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欲望のりんかく

♨ウェヌスをさがして

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「それで、おじいさんに言われたテーマってなんなの?」
「うん?聞きたいのか?」
「うん、まあね」
「そうか、じゃあ教えてやるよ。じいさんの言ったテーマはな――《秘められた美》だ」
「《秘められた美》?何を描くか決めてるの?」
「ああ、決めてるよ。でも、何を描くかは決まってても、どう描くかはまだ決まってないんだ」
 紫藤は身体を起こす。
 ソラは、ベッドの上からおりようとするけれど、紫藤が腕を引っぱって、ダメと示してみせる。
「実はさ、もう何枚もキャンバスに起こしたりもしたんだ。ほら、前に見ただろ、あの虎の絵。あれも、一応テーマに添って描いたつもりだったけど……ダメだったな」
「何でだよ?あの絵、綺麗だったよ……?綺麗なだけじゃなくて、なんかちょっと邪悪で……。とにかく、凄い絵だっておれは思った」
「ありがとう」
 紫藤は素直に言って、柔らかく笑う。

「……う、うん」
「でも、あのモチーフより、他のどのモチーフより、そのテーマにあったものを見つけてちゃったからな。俺は、それ以外描けないし、描こうとも思えなくなったんだよ」
 紫藤の透明な瞳がソラを捉える。ソラはなんだか不思議に思って、紫藤を見つめかえす。
「それって、何?」
「入学式の日、道端ですれ違った美少年」
「え……と、それは……」
「誰、とかボケるのは無しな」
「え、それは、まあ……わかるけど、でも――」
 モチーフとして、自分がふさわしいとは、ソラには思えない。平々凡々で、特にとりえもない自分に白羽の矢が立ったのか、ソラにはわからない。
「おれのどこが……?」
「それはさ、ソラ――」
 紫藤の手のひらが、ソラの心臓の辺りに触れる。
 そのまま下へと紫藤は手を動かす。ソラの心臓は、大きく波立つ。制服の上からだけど、紫藤にその鼓動が判ってしまったらどうしよう、とソラは思った。
「この中に、俺のウェヌスが眠っているから……」
 恍惚としたような亡羊としたような形容し難い表情で、紫藤は言う。 
 前に、シオウに紹介した時も紫藤はソラのことをウェヌスと言った。
「ウェヌスって……?」
「ラテン語でウェヌス、英語で――ヴィーナス。俺は、小さいとき、母さんの描いた絵を見たときからずっと、捜し求めてきたんだ。美と愛を司る、この神をな」
 遠い目だった。紫藤は、何かに憧憬を抱いているものを見つめているような艶のある目をしていた。
「ずっと……」
 ソラは反芻する。

「そう、ずっと……。音楽を中心にやっていたときも、傍らで絵は描いていた。譜面を読んで、それに解釈を加えるときも、解釈のイメージを絵にしたりしてさ……。絵が描きかくて描きたくて仕方なかったんだ。でも、迷っていた。それは、オヤジやじいさんからの逃げ、音楽からの逃げなんじゃないかってな。同時に、じいさんに反目しつつ、それでも今尚その影響下にいるオヤジみたいには、絶対なりたくないとも思ってたわけだ――」
「先輩……」
「でも今はまぁ……そんなのどうでもいい。俺は、あの日ソラを道端で見かけて、ハッとしたんだ。ああ、これで――俺の理想が花開くって」
「大袈裟だよ」
「そうだな。でも、本当にそう思ったんだ。一目惚れだったんだよ。だから、キスした」
 さわさわさわと衣擦れをさせて、紫藤はソラの胸から腹、腹から腰にかけてを撫ぜる。
「え、と……先輩。その手は……何?」
「さっき、お前は俺の申し出を受けたよな。モデルしてくれってやつ」
「う、うん」
 紫藤があまりにも活き活きとした目をするので、ソラはちょっと警戒状態になってしまう。
「俺はこの手で、モデルをとことん触り倒さないと、絵を描けないんだ。特に、力を入れる絵はな。――ってことで、ソラ、俺の手にサービスしてくれよ」
 紫藤は右手の指先をクネクネと動かす。
「……やだ」
「嘘つき。エッチのときは、アンアン言って俺にしがみついてきたくせに」
「そんなこと、言ってないし、してない!」
「ま、そういうことにしておいてやるよ」
「……」
「それはそうと、栄養を取らないといけないって、先生も言ってたしな。今日は、れみの所に世話になるしかないかぁ。まあそういうことだから、ソラ、今晩もよろしくな」
「……うん、あれ?なんか――」
 頭の中で、何かが引っかかっている。奥歯にものが詰まったみたいに、気持ちの悪い感じだ。

「それじゃあ、そろそろお互いにクラスに帰らないとな」
 紫藤はベッドからするりと下りると、熱ざましを片手に取る。
「ねえ、先輩、なんだか今の会話で違和感が――」
「気のせいだよ、気のせい。俺がぶっ倒れたのを心配しすぎて、ちょっと疲れてるだけだって。ほら、さっさと行こう」
「う、うん……」
 ソラは言われるまま、紫藤の後に続いてベッドを下りる。
(まあ、大したことじゃないと思うけど……)
「れみの料理かぁ、楽しみだなぁ……」
 紫藤は異様にご機嫌にそう言って、早々と保健室を出て行った。
 ソラはその後ろ姿を見送って、まあ、元気になったなら、いいことだよね、と思っていた。


 結局、紫藤はれみの家にやってきて、れみが腕を振るった料理に舌鼓を打ち、泊まっていった。
三人で揃うのは久しぶりだと言って、れみはとても喜んでいた。ソラは、素直に楽しいと思いながらも、れみが、紫藤のことを好きだと言ったのを聞いた手前、変な罪悪感みたいなものをモヤモヤと胸に抱えていた。
 紫藤と、れみの間のこと。
 それがソラには想像がつかない大人の事情だとしても、れみが紫藤を好きと言ったのは、本当のことだ。
(れみが先輩のことが好きで、おれも……先輩が好き、それってライバルってこと?)
 紫藤はソラのことを好きと言ってくれた。それは素直に嬉しいことだけど、れみの気持ちを思うと、ソラは複雑だった。

 れみと対立するのは嫌だ。れみが悲しいのも嫌だ。でも、紫藤への感情に気づいてしまったからには、それを無視なんか出来そうもない。
 紫藤とれみ、どっちも比べられないくらい、ソラの中では重要な二人なんだ。
 大切なものが増えると、それを守るのは、とっても大仕事なんだと、ソラは思った。
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