうな表情で視線をそらし、頭を下げた。
「光の森に滞在用のツリーハウスを用意しました。ささやかですが歓迎の料理の準備もできています。魔法薬のレシピを教えていただけますか」
発せられる言葉は、ちょっと丁寧になっている。
エルフは人間と文化が違うというが、こうして話しているとなかなか人間っぽい。
フィロシュネーは親近感を覚えながら頷いた。
「レシピを書いた紙ですわ。先にお渡しします」
「ありがとうございます」
ヴァイロンはそう言って森の中へと案内してくれた。
最初に入る森、『まどろみの森』は、普通の森よりも魔法植物がちょっと多い程度。
どんどんと奥に入り、ヴァイロンは大きな木の前で立ち止まる。そして、エルフ語と思しき言葉で何かを言って、木の幹を撫でた。
ふわふわとした光が周辺に満ちて、数秒後――
「あ……っ」
――周囲の景色は変わっていた。
空気はあたたかい。
周囲には淡く発光する木々が並んでいて、明らかに一帯の魔力が濃い。
土はやわらかで、転がっている石はどれも魔宝石のようにキラキラしている。
空の色は紫だったりピンクだったりして、太陽と月と星がすべてそろっている。月の数は、ひとつだった。
(なるほど、ここは異世界ね……)
見渡す限り、不変といった雰囲気の幻想景色。
どこまでも続く大森林地帯は、希少な魔法植物でいっぱいだった。
淡く色彩を帯びた小さな光の粒が生き物みたいにひらひら飛んでいて、視界がきらきらしている。
「きれい」
フィロシュネーはうっとりとした。その耳に、サイラスが軽く身をかがめて情報をくれる。
「普通、エルフはもっと排他的でのんびりしているのです。大切な光の森に人間を簡単に招いたりはしません。珍しいことですよ」
「普通ではないのね」
「ええ。これが普通だと思っていると、今後彼らが平常に戻った際、驚かれるかもしれません」
「ふむん……今は特殊だってことを頭に入れておきますわ」
しばらく進んでからたどり着いた空間はひらけていて、かなり存在感のある巨大な樹木がある。
ヴァイロンは、「これが世界樹だ」と教えてくれた。
世界樹の手前には木製の長いテーブルや椅子が用意されている。
「この光の森は通常、時の流れが止まっています。われわれエルフは平時であれば何事も急ぎません」
ヴァイロンはそう言って席を進め、歓迎の宴を開いてくれた。
彩り豊かな野菜を使用したサラダに、リンゴやベリーを使ったタルトやソルベ、香り高いハーブティがテーブルに並べられて、席についた人間たちを笑顔にさせた。
「今は通常でも平時でもない?」
「残念ながら」
フィロシュネーは興味をそそられた。サイラスが言った通りだ。
『世界樹にお歌をうたうと、喜ばれますよ』
出発前の手紙も思い出して、フィロシュネーは「もしや」と思いついた。
「わたくしが当ててみせましょう。世界樹に問題が発生しているのではなくて?」
「その通りです。さすが『真実を暴く聖女』様……!」
エルフが目を瞠っている。
パチパチと手を叩く音がすぐそばでしたので見てみると、サイラスが無表情に拍手をしていた。
「なんですの、それは」
「姫がまた聖女様としての名声を高めてしまわれたなと思い」
「あなたがヒントをくれたのよ」
「よくできました」
――偉そう!
でも実際、偉いのが今のサイラスなので、フィロシュネーはリアクションに戸惑いつつ扇をひらいて顔を隠した。
「もしや褒められて照れておられるのですか? お可愛らしいですね」
「……たぶん、違いますっ」
慣れたとは思っていたけれど、やっぱりこの変なサイラスにはまだ慣れない。
そんな耳に、ヴァイロンの説明が聞こえる。
「世界樹は病んでいるのです」
説明によると、この世界樹は邪悪な気を吸い取って浄化する作用を持つ神聖な樹木らしい。
「しかし、つい最近になって浄化するのではなく、邪悪な気を溜め込んで自身が穢れていく様子が見受けられる……。ちょうど外の世界では月が降りてきたので、我々は関連性を疑っていたのです」
深刻な顔をするヴァイロンに、サイラスはあっさりと答えた。
「無関係でしょう。世界樹も長年浄化しているとくたびれたりするのですよ」
「サ、サイラスぅ……」
「月が降りてきたのは、カサンドラ・アルメイダ侯爵夫人が地上に引き寄せたせいです。何も関係ありませんし、こちらにいらっしゃる姫がこれから世界樹を癒してくれますよ」
「――なにっ」
平然と言い放つサイラスの声に、エルフたちが目を剥いて驚いている。
「ちょっと、サイラス。絶対できるみたいにおっしゃって」
「できますよ? さあ、世界樹にお歌を。聖女様」
余裕たっぷりに言ってから、サイラスはごそごそと荷物から何かを取り出した。
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