俺が想うよりも溺愛されているようです。

あげいも

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日常

共に立つ-5-A-

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 医師と祖父──包帯の替えや薬を貰うため──が退出し、静けさが戻った控室。
 ルートヴィヒはソファの傍に立ったまま、まだ動けずにいた。部屋の中に聞こえているのは、ジークの寝息と時計の針の音。 
 アルノシトが目を細めて、穏やかに口を開いた。
「……行ってください」
「まだ……いいだろう。医師が戻るまでは──」
 少し困ったように笑う。いつもの表情なのにどこか痛々しい。
「あなたが戻らないと──皆が不安になります」
 その言葉が胸に染みた。
 声が少し弱いのを感じて、ルートヴィヒは膝をつき、アルノシトの視線と同じ高さへと降りた。小さな声でも無理なく話せるように。
「エトガルさんも、警備の人も。執事さんや料理長も。皆、凄い人たちだけど──誰もルートヴィヒさんにはなれないから」
 重く、けれど温かい言葉。
 本当は理解している。すぐにでもあの場に戻るべきだと。
 総帥として、組織をまとめる者として、起きた事態を鎮める責務があることを。
「……」
 言葉に出来ない思いに、アルノシトの手に触れ──確かに握り返された。
 その力のあまりの細さに、ルートヴィヒは目を閉じる。
「アルノシト」
 眼を開く。離れる指が未練を残すように。絡め合ったままで手を引いて立ち上がる。
「────君のおかげで」
 扉に手をかけ、背を向けたまま、ゆっくりと息を吐き出した。
「私は針の山でも──笑顔で登れる」
 あの時も──彼が背中を押してくれた。今も。そしてこれからも。きっと。どんなに苦しくても、あの時の想いが、今も自分を支えている。
「──え?」
 小さく零れた声に振り返ることはなく。ルートヴィヒは会場へと歩き出した。

        ◇◇◇◇◇◇◇

 ホールに戻ると、場内にはまだ緊張の名残が漂っていた。
 記者たちはざわつき、警備の者は視線を泳がせていた。不安と緊張が、会場全体にじわじわと広がっていく。
 ルートヴィヒ自身がアルノシトの血で汚れた服を着替えてもいない。生々しい赤の残るそれに再び緊張が高まる中、檀上へと昇った。
 静かに頭を下げ、一言ずつ言葉を選ぶように語り始めた。
「このたびの不測の事態により、皆様には多大なご心配をおかけしました。まずは、深くお詫び申し上げます」
 一拍、言葉を止める。
 目線はまっすぐ、会場を見渡していた。
「幸い、命に関わる事態には至りませんでした。ですが──私にとって大切な者が負傷しました。いかに安全が確保されていても、この状況で祝宴を続けることは、私にはできません」
 ざわめきの中に、いくつか安堵の吐息が混じる。
 その空気が整う事を待たぬままに言葉を続けた。
「よって、本日の催しはこの時点で中止とさせていただきます。予定しておりました“福祉支援基金”の発表につきましては、改めて正式な書面でご案内いたします」
 ざわめきが大きくなる。
 ルートヴィヒが、立場ではなく“人としての判断”を口にしたことに、誰もが気づいたからだ。
「最後に、一つだけ」
 さきほど、暴漢とアルノシトが倒れた場所。今は誰もいないその場所に、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

「私は……これからも、彼と共に歩いていきます」

 声を張り上げるでもなく。震わせるでもなく。事実をそうとだけ告げる声音は淡々としたものに聞こえたかも知れない。

 だが──この発言は、公式の場における“最大の告白”でもあった。

 一瞬の静寂ののちに広がるどよめきを背に、ルートヴィヒは会場を後にする。

 この報告はすぐに上階の来賓フロアにも伝えられた。
 音楽は止み、グラスは静かに下ろされ、客たちは粛々と退出の準備を始める。

 退出する来賓や取材陣の誘導は配下に任せ、控室へ戻る途中。
 曲がり角で待っていたかのように、エトガルが現れた。
「……」
 黙ったまま、何も言わずに頭を下げる。
 強がりも皮肉も浮かばない──そんなエトガルを見るのは、ルートヴィヒにとっても初めてだった。
 彼の全身から滲み出ているものは悔しさではない。
 守れなかったことへの痛みと、何より──二人を傷つけてしまったことへの、深い自責の念だった。
「──パーティー会場の方でトラブルがあって。そっちの方に俺が行った時に『入れ替わられた』」
 ルートヴィヒは黙って聞いていた。
 エトガルの「能力」には全幅の信頼を置いている。それは自分だけではない──おそらく。屋敷に住む者全て。
 だからこそ、逆手に取られてしまった。
 彼が入場時に確認した者しかこの場にいない──「安全」だと。心のどこかで思ってしまっていた。

 ──自分ルートヴィヒも含めて。

 今にも唇をかみ切りそうな程、力の入っていることに気づいて、ルートヴィヒは大きく息を吐き出した。
「──テグ」
 エトガルが弾かれたように顔を上げる。その呼び名で自分を呼ぶのは──ルートヴィヒだけだ。二人だけの呼び名で自分を呼ぶということは、総帥としてではなく、幼馴染としての言葉だということ。
「君がいたら防げた──そう思った者は、他にもいるだろう。私もそのうちの一人だ」
 そんな顔をするな、と軽く肩を叩こうとして──やめた。自分の手は汚れたままだったから。行き場のなくなった手を下ろした後、深呼吸。
 改めて重なる視線。エトガルは常日頃、ルートヴィヒのことを「鉄面皮」だの「感情が顔に出ない」というが、この男の方がよほど感情を外に出さない人物だと思っている。
 傷つこうが辛かろうが。飄々とした態度で、へらりと笑って全部一人で背負っていく。
 アルノシトの言葉を借りる訳ではないが、「幼馴染」の自分にも、その荷物を持たせることはしない。
 だからこそ──言っておきたいのだ。
「もし……万が一。取り返しのつかないことになっていたとしても。私は君を恨んだりはしない」
 エトガルの目が見開かれる。何かを言おうとした唇が、かすかに動いては止まる。その繰り返しが、どれほどの言葉を抱えているかを雄弁に物語っていた。
「恨まない。ただ──後悔はしただろう。私も、君も」
 静かな口調だった。感情がこもっていないわけではない。ただ、もう何度も自分の中で反芻して出てきた言葉だということが、自然と伝わる。
 ルートヴィヒが一歩、エトガルの方に近づいた。
 少年の頃から変わらない、そのまなざし。まっすぐに見つめる青い眼。
「今度は、誰も傷つけさせるな。君自身を含めて」
 エトガルは口を結び、しばらく沈黙した。
「……あぁ」
 低く、静かに。だが、その一言には、全ての意志が込められていた。
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