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第4章 灰桜
しおりを挟む「どうした、真田」
始めての市中見廻り。集中しなければいけないのに、私の頭の中は局中法度で一杯だった。
「すみません、大丈夫です」
慌てて謝る。昼間とは言え、いつ不逞浪士に襲われてもおかしくない、緊迫した場だ。
「少し緊張しているだけです、すみません」
再び謝罪する。こんなことではいけない。足を引っ張ってはいけない、そう自分に言い聞かせる。
「それならば良い」
私の返事に納得したのか、また前を向き、歩いて行く。時々後ろを振り向きながら進むのは、おそらく私を気にかけてくれているのだろう。
「こちらは異常無しです」
「自分の方も問題ありません」
各方面に散らばっていた隊士達が戻ってくる。斎藤さんは全員が戻ったのを確認すると、小さく頷く。
「異常無しか。それでは屯所へ戻る」
浅葱色の羽織が風に舞う。
先頭を歩いていく斎藤さんのすぐ後ろを追った。
「おっアンタか、新米隊士ってのは」
初めての市中見廻りを終えて屯所に戻り、縁側でお茶を飲みながら一休みしていると、三人の隊士達が声をかけてきた。
顔を見なくてもわかる。聞き覚えのある声。あの日、あの島原で聞いた声だった。
「へぇ、こりゃ加納並みに女顔だなぁ……っと失礼。俺は助勤の永倉新八」
「いやいや、でも本当の事だって。まだ十六だって、若いなぁ。っと、同じく助勤の原田左之助」
「まだ女を知らないって感じだねぇ。俺も助勤で藤堂平助。一応古新撰組結成当時からいます」
「真田、遼です。どうぞよろしくお願いいたします」
三人が各々名前を名乗るため、私も名を告げる。それから小さく一礼する。
冷静を装いはしたものの、心臓は大きく鳴り響いていた。
あの日とは、名前も、身にまとう着物も、髪型も、さらに彼らの知る性別も違う。
しかし、彼等は新選組隊士。ばれてしまわないか、冷汗が流れる。
「……なんかどっかで見た事ある気がするけど……まっ、気のせいだな」
永倉さんが更に顔を寄せてくるものだから、思わず後ろに後ずさる。
「はい、数日前に入隊したばかりですので……初めて皆さんにお会いします」
「そっかそっか。それよりどうだ、新しく入隊した事だし、島原で一杯やろうと思ってるんだけどよ。一緒に行くか」
「いっいいえ……申し訳ないことに本日や先約がありますので、お断りさせていただきます」
行くあてなんかあるはずもないのに、苦し紛れの言い訳を残し、私はその場から立ち去った。
「ますます加納に似てるなぁ。ま、大事になんなきゃいいけどよ」
そんな事を藤堂さんが言っているなんて、そこにいない私は知る由もなかった。
気が付けば私は京の都にいて。一人、道の真ん中を歩いていた。
「……懐かしい」
まだ道場があった頃、こうやって門下生達と一緒に稽古の帰りに和菓子屋に寄って金平糖を買った記憶がある。
目に飛び込んでくる、和菓子屋。思わず足が向いてしまう。
「あらぁ珍しい、お侍さんかいな。今日は二人目やねぇ。何にします」
「あ、金平糖を……」
店人に声をかけられ、そう返事をし、ふところに手をやった。そこで気が付く。自分が持ち歩いているお金は、本当にわずかだったのだ。
今ここでこれを買ってしまったら、手元に残るお金は本当に限りあるものになってしまう。
「全部で五袋。お金は私が払います。はい、どうも」
「っっ」
立ち往生していた私の隣気配無く現れたのは、やはり沖田さんだった。
「はいっ。好きなんですか、金平糖」
いつのまにかお金を支払ってしまい、呆然としている私の手元に紙袋を静かに落とすと、店先にある長椅子に腰を下ろす。
「あっ、もう一つお茶ください。あと、お団子も一本追加で」
「毎度おおきに」
常連さん、なのだろうか。店人は元気よく返事をし、店の奥へと引っ込んでいった。
「ほらほら、座って下さい」
促されるように長椅子を軽くたたかれ、その笑顔で言われると、反論する事が出来ない。私は静かに隣に座る。
「此処はお団子もお茶も絶品なんですよ。土方さんは甘いの駄目だから馬鹿にしますけど。はいっ、どうぞ」
運ばれてきたお茶とお団子を手渡され、口に運ぶ。
「美味しい」
「ねっ、言ったでしょう。私、よくここに来るんですよ。遼君も甘いモノ好きそうだから、来る時は一緒に来ましょうか」
「はいっ」
迷わず私は返事をした。けれど、それがなんだかお菓子につられている気がして、気恥ずかしくて。
それでも沖田さんは嫌な顔一つせずに笑ってくれた。
意外だった。新選組隊士で甘い物が好きな人がいたなんて。人斬り集団、そう吐き捨てる人たちがいたのも事実だ。血なまぐさい人達の集まりだと、自分自身思い込んでいたから、本当に意外だった。
目が合うと、沖田さんはまた笑ってくれる。そうして、三つのうちの二つ目のお団子を口に入れる。
「遼君は、何で新選組に入ろうと思ったんですか」
「っ」
不意に確信を突かれ、思わず私はむせこむ。慌てて沖田さんが背中を叩いてくれる。
「すっすみませっ……」
「あ、いやいや。言いたくないならいいんですけど、何で貴方のような女性が……と思って。もちろん、剣の腕は確かですけどね。ほら、人斬り集団て言う人達だっているわけでしょう」
遠慮がちな笑みに、私は答えなくてはいけない……そんな思いにかられた。
「私、小さな道場の一人娘だったんです……門下生たちもそれなりにいて、皆、父から剣術を学びました。すごく楽しかったです。でも……一年前のある日の夜、闇討ちに遭って……両親は殺されました。私も殺される、そう思って……でも、あんな卑怯な連中に殺されたくないって思って」
だから。あの日、私は自害を望んだ。
「もう、ここまでか、って思ったんです。そんな時、斎藤さんが助けてくれたんです。両親を助けられなかったことを詫びられました。別に斎藤さんのせいじゃないのに。それで、いつかご恩を返したいと思って、今、私は此処にいます」
何処にいるかわからなかった。あてもなく探すのは無謀だと、そう明里姉さんに言われた。
「そうですか。今までの一年はどちらで過ごしていたんですか」
一瞬嘘を吐こうと思って、辞めた。きっと沖田さんにはばれてしまうだろう。私は重たい口を開いた。
「……一年、島原に」
「え」
「もちろん、客はとっていません。まだまだ見習いでしたから。そこで偶然、山南さんや永倉さん、原田さん、藤堂さんに会って、斎藤さんの事を知ったんです」
そう返事をして、隣に座っている沖田さんの顔を見た。
沖田さんは、とても申し訳なさそうに、うなだれていた。
「ごめんなさい……そうですよね。この世の中、女性一人で生きていくのは本当に大変ですよね。無神経な事を聞きました……ごめんなさい」
素直に頭を下げて謝ってくるから、思わず私は笑った。新選組一強いといわれている人が、こんなに優しい人だななんて。
確かに、あの、鬼と言われてた土方副長は雰囲気も怖く、近寄りがたい風貌だった。けれど、沖田さんは全然違う。
「大丈夫です。聞いてくれてありがとうございます」
それから色々な話をした。沖田さんの小さい頃の話。土方副長が、まだまだ怖くなかった頃の話。話し込んでいるうちに、日はすっかり暮れてしまった。
「いけない、長居をしましたね。近藤さんに怒られちゃう。そろそろ帰りましょうか。近道知ってるんですよ」
沖田さんに笑われ、私は頷いた。
日は当に沈み、辺りは薄気味悪いほど暗く、静かだった。
不意に沖田さんとの会話も止み、足音だけが響いている。
突然、草むらの揺れる音。荒い息遣い。
沖田さんの足が、止まった。
目の前に現れる、一人の男。背には風呂敷、腰には刀。
私たちを見て、 ひぃっ と声を上げた。
「……脱走の罪は重い。わかってるんだろーな」
男の後ろに現れる、背丈の高い男。
聞き覚えのある声。原田さん、だった。
「あっ……しっ、死にたくないっ……」
風呂敷を背負った男が原田さんを振り返り、それから私達の方へと走りだそうと、した。
瞬間、目の前の動きが、ひどくゆっくりと流れているように感じだ。
「おりゃぁぁぁぁっ」
鈍い、何かを切り裂く音。
同時に空に跳ねる、赤い、赤い、しぶき。
目の前で、顔も名前も知らない一人の隊士が背を斬られ
そうして、その首が宙を舞った
風に吹かれ地面に散らされた桜の花びらが 一瞬でどす黒く変化していった
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