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おかあさん、ごめんなさい

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「おかあさん、ごめんなさい」
 私と千景の口癖だ。そう言ったところで、何かが良くなるわけじゃない。でも、言わなければ言わないで、もっと悪いことになるのも分かっていた。
 痛みはまだいい。我慢できるから。

 それに、無視されるよりは痛みを与えてくれた方が良かった。
 その瞬間だけは、私の存在が彼女の目の中に映っているのだと思えば、痛みなんて大したことじゃない。
 例えば太腿に内出血の痕が出来ても、お腹に火傷の痕が出来てもいい。それこそが触れてもらった証のように、私は思っていた。

 我慢できないのは、痛みを与えたあとで、「ごめんね」と泣かれることと、その口から誰かを責める物語が始まることだ。
 私たちの世界には、傷つけた人も傷ついた人もいない。千景はどうだったか分からないけれど、私は、少なくともそう思っていた。

 でも、もう一人、普段はいない「その人」が帰って来ると、役割が変わっていく。私たちは傍観者になって、「ごめんなさい」と言う彼女を眺めている。
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