上 下
107 / 113
四章

追い詰められたスレイヤ

しおりを挟む
「ーーと、というわけで、これ以上私達に手を出せば、ーーえっと……ナ、ナニをされてしまうのか……私にもーーわ、わかりませんから!」

 エレナちゃんは荒くれ共に対し、オレの存在について一生懸命に説明している。しかし、冷や汗をダラダラと流して、しどろもどろなその姿はトンチキな雰囲気を醸し出している。
 ……うん。まぁ、エレナちゃんは胆力に優れる訳でもなし、ハッタリが得意だとは思ってはいなかったけども……

 あれだけ切羽詰まっていた傷の男すらも困惑してるじゃないか。『話を聞かせてもらおうか』なんてシリアスに登場したのに、最早そんな空気ではない。しかし、それでも部下の一人が顔中火傷した上に痛みにのたうち回ったのだ。エレナちゃんの様子はともかく、何かしらの脅威がある事は理解してくれただろう。

 まぁ、仕方ない。やれやれと肩を落とし、諦めて筆を取る。
 すると、書き終わる前に傷の男がエレナちゃんに話しかける。

「あー……。嬢ちゃん、アンタが妄想たくましいのは分かった。だが、今聞きたいのはそんな事じゃねぇんだ」

「ち、ちが……私は本当にーー」

「いい加減にしとけ。いつまでも舐めたマネをするならーー」

『彼女の言った何者か、とは私の事だ。頭殿』

 傷の男の前に、紙を見せてみせる。鉄格子の外にいきなり現れた紙に、流石の傷の男も後ずさった。

「な、何……? こ、これがーー?」

 宙に浮いていた紙を引きはがすようにかっさらい、部下達と共にまじまじと眺める。
 ふむ。まだ半信半疑だろう。もう少し色々やってやろう。

 簡易爆弾を彼らの足元に放り投げたり、天井で笛を吹いたりしてみせる。

「なっ……なっ……」

「ど、どうですか! こ、これが、私の仲間です!」

 オレの動きに合わせて小さく胸を張るエレナちゃん。だが、荒くれの一人に睨まれてすぐに引っ込んでしまう。エレナちゃん、もうちょっと頑張って……!

「……まぁ、そっちの言い分は分かった。ただな、オレ達も遊びじゃねぇんだ。そんな脅しに屈するとでも?」

 傷の男がエレナちゃんを見据える。
 ふむ。ま、想定内の反応だな。再び筆を取り、相手の目の前に持っていく。

『今回の件、私も把握している。そもそもの元凶はあのスレイヤという少年で、貴方方がエレナを捕らえたのは仕方ないことだ、とも理解している。だから私の要求は唯一つ。彼女と護衛の二人。彼女らだけには手を出すな。それだけだ』

 傷の男の眉間のシワは、読み進めていくほど増えていく。

「……ちょっと待て。つまり何か? 嬢ちゃん達にだけは手を出すな。ただしスレイヤとかいうガキの処分には文句も言わないし、嬢ちゃん達の解放は要求しない、と?」

 ふむ。他の奴らはともかく、やはりコイツは割と賢いらしい。交渉がスムーズに出来るのは助かるな。

『そうだ。スレイヤについてはハッキリ言って自業自得だ。良い教訓になるだろう。そして彼女らについては、ある程度そちらの事情を組むつもりだ』

「随分とこちらに都合の良い話だな」

『勿論、いずれは解放してもらうが不要な揉め事を起こす気はない。穏便に話を進めよう。だが、ここまで譲歩したのだ。もし、これ以上の狼藉を働くようなら貴様らはーー』

 新しい紙を取り出し、デカデカと書き連ねる。

『ミ ナ ゴ ロ シ だ』

 いくら裏社会の人間とはいえ、正体不明の何かから脅迫をされるのは恐ろしいらしい。幾人もが顔を青くして総毛立っている。

「……良いだろう。ひとまずは貴様の言うように、こちらも大人しくしておこう……。おい! ここに警備を数人置いておけ。良いか、間違っても二度と襲わせるなよ? 次は顔の火傷では済まんらしいぞ」

