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4巻
4-3
しおりを挟む「ただ、幾つか欠点もありましてね? まず、先ほどの光の上にかなり長い間居てもらわないと、瞬間移動の対象になりません。そして、移動先にも同じ仕掛け、つまり同じ広さが確保できないといけません。さらにその場所はダンジョン内でなくてはならず、密室であってはならない」
「つまり、相手を一瞬にして閉じ込めるようなことはできない、ということですかな?」
「大当たり。そのとおりです」
「なるほど。とはいえこれは。移動手段としては破格ですな」
セブエルの言うとおりだ。多少時間がかかるとはいえ、ダンジョンの端から端まで歩くことを考えれば、どうということもない。
何よりイツカのダンジョンの範囲は広大であり、牧場はもちろん、街の一部にまで及んでいる。
「ただ、その分、消費魔力も破格でしてね? 普通の罠を発動させる場合の十倍近く必要なんですよ。で、それを一回発動させる魔力は、ゴーレムを一体作るのと同じなんです。つまり、一人移動させるのに十体分の魔力が必要なわけです」
「ということは、今我々四人が移動したことで、ゴーレム四十体分の魔力を?」
「そういうことですね」
イツカは苦笑いをしながら、頭を掻いた。
確かにセブエルが受け取った資料には、そう書かれていた。
「なるほど。それは確かに破格ですな」
「なんですよねぇー。一人ずつに魔力が必要っていうのがネックなんですよねぇー。一回でまとめて運べれば、便利なんですけど」
苦笑いをしていたイツカだったが、咳払いをして姿勢を正す。
そして扉の前に立ち、再びパチリと指を鳴らした。
「さて、では、ムツキちゃんを閉じ込めているブロックへご案内しましょう」
開いていく扉の前に立つイツカに促され、セブエル達はその扉を潜った。
3 捕まっている女
無骨な鉄格子に、セメントを塗り固めたような壁。
白くて清潔感はあるものの、いかにも堅牢な牢獄だ。
牢中にある家具は、床に固定されたベッドとイスが一脚。ほかにあるのはベッドのマットレスに、枕と毛布が一枚。
それ以外に目につくものは、牢に閉じ込められている、一人の女だけだった。
項垂れてイスに座っていたその人物、ムツキは、ゆっくりと顔を上げ、鉄格子の向こう側に居るイツカ達に目を向ける。怪訝そうに眉を僅かに顰めるが、それも一瞬のことだ。
すぐに皮肉気な笑いを浮かべると、ぐっと背中を丸め、顔を前に突き出す。
「兵隊さんがわざわざこんな所に何の用? 私に会いに来てくれたの?」
口の端を吊り上げて笑う姿は、どこか挑発的だ。
セブエルを見る目は据わっており、焦点が合っていない。
両手、両足には、手枷と足枷が幾重にも嵌められている。
さらには鉄球の付いた鎖で足を縛られており、身動きをとることすら難しそうだ。
にもかかわらず、妙に迫力を感じるのは、彼女が持つ能力のせいだろう。
この世界の人間は、ほとんどが一つ、多くても二つ程度の魔法しか使えない。
ところが、ムツキの能力「一般魔法究極適性」は、複数の魔法を同時に操れるというものだ。一人で数人分の、いや、数十人分の魔法による火力を担えるのである。
もちろん持っているのは、火力だけではない。防御に使える魔法や、自己強化魔法すら使いこなす。凶悪さで言えば、超身体能力を誇るミツバにも匹敵するだろう。
とはいえその能力は、封じることができるものであった。
ムツキが閉じ込められているこの牢獄は、イツカが用意した彼女専用の拘束施設なのだという。
それが分かっていても尚、セブエルはムツキの視線に威圧感を感じていた。セブエルは彼女の実力を見定めるように目を細める。
イツカは彼らの方に歩み出て、鉄格子の前で立ち止まり振り返った。
「さて、三つ目をご紹介しましょう」
そう言ってイツカが指を鳴らすと、牢内部の壁面に光の筋が幾つも浮かび上がる。
