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「ヒトだ!!」
突如、沸きあがった歓声は、鎮まっていた風を大きく震えさせた。
夕暮れ時、山々の峰へ血汐色となった太陽がゆっくりと沈んでゆくなか、木陰で休んでいた蓮は、跳ね起きた。すぐに脇に置いてあった棍棒を握りしめると、血走った目で辺りを警戒する。林の中で、半ば埋もれるようにある風化した鳥居らしき馴れのはての向こうから迫ってくる襲撃者たちの形は、果たしていくつあるのか。蓮は息を荒げながら、その一つ一つを確かめた。腰から上は人間、下半身は四つ脚の馬である半人半馬。鳥の翼、鳥の脚をもつ半人半鳥。猿の脚をしている半人半猿……本に出てくる想像上の半人半獣たちの姿形をした生き物が、蓮を目指して、先を争うように駆けてくる。
「……くそっ」
蓮は棍棒を構えた。棍棒と言っても、自分の腕ぐらいの太さのものだ。堅い樫の木の幹を慣れない手つきで削って武器にしたのは、つい数日前である。だからこの棍棒は綺麗だ。まだ傷ついてもいないし、血がついてもいない。
そうやって、自分を追ってくる者たちと戦ってきた。棍棒の扱い方はおかげで板についてきた。両腕でしっかりと握って構えても、震えがくるのは治まりそうもないが。
「くそっ……」
蓮はもう一度吐き出した。今、あいつはいない。俺一人で戦わないと……
半人半馬が、蹄の音も高らかに、まっさきに近づいてきた。半身だけ見れば、どこの街中でも見かける普通の風貌をした若者である。それが、両腕を突き上げて、尖った指先を鋭く丸めると、俊敏に風を切った。
蓮はとっさに身を伏せて、半人半馬の脚を棍棒で強く殴りつけた。
「ぐわっ」
半人半馬はよろめいて前脚をついた。その隙に頭を狙って、棍棒を振り落とした。だが半人半馬は頭上でそれを掴むと、力いっぱいに棍棒もろとも蓮を投げ飛ばした。
蓮はかたい土の上に、勢いよく落ちる。
「うっ……」
背中を強く打ったが、すぐに起き上がろうとした。
だが目の前を遮るように、半人半馬が前脚を上げて、大きく立ち塞がった。その表情は、獲物を捕らえようとする愉悦に歪んでいる。
蓮は棍棒を掴みなおそうとした。しかし手の中からなくなっているのに気がつき、急いで辺りを探す。少し離れたところに転がっていた。蓮は足をもたつかせながら、それを拾いに行こうとする。そこに、半人半馬が襲いかかってきた。
蓮は振り返って、本能的に両腕を盾にして自分を守ろうとした。その耳に、野太い悲鳴が飛び込んできたのは次の瞬間だった。
「ぐえっ!!」
半人半馬の背に、蛇の長い尾が巻きついていた。それはとても太くてがっしりとした真っ白い鱗の尾で、馬の背から半人の胸に巻きつき、首まで絞めつけている。
蓮はその白い蛇の尾を目で辿ってゆく。その腰まわりから上は、若い男の上半身だった。
「……シキ」
蓮は旅の連れの名を、安堵の息と共に洩らす。
シキは、ちらっと蓮を見た。蓮が傷ついていないことを確かめると、背後から腕を振りあげた。手には、先端が鋭く削られた細い木の棒がある。
「……は、離せ……」
半人半馬は苦しそうにもがいた。だがシキはゆるめるどころか、さらに強く力を込めると、削られた槍の先を半人半馬の首に突き刺した。
半人半馬は悲鳴をあげて暴れる。シキはすばやく槍を引き抜くと、戒めを解いて離れた。草の上を滑るように移動し、蓮を庇うようにして立つ。
蓮は槍の先から流れる赤い血を見つめた。草の上にぽたぽたと落ちて、地面を黒く濁らせる。
「……」