 キビキビと指示を出す傷の男。
 よし。これでしばらくはコイツラも大人しくするだろう。
 
 オレはエレナちゃんに断りを入れ、すぐさまサラちゃんの元へ戻るのだった……


 …………


 スレイヤは依然、牢屋で簀巻きにされていた。

(くそったれ……。ここまで警戒されるなんざ思いもしなかったぜ……)

 この組織はスレイヤの事を最大限に警戒していた。実際、スレイヤは少しでも拘束が緩まれば、一瞬のスキをついてカギやナイフ等、何かしらを盗めると確信していた。
 ところが、最大の不幸はカジノでのイカサマがバレなかったことだった。彼の悪知恵は本職の目すら欺いたのだ。加えて、組織の長である傷の男は、スレイヤの執念深さも知っていた。その上、スレイヤを逃がせば下手をすればマフィア達に組織ごと潰される。
 油断される理由など微塵も無かった。

 尤も、優秀な人材をスレイヤの食事番などに回したせいで、エレナの方がおざなりになってしまったのだが。

 話を戻して、スレイヤはずっと簀巻きにされたままだ。結果、スレイヤは数日前とは比にならないほどに衰弱していた。
 寝返りをうつことも難しく、食事も満足には食べられない。加えてトイレにもいけず、下は全て垂れ流しという状況に、流石のスレイヤも精神的に追い詰められていた。

(あのクソオヤジが身代金なんざ出す訳ねぇ……。まず間違いなく廃嫡して行方不明扱いだ。どうせ助けは来ねぇ……どこぞの変態に売られる前に逃げ出さなきゃならねぇが……)

 ふいと鉄格子の外に目を向ける。
 ここはエレナのいる部屋と違い、それほど奥まったところにある訳ではない。その上見張りもいない。一度拘束を解いてしまえば逃げるのは容易に思えた。
 
(せめて見張りでもいりゃあ挑発なりなんなり出来るってのに……)

 彼としては見張りがいた方が都合が良かった。荒くれ相手の口八丁には自信がある。油断させることも、逆上させることも簡単に出来ただろう。上手く誘導して、少しでも拘束を緩められればこちらのものだった。

(ちくしょう……この状況はいつまで続くんだ……? 悪臭で鼻もバカになっちまったし、体に力も入らねぇ……)

 マフィア相手にすら強気な姿勢を崩さなかったスレイヤだったが、段々と後ろ向きな事が頭に浮かぶ。

(このまま変態に売られてーー死ぬのか? 何も成せないまま……? あのクソみてぇな家族から嘲笑わらわれたまま……? オレの人生はーー)

「……成程。これは酷いな」

(!?)

 後ろの方から声がした。スレイヤは声の主を確かめようともがくが、首も満足に動かすことが出来なかった。
 声の主はそんなスレイヤの正面に立った。

「はじめましてだね。スレイヤ君」

「な、んだ……!? テメーーどっ、から……」

 そこにいたのはフードに眼鏡という如何にも怪しげな男。声と背格好から成人男性と思えるが、それ以上の事はスレイヤには分からなかった。

「ん……あぁ、すまない。ここにはお忍びで来ていてね。バレたら不味いからと変装していたんだ」

 そう言って男はフードと眼鏡を外す。身なりの良い、30代の男性。いや、容姿は若々しいがその威厳は40代にも感ぜられた。
 だが、そんな事は問題ではなかった。眼前にさらされたその顔に、スレイヤは驚愕の表情を浮かべる。

「その顔……三、公のーー!?」

「おや、私を知っているのかい? 話が早くて助かるよ。そう。シルフォード家18代目当主、ランド・シルフォードだ」

「なっーーなんっで……そんなの、がここ、に……いやがる」

 驚きと憔悴により、切れ切れに問いかけるスレイヤに、男は淡々とした様子で答える。

「ふむ。こんな状況だというのに存外、気力が残っているようだ。これなら交渉も可能かな」

「交、渉ーー?」

「そうだね。単刀直入に言おうかスレイヤ君。きみ……シルフォード家の養子にならないかい?」
しおりを挟む

処理中です...