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その後
10~side春~
しおりを挟む「春、裏来る?」
拓真らと皆で楽しげに話している最中、不意に後ろから抱き締めてきては耳元で囁いてくる雅。
そのぞくりとする甘い声に弱い春は、堪らず肩を小さく跳ねさせ、頬をぽわりと赤く染めた。
「っ、え……?」
「裏。そしたら直前まで一緒に居られるから」
雅が言う裏というのは、スタッフオンリーと書かれた扉の向こうの事だろう。
直前まで一緒に居られるから。だなんて言ってくる雅は、まるでご主人様から片時も離れたくない犬のようにとても愛らしく、春はキュンキュンと胸を疼かせながらも小さく首を振った。
「雅さん、ほんとは色々しなくちゃいけない事あるだろうし、忙しいですよね?」
「大丈夫」
「……じゃあ、今度はそうさせてもらいます」
今日は、ライブハウスの空気に慣れたいから。そう言外に示す春に、雅が少しだけ残念そうな顔をする。
けれども、“今度”という言葉に気を持ち直すよう小さく頷き、春の可愛らしい旋毛にキスをした。
「……ん。じゃあそれは今度な」
「ふふ、はい」
ちゅ、と唇が当たる感触が擽ったく、春がクスクスと笑いながら返事をする。
それが嬉しいのか雅は何度もちゅっちゅっと唇を押し付け、そんな二人を見ていた悠希はやはり気恥ずかしげに顔を赤くし、残りの三人は一気にシラッとした顔をするだけだった。
「……いやいやいや、誰あれ」
「あんな雅さんほんと初めて見た。鳥肌やばぁ……」
「俺も」
だなんて、鳥肌が立つ自身の腕を見せ合いぼやいている拓真と慎一。
だがそれから、そろそろ行かないとヤバい。と腕時計を見ては慌てた拓真が、雅に声をかけた。
「雅さん、子泣きジジイみたいにいつまでも春ちゃんにしがみついてないで、そろそろ行きますよ~」
拓真の言葉に従うよう、徐に雅の肩をガシッと掴んだ慎一がベリッと春から雅を剥がす。
「おわっ、ちょ、お前、何すんだ」
「喚かないでください。それじゃあ春ちゃん、良介君に悠希君も、楽しんでね~」
「終わったら一緒に打ち上げしようね」
問答無用と言わんばかりに雅をズルズルと引きずり、連行しながら三人に手を振る二人。
そんなドタバタとした退場に、勿論雅達を目当てで来た客達が気付かない訳もなく。普段はステージの下に来たことがない雅達がこの場に居るのが珍しいのか、皆一様にして羨望と興奮が混じった顔で見つめている。
そんなざわめきのなか、しかし気にも止めずにスタスタと消えていく雅達の後ろ姿に、春と良介らは呆気に取られたまま、それからクスクスと笑っては楽しみだと瞳を輝かせたのだった。
──そうして、ちょっとした嬉しい出来事のあと。
春達はごった返す人の波を避けるよう、少し後ろからライブを楽しむ事にした。
雅達が連れ立ってから暫くし始まったライブはあまり馴染みのなかったものであり、最初こそ音の大きさに驚いていた春だったが、一組、二組と終わる頃には段々と空気にも慣れ、悠希と良介と共に楽しげに音楽に身を任すようになった。
そして、暗転した先。
次はどうやら拓真の出番だったらしく、手を振りながらスタスタとやって来た拓真の姿に、客からは物凄い歓声があがっていた。
「わっ、次拓真さんなんだ!」
「ほんとだ!」
ステージでマイク片手に手を振っている拓真を見て、良介達が嬉しげに声をあげている。
それに春もワクワクとした顔をしながら、拓真を見上げた。
「お前らーー!! 盛り上がってけーー!!」
マイク越しに高らかと叫ぶ拓真の声は、楽しげに満ち溢れていて。
そしてその言葉を皮切りに、軽快なリズムが鳴り響き、音楽に合わせてラップをしていく拓真の声がライブハウスに響いていく。
今まで見ていたラッパー達とは違い、ニコニコと笑顔を浮かべながらキャッチーなメロディに合わせて歌う拓真の愛らしいカリスマ性は珍しく、しかしこういった界隈に疎い春ですら、今までの人たちよりも格段にスキルがあり素晴らしいと分かる程だった。
そうして数曲歌った拓真のあと、まだ拓真がステージに残っているというのにやって来たのは慎一で、二人は拳を突き合わせては笑っていた。
「次はXYZだぞーー!! みんなもっとアゲてけーー!!」
慎一の登場に盛り上がるライブハウス内。その中でMCばりに声を張り上げた拓真がそう煽ったあと、颯爽とステージ横へと消えていく。
その二人のやり取りが格好良く、それに合わせ観客も叫び、ボルテージが高まったその瞬間。
カッと目映く照明が光り、慎一の深く低い声が会場を一気に包んでいった。
拓真とは正反対に、激しいサウンドと共に打撃のように紡がれていく言葉達。
だがそれらは決して、春にとっては少しだけ下品だと感じた先程の人達のような部分など一切なく、とても詩的で美しく、どこか哲学的ですらあった。
室内の熱気が渦を巻き、横を見れば良介はキラキラと顔を輝かせ汗を掻いており、その隣で悠希も目まぐるしい音に吃驚した様子ながらも、楽しんでいるのが伺える。
それがなんだか嬉しくて、春も一緒に身を揺らしては、満面の笑みを浮かべて慎一の音楽を楽しんだ。
***
慎一のパフォーマンスが終わり、もみくちゃになった観客があげる叫びが響くなか。
ふぅ。と一息ついた春は、アドレナリンが出て火照る体を冷ますようパタパタと手であおぎながら、隣の良介を見上げた。
「すごかったなーー!」
「ですね! ていうか拓真さんと慎一さん、別格じゃないっすか!?」
尚もキラキラとした顔で同意した良介が、しかし他の人のファンもいるだろう場所で大胆な事を言ってくる。
それに、いや俺もそう思ったけど! こんなとこで言うなよ!! と春が焦ったその瞬間。
「こら良くん、そんな事言っちゃ駄目だよ」
だなんて悠希が良介の腕を小さくぺしりと叩いたのが見えた。
「いたっ」
「えっ、うそ、ごめんね?」
「……悠希、騙されちゃ駄目だよ。こいつ絶対痛くなかったよ。ていうか大丈夫? 人多いし、熱気凄いし、体調悪くなったりしてない?」
良介を無視し、大丈夫? と春が心配げに悠希の方を見る。
それに悠希は困ったように笑いながらも、大丈夫だよ。と頷いた。
「こういう所初めて来たけど、楽しいね」
「ね」
「俺も楽しいですよ」
春に対抗するよう、ずずいっと悠希に体を押し付けた良介が呟く。
その姿に、悠希が苦しいだろ! と慌てて春が良介の腕を取ろうとした、瞬間。
次は大トリである雅が出てくると分かっている人々が押し寄せ、春が居る場所も先ほどとは比べ物にならないくらい、一気に人々が犇めきあった。
フロアは熱気が籠りむしむしと暑く、だがそれが雅の人気の高さを如実に現していて。
それに春が興奮と緊張でないまぜになりながらステージを見つめていれば、フッと照明が落ち、それから前方にいる人々の歓喜の声が響き渡った。
そんな暗闇のなか、目を凝らし春が必死に首を伸ばしながらステージを見つめた、その時──。
パッとステージ中央の明かりだけが灯り、その下でマイクを持ちながら足を開いたまま俯いて立つ雅の姿が、暗闇に浮かびあがった。
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