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Ep.46 地獄の果て
『命かながら戻った姉は、実家の門をくぐった瞬間に意識を失った。すぐに医者を呼んだが、診断は重度の『栄養失調』と、悪阻からくる激しい『脱水』だと言われた……』
グリゴリーは再び、俺へ刺すような鋭い視線を向けた。
『……しばらくすると、先々代当主が我が家にやって来た。貴様の父親が訴えたのか、あるいは医者が密告したのかは分からん。だが、セキトフにおいて本家当主の耳に入らぬことは、そう多くはない』
席に着くなり、先々代当主は彼女を「トレヴァントへ戻せ」と言い放ったそうだ。
彼女は既にトレヴァントにやった者であり、その腹には子が宿っている。
戻さねばトレヴァントとの間で問題になる。
そう先々代当主は淡々と告げた。
『姉が意識を取り戻したのは、戻ってから三日後のこと。両親が「なぜ、戻って来たのか、その腹の子は誰の子だ」と問い詰めると、姉は震えながら答えた。「腹の子の父親はトレヴァント辺境伯だ。だが、屋敷の使用人たちに殺されそうになって逃げて来た」、と』
だが、体が衰弱して動くことも叶わない彼女の前に現れた先々代当主は、慈悲の欠片もなく「体調が戻り次第、トレヴァントへ戻れ」と命じた。
彼女は泣きながら拒絶したという。
『当然だろう。姉がいつ通るかも分からぬ廊下で「死ねばいい」と囁く使用人、毎日食事に何らかの薬を盛られ怯える日々……貴様なら、そんな場所でも狂わずにいられるか?』
グリゴリーは侮蔑の色を宿した瞳で俺を睨みつけ、重い言葉を吐き出す。
『姉の訴えを聞いた先々代当主は、黙って立ち上がり、氷のように凍てついた瞳で姉を見下ろして言い捨てた。「役立たずが」と、な』
先々代セキトフ当主が彼女に求めたのは、ただ一つ。
『不可侵協定の証であり、楔であること』
その役割だけ果たせば良かったのだ。
それなのに、中途半端に父上に愛され、籍もない『妻』などという身分を与えられたせいで、不必要に王家や領民の疑念と嫌悪感を煽り、挙句に逃げ帰って来た。
先々代当主にとって、彼女は一族の恥晒しでしかなかったのだ。
彼女はその言葉と視線に絶望したのか、目を見開いたまま体をただ硬直させ、言葉を紡ぐことも出来なかったという。
結局、彼女はトレヴァントに戻されることもなく、また、父上へ彼女の居所や腹の子の存在が伝えられることもないまま、協定だけが継続された。
情報を伏せたのは、『いざという時の『切り札』にする為だったのだろう』と、グリゴリーは吐き捨てた。
本家当主に切り捨てられた彼女の末路は、あまりに惨めなものだった。
『本家当主の命に逆らった女』
『仇敵の子を孕んだ女』
周囲は彼女を蔑み、嘲笑した。
『……分家といえど本家に逆らえば立場はない。我が家への予算は削られ、両親の役職も剥奪された。質素だった暮らしは、一気に貧困へと転落した』
やっと体が回復して来たところで、実家が受ける仕打ちを目の当たりにした彼女は、深い後悔を滲ませた。
自分がトレヴァントから戻らなければ。
自分が役目を果たしていれば。
自分が、トレヴァントで死んでいれば⸺⸺。
日に日に彼女の精神は病んでいったそうだ。
そう自分を呪いながらも、日々は過ぎ、ついに産み月がやって来た。
精神も肉体も限界を超えていた彼女は、上手くいきむことができず、陣痛が始まってから十時間近く経っていた。
破水もしていた為、これ以上は母子共に命が危険だとされた。
母胎を取るか、腹の子を取るか⸺⸺。
究極の選択を迫られた時、先ほどまで痛みに叫んでいたはずの彼女は、はっきりと告げた。
『「腹の子を助けて欲しい。自分は多くの間違いを犯したが、この子には何の罪もない。だから、生かして欲しい」……とな』
グリゴリーは溢れそうになる涙を、奥歯を強く噛み締めて堪えていた。
膝の上の拳は、白くなるほど力強く握り締められている。
医者は彼女の願い通り、その腹を裂き、赤子を取り出した。
力強く大きな産声を上げたのは、元気な男の子だった。
それを確認すると、彼女は役目を果たしたと思ったのか、そのまま安らかな顔で目を閉じ、二度と開くことはなかったという。
⸺⸺⸺
⸺⸺俺に、異母弟がいる……
初めて知る衝撃的な事実に、俺は言葉を失った。
『……そ、その子どもは、今どこに……』
俺は動揺を隠せないまま、掠れた声で問いかけた。
すると、グリゴリーは鋭い視線で一瞥をくれ、深く溜め息を吐いた。
『……生まれた子はすぐに本家へ連れて行かれた。先々代が「貧困に喘いでいる我が家では満足に育てられんだろう」と言ってな。何度か影から覗き見たが、立派に育っていた。だが……やはり貴様の父親の血を引いていることで幼い頃から虐めは絶えなかったそうだ』
先々代当主は、その子に自らの出自を隠さず、残酷なほど事実をありのまま伝えていたそうだ。
それは己の子どもたちにも同様だった。
そしてその子を蔑み、最も虐げたのは、グリゴリーが粛清した先代当主だったという。
やがて成長し、己がセキトフとトレヴァント、双方の血を引く忌むべき存在だと理解したその子は、ある日突然、行方をくらませた。
それ以来、その行方を知る者はいないらしい。
『……先々代はセキトフの為に姉を人身御供にした。助けを求めた姉を切り捨て、その子を奪った。先代はその子を虐げ、セキトフの領民を苦しめたゆえに、俺が本家当主に成り代わった……そして、次は貴様らだ。後先考えず『愛』を免罪符に『妻』の称号だけ与え、その結果、姉は全方位から警戒され、厭われ、命が狙われる境遇へと追い込んだ。貴様らの愚かな言動が、姉を殺したのだ』
グリゴリーの冷徹な声が、応接室に重く響いた。
トレヴァント側の誰もが、もはや何と言っていいのか分からず、言葉を失っていた。
グリゴリーが明かした真実、そして存在すら知らなかった『異母弟』
『……確かに、我々に非があったのは認める。だが、姉君に盛られていたのは毒ではなく、避妊薬だったことが分かっている。姉君がそれを避けたからこそ懐妊し……『それが何だ!!避妊薬だったから、命には危険がなかったとでも言うのか!?姉の心と体を蝕んでいた事実に変わりはない!それが毒に変わらない保証がどこにあった!!』……っ!!』
俺の言葉を、グリゴリーの怒声が遮った。
……彼の言う通りだ。
盛られていたのは避妊薬であったが、彼女にとっては『殺意』そのものだった。
すべてが悪手で、それによって歪んだものがすべて彼女へ押し寄せた結果だったのだ。
『故に、不可侵協定の破棄は変わらない。理解できたか?』
完敗だった。
提示出来る取引材料も、すがるべき正義も、何も残っていなかった。
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