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しおりを挟む拓真に何だか痛い所を突かれた感覚が胸に蔓延るまま、しかし気にせず雅が何時も通り日々を過ごしていた、ある日。
次のライブで披露する予定のラップのメロディラインをあと一歩の所まで完成させた雅は、最後の一踏ん張りだと気合いを入れるため珈琲でも買おうと、朝にも関わらず家を出ていた。
徹夜の目に刺さる、キラキラと輝く朝陽。
肌を撫でる秋風がどこか侘しく、黒いパーカーのフードで頭を覆いポケットの中に手を突っ込んだ雅は、黒いマスクの下で小さく鼻を啜った。
黒いパーカーのフードを深く被り、同じく黒のマスクにだぼついたダメージジーンズという、端から見ればどこからどう見ても不審者めいた格好をしている雅が、肩を竦めながら休日という事も相まってあまり人も居ない早朝の枯れ葉が舞う道を歩いてゆく。
そして、自動販売機で缶コーヒーを買っても良かったのだが、確か近くに朝早くからやってるカフェがあったよな。と通りを歩く度に見かけていたカフェを思い出し、雅は何の気なしにその店を目指した。
五分そこらで辿り着いたその店は、やはりこんな朝早くからでも営業しているようで。『OPEN』と書かれた黒板のボードが店の前に置かれていた。
白を基調とした店の外観は綺麗で、アクセントとしてあしらわれているレンガが可愛らしい印象を与えている。
それをやはり何の気なしに見つめながら、雅はゆっくりと店の扉を開けた。
途端に鼻をコーヒーの良い香りが擽り、耳に届くドアに付けられている鈴の音。
朝陽に浸る店内はがらんとしており、心地好いジャズの曲が響くなか、店内のカウンター上に記されているメニュー表を眺めながら歩いていた雅だったが、しかし不意に聞こえてきた声に、バッと顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
雅の来店に気付いた店員の、軽やかな声。
柔らかく、だが凛とした美しさもある甘く優しい男性の声に、好みの声だと脳が理解するよりも先に顔を上げた雅の、視界の先。
そこには眩しいほどの白いシャツの上に黒いエプロンを着け、蜂蜜色した髪の青年が笑顔で立っていた。
たかだか客に、しかも不審者のような出で立ちの雅に、それでもとびきりの優しい笑顔を浮かべている、青年。
その糸のように細くなった瞳は愛らしく、そして白くてまろい頬に、小さな鼻。
そんな愛らしさに違わず、小振りな、だがとても綺麗で艶々とした唇を持った細身の青年に、思わず雅がヒュッと息を飲む。
それはまるで絵画から出てきた天使のように神々しく、男性に対して適切な表現かと言われれば分からないが、清楚で可憐な見目のその青年に雅はなぜか鼓動がバクバクと耳の奥で鳴り響き、自身の顔が真っ赤になっていくのを感じた。
……いや、え、何だこれ。
だなんて自身の身体の反応と沸きそうな脳にパニックに陥りつつも、ライブ中の高揚さに似た感覚が全身をムズムズとさせ、堪らずハッと荒い息を吐く雅。
青年を見た瞬間にどこか遠くで鐘の音が鳴り響き、ファンファーレを吹く天使がひらひらと舞うような馬鹿げた幻覚が、目の前でチカチカと弾けている。
当たり前だが生まれてこの方一度もこんな気分など感じた事はなく、しかも見ず知らずの初めて会った他人にこんな何とも言えぬ衝動を覚えた事もやはりない雅が、思わず足を止めてぼうっと突っ立ってしまっていれば、カウンターの中で注文を取ろうと待っていたその美しく愛らしい青年が不思議そうに首を小さく傾げたのが分かった。
その動きと共に揺れる、青年の耳に下がったチェーンの綺麗なピアス。
それがシャランと煌めく様ですら映画のように雅の目には映り、朝陽を跳ね返しキラキラと光るピアスの残光が、やけに眩しかった。
だがその美しい光景から何とか抜け出しゴホンッと咳を一つした雅がぎこちない足取りでカウンターの前に立てば、青年の胸に刺さる名札に『一宮』と書いてあるのが見えた。
「ご注文はお決まりですか?」
「っ、」
「お客様?」
「ぁ、えっと、……ア、アイスコーヒーひとつ、で」
「はい、ありがとうございます。アイスコーヒーおひとつですね。砂糖やミルクはお入れいたしますか?」
「っ、いや、いいです」
「サイズはいかがなさいますか?」
「え、あ、ふ、普通でいいです……」
「レギュラーサイズでよろしいでしょうか?」
「は、はい」
「かしこまりました。店内でお飲みになられますか? それともお持ち帰りでしょうか?」
「っあ、……て、店内、で……、」
「かしこまりました。ありがとうございます」
音楽を、しかもラッパーを生業としているというのに上手く舌が回らず、カラカラになっている喉から吃りながらも何とか声を絞り出す雅とは正反対に、すらすらと礼儀正しく注文を受ける青年は、変わらず笑顔を崩す事はなく。
しかし雅は何故か顔をきちんと上げることが出来ず、深く被ったフードから青年の愛らしくも艶やかな口元だけを凝視しながら、なんとか会計を終えた。
『席までお持ちしますね』という青年の美しい声により、無意識だったが店内のカウンターが良く見える席へとフラフラになりそうな足で向かっては、放心状態で座った雅。
その心臓はひたすら煩くビートを刻み、今にも口から飛び出してしまいそうなほど、跳ねていて。
そして身体中の血液さえも沸騰しているようで、死ぬほど暑い。と雅はもう秋だというのに火照った頬を抑える為パタパタと手で顔を扇ぎながら、席でじっと大人しく待っていた。
本来はテイクアウトしてすぐ家に帰り、最後の一踏ん張りだとパソコンに向かう計画の筈である。
それだというのにそれをすっかり忘れ、お店の席にちんまりと座っている雅は、自身ですら理解不能で予測不能な胸の高鳴りにひっそりと深呼吸をしながら目をパシパシと瞬かせつつも、『一宮』と名札を下げた美しい青年を何度も何度も盗み見てしまったのだった。
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