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シキは白い手を伸ばして、蓮の頭に触れた。少し前のまぐわいの余韻が、指先に熱くともる。
今思うと、自分でも不思議だった。なぜ里を出なければならなかったのか。白き蛇の一族は滅多に山奥から出ない。なのに、なぜ。
――あの禍つ月を掴まえたかったからだ……
この手で。
シキは己の手を裏返した。月を追っていた自分が掴まえたのは、この手で抱いて尾を与える者だった。
半身半獣たちには、まぐあう相手に雄も雌もない。自分たちの本能に従って、交尾を繰り返す。
シキは思い出したように小さく笑んだ。初めて蓮と身を交わった夜、明らかに蓮は戸惑っていた。けれど、口づけを重ね、尾を深く入れるにつれて、自分も我を忘れるほどに没頭した。色めくような蓮の喘ぎ声が、自分をあんなにも興奮させるとは思わなかった。
――だが、それもあと少しの夜だ。
シキは自分の気持ちを仕舞いこむように、再び静かに身を伏せた。傍らから聞こえる柔らかな寝息に、じっと耳を澄ます。
そういえばと、先程の小さな白蛇を思い出した。白蛇はシキの意識があることを承知で、意思を投げてきた。
(オ前モ、早ク、脱皮セヨ)
――脱皮か……
蓮がくるりと寝返りを打った。その寝顔は良い夢でも見ているかのように健やかだ。
シキの見守る眼差しが温かくなった。それをまるで忘れまいとするかのように、しばらく見つめていた。
二人の旅には、目的があった。
里の長老が語った助言に従い、ある地へ向かっていた。
そこは蓮にとって忘れられない場所であった。
「――ここだ」
森林をぬけ、開けた平野に出たシキは立ち止まった。その長い尾の影からふらりと抜け出た蓮は、草の生茂るなだらかな平野を確かめるように、何度も見渡した。
「……そうだ、ここだ」
頷きながら、シキのそばをすり抜け、前へ進みである。
「ここだ……俺が目覚めた場所は……」
ふうっと風を吸い込む、涼しげな自然の匂いが体に入ってくる。それは最初の時と全く変わらない平和に満ちたものだ。
蓮は体に巣食った疲れを追い払うように、吸い込んでは吐き出した。そうすると、不思議に生き返った気持ちになった。
「懐かしいな」
シキを振り返る。
「ここで、お前と会ったんだ 覚えているか?」
「勿論だ。お前が私を見て、蛙のように飛びあがってひっくり返って、ついでに転んだ姿は忘れられない想い出だ」
シキはくっくと笑う。
「ひでえ言い方だな」
そう文句を言いながらも、どこか一安心したように体の力が抜けた。
――ようやく辿り着いた。
半身半獣たちに命を狙われながらの旅。その終着点は、自分がこの世界で目覚めた平野だった。
「レン」
シキが厳しい声をあげる。反射的に周囲を警戒した蓮だが、シキはそうではないとかぶりを振った。
「きちんと確かめるんだ。果たして、本当にこの地で正しいのかどうか――」
「大丈夫だ」
蓮は自分を落ち着かせるようにズボンのポケットに両手を入れると、強く頷く。そして、この平野が眼前に広がってから、ずっと視界の片隅にちらついている物体へ、ゆっくりと近づいていった。
それは、この雑草や野花が風に揺れる平野において、不思議に違和感なく建っていた。まるでそれも自然の一つであるかのように、南の空に高くあがっている日の光を浴びていた。
蓮は手前で立ち止まると、眩しそうに目を細めてしばらく見上げる。
そこにあったのは、石造りの大きな鳥居だった。
いつ頃建てられた鳥居なのか。石にはひどくひび割れが入り、長い年月を感じさせた。しかし石そのものは堅固で、崩れ落ちそうな雰囲気は微塵もなく、むしろ堂々とこの平野に鎮座していた。
蓮はまだ見つめていた。視線が縫いつけられたように離れなかった。
「……俺、これを知っているんだ」
傍らに寄ってきたシキへ、独り言のように呟く。
「俺の……近所の神社にあった鳥居だ……忘れるわけがない……ガキの頃はここで遊んでいたんだ……」
喜んでいるのか啼いているのか、よくわからない声だった。
「信じられない……ここは俺が住んでいた場所なんだ……こんな草っぱらに……」
「……レン」
「信じられねえ……」
蓮は間違いではないと自分に納得させるように、腕で目元を乱暴にぬぐった。
「俺、今なら思い出せる」
「何をだ?」
「あの夜、俺がどうしてあの月を見たのかさ」
馴染み深い鳥居を見上げながら、まるで封印が解けたように克明に記憶が甦ってきた。
