【完結】初恋は、

文字の大きさ
4 / 36

4

しおりを挟む
 

 もう行かない。

 そう雅が決めたのは、変なやつだと思われた。と思い込んでは毛布の中で目尻をじわりと軽く濡らした時だったが、しかし惨めなみっともない恋はそれでも諦めが悪く、雅はあんな事があったその二日後には、無意識にいつものカフェの前に立っていた。

 そんな自分の状況に今しがた気付き、いつの間に家を出たんだ俺。とハッとした雅が慌てて踵を返そうとした、その瞬間。

 カラン。と小気味良い鈴の音が辺りに響き、『OPEN』と書かれたボードを持っている春が出てきた事に、雅はヒュッと息を飲んでしまった。


「あっ、いらっしゃいませ! お待たせしました!」

 だなんて向こうも店の前に突っ立っていた雅に気付いたのか、パァッと花が咲いたような笑顔で挨拶をしてくる。

 その笑顔は今まで見てきたあの綺麗な笑顔とは少しだけ違い、どことなく何時もよりくしゃりとしていて。

 そんな弾けたような愛らしい笑顔を初めて見た雅は面食らって瞬きをしたが、白い息を吐きながら、どうぞ。と扉を開けて待っている春に引き寄せられるよう、ふらふらと店内へと足を踏み入れていた。


 心地好いジャズが流れる、暖房が効いた暖かな店内。
 室内は変わらずコーヒーの良い香りに満ちていて、そんな中をそれでも雅は何故かおどおどとした態度で歩いた。

 どうにかラッパーとして活動しているお金だけで生計を立てれるようになったのは有難いものの、ライブが無い週はただひたすらにスタジオや自宅で曲作りに没頭するだけの日々で。
 それなのであまり曜日の感覚がない雅は、今日は休日なのか。と朝から出勤している春を見て今更ながら気付き、こんな早朝に出勤するなんて大変だな。なんて自身は寝ずに作業をし続けて無意識にカフェまで来ていた事を棚に上げて、そんな事をぼんやり思った。


「アイスコーヒーでよろしいですか?」

 そうカウンター越しにニコニコとした笑顔で、問いかけてくる春。

 その笑顔がやはり何時もよりキラキラとしているように見えて、……雪の妖精か? だなんて馬鹿げた事を思いながらも、雅はこの間恥ずかしい姿を見せたと思ったのは勘違いだったのかもしれないと途端に眠れぬ夜を過ごした事をすっかり忘れ、コクンと頷いた。

「もしかして今からお仕事ですか?」
「えっ、あ、いや、……まぁ、はい」
「こんな休日の朝からなんて、大変ですね」
「いや……、」

 それはそっちもだろう。と言えれば少しは会話にもなるというのに、ステージ上でスラスラと動く舌は今や、惰眠を貪っているかのようにピクリともせず。
 そして寝ずに作業をしていたので今からではないし、どうせ帰っても作業をするので終わりもないが、咄嗟にうんとしか言えなかった自分に雅はやはり情けないと顔が熱くなっていくのを自覚しつつも、ゴホンッと咳をした。

 店内は他のスタッフの気配もなく、雅と春の二人だけ。

 それに気付いた瞬間ぶわりと背中に汗が浮き、そして春に注文以外の事を聞かれたのは初めてだった雅が嬉しさと気まずさからポリポリと首の後ろを掻いたが、しかしそれから、いや何で一人なんだ……? と首を傾げた。

 ちらりとカウンターの中を見てみれば、どうやら準備の途中らしく、物が散乱している。
 その荒れている状態に雅は眉を寄せ、春を見た。

「……一人?」
「えっ?」
「他のスタッフは」
「っ、あ、えっと、その、」
「なんで一人しか居ないの」

 そう矢継ぎ早に雅から放たれる言葉に、キラキラとした笑顔が瞬く間に消え、春が困ったように眉を下げる。
 それからやはり困惑しながら雅を見つめる春の瞳は、少しだけ怯えが滲んでいて。
 しかし、それもその筈である。
 キャップを被っているものの、そこから覗く髪はプラチナブロンドで刺々しく、いつもの事だがマスクをしている為ほぼ顔が見えない上に、今日も今日とて雅は全身黒ずくめである。
 それはどこからどう見てもガラが悪く、そして低くざらついた雅の真っ直ぐな声がまるで問い詰めているように聞こえたのか、春はぴしりと身を固くしただけだった。