それから目を逸らすように、目の前に立つ男を見上げた。力強い肩に逞しい背中、強靭に鍛えられたような裸体をさらけ出している姿は、まごうことなき人である。だが、その下半身は間違いようもなく蛇の姿だった。腰まわりからは、雪のような白い鱗が重なりあい、一つの胴体を形成している。それはまるで純白のレースをまっすぐに垂らしているかのようで、長い裾を引きずっているようでもあった。胴は直立し、尾は後ろで円を描いている。
そう遠くない昔、この世界で最初に目のしたのは、この異形だった。恐怖のあまり、身動きできなくなった記憶は、まだ頭の片隅に残っている。だが、もうこの半身が蛇の男を怖ろしいとは思わない。
旅の間、命を狙われる自分を助けてくれた。
そして、今も。
半人半馬が口から夥しい血を吐いた。苦痛に顔を歪め、のた打ち回りながら、脚を折り、地面に横倒しになった。
「――毒を塗っていた」
シキは肩越しに振り返り、槍の先を小さく振った。
「猛毒だ。助からない」
蓮は目を見開いたまま死んだ半人の男から、思わず顔を背けた。何度もこうして生き延びてきたが、どうしても鉛を呑み込んだような重くて苦しい気分になってしまう。
レン、とシキが呼びかけた。
「受け取れ」
まだ血が乾いていない木の槍を、蓮に手渡す。
「……いや、俺には……」
自分で作った武器があると言いかけたが、シキの強い眼差しに口を閉じた。
「あれでは戦えない」
目を背ける蓮を叱咤するように言う。
「相手を倒さなければ、お前が死ぬだけだ」
「……わかっているさ」
蓮は猛毒が塗られた木の槍をぎゅっと両手で握りしめた。自分の臆病な気持ちを見透かされたようで、少しだけ俯いた。
「貴様!!」
他の半人半獣たちが駆けつけ、二人を囲う。
シキは恐れもせず一瞥した。その前に進み出たのは、同じ半人半蛇だった。
「お前は、白き同胞だな。なにゆえに里へ下りているのだ? 山奥に隠れ住む臆病者どもが!」
隣にいる半人半猿が、手を叩いて嘲る。
「臆病者なら臆病者らしく、山の谷底にでも隠れておればよいだろうに。なにゆえに、我らの邪魔をする」
黒い鱗の半人半蛇は、挑発するように尾を巻いた。
「それとも、独り占めをするつもりか?」
「それはずるい!」
並んだ半人半鳥が、翼を広げて威嚇する。
「我らにもおくれ!」
「そうだ!」
「その者を! ヒトを!」
「我らにも喰わせておくれ!」
甘ったるい嬌声が、蓮の胸の奥にまで突き刺さった。この世界で追われ始めてから、何度その文句を聞いただろう。槍を持つ手が汗ばむ。
「さあ、よこせ。腕だけでいい」
「わたしには足を」
「あたいは、頭でいいよ」
半人半猿が、だらしなく舌なめずりをする。
「それだけで、あたいはきっとなれるよ」
「そう、わたしもよ」
半人半鳥は、黒い目を爛々と輝かせる。
「天と地と海を統べし者にね」
「偉大なる種族にさ」
うっとりとした声が、響いた。
「そうだ」
黒い半人半蛇は同意するように尾をくねらせると、他は目に入らぬとばかりに、蓮だけを見つめ、下唇を舐めた。
「我らは、全きヒトとなるのだ」
蓮の表情が強張った。自分を襲う連中は、必ずそう言った。くそっ。嘔吐したくなる気持ちを我慢して堪える。――俺は生きて帰る――必死で自分に言い聞かせる。――俺は生きて帰る――生きて帰る――生きて……
「レン」
その落ち着いた声で、我に返った。
シキが自分のそばに寄り添っていた。
「戦うぞ」
蓮はその言葉に引っ張られるように、首を曲げて仰ぎ見る。シキは普段どおりで、恐れも何もない。
もう一度、汗ばんだ手で木の槍を握りしめた。
蓮は無言で立ち上がる。
半人半獣たちが、喚声をあげて、夕暮れ時の空気を揺るがした。
蓮とシキは生き延びるために立ち向かっていった。
