俺が想うよりも溺愛されているようです。

あげいも

文字の大きさ
33 / 55
日常

共に立つ-4-A-

しおりを挟む
 会場に響く当主ルートヴィヒの挨拶とともに、グラスの音、生演奏、シャンデリアの光が重なり、華やかな幕が静かに開いた。
 煌めく衣装に身を包んだ来賓たちは、シャンパングラスを手に、控えめながらも高揚を帯びた気配をまとい、互いに挨拶を交わしていく。

 一方、同時進行で行われるスピーチのためのホールにも、招かれた一部の報道陣が静かに入り始めていた。その動きに合わせるように、不審な影を見逃すまいとする警備の目が光る。
 普段はルートヴィヒの傍を離れないエトガルも、この場は部下に任せず自ら詰めていた。今日がただの慈善事業の発表ではないことを、彼は誰よりもよく知っている。

 ──ベーレンドルフ家の当主が、「家の名」を背負う新たな人物を世に示す日。

 それだけで十分に、何者かに狙われる理由になる。
 入場者は全員調べた。顔ぶれはすべて事前に照合済み。それでも完璧はありえない。
 目線、手の動き、微かな緊張……わずかな違和感も見逃さぬよう、エトガルの視線が鋭く場をなぞる。

 ──アルが見たら「そんな難しい顔してどうしたんですか?」なんて、わろてくれるかな。

 一瞬だけ目を伏せて息を吐き、すぐに警備の顔へ戻った。
 
 事前に「撮影はこちらで選定した者に限る」と伝えられているため、席取り合戦なども発生せず、比較的落ち着いている。
 粛々と準備の進む中。場内に入った瞬間、彼らの目が引き寄せられるのは──

 最前列。
 ステージに向かって右手、特別席。礼服の襟を正した老人が静かに腰掛け、その傍らには毛布を敷いた大きなかごが置かれていた。中に横たわるのは、老いた雑種の犬。──このパーティーの招待客の華やかさとは程遠いものである。
 記者たちの間に、小さなざわめきが走る。

 ──あれは、誰だ? 

 互いに目配せはするものの、誰一人、声には出さなかった。その席に座っているという事実が、「尋ねてはならない存在」であることを雄弁に語っていたからだ。
 やがて、ステージ裏から人の気配が現れる。空気が緊張を孕み、照明がさらに落ちる。すべての視線が一点へと集まり──
「お待たせしました」
 よく響く声がホールに広がる。ルートヴィヒの登場に、場の空気が静かに張り詰めた。
 続いて現れたのはアルノシト。いつもより少し近い距離に立つが、あくまで一歩後ろを歩く。
 二人が小さなステージの中央に立ち並ぶ。
「本日は、ご多忙の中お集まりいただき、心より感謝いたします」
 柔らかに、それでいて力のある声。瞬く間にざわめきが収まり、言葉だけが空間を支配した。
「我がベーレンドルフ家は、これまでもいくつかの社会支援事業に携わってまいりましたが、本日より、新たに“福祉支援基金”を設立する運びとなりました」
 言いながら視線を巡らせた時──ほんの少し不自然に間が開いた。

 ルートヴィヒは僅かに眉を寄せる──エトガルがいない?

 先程まではホールの端に確かにいたのに。言葉に出来ない不安が胸をよぎるが、足を止めるには弱すぎる。
 深呼吸した後、改めて口を開く。
「詳しくは後日、書面にて発表いたします。本日はその出発点として、皆様にご挨拶の機会をいただけたこと、深く感謝いたします」
 その瞬間を複数のシャッター音が切り取っていった。ストロボを炊く音が混ざり、一瞬騒々しくなる。
 光が落ち着いたのを見計らい、ルートヴィヒが再び口を開く。
「もうひとつ──大切な紹介があります」
 最前列に控えていた老犬が、ぴくりと耳を動かした。
 目を閉じていたはずのジークが、音もなく頭を上げる。尻尾が低く構えられ、視線が一点に向けられている。
 その姿に気づいたアルノシトも、目線をそちらへ向けた。

 ──ジーク……?