「えっと……、」
「……」

 思わず黙ってしまった春をそれでも珍しくじっと見つめる、雅の鋭い眼差し。
 それに春は引きつった表情をしたまま、それでも観念したのか、口を開いた。

「……そ、その、いつも本当はオープン準備は二人なんですけど、もう一人が今遅刻してまして、……ごちゃごちゃしててすみません!」

 雅が聞いてきた理由を店内の清掃が行き届いていないせいだと思ったのか、春が焦りながら深々と頭を下げてくる。
 その予想外の声量と突然の謝罪にビクッと肩を跳ねさせた雅をよそに、春はバッと顔を上げたかと思うと一生懸命な表情で雅を見つめてくるだけだった。

「でも、すぐにお作り致しますので! お待たせ致しません!」

 だなんて叫び、迷惑はかけませんから。と言わんばかりの泣きそうな顔をし出す春に、雅は目を白黒とさせつつも、とりあえず落ち着け。と怒っていない事をアピールするよう、なぜか両手を上にあげた。

「何か勘違いしてるみたいだけど、別に怒ってる訳じゃない、ので……、」
「……へ」
「むしろそんな忙しい時に来て、すみませんでした……。コーヒーも大丈夫ですし、あの、帰ります」
「……えっ、」
「……念のために言っておくけど、まじで別に怒ったから帰るって言ってる訳じゃないから」

 そう念押ししながら、しかし最後バリバリにタメ口を使い偉そうな態度と口調で言ってしまったかもしれない。とハッとした雅が、無意味にマスクの上から自身の鼻先を擦る。
 そして、春を落ち着かせる為に少しだけ冷静になれた頭はしかし、すぐにまたしても恋心と羞恥が舞い戻っては心臓をドクドクと跳ねさせるだけで。

 一方春はというと、まさかそんな言葉を掛けられるとは思ってもいなかったのか呆けた表情をしており、その鳩が豆鉄砲を食ったような顔は先日の事があったせいで雅の中で若干のトラウマとしてインプットされているものの、それでも死ぬほど愛らしかった。


 ……ほんといつ見ても可愛い。

 だなんて馬鹿になった脳ミソでそんな事を考えながらも、見惚れ突っ立っている場合ではない。と何とか思考を切り替え、雅が小さく咳をする。

「ゴホッ。……それじゃあ……。……もう一人が来るまで無理しない程度に、頑張ってください」

 何の励ましにもならないと分かっていながらも、ポロリと口からついて出た言葉をボソボソとした声で呟く雅の耳は、真っ赤で。
 それが恥ずかしく、またしてもンンッと咳払いをした雅は、堪らず足早に店を出ていった。


 カランカラン、と鳴る扉の音と共に遠ざかっていくジャズに、ほんと何言ってんだ俺。と帽子を取り、ガシガシと髪の毛を掻きながら歩く雅。
 外に出た途端冬風が肌を突き刺し痛く、寒い……。と雅がマスクの中でズビッと鼻を啜った、その瞬間。

「あ、あのっっ!!」

 だなんて後ろから声が響き、バッと後ろを振り返った雅の目に映るのは、なんだか泣きそうな表情で顔を真っ赤にしている、春だった。


「すみませんでした!! ありがとうございます!! あのっ、ま、また来てくださいね!!」

 必死にそう叫ぶ春は、当たり前だが上に何も羽織らずワイシャツとエプロン姿のまま。

 吹き荒ぶ風に春の蜂蜜色の髪が乱れ、だがそれがとても綺麗で美しく、堪らずヒュッと雅が息を飲む。
 しかしそんな雅の心情などもちろん知らぬまま、それでも、

「次は美味しいコーヒー、ちゃんと淹れさせてください。……だから、あの、ま、また、来てください、ね……」

 だなんて潤んだ瞳で話す春の頬は、寒さからなのか、林檎のように真っ赤に染まっていた。

 それがやはりとても綺麗で美しく、そして儚くて。
 ……うわ、死んだわ俺。と春の背中に天使の羽が、頭にはキラキラと光る輪が見えた気がした雅は、もう何度目か知らぬときめきに何も言えぬまま、ブラックアウト寸前だと堪らず天を仰いでしまったのだった。




