真野くんは間が悪い。

若葉エコ

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4 真野くんと二人きり

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 どういうことだろう。
 私は今、電車に乗っている。真野くんと二人で。

 夢なのかな。
 夢なら、ずっと寝てていいかな。
 とはいえ、夕方の車内はそれなりに混んでいて、真野くんも私も吊革のお世話になっている。
 電車は大きく弧を描いて、ホームに滑り込んでゆく。
 私が降りる駅だ──

『おっ、お腹空いてませんかっ!?』
『少しね。でも、もう帰るんでしょ、久保さん」
『そ、そうだけど、あの』
『送って行くよ』

 ──駅が近づく今も、繰り返し思い出す、改札口での短い会話。
 それきり会話は無いけれど、それでも十分過ぎるくらいに私の胸は熱くなっていた。
 いつもより近い、けれどもほんのちょっぴり離れた吊革を掴む、真野くん。

 いつか、同じ吊革を持つ日が来たら、いいな。



 最寄り駅の改札が見えてきた。
 あそこを超えたら、真野くんは帰ってしまう。
 でも、仕方ない。バイトの後で疲れてるだろうし、ここまで送って貰えただけでもラッキーだ。
 もうこれ以上は、望んではいけない。
 だって真野くんと私は。

 単なるクラスメイトだから。

「ここでいいよ、ありがとう」

 またね。とは言えなかった。次の機会があるか、わからないから。
 真野くんに背を向けて、一人改札を抜ける。さっきまでの幸せだった時間が、まるでウソみたい。

 ポツリ。頬に冷たいものが当たった。
 すっかり暗くなった空を見上げると、街灯の光に照らされた幾つかの雨粒。

 歩道に敷かれたレンガ色のタイルは黒く滲み、雨は私ごと夜の街を濡らしにかかる。

 最悪だ。最高の気分だったのに。

 自然と涙が零れた。
 情けなかった。

 少しだけ振り返る。
 もう真野くんの姿は、無い。
 馬鹿だ。何を期待したんだろ。

 まだ降り始めの雨に打たれたまま、私は見えない星空を見上げた。

 視界が黒に覆われた。
 雨は、降ってこない。
 すぐ隣から、乱れた息遣いが聞こえる。
 ふと顔を向ける。

「ごめん、駅の売店で傘買ってきたら遅くなった」

 真野くんだった。


 私は、真野くんに連れられて駅前の喫茶店で雨宿りの最中。
 大きなガラス窓の外は、本降りになっていた。
 時刻は午後七時半を過ぎたところ。

 まだ温かいカフェオレを、ひと口。じんわりと沁みる。

 カップを口に添えたままで、正面に座る真野くんを盗み見る。
 視線が合った。
 微笑んで、いた。

 くう。
 お腹が鳴ってしまった。思い返せば、私は朝から何も食べていない。
 そんなことはどうでもいい。問題は、真野くんにお腹の音を聞かれたこと。
 恥ずかしい、逃げたい。

「久保さん」

 びくんと肩を震わせる私から視線を外した真野くんは、テーブルにメニューを広げた。

「僕、お腹すいちゃった。何か頼んでいい?」
「う、うん」

 そうだよね。お昼からずっとバイトだったんだもん。真野くんもお腹空いて当然だよね。
 注文を取りに来たウェイトレスさんに、真野くんがメニューを指差す。

「僕は、ミックスピザと、パンケーキにしようかな。久保さんは?」

 さすが男の子だ。いっぱい食べるんだなぁ。
 私は……

「ううん、私はいいよ」

 本当は腹ペコなんだけど、お腹の音も聞かれちゃったかもしれないけど。
 普段は欠片ほども顔を見せない私のプライドに、注文を阻止されてしまった。

「お待たせしました」

 十分ほどで、目の前にピザとパンケーキが並んだ。
 美味しそう。思わず喉が動く。
 同時に後悔する。
 やっぱり私も頼めば良かった。だけど、もう一度ウェイトレスさんを呼ぶ勇気は、今の私にはない。

「あー、結構量が多いな」

 ふふ、真野くんたら。
 たまにあるんだよね。お腹空き過ぎて、頼み過ぎちゃう時。

「久保さん、ちょっと手伝ってもらえないかな。僕だけじゃ食べ切れなくて」

 え、うそ。いいの?
 本当はお腹ぺこぺこだから、すごく嬉しい。
 でも。はしたない奴とは思われたくない。

「しょ、しょーがないなぁ。お手伝いします」

 きっと今、私の顔は緩んでいる。
 目の前のパンケーキとピザに目が眩んでいる。
 真野くんはウェイトレスさんを呼んで、お皿を二枚頼んでいた。

「はい、久保さん」

 目の前に、半分に切ったピザと、パンケーキが寄せられた。パンケーキのクリームは全部私のお皿にある。

「クリーム苦手なんだ」

 真野くんは苦笑する。
 だったらパンケーキなんて頼まなければいいのに。
 ちょっと可笑しくなって、思わず笑ってしまう。

「わかった。クリームは全部引き受けましょう」

 クリームは大好物。渡りに船。のれんに腕押し……は違うね。

「そういえば真野くん、なんかいつもと違うね」
「そうかな。僕は僕だよ」
「ううん、なんか大人っぽい」
「おじさんに見える?」
「ち、違うって」

 楽しい。
 パンケーキとピザを口に運びつつ、合間に真野くんと言葉を交わす。
 いつもと違う状況のせいか、舌の調べも軽くなる。真野くんも、いつになく笑顔が多い気がした。

 テーブルのお皿が空になる頃、雨は小降りになっていた。
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