「俺は仕事帰りで、家へ帰ろうとしていた。その帰り道に神社があって……いつもだったら、見向きもしないで通り過ぎるのに、俺は鳥居の前で何故か足を止めたんだ。鳥居の向こうに、何かが見えたんだ。でも俺は野良猫だろうと思って、帰ろうと振り返ったんだ。そうしたら……」
真っ赤な月が、自分の目の上で光り輝いていた。
「この鳥居で足を止めていなければ……俺は……」
あとの言葉は一陣の風に消される。
――どうして、俺はここにいるんだ?……
自分を見下ろしている鳥居を目の当たりにして、堪えていたものが一気に溢れ出た。どうしてこんなところにいるんだ? 何がどうなっているんだ? どうしてこんな目にあわなければならないんだ……
蓮は自分がいつのまにか荒い息をついていたのに気がついた。それを静めようとするかのように肩に置かれた手を見る。
「もう苦しむことはない」
シキは自分へ振り向かせるように、もう片方の手も置いた。
「これが探していた【門】であれば、お前は元の世界へ帰れる」
蓮はぐっと息を呑み込んだ。
「長老は、お前が【門】をくぐって、この世界へ迷い込んだと仰っていた。その【門】を再び通れば、元の世界へ帰れる」
シキは繰り返し言った。
「お前のために、見つかって良かった」
蓮は両肩に置かれた手が和らいでゆくのを感じた。
「……そうだな」
不意に言葉が詰まり、蓮は何と言ったらよいのかわからなくなった。
「たぶん……ここだ。赤い月の印象が強烈で、この鳥居をくぐったかは思い出せないけれど……間違いない」
蓮が断言すると、ずっと蓮を守り続けた半身半蛇は口元をほころばせた。
「良かった」
静かに喜ぶ。
「これでお前を無事に帰すことができる」
「……」
蓮は何故か妙に冷静になっていった。
「……あ……ありがとうな、シキ」
熱くなっていた感情に冷水を浴びせられたような感じだった。自分でもよくわからないが、何かを言わなければと口から出る。
「ここまで来れたのも、お前のおかげだ……ほんとにありがとな」
「いや、レンの強い意志があったからだ」
シキは両手を優しく放すと、そのまま利き手を伸ばして鳥居を指した。
「さあ、行くんだ。お前を襲う輩たちが来ないうちに」
蓮はその腕を追うように、ゆっくりと鳥居を振り返った。
「……そうだな」
今思うと、自分でも不思議だった。なぜ里を出なければならなかったのか。白き蛇の一族は滅多に山奥から出ない。なのに、なぜ。
――あの禍つ月を掴まえたかったからだ……
この手で。
シキは己の手を裏返した。月を追っていた自分が掴まえたのは、この手で抱いて尾を与える者だった。
半身半獣たちには、まぐあう相手に雄も雌もない。自分たちの本能に従って、交尾を繰り返す。
シキは思い出したように小さく笑んだ。初めて蓮と身を交わった夜、明らかに蓮は戸惑っていた。けれど、口づけを重ね、尾を深く入れるにつれて、自分も我を忘れるほどに没頭した。色めくような蓮の喘ぎ声が、自分をあんなにも興奮させるとは思わなかった。
――だが、それもあと少しの夜だ。
シキは自分の気持ちを仕舞いこむように、再び静かに身を伏せた。傍らから聞こえる柔らかな寝息に、じっと耳を澄ます。
そういえばと、先程の小さな白蛇を思い出した。白蛇はシキの意識があることを承知で、意思を投げてきた。
(オ前モ、早ク、脱皮セヨ)
――脱皮か……
蓮がくるりと寝返りを打った。その寝顔は良い夢でも見ているかのように健やかだ。
シキの見守る眼差しが温かくなった。それをまるで忘れまいとするかのように、しばらく見つめていた。
二人の旅には、目的があった。
里の長老が語った助言に従い、ある地へ向かっていた。
そこは蓮にとって忘れられない場所であった。
「――ここだ」
森林をぬけ、開けた平野に出たシキは立ち止まった。その長い尾の影からふらりと抜け出た蓮は、草の生茂るなだらかな平野を確かめるように、何度も見渡した。
「……そうだ、ここだ」
頷きながら、シキのそばをすり抜け、前へ進みである。
「ここだ……俺が目覚めた場所は……」
ふうっと風を吸い込む、涼しげな自然の匂いが体に入ってくる。それは最初の時と全く変わらない平和に満ちたものだ。
蓮は体に巣食った疲れを追い払うように、吸い込んでは吐き出した。そうすると、不思議に生き返った気持ちになった。
「懐かしいな」
シキを振り返る。
「ここで、お前と会ったんだ 覚えているか?」
「勿論だ。お前が私を見て、蛙のように飛びあがってひっくり返って、ついでに転んだ姿は忘れられない想い出だ」