 最初はストロボに驚いたのかと思った。だがすぐに、彼が怯えているのではなく、「警戒している」ことに気づく。
 直後──三脚が床に倒れ、金属音が響いた。
 怒声と悲鳴が重なり、一人の男が列から飛び出していた。
 警備の手をすり抜けたその暴挙に、最初に反応したのはジーク。
 椅子の下を抜け、老犬とは思えぬ速さで走り出し、男の足元に飛びかかる。
「っ──!」
 その顎はすでに弱っていたが、ズボンの裾を咥えられた男は、一瞬、足を止める──その一歩の“遅れ”で、アルノシトがルートヴィヒの前に飛び込む時間が生まれた。
 頭で考えるよりも先に、身体が動いていた。とにかく、ルートヴィヒから引き離さなければ──体当たりで飛び込んだその瞬間。
 どん、と鈍い音。肩に鋭い痛みが走るのと同時に、赤いしぶきが飛び散った。
「アルノシト──!」
 もつれるようにして倒れ込んだ二人は即座に警備の手によって引き剥がされる。押さえ込まれた暴漢が何事かわめいているが、そちらを気にする者は誰もいなかった。
 騒然とする報道陣を横に、ルートヴィヒはアルノシトに駆け寄って抱き起す。自分の上着を脱いで、アルノシトの傷口を包むように被せた。
「……汚れちゃいますよ」
 いつも通りの遠慮がちな声。声色はいつもと同じ。けれど、その肩がかすかに震えていた。
 思わず強く抱きしめそうになって堪える。
 傷の程度は分からないが、話す余裕があるなら大丈夫──だと思いたい。
「──上着と君と。どちらが大事か、なんて言わなくてもわかるだろう」
 自分でも驚くほどに声がかすれ、言葉が震える。アルノシトは困ったように笑った後、視線を横へと流した。
「……爺ちゃん、ジークは?」
 いつの間にか隣に来ていた老人は、ゆっくりと頷く。
「少し……張り切りすぎたようだ。今は寝ているよ」
 視線で指し示した特別席には、荒く胸を上下させている愛犬の姿。良かった、と息を吐き出す。
「あとで、ジークにご褒美あげなきゃ──……」
 遅れてやってきた肩の痛みに顔をゆがめる。
「すぐに医者を呼ぶ。もう少し我慢してくれ」
 ルートヴィヒの言葉に頷き返す。医者の手配を手近なものに命じた後、ルートヴィヒはアルノシトを抱き上げた。
「後は頼む」
 簡単な指示を飛ばしてから、空き部屋へとアルノシトを運ぶ。その後ろに、祖父と、かごを抱えた使用人が続いた。
 空き部屋の一室。ソファの上にアルノシトはそっと横たえられた。すぐに医師が駆けつけて、手際よく処置が始まる。
「毒物反応はなし。傷も浅く、筋組織を切断するほどではありません。……数日安静にすれば、元通りでしょう」
 医師の言葉に、ルートヴィヒも祖父も、ようやく肩の力を抜いた。
 アルノシトも静かに目を閉じる。ようやく──深く息を吐けた。
 床へと置かれたかごの中からジークが顔を上げて鼻をひくつかせる。薬の匂いに混ざる血の香りに反応しているのか、落ち着きなく耳や鼻を動かす様を見て、アルノシトがかすれる声で名を呼んだ。
「……ジーク」
 愛犬はゆっくりと頭を上げ、アルノシトの方をじっと見つめた。不安げに耳を揺らす。
「だいじょうぶ」
 それは自分にも言い聞かせているかのように。ゆっくりと紡がれた言葉。
 もう一度周囲を確かめたジークは、安心したように横になった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~

マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。 王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。 というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。 この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

【完結】マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜

明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。 その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。 ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。 しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。 そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。 婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと? シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。 ※小説家になろうにも掲載しております。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

処理中です...