俺が想うより溺愛されているようです。-始まる前と終った後の話-

あげいも

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過去話

再会-06-

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 梯子を登り切り、光の溢れる廊下へと這い出す。明るさに目を細めながらも、あの空間から離れられたことにほっと息を吐く。
「っはぁー……」
 盛大に深呼吸するのも束の間。すぐに地下の「遺物」の報告をルートヴィヒにするマークの横で、アルノシトは床に座り込んでいた。
 口元を覆った布が張り付いて気持ち悪い。だが、それ以上に、白い息を吐く鉄の腹と、粉を抱いた石炭の山が、まぶたの裏から離れなかった。
「……わかった。エトガル!」
 報告を受けた後のルートヴィヒの動きは速い。エトガルに短く指示を飛ばし、続けてマーク達とも言葉を交わす。仮だった「立ち入り禁止」の縄が、あっという間に“本物の通行止め”へ組み替わっていく。
 人が行き交い、ロープが張られ、板が運ばれ、声が飛ぶ。邪魔にならないように、アルノシトは壁際へと這いずるように移動した。
 そこには、そわそわと耳を忙しなく動かしているジークがいた。
「お待たせ」
 口を覆っていた布を取ってから声をかけると、ジークは尻尾をぶんぶん振りながら頭を摺り寄せてくる。尻尾が壁に当たっても気にしない。耳を倒して、全身で甘えてくる。
 アルノシトはジークを抱きしめ、首元へ顔を埋めた。
 いつもの匂い。少し高めの体温。
 それだけで、張りつめていた何かがほどけて、じわりと涙が滲みそうになる。
 その瞬間。
 ぽん、と肩を叩かれて、飛び起きるみたいに顔を上げた。
「あ、悪い。驚かせちまったか?」
 マークが立っていた。汚れた手袋のまま、こちらを気遣うように眉を下げている。ほ、っと息を吐き出すと、彼に向き直るように座り直す。
「ううん。大丈夫。それより、今から作業?」
 視線の先で、職人たちが動いている。
 自分には手を出せない“現場”が、当たり前みたいに回り始めているのが少し眩しかった。
「あぁ。今日は徹夜かもなぁ。庁舎が開いてる時は作業できないこともあるし」
 何でもない事のように告げるその顔は、汚れたままだが自分の仕事に誇りをもった顔。
「でもお前のおかげで本当助かったよ。ありがとな」
「なら良かった。でも、あんな"当たり"はもう引きたくないなぁ」
「だな」
 二人で顔を見合わせて短く笑う。笑ったのに、心臓はまだ早い。声だけが妙に明るかった。
 そこへ、もう一つ影が落ちた。
「怪我がないようで何より」
 ルートヴィヒだった。
 マークが慌てて姿勢を正すと、ルートヴィヒは軽く手を上げて制し、作業へ戻るように促す。マークは一瞬迷ってから「了解」とだけ返し、現場へ戻っていった。
 ルートヴィヒの視線が、アルノシトへ移る。
「君は今日はここまでだ。帰っていい」
 それ以上は言わせない圧があった。けれど、それは拒絶というより、一般人をこれ以上巻き込まないための線引きに見えた。
「……はい」
 素直に頷き、立ち上がる。ジークのリードを持ってゆっくりと歩き出した。
「あ、ちょっと待って」
 エトガルの声。さきほどルートヴィヒの指示でどこかへ行ったはずなのに、もう戻ってきている。行動が早い人だなぁ、とぼんやり思っていると、エトガルはアルノシトの前で胸に手を当て、一礼。
 雑踏の中でその所作だけがやけに整っていて、場違いなくらいに上品だった。
「こちらへどうぞ」
 不安げに泳ぐ目の動きに気づいたのか、エトガルはすぐに笑う。
「今日の英雄さんを歩いて帰らせられるかいな。……ええから、おいで」
 ほら、と差し出された手。
 彼の白い手袋と、自分の煤けた手を見比べる。躊躇した瞬間、エトガルが強引に手を握って軽く引っ張った。力は強くない。振り払える余裕を残したまま、背中だけ押してくる。
「ありがとう、ございます。でも……」
 自分の格好を見下ろす。服は煤と埃で汚れている。多分、顔も。握られた手袋に黒い汚れが移っているのに気づいて、申し訳なさに俯いてしまった。
「ええて」
 短い一言が、妙に優しかった。
 アルノシトは控えめに頷く。
「……じゃぁお願いします。ジークも……お礼言って」
 わん、と尻尾を振りながら一声。
 エトガルはそれに笑みで返し、来た時と同じように車の扉を開けてくれた。ふわっと革の匂いがする。
 来た時と同じように、ジークは足元で丸くなり、アルノシトの靴を枕にして落ち着いた。黒いシートに、ふわりと白い毛が一筋落ちる。
 今日はもう、謝る気力がなかった。
「行くで」
 車が滑らかに走り出す。
 ちらっと見えたマークが片手を上げてくれたが、返す前に遠くなってしまった。
 庁舎から離れて滑る車の外が見慣れた通りに変わっていく。どこからか漂って来る夕飯の気配。人の声。
 いつもの日常の空気を感じて、アルノシトの肩から力が抜けていく。
「あ、じいちゃん」
 雑貨店の前。扉の前に祖父の姿が見える。車の音が聞こえて、外に出てきたのだろうか。反射的に手を振った。
 やがて車が止まる。降りて来たアルノシトを見て、祖父の目が見開かれた。
「……まずは風呂に入りなさい。それから夕飯にしよう」
 叱るでもなく、問いただすでもなく。祖父はハンカチで頬の煤をぬぐう。ただそれだけのことで涙が出そうになって、アルノシトは大きく頷いた。
「あの」
 運転席に戻ろうとしていたエトガルに声をかける。
「送って下さってありがとうございました」
 深々と頭を下げると、気にするな、という風に軽く手を振ってから運転席に乗り込む。車が見えなくなるまで見送った後、その場で深呼吸。
「……ただいま」
 誰に言うでもない小さな呟き。わん、と一鳴きするジークへと笑いかけてから店に入った。
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