 
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

天の求婚

紅林
BL
太平天帝国では5年ほど前から第一天子と第二天子によって帝位継承争いが勃発していた。 主人公、新田大貴子爵は第二天子派として広く活動していた亡き父の跡を継いで一年前に子爵家を継いだ。しかし、フィラデルフィア合衆国との講和条約を取り付けた第一天子の功績が認められ次期帝位継承者は第一天子となり、派閥争いに負けた第二天子派は継承順位を下げられ、それに付き従った者の中には爵位剥奪のうえ、帝都江流波から追放された華族もいた そして大貴もその例に漏れず、邸宅にて謹慎を申し付けられ現在は華族用の豪華な護送車で大天族の居城へと向かっていた 即位したての政権が安定していない君主と没落寸前の血筋だけは立派な純血華族の複雑な結婚事情を描いた物語

【完結】エデンの住処

社菘
BL
親の再婚で義兄弟になった弟と、ある日二人で過ちを犯した。 それ以来逃げるように実家を出た椿由利は実家や弟との接触を避けて8年が経ち、モデルとして自立した道を進んでいた。 ある雑誌の専属モデルに抜擢された由利は今をときめく若手の売れっ子カメラマン・YURIと出会い、最悪な過去が蘇る。 『彼』と出会ったことで由利の楽園は脅かされ、地獄へと変わると思ったのだが……。 「兄さん、僕のオメガになって」 由利とYURI、義兄と義弟。 重すぎる義弟の愛に振り回される由利の運命の行く末は―― 執着系義弟α×不憫系義兄α 義弟の愛は、楽園にも似た俺の住処になるのだろうか? ◎表紙は装丁cafe様より︎︎𓂃⟡.·

月曜9時の恋人 ――上司と部下のリモート勤務録

斎宮たまき/斎宮環
BL
「おはようございます」から始まる恋がある。 在宅勤務の上司と部下、画面越しに重なっていく生活音と沈黙。 誰もいない夜、切り忘れたマイクから漏れた吐息が、心の距離を壊していく。 社会的距離が恋の導火線になる―― 静かな温度で燃える、現代オフィスBLの新形。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

夜が明けなければいいのに(洋風)

万里
BL
大国の第三皇子・ルシアンは、幼い頃から「王位には縁のない皇子」として育てられてきた。輝く金髪と碧眼を持つその美貌は、まるで人形のように完璧だが、どこか冷ややかで近寄りがたい。 しかしその裏には、誰よりも繊細で、愛されたいと願う幼い心が隠されている。 そんなルシアンに、ある日突然、国の命運を背負う役目が降りかかる。 長年対立してきた隣国との和平の証として、敵国の大公令嬢への婿入り――実質的な“人質”としての政略結婚が正式に決まったのだ。 「名誉ある生贄」。 それが自分に与えられた役割だと、ルシアンは理解していた。 部屋に戻ると、いつものように従者のカイルが静かに迎える。 黒髪の護衛騎士――幼い頃からずっと傍にいてくれた唯一の存在。 本当は、別れが怖くてたまらない。 けれど、その弱さを見せることができない。 「やっとこの退屈な城から出られる。せいせいする」 心にもない言葉を吐き捨てる。 カイルが引き止めてくれることを、どこかで期待しながら。 だがカイルは、いつもと変わらぬ落ち着いた声で告げる。 「……おめでとうございます、殿下」 恭しく頭を下げるその姿は、あまりにも遠い。 その淡々とした態度が、ルシアンの胸に鋭く突き刺さる。 ――おめでとうなんて、言わないでほしかった。 ――本当は、行きたくなんてないのに。 和風と洋風はどちらも大筋は同じようにしようかと。ところどころ違うかもしれませんが。 お楽しみいただければ幸いです。

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

処理中です...