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閑話〜ノインside
ポケットの中から懐中時計を取り出し、蓋をカチッと開くと、ちょうど昼のお茶の時間だった。
辺境伯家にある主の私室から客人の知らせが届いた為、先ほどまで出かけていたのだが、そう長居はしないだろうと踏んで、あらかじめ他の使用人に庭のガゼボにお茶の準備をさせておいて正解だったようだ。
辺境伯領の秋は王都よりも肌寒い日が多いが、今日は陽の光が暖かい。
これならば、ガゼボでも問題はないだろう。
「セシリア様」
名前を呼ぶと、主は歩みを止め、こちらを振り返った。
微笑みを浮かべてはいるが、どこか不思議そうな顔をしている。
主の表面しか知らない者たちは、この方の表情が実は豊かであることを知らないだろう。
王家も、アシュフォード公爵家の者たちも、恐らく『淑女として』仕立てられた、型通りの表情しか見た事がないのではないだろうか?
少なくとも、私が専属執事として仕え始めた頃には、そうだったと記憶している。
「どうかした?ノイン」
「辺境伯家のお部屋ですが、ご移動されてよろしいのですか?」
ガゼボに向かう主の数歩後ろを歩きながら、先ほどの辺境伯家での出来事に関して問いかけた。
これまでと変わらず、ただ出入りする部屋が変わっただけの事だが、今日見たところ、どうやら辺境伯は主の気を引きたいように見えた。
愚かな……もう、何もかもが遅いというのに。
「ノインはどう思ったの?」
「出入口が変わっただけですので、特に問題はないかと」
「じゃあ、本音は?」
こちらの顔を見て、いたずらっ子のように、にこにこと笑っている。
この主は、たまにこうして私のことを揶揄うのだ。
「……辺境伯閣下の居室に近くなった事に、少々不服を感じております」
そうして、「ふふっ、ノインは正直ね」と満足そうに笑いながら、再び前を向いて歩き始める。
やはり主は、露ほども気にしていないようだ。
ガゼボには、すでに食器のセッティングが済んでいた。
主が椅子の横に立つと同時に、私は椅子を引き、座るタイミングに合わせて静かに押し戻す。
執事としての教育を受け始めて以来、確実に千回以上は繰り返しているであろう所作である。
「辺境伯家の私室だけど、あれはほっといてもかまわないわ。下手に勘違いされて、夫人の部屋に移動させられても困るもの」
主の好む紅茶をサーブし、ティーカップをソーサーの上に置くと、それに口をつけながら淡々と語った。
やはり、辺境伯の変化には気付いていたらしい。
「かしこまりました」
胸に手を当て目礼をした後、近くに控えていた使用人に視線で合図を送った。
すると、同じスイーツを山盛りに載せたワゴンが数台運ばれ、そのうちの一皿だけ手に取り、主の前に供する。
ワゴンの上にある異様な量に、主の表情が僅かに引き攣ったように見えたが、これも仕事の一環である。
「……今日のノルマ、多くないかしら?」
「諦めてください。セシリア様が考案された品なのですから」
主は『レペール商会』を経営しており、商人ギルドにも登録している。
誰にも知られないよう、代表名義は私になっているが。
主が開発する女性向けの商品は国内外で絶大な人気があり、入手困難な商品も多い。
商品によっては魔獣の素材が必要な事もあり、その為に商人ギルドだけではなく、冒険者ギルドにも登録がある。
もちろん、偽名だが。
辺境伯は気付いていないだろうが、先日の魔獣討伐の際、主は討伐にはあえて手を出さなかった。
もし、手を出していたら確実に気付かれただろう。
主のように高位魔法を連発出来る者、しかも、女性ともなればそうはいない。
辺境伯領の冒険者ギルドのギルドマスターとは、何度か顔を合わせた事があり、その繋がりで先日の討伐依頼を受けた際に仕方なく、正体を明かすことになった。
たまに来る凄腕S級ランク冒険者のお嬢ちゃんが、まさか辺境伯夫人だとは夢にも思わなかっただろう。
何せ、こんな辺境にまで流れてきている主の噂の内容は、かなり酷い。
主のことをちゃんと理解している者であれば、あの噂が嘘である事はすぐに見抜けるはずだ。
現に、ギルドマスターがそうだった。
「噂なんて当てにならんな。嬢ちゃんとは、ここ何年かの付き合いだが、少なくとも、あんな噂のような人間じゃないことくらいは分かるぞ」
それが分からないやつがいるから、面倒なんだ。
事情が事情な為、正体が知られないように認識阻害魔法を使いながら、怪我人を治癒魔法で治療する羽目になった。
もちろん、私もだ。
「……これは、クリームが違うわね」
主が試作品を口にしては批評を述べ、その内容を素早く各レシピ表に書き込み、次の一皿と入れ替えていく。
あと十皿ほどだろうか?
主の食べるスピードが落ち、そろそろ口直しが必要と判断すると、少し濃いめに淹れた紅茶を差し出した。
どうやら、正解だったようだ。
「そういえば、ギルドマスターから連絡はあったかしら?」
紅茶の渋みで口の中の甘さをかき消しながら、ふと思い出したかのように主が不敵な笑みを浮かべ、私に問いかけてくる。
……ああ、この間仕掛け始めたものか。
主は、かなり優秀である。
学院に通いながら、王太子妃教育を修めたほどに。
そんな、主の座右の銘はこうだ。
『目には目を、歯には歯を、好意には好意、悪意には悪意』
主は、鏡のような人である。
「はい。無事、彼の御方にお渡しできたとの報告がございました」
「そう、それは重畳ね」
主はその答えに満足そうに微笑みながら、再び紅茶に口をつけた。
「どこから始めるおつもりで?」
「そうね……とりあえず、彼の御方には少しずつ進めてもらいましょう。後は……徐々にいきましょうか」
ティーカップについた口紅を、親指でなぞるように拭き取りながら、静かに告げた。
「それと、以前ギルドマスターから預けられた彼ですが、こちらの予想通りに」
私の報告を聞くと、主は翡翠色の瞳を細め、うっすらと愉悦の笑みを浮かべた。
我が主が、やられっぱなしのままでいるはずがない。
愚か者たちが口にする謝罪も、償いなど必要はない。
なぜなら⸺⸺すべては、これからなのだから。
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