俺が想うよりも溺愛されているようです。

あげいも

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日常

共に立つ-6-A-

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 ルートヴィヒが部屋を出た後。
 ソファからベッドへと移されたアルノシトは一人天井を見上げていた。
 カーテンの隙間から差し込む月の光が、白い毛布の上に細く伸び、まるで目印のように傷の上をなぞっている。
 その光の線を目で追いながら、記憶の奥底からあの場所が浮かび上がる──埃っぽい木の香り、かすれた板の隙間から差し込む夕暮れ。誰にも見つからなかった「秘密基地」。
「アルノシト──傷は大丈夫か?」
 思考を引き戻したのは、祖父の声。医師と共に戻ってきた彼が心配そうにベッドへ近づく。
「うん。思ったよりも痛くないよ。先生の治療が良かったんだね」
 手当をしなおすためにアルノシトの手を取る医師が眉を寄せる。
「今はまだ気が昂っているから──感覚が鈍いだけかもしれません。翌日に痛みが増すこともあるから、無理をしないように」
 医師の言葉に頷いて返す。改めてお礼を言った後、再び天井を見上げた。傷の痛みよりなにより──先程のルートヴィヒの言葉が頭から離れない。

 ──針の山でも笑顔で登れる。

 あの日出会った、静かな瞳を持つ人が鮮明に蘇る──胸が締めつけられるように鼓動が早まった瞬間、扉が静かに開いた。
 戻ってきたルートヴィヒの姿に気づくと、祖父がそっと腰を上げた。アルノシトの着替えやジークの食事を取りに行ってくる、と言い残して部屋を出ていく。
 ジークは時折耳をぴくりと動かしたが、毛布の上で穏やかに寝息を立てたままだ。
 祖父の背中を見送り、静かになった部屋でルートヴィヒは椅子を引き寄せた。どこかためらいがちで、心の内に抱えた迷いを映しているようだった。
「……オストグさん」
 その名を口にした途端、ルートヴィヒの瞳が揺れた。
 何かを隠すように視線を逸らしたが、アルノシトは優しくその横顔に言葉を重ねた。
「──。……あの場所で、宿題を教えてくれて……勉強だけじゃない。色々な話をしてくれた」
 ルートヴィヒは目を伏せ、しばらく何も言わなかった。
 答えを急かさず待つアルノシトの眼差しを感じ、やがて小さな息と共にルートヴィヒは口を開く。
「エトガルが──君の書類を持ってきた時、もしかしたら、と思った」

 大財閥の総帥と、しがない雑貨店の孫。

 本来、交わることない二人の道が重なったのは、ベーレンドルフ財閥の新規事業の話が持ち上がった時のこと。
「そういえば、街でこういうことに詳しい子がおるって聞いたんやけど」
 と、エトガルが告げた名を聞いた時、胸の奥がざわめいた。
 実際に逢って確信に変わった。けれど──ルートヴィヒの眉が微かに寄った。
 彼の脳裏に過ぎったのは、あの日アルノシトを冷たく突き放した自分──その記憶に胸が鋭く痛む。
「その割に、冷たかったですよね?「これは頼み事ではない、命令だ。拒否権はない」みたいなこと言ってた気がします」
 久し振りの言葉も、再会を喜ぶ挨拶もなかった。
 いつものように祖父と店番をしていたところに乗り付けた車から降りて来たルートヴィヒを見た時に感じたものは、威圧感。ルートヴィヒが去った後、祖父が苦い顔をしていたのを、今でもよく覚えている。
 再会した時のことを思い出すアルノシトの表情は渋い。怒っている、というよりは拗ねているような──ルートヴィヒはまた目線を逸らす。
「……もう10年以上前のことだ……私も変わった──何より──」
 もしあの頃の温かい記憶が、彼の中で色褪せてしまっていたら──それを確かめる勇気がどうしても持てなかった。
 成長する過程で、アルノシトも事故の事を理解出来るようになっただろう──「かわいそう」は蔑みや嘲りに変わってしまったのではないか。
 どうしてもその不安がぬぐえなかった。
「だから──私は君に嫌われようと思った。思い出す時間を与えずに」
 ベーレンドルフの名を告げる時に声が震えた。何も言われたくなくて、用件だけを告げて立ち去った。
 後でエトガルが不審がるほど、冷徹にも見える言動は、父ではなく自分に嫌悪の矛先が向いてくれたらいい。そう思ってのことだった。

 なのに。

 ルートヴィヒの不遜な態度やベーレンドルフの名にも何も言わず。街の人のためになるなら、と。自分の身よりもルートヴィヒと街のことを案じて、そのために動いてくれた。

──大丈夫ですよ。行きましょう。

 そうして差し出された手を取った時。秘密基地は過去の思い出になり──"今"が特別なものになったのだ。

「……ずるいですよ。そんな風に言われたら、もう怒れないじゃないですか」
 アルノシトの言葉にルートヴィヒが顔を上げる。ベッドの中、自分を見上げる眼は優しいままだ。
 詫びようとしたルートヴィヒを制するように。アルノシトの手がルートヴィヒの指を握った。
「傷が治ったら、“秘密基地”の外に行きましょう──明るい場所に」
 いたずらっぽく笑うアルノシトの手を握り返す。細かく震える指で、壊れものを包むように、そっと握り締める。
「……ありがとう」
 瞼を閉じたアルノシトは、静かな寝息の中へ沈んでいく。
 眠るアルノシトを見つめるルートヴィヒの眼は穏やかで。
 その横顔は、孤独な闇に差し込んだ小さな光に救われた少年のように、柔らかく輝いていた。
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