突如、沸きあがった歓声は、鎮まっていた風を大きく震えさせた。
夕暮れ時、山々の峰へ血汐色となった太陽がゆっくりと沈んでゆくなか、木陰で休んでいた蓮は、跳ね起きた。すぐに脇に置いてあった棍棒を握りしめると、血走った目で辺りを警戒する。林の中で、半ば埋もれるようにある風化した鳥居らしき馴れのはての向こうから迫ってくる襲撃者たちの形は、果たしていくつあるのか。蓮は息を荒げながら、その一つ一つを確かめた。腰から上は人間、下半身は四つ脚の馬である半人半馬。鳥の翼、鳥の脚をもつ半人半鳥。猿の脚をしている半人半猿……本に出てくる想像上の半人半獣たちの姿形をした生き物が、蓮を目指して、先を争うように駆けてくる。
「……くそっ」
蓮は棍棒を構えた。棍棒と言っても、自分の腕ぐらいの太さのものだ。堅い樫の木の幹を慣れない手つきで削って武器にしたのは、つい数日前である。だからこの棍棒は綺麗だ。まだ傷ついてもいないし、血がついてもいない。
そうやって、自分を追ってくる者たちと戦ってきた。棍棒の扱い方はおかげで板についてきた。両腕でしっかりと握って構えても、震えがくるのは治まりそうもないが。
「くそっ……」
蓮はもう一度吐き出した。今、あいつはいない。俺一人で戦わないと……
半人半馬が、蹄の音も高らかに、まっさきに近づいてきた。半身だけ見れば、どこの街中でも見かける普通の風貌をした若者である。それが、両腕を突き上げて、尖った指先を鋭く丸めると、俊敏に風を切った。
蓮はとっさに身を伏せて、半人半馬の脚を棍棒で強く殴りつけた。
「ぐわっ」
半人半馬はよろめいて前脚をついた。その隙に頭を狙って、棍棒を振り落とした。だが半人半馬は頭上でそれを掴むと、力いっぱいに棍棒もろとも蓮を投げ飛ばした。
蓮はかたい土の上に、勢いよく落ちる。
「うっ……」
背中を強く打ったが、すぐに起き上がろうとした。
だが目の前を遮るように、半人半馬が前脚を上げて、大きく立ち塞がった。その表情は、獲物を捕らえようとする愉悦に歪んでいる。
蓮は棍棒を掴みなおそうとした。しかし手の中からなくなっているのに気がつき、急いで辺りを探す。少し離れたところに転がっていた。蓮は足をもたつかせながら、それを拾いに行こうとする。そこに、半人半馬が襲いかかってきた。
蓮は振り返って、本能的に両腕を盾にして自分を守ろうとした。その耳に、野太い悲鳴が飛び込んできたのは次の瞬間だった。
「ぐえっ!!」
半人半馬の背に、蛇の長い尾が巻きついていた。それはとても太くてがっしりとした真っ白い鱗の尾で、馬の背から半人の胸に巻きつき、首まで絞めつけている。
蓮はその白い蛇の尾を目で辿ってゆく。その腰まわりから上は、若い男の上半身だった。
「……シキ」
蓮は旅の連れの名を、安堵の息と共に洩らす。
シキは、ちらっと蓮を見た。蓮が傷ついていないことを確かめると、背後から腕を振りあげた。手には、先端が鋭く削られた細い木の棒がある。
「……は、離せ……」
半人半馬は苦しそうにもがいた。だがシキはゆるめるどころか、さらに強く力を込めると、削られた槍の先を半人半馬の首に突き刺した。
半人半馬は悲鳴をあげて暴れる。シキはすばやく槍を引き抜くと、戒めを解いて離れた。草の上を滑るように移動し、蓮を庇うようにして立つ。
蓮は槍の先から流れる赤い血を見つめた。草の上にぽたぽたと落ちて、地面を黒く濁らせる。
「……」
それから目を逸らすように、目の前に立つ男を見上げた。力強い肩に逞しい背中、強靭に鍛えられたような裸体をさらけ出している姿は、まごうことなき人である。だが、その下半身は間違いようもなく蛇の姿だった。腰まわりからは、雪のような白い鱗が重なりあい、一つの胴体を形成している。それはまるで純白のレースをまっすぐに垂らしているかのようで、長い裾を引きずっているようでもあった。胴は直立し、尾は後ろで円を描いている。
