夢でしか会えない君へ:Another

N.PROJECT

文字の大きさ
3 / 5

第2章「思い出してしまう前に」

しおりを挟む
その夜、彼は久しぶりに姿を見せた。

 風が強く、水面がさざめいていた。
 湖のほとりに立つ彼の背中は、なぜか少し怯えているように見えた。

「……来てくれたんだね」
 私が声をかけると、彼は振り返った。
 そして、いつもより少しだけ長く、私の顔を見ていた。

「……きみ、誰だったっけ?」
 そう言った彼の声に、ためらいがあった。

 毎晩、私のことを忘れてしまうのが“当たり前”だった彼が、
 今夜は、「忘れていないかもしれない」という迷いを抱えていた。

 その一瞬に、私の胸が締めつけられた。


 私たちは湖を囲む小道を、ゆっくり歩いた。
 彼は時おり立ち止まり、湖を見たり、空を見上げたりした。

「ここ、なんとなく懐かしい気がするんだ」
 「きみの顔も……どこかで……」

 私は静かに微笑んだだけだった。
 言葉にしてしまえば、それは“引き金”になるかもしれなかったから。

 私は願っていた。
 彼に思い出してほしい。でも、それは同時に、私が消える日になる。

 この夢の世界は、彼の記憶が作り出している。
 私がここにいられるのは、彼の中に私が“まだ存在している”から。

 そして彼が、完全に思い出してしまえば、
 私は“記憶”から“現実”に押し出されて、消えてしまうだろう。


 彼は私に手を伸ばした。
 指先が触れた瞬間、胸の奥が熱くなった。

「ねえ、名前……教えてくれない?」
 彼がそう言ったとき、私は答えることができなかった。

 なぜなら、私自身がその名前を、もう思い出せないのだから。
 “私”という存在が、彼の記憶の中であいまいになっている証。

 でも、それでも――

「また、明日も来てくれる?」
 私は問いかけた。
 彼は少し迷ってから、ゆっくりと頷いた。

「……たぶん。また、ここで」


 彼がいなくなったあとの夜、私は一人きりの湖に座っていた。
 自分の指先が、少しずつ淡く光を放っているのを感じる。

 思い出されるたびに、私はこの場所から“現実”へと押し出されていく。
 でもそれは、彼が自分の人生を取り戻しつつあるという証。

 それなら、私の願いは……少しずつ、叶っているのかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

偏屈恋愛奇譚

橋本健太
恋愛
日本と関西の主要都市 大阪。キタは、オフィス街の中之島・淀屋橋、若者文化の最先端 梅田があり、ミナミは道頓堀がランドマークの難波、アメリカ村などカオスな世界観に満ちた心斎橋、他にはコリアンタウンの鶴橋、下町情緒色濃い新世界と西成など、ディープなエリア満載の大阪市を舞台に、文学好きな女子高生 笹川ゆかりと、その同級生やプロギャンブラー 黒田和明や酔拳マニアOL 伊倉玲などの強烈キャラクター達が織り成す奇妙×狂気×恋愛のハードコアラブコメディ!!!

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

W-score

フロイライン
恋愛
男に負けじと人生を仕事に捧げてきた山本 香菜子は、ゆとり世代の代表格のような新入社員である新開 優斗とペアを組まされる。 優斗のあまりのだらしなさと考えの甘さに、閉口する香菜子だったが…

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

初体験の話

東雲
恋愛
筋金入りの年上好きな私の 誰にも言えない17歳の初体験の話。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...