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追ってきた強敵

♨逃走

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 変な子がいる、とソラは思った。
 クラスを出て、廊下をしばらく歩いたときだった。
 その子は、廊下を行ったりきたりして、こそこそ蠢いていた。
高等部の制服を着ているけれど、とても高校生には見えない小さい子だ。まるで独楽ねずみみたいに、周囲にキョロキョロ注意を払いながら、何かを探しているみたいだ。入学式のときのソラみたいだ、とソラ自身思った。
(何か、探してるのかな?)
 ちょっとした親切心が働いた。その子が、ちまちまとしていて、放っておけない感じのする容姿の所為もあったと思う。
 ソラはその子の傍に寄っていくと、声をかける。
「きみ、何か探しもの?」
「お探し物です」
 その子は弾かれるようにしてソラを見あげると、瞬きもせず、円らで真っ黒い目でソラの顔を凝視する。
(……視線が痛い)

「あ、あの」
「軽挙妄動で、お迷いになっております。大学の棟はどちらでしょう」
 丁重な様子で、その子は言った。言葉づかいはちょっとヘンテコだけれど、随分しっかりした子供だなあとソラは思った。
「誰かに会いに来たの?」
「お会いに来たのではありません。このあと授業がおありになるので、お急ぎです」
「え、え?きみが授業受けるの?」
「はい。お受けになります。芸術学講読です。とても面白いです」
「芸術学講読……?」
 紫藤もそんな感じの講義名を言っていたような気がする。
「大学の授業を聴講するなんて、きみって頭いいんだね」
「聴講……?」
「急ぐんだよね。おれも大学の教室はわからないけど、大学の本館までは案内できるから。一緒に行こう?」
「ありがたき幸せ」
 その子は、深々と頭をさげる。
「大袈裟だよ」
 ソラは笑って、その子を案内した。



 大学の本館は、打ちっぱなしのコンクリートの三階建てで、一見すると美術館みたいなちょっとお洒落な建物だ。何年かに一度は、総点検と改築が行われていて、常に綺麗なままなのだと、秋本に聞いた。大学自体は、付属の高校や中学よりも歴史は古く、芸術系統の講義は各方面から信用を得ているので、改築の費用云々は黙っていてもそこここから、援助が来るらしい。

 高等部の昇降口から出ると、実技棟の前を通って、東門から大学の敷地に入った。
ソラは、大学の敷地内に入るのは初めてだった。ルービックキューブみたいに色とりどりのタイルで敷きつめられた床に、積み木みたいな原色の建物がいくつも並んでいる。高等部の白を貴重にしたシンプルなホルムからすると、全く趣を異にしている。
 まさに、おもちゃ箱をひっくり返した感じだ。
「ここだね」
「お探し物は見つかりになりました。驚懼感激です。恐れ入りました」
「ううん。良かったね。教室までは行ける?」
 その子は、こくんと頷く。可愛い。多分、同い年くらいなんだろうけれど、弟が居たならこんな感じかな、と思った。
「空谷跫音。もう一つのお探し物も見つかりになりました」
「もう一つの探し物ってなに?」
「ソラです」
その子は、びっとソラの鼻っ柱に指を向ける。ソラは思わず指先を見て、寄り目になる。
「へ?」
「弟が、ソラを探しておいでなすって、と、ぼくに言ったのです」
「お、弟って……?」
 ごくり。
「弟は、鱒宮夏彦とおっしゃります」
 さあっと全血管から血の気が引くのが判った。鱒宮夏彦とは、中学時代ソラを追いかけ回していた強敵の名前だ。
「ぼくは、鱒宮智春とおっしゃります」
「お、お、お……弟さんは、この学校にいるの?」
 その子、もとい、鱒宮は首を横にふる。

「夏彦は、アホウでいらっしゃって、受験して落っこちたのです。今は、浪人中です。すごくすごくこの学校に来たいらしいのです」
「そっか……良かった」
「良かったです。ぼくもこれで夏彦に良いお知らせができなさります。ソラを発見しました」
 鱒宮はにんまり笑う。
「い、いや。報告なんかしなくていいから。じゃなくて、しないで下さい。お願いします!」
「お願いされます。夏彦。お願いされました」
「ハ――」
 鱒宮はソラを超えてうしろの何かを見ている。
 
 何かを―――。
 ソラは、振り返る気はなかった。
 逃げるしかないと思ったからだ。
「ちょお待て。お前には言いたいことが谷ほどあんだよ。逃げてんじゃねェっ」
 剣呑な声色。
 続いてやって来たのは、固めの靴底で、地面を蹴る音だ。やつが走ってくる。
 条件反射的に、ソラは走りだしていた。
「プニオ、てめェ!逃げんじゃねえっ、肉を揉ませろ!」
 ちゃりちゃりとポケットの中の小銭が飛びはねる。怒号と靴音が背後からやって来る。
 信じられない。怖い。
(やっぱり、やっぱり、やっぱり――夏彦が居たなんて!)
 がむしゃらにソラは走りまくった。米神がドクドクいって痛くなっても、喉の奥がくっついて気持ち悪くても関係ない。
 夏彦にいじめられるよりは何倍も楽だ。
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