そう遠くない昔、この世界で最初に目のしたのは、この異形だった。恐怖のあまり、身動きできなくなった記憶は、まだ頭の片隅に残っている。だが、もうこの半身が蛇の男を怖ろしいとは思わない。
旅の間、命を狙われる自分を助けてくれた。
そして、今も。
半人半馬が口から夥しい血を吐いた。苦痛に顔を歪め、のた打ち回りながら、脚を折り、地面に横倒しになった。
「――毒を塗っていた」
シキは肩越しに振り返り、槍の先を小さく振った。
「猛毒だ。助からない」
蓮は目を見開いたまま死んだ半人の男から、思わず顔を背けた。何度もこうして生き延びてきたが、どうしても鉛を呑み込んだような重くて苦しい気分になってしまう。
レン、とシキが呼びかけた。
「受け取れ」
まだ血が乾いていない木の槍を、蓮に手渡す。
「……いや、俺には……」
自分で作った武器があると言いかけたが、シキの強い眼差しに口を閉じた。
「あれでは戦えない」
目を背ける蓮を叱咤するように言う。
「相手を倒さなければ、お前が死ぬだけだ」
「……わかっているさ」
蓮は猛毒が塗られた木の槍をぎゅっと両手で握りしめた。自分の臆病な気持ちを見透かされたようで、少しだけ俯いた。
「貴様!!」
他の半人半獣たちが駆けつけ、二人を囲う。
シキは恐れもせず一瞥した。その前に進み出たのは、同じ半人半蛇だった。
「お前は、白き同胞だな。なにゆえに里へ下りているのだ? 山奥に隠れ住む臆病者どもが!」
隣にいる半人半猿が、手を叩いて嘲る。
「臆病者なら臆病者らしく、山の谷底にでも隠れておればよいだろうに。なにゆえに、我らの邪魔をする」
黒い鱗の半人半蛇は、挑発するように尾を巻いた。
「それとも、独り占めをするつもりか?」
「それはずるい!」
並んだ半人半鳥が、翼を広げて威嚇する。
「我らにもおくれ!」
「そうだ!」
「その者を! ヒトを!」
「我らにも喰わせておくれ!」
甘ったるい嬌声が、蓮の胸の奥にまで突き刺さった。この世界で追われ始めてから、何度その文句を聞いただろう。槍を持つ手が汗ばむ。
「さあ、よこせ。腕だけでいい」
「わたしには足を」
「あたいは、頭でいいよ」
半人半猿が、だらしなく舌なめずりをする。
「それだけで、あたいはきっとなれるよ」
「そう、わたしもよ」
半人半鳥は、黒い目を爛々と輝かせる。
「天と地と海を統べし者にね」
「偉大なる種族にさ」
うっとりとした声が、響いた。
「そうだ」
黒い半人半蛇は同意するように尾をくねらせると、他は目に入らぬとばかりに、蓮だけを見つめ、下唇を舐めた。
「我らは、全きヒトとなるのだ」
蓮の表情が強張った。自分を襲う連中は、必ずそう言った。くそっ。嘔吐したくなる気持ちを我慢して堪える。――俺は生きて帰る――必死で自分に言い聞かせる。――俺は生きて帰る――生きて帰る――生きて……
「レン」
その落ち着いた声で、我に返った。
シキが自分のそばに寄り添っていた。
「戦うぞ」
蓮はその言葉に引っ張られるように、首を曲げて仰ぎ見る。シキは普段どおりで、恐れも何もない。
もう一度、汗ばんだ手で木の槍を握りしめた。
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半人半獣たちが、喚声をあげて、夕暮れ時の空気を揺るがした。
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