シキはくっくと笑う。
「ひでえ言い方だな」
そう文句を言いながらも、どこか一安心したように体の力が抜けた。
――ようやく辿り着いた。
半身半獣たちに命を狙われながらの旅。その終着点は、自分がこの世界で目覚めた平野だった。
「レン」
シキが厳しい声をあげる。反射的に周囲を警戒した蓮だが、シキはそうではないとかぶりを振った。
「きちんと確かめるんだ。果たして、本当にこの地で正しいのかどうか――」
「大丈夫だ」
蓮は自分を落ち着かせるようにズボンのポケットに両手を入れると、強く頷く。そして、この平野が眼前に広がってから、ずっと視界の片隅にちらついている物体へ、ゆっくりと近づいていった。
それは、この雑草や野花が風に揺れる平野において、不思議に違和感なく建っていた。まるでそれも自然の一つであるかのように、南の空に高くあがっている日の光を浴びていた。
蓮は手前で立ち止まると、眩しそうに目を細めてしばらく見上げる。
そこにあったのは、石造りの大きな鳥居だった。
いつ頃建てられた鳥居なのか。石にはひどくひび割れが入り、長い年月を感じさせた。しかし石そのものは堅固で、崩れ落ちそうな雰囲気は微塵もなく、むしろ堂々とこの平野に鎮座していた。
蓮はまだ見つめていた。視線が縫いつけられたように離れなかった。
「……俺、これを知っているんだ」
傍らに寄ってきたシキへ、独り言のように呟く。
「俺の……近所の神社にあった鳥居だ……忘れるわけがない……ガキの頃はここで遊んでいたんだ……」
喜んでいるのか啼いているのか、よくわからない声だった。
「信じられない……ここは俺が住んでいた場所なんだ……こんな草っぱらに……」
「……レン」
「信じられねえ……」
蓮は間違いではないと自分に納得させるように、腕で目元を乱暴にぬぐった。
「俺、今なら思い出せる」
「何をだ?」
「あの夜、俺がどうしてあの月を見たのかさ」
馴染み深い鳥居を見上げながら、まるで封印が解けたように克明に記憶が甦ってきた。
「俺は仕事帰りで、家へ帰ろうとしていた。その帰り道に神社があって……いつもだったら、見向きもしないで通り過ぎるのに、俺は鳥居の前で何故か足を止めたんだ。鳥居の向こうに、何かが見えたんだ。でも俺は野良猫だろうと思って、帰ろうと振り返ったんだ。そうしたら……」
真っ赤な月が、自分の目の上で光り輝いていた。
「この鳥居で足を止めていなければ……俺は……」
あとの言葉は一陣の風に消される。
――どうして、俺はここにいるんだ?……
自分を見下ろしている鳥居を目の当たりにして、堪えていたものが一気に溢れ出た。どうしてこんなところにいるんだ? 何がどうなっているんだ? どうしてこんな目にあわなければならないんだ……
蓮は自分がいつのまにか荒い息をついていたのに気がついた。それを静めようとするかのように肩に置かれた手を見る。
「もう苦しむことはない」
シキは自分へ振り向かせるように、もう片方の手も置いた。
「これが探していた【門】であれば、お前は元の世界へ帰れる」
蓮はぐっと息を呑み込んだ。
「長老は、お前が【門】をくぐって、この世界へ迷い込んだと仰っていた。その【門】を再び通れば、元の世界へ帰れる」
シキは繰り返し言った。
「お前のために、見つかって良かった」
蓮は両肩に置かれた手が和らいでゆくのを感じた。
「……そうだな」
不意に言葉が詰まり、蓮は何と言ったらよいのかわからなくなった。
「たぶん……ここだ。赤い月の印象が強烈で、この鳥居をくぐったかは思い出せないけれど……間違いない」
蓮が断言すると、ずっと蓮を守り続けた半身半蛇は口元をほころばせた。
「良かった」
静かに喜ぶ。
「これでお前を無事に帰すことができる」
「……」
蓮は何故か妙に冷静になっていった。
「……あ……ありがとうな、シキ」
熱くなっていた感情に冷水を浴びせられたような感じだった。自分でもよくわからないが、何かを言わなければと口から出る。
「ここまで来れたのも、お前のおかげだ……ほんとにありがとな」
「いや、レンの強い意志があったからだ」
シキは両手を優しく放すと、そのまま利き手を伸ばして鳥居を指した。
「さあ、行くんだ。お前を襲う輩たちが来ないうちに」
蓮はその腕を追うように、ゆっくりと鳥居を振り返った。
「……そうだな」
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