上 下
17 / 18

第16話 招待状

しおりを挟む


 昨日は色々なことがあった。それがメリッサの目覚めてから一番の感想である。
 メリッサは久しぶり悪夢を見たことに不安を覚えながらも寝台から出た。

 メリッサの家のメリッサの部屋の天蓋付きのベットは白い絹に銀色と翡翠色で刺繍がしたある……メリッサの母がメリッサに残していったもので、数少ないメリッサの宝物であるのだ。

「メリッサ様、お目覚めになりましだか?ララでございます。今日は随分と遅かったのですね」

 メリッサが起きて一番に目にするのはベットの天蓋であるが、その次に目にするのはララだ。
 ララが変わらずそばにいることに奇妙な安心感と不自然な疑問を覚えながらも笑顔を向ける。

「ええ、昨日夜に起きてしまって。お父様はお仕事に行かれたのでしょうか?」

 随分と遅いということは父は仕事に行った後のはずだ。でも、メリッサは昨日父と朝食の約束をしていた。大丈夫なのだろうか。

 メリッサの言わんとする疑問を感じ取ったらしいララはメリッサに向かって控えめに微笑んだ。
 そんなララを見てメリッサはちょっとした罪悪感を覚える。

 なにせ、ララは美人だ。いつも控えめであまり気づかれるような事はないが、メリッサの自慢の侍女である。
 綺麗な美人なのだから、嫁ぎ先も見つかるでしょうに、といつかメリッサはララに言ったことがある。
 その時、ララは同じ用に控えめに微笑んでこういった。

『わたくしはメリッサさまに救われました。わたくしはメリッサさまから離れることは出来ませんから』と。

 メリッサはララを救ったことに関して後悔はしていない。でも、時々本当に良かったのかが不安になる。

「ええ、随分と悲しそうに公爵さまは行かれましたよ。夕食は一緒にするから、と」
「そう。……謝っておかなければなりませんね」

 メリッサはこれからの生活が変わったことを実感しながら曖昧に返事をした。


  ◇  ◇  ◇


「メリッサさま。公爵さまがお見えになりましたが、なにやら気が動転しているような様子でしたよ」
「お父様が、です?……行かなければなりませんね。行きましょう、ララ」
「はい」

 メリッサは自室を出ると玄関ホールに小走りに、なるべく優雅に見えるように歩いていった。
 メリッサは父が急いでいる理由がわかる。きっと、もらったのだろう。

(その……クロヴィス様からの招待状……)

 恥ずかしいのか、嬉しいのか。それとも、怖いのか。
 メリッサのそんな可愛い反応は周りをいく使用人たちをほんわりとさせるだけであった。

「お父様、お帰りなさいませ。どうしたのです?今日は遅くなると言っていらしたような気がしましたが……」

 あの日、やはり夕食に現れた父から逃げるように食べて部屋に戻っても、父は朝食にも現れた。でも、今日は遅くなるはずである。
 メリッサのそんな反応を見て父はこめかみを押さえた。

「それは私が聞きたい。メリッサ、君はいったい何をしたのだ?」

 メリッサがあっ、と思ったときにはすでに時遅し。
 すごい顔になって怒っている父に連れられてメリッサは父の自室に連れてこられた。



「下がってくれるか。騎士も同じ用に」

 メリッサは分かられないようにそっと溜息をつく。
 あの頃からお説教の仕方は大して変わっていない。一応、叱ってくれる存在がいることはありがたいと学院で言っていた気がするが、メリッサには到底そう思うことが出来る日は来ないだろう。

「申し訳ございませんでした。お父様がお困りになられるとは思いもしませんでしたの。いえ、考えたのですけれど……」

 言えるような場が無かったのです、とは口に出せない。
 メリッサはそっと口元に笑みを浮かべて取り繕った。
 その笑顔をみて父も笑顔を深める。

「そうか。なら、これは何だと思う」

 目の前に差し出された白い封筒。王家の紋章が刻まれている封蝋を見てメリッサは更に口元から顔全体に笑顔を出した。

(ええ、そのことよね。さすがにここで固まることは出来ないし……)

 あからさまに貼り付けたその二人の笑顔は感情を取り繕った姿である。

「クロヴィス王子殿下からの招待状でしょうか。わたくし、お父様のお話を詳しく聞かなければお父様に言わなければならないことが分かりません。よろしいでしょうか?」
「そうか」
「ええ、そうですわ」

 負けじとメリッサは目に力を込めて父のことを見つめる。

「殿下が私のところに、それも休憩時間にお越しになった。自ら招待状を持ってだ。私は殿下に足を運んでもらったことになる」
「そうでしたの?わたくし、そこまで思い寄らなかったのです。申し訳ございませんでした」

 確かに父が起こる理由も分かるような気がする。きっと、メリッサに怒っているわけではないのだろう。自ら足を運んできたクロヴィスに怒っているのだ。

(お父様も、クロヴィス様も何をやっていらっしゃるのでしょうか)

 まったくもう、とメリッサが父に怒りたいくらいである。
 こんな事で呼び出されたわけだからメリッサもたまったものでは無いが。
 招待状からいっていいかの有無を問わなければならない。

(断られたら……それで終わりでも良いのでしょうけれど。でも、その後はまだ長いわね)

 メリッサはそこであることに気づいて笑いがこみ上げてくる。

(そういうことですの?)