現れたのは、複雑な模様の円形魔法陣だ。大きさは直径五十センチメートルほど。それが壁一面に、隙間なく綺麗に配置されていた。
ゆっくりと互い違いに回転している様は、まるで歯車のように機械的だ。
その光景にセブエルは驚いたような声を漏らす。
ハンスとレインは既に見慣れているのか、大きな反応はない。
「丸っこいのは、すべて同じ機能を持ったトラップです。これが、今回最大の目玉です」
「今までのものよりも強力、ということですかな?」
「方向性にもよりますが、私にとっては一番頼もしいトラップですね」
イツカは嬉しそうに説明する。
「このトラップは、相手の魔力を奪うものなんですよ。そうすることで、魔法の発動を阻害するんです」
魔法を起こすには、その対価として魔力を消費する必要があるとされていた。生体エネルギーの一種とされているそれは、おおよそ誰にでも備わっている。
ただ、魔力を魔法に変換するとなると、話は変わる。ある種の才能を持つ者だけが、それを一種奇跡めいた魔法という現象へ変換することができるのだ。
この世界において、魔力とは、体力に似ていると言われている。
魔法を使うことは、走ることにたとえられた。
瞬発的に強力な力を引き出すのは、言ってみれば全力疾走だ。僅かの時間で大きな効果を得られるが、すぐに息切れしてしまう。とはいえ、少し休めば、また走る体力は回復する。
それと同じように、魔力も少し休めば元に戻るのだ。
体力と魔力は、使い続けると疲労が溜まり、最後には疲れきってしまうという点も似ていた。
単発的に使うのが得意な者も居れば、長時間魔法を使い続けるのが得意な者も居る。
そういう向き不向きな性質がある部分も、体力と比べられる所以だろうか。
ともかく、壁面に施された魔法陣のようなトラップは、すべて「相手の魔力を奪う」機能が備わっているのだ。
「走ろうとしてる傍から、体力を奪う。そうすれば相手は走り出す前に息が上がってしまう。もちろんすぐに仕切り直そうとするでしょうが、常に疲れさせ続ければその気力も削がれるでしょう?」
「なるほどそれは。恐ろしいですな。魔法を扱う人間の天敵と言っていい」
深く考え込むセブエルを見て、イツカは急に気まずそうに苦笑を漏らした。
後頭部を掻きながら、なんとも言いにくそうに口を開く。
「いやぁー、ハマれば凶悪なんですけどね? コイツ使い勝手が微妙でして」
「ほう? 微妙と言うと?」
「コレは、一瞬で高い効果を表すタイプではなく、じりじり長時間効果を表すタイプの罠でしてね? そのせいか、一つだけでは奪う魔力が少なすぎて、阻害にならないんですよ」
ハンスやムツキ、そのほかロックハンマー侯爵麾下の兵士で試したところ、この罠一つでは少し魔法が発動しにくい程度でしかないことが分かっていた。
走るときに、服を余分に数枚羽織るぐらいの抵抗にしかならないのだとか。
「それで、この数というわけですかな?」
そう言ってセブエルが視線を向けたのは、壁面いっぱいの魔法陣だ。
一つだと効果が薄い。ならば沢山並べてしまおう、というわけだ。
実に単純明快で、すこぶる分かりやすい解決方法である。
正解だったのか、イツカは大きく頷いた。
「これだけ並べて、ようやくムツキちゃんの魔法を阻害できるんですよ。普通なら十個も並べれば、まずもって魔法は使えなくなるようなんですが。ここでは常時五百個近くがフル稼働ですよ」
「ならば、私達も今魔力を奪われているわけですかな?」
ムツキとの間には、鉄格子が一つあるだけだ。
距離的にはかなり近いため、トラップの効果内に居るように思える。
「このトラップは、対象を絞って発動できるんですよ。ジャビコが制御していて、いまはムツキちゃんだけに的を合わせています。なもんで」
イツカは軽い調子で、片手を挙げた。
それを合図に、ムツキが拘束されていた両手を持ち上げる。
何事かと身構えたセブエルの目に飛び込んで来たのは、魔法を発動させる際に起こる発光現象だった。ムツキの両掌が、輝いているのだ。
しかし、セブエルに動揺はまