浅葱色浪漫

彼方

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第5章 猩々緋

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「遼君、今日集中してませんでしたね」
「………」

 午前の稽古が終わり、隊士達は皆次々とお昼の食事に入っていく。
 そんな姿を横目に、私は部屋に戻っていた。
 なんとか稽古には出たけれど、食事は断った。稽古が厳しく、食欲がない、と。しかし、そんなのはただのこじつけだった。本当は、昨日の事が脳裏に焼き付き、吐き気がして食べる気がしないだけだった。





「……本当にごめんなさい、斎藤さん。私が至らないばかりに、遼君にあんな場面を」
 食事を終え、斎藤と一緒にそこを出た総司は、ポツリとそう言った。
 近道を通るのは総司のいつもの癖だ。
 まさか、あの日、あの時間に脱走する者がいるとは思わなかった。そうして、まさかその後を追っている隊士がいるとも思わなかった。

「……総司が謝る事じゃない。遅かれ早かれ遭遇する場面だ。むしろ、この早い段階で見ていてよかったのかもしれない。我等は新選組隊士なのだからな……」

 いつもの無表情で淡々と言う。
 しかし、隣でうなだれる総司を見て、一息つく。
「まだまだこれからなのだからな……」







「入るぞ」
 部屋に戻ってからも何もする気になれず、部屋の隅に膝を抱えて座っていると、斎藤さんが入ってきた。いつものあの無表情。

 未だに何を考えているのかよくわからない……。切れ長の一重の眼がこちらをまっすぐ見ている。

 口を少し開き、何かを言いかけ……


 しかし。一つ、ふぅ、とため息を吐くと、私の手元へ何かを投げた。

 竹の葉に包まれた、白いおにぎりだった。形が少しいびつなのは気のせいだろうか。


「食べなければ何かの時に動けまい。食べたくなくても少しは口にしろ」
「ありがとうございます……すみません。夜はちゃんと食べます」

 その心遣いが嬉しくて、精一杯の笑顔を見せると。
 一瞬だけ、その目が大きくなり……そのまま、とても細く、笑ったような顔をした……気がした。

「そのような顔をしていると女とバレるぞ」
「! すみませんっ……気をつけます」
「……真田は謝ってばかりだな」
 くるり、と私に背を向ける。

「そうだ……一応、平隊士は皆隊士部屋で生活を共にするものだが……隊士部屋に寝かせるのはどうも怖い。それで…だな。その……」

 少し口篭もっているが、背を向けていて、私からその表情はうかがえない。


「私の部屋でよければ、ここで寝るか」
「!!」

 驚いて顔を上げた。確かに、男ばかりのむさ苦しい部屋……が嫌とかそういうわけではなく、万が一ばれた時の事を考えると。


「斎藤さん、部屋狭くなりませんか」
「真田一人分くらい、構わない。現にここ数日、私の部屋にいたからな。午後は見廻りだぞ」

 斎藤さんの不器用な優しさが嬉しくて。
 私は はい と返事をした。







 新選組隊士になり、数日がたった。ようやく屯所にも慣れ、隊士の顔と名前も少しずつ覚えてきた頃だった。


「……なぁ、やっぱり竹田の奴切腹だったらしいぜ…」
「それを言えば深川も、池田もだ…脱走したのが見つかったらしいぜ」

 平隊士達が、廊下でひそひそと話をしている。足音がするたびに、その音の方向を見やり、おびえている。


「……局中法度か」


 ふぅ、と一つ、ため息をついた。
 あの日殺されたのは、脱走した酒井という評判のあまりよくない隊士だったらしい。

 そういえば、いつもここ……屯所は何処か血なまぐさい気がする。足元の小石も、よく見れば赤いものが付着している。

 一体、此処で何人の隊士達が亡くなったのだろうか。常に隊士を募集しているのだ、その数だけいなくなっているということだ。




「何ため息ついてるんですか、真田さん」

 沖田さんに似た口調、でも声はもう少し可愛らしい……聞き覚えの無い声に、私は少し驚いて顔を上げた。

 そこには、沖田さんよりもキレイな顔立ちの隊士がいた。女の自分でさえ、不覚にも胸を高鳴らせてしまうほどに。


「あ、すみません。驚かせてしまいましたか」
「あ、いいえ……」

「はじめまして、私は加納惣三郎といいます。多分、真田さんとは一番年が近いんじゃないかな。私は十八ですから」
「あぁ、そうなんですか。そんなに若い隊士が私以外にもいたなんて……よろしくおねがいします」

 初めて聞く名前だ。

 一礼をして顔を上げると、華やかな笑みがそこにはあった。
 そして、もう一人。
 今度は全く正反対の顔が現れた。

「惣三郎。誰と話して……あぁ、新しい隊士か。真田と言ったか。下の名前は何という」
「はっ、遼。真田遼ともうします。失礼ですが、貴方は……」
「あぁ。私は田代彪蔵という」

 そう返事をすると、頭から足先まで……全体を舐めまわすような視線。
 思わず背筋を冷たいものが走る。
 目が合うと、口元をわずかにあげる。

「また今度ゆっくりと話をしよう」
 にやり、と笑うと踵を返し、何処かへ去って行く。

「……あっ、また後で話しましょうね」
 慌てて一礼すると、その後ろを走って追って行く加納さん。

 その二人の姿が見えなくなると、はぁ、ともう一度ため息をつく。


 斎藤さんの言った事がわかった気がする。女がいなければ、相手は男でも可、なのか。

 あそこまで綺麗な女顔の人なら、確かにね過ちが起きてもおかしくはない。
 妙に納得し、私はその場を離れた。





 隊士の顔ぶれは絶えず変動していた。
 切腹し、斬られ、また新しい隊士が募集される。

 毎晩のように屯所では首が飛んだ。その姿を直接見たわけではないが、朝、血が点々と足元に滴れていた。




 晩九つ時。ほとんどの隊士が寝静まった頃、一つだけ明りの点いている部屋があった。

 物音一つ立てずに、人影がその部屋の中へ入って行く。




「……なるほどな。もう少し情報がほしい。加納と田代の一件、任されてくれるな」
「はっ」


 カタン、と筆を置くと、そこに正座している男の顔を横目で見やり、土方は口を開く。


「山崎、もう一つ、頼まれてくれねぇか」
「……何事でしょう」
「最近入隊してきた真田遼だ。アイツの事を調べてくれ。素性が気になる」
「承知致しました。三日ほどお待ちいただければ」
「頼む。齋藤がそばにいるから大丈夫だとは思うが……加納のような事にならなきゃいいけどな」


 静かに障子を開けると、風にのって桜の花びらが部屋の中に入ってきた。
 薄く色づいた桜の花びらが 墨の入っていたすずりに入り、一瞬にして真っ黒へと染まった。

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