 クロヴィスが自ら足を運んで父に招待状を渡したとなれば、父は断ることは出来ないはずである。そう言えば、とメリッサはあの日クロヴィスが言っていたことを思い出した。

『それは招待状を送るから大丈夫だ』

 とあの日たしかに微笑んでメリッサにクロヴィスは言ったことである。それは宣言通りあっていたのだが、こういう意味とはメリッサは思いもしなかった。だから、少し訂正を入れるとすれば、クロヴィスが招待状を持っていくから大丈夫だ、では無いのだろうか。

(って、わたし……何を考えてしまったのでしょう……)

 メリッサは頬がカッとなったのが分かった。
 そんなメリッサの様子をみる父の目は鋭く光帯びていく。
 メリッサは羞恥心で体を固くしながらも、顔から笑顔を外すことはしない。

「何やら楽しそうなことで結構。だが、殿下が自ら来られたのだ。その意味は分かるな?」

 全く結構と思っていないような表情で父はそのまま話を続けた。ここまで来るとメリッサは仮面笑顔を付けているのが辛くなってくる。

 学院時代は無表情でいたのもだ。それが身を守るのには一番有効であり、微笑みを浮かべるよりもメリッサにとっては手っ取り早いのである。しかし、父には無表情で対抗は出来ない。そこでもう一つ身につけたのが決して内の感情は見せないように出来る笑顔である。
 笑顔なのはもう一つ理由があるが。

 ――貴族たるもの、人前で感情を見せてはいけない。

 それが父の前では感情が高ぶって無表情でいることが出来なくなる。だからこそ、笑顔を貼り付けることで決して感情を見せないようにしたのだ。

 メリッサのなおも外さない笑顔を見て父が眉根を寄せたのがメリッサに分かった。
 メリッサは一息吐くと微笑みだけに戻して父を見る。

「来ないのは、殿下の好意に背くということです。でも、わたくしのためにはお断りを入れたほうがが良いのでは無いでは、と思いますの。いいえ、お父様からお断りを入れるのははわたくし良いとは思えません。ですから、わたくしからお断りを入れたほうが良いですか?」
「それはメリッサが困るのではないか」

 父はこめかみを抑えながらピクッと眉を動かしてメリッサにその先をうながす。

「でも、わたくしが人前に出るのは困るのではありませんこと?」

 メリッサはキョトンと首をかしげて父のことを見た。父からジッと咎めるような視線を感じて見ると父はやっぱりメリッサのことをジッと見つめている。
 しばらくの沈黙が訪れた。

「……君から断りを入れることはない。誘われたのだろう。行けばよかろう」
「行ってもよろしゅうございますの?お父様」

 メリッサはジッと父の顔を見つめる。やや疲れてそうなその顔は、お年頃の女の子をどう使って良いのか分からない……というような事が明らかに顔に書いてあった。

「良いも何もない。クロヴィス家から行かせる事になるので……いいや。クロヴィス家からは行かなくても良いか。殿下に招待状をもらった客として行くのだ。良いか?」

 ――それは、何故?

 メリッサの頭の中に浮かんだ疑問に答えてはくれないのだろう。
 メリッサはそっと目を伏せる。

 それはきっと、母の生い立ち――と言うよりは母の事が絡んでいるのであろう。

(世の中の、知って良いことと知らぬふりをしなければならないこと、ね。わたしだって……そう出来るのならばそうしたかったわ……)

 貴族ならば、その上に立つものの言動が人を大きく動かし、人の人生を変えてしまうことになる。メリッサは、望んでそうなったとは言えない。だから、教師にも賛成できなかった。しかし、貴族になった以上はそれに相応しい事を、行動を取らなければならない、と言う。 

 それが、王子の婚約者であったメリッサにとって一番重要で一番の重荷であり、常に考えなければいけないことであったのだ。

「ええ、存じ上げております、お父様」 

 メリッサは父の瞳を真っ直ぐに見つめた。
 その瞳の先にある、貴族社会を。


しおりを挟む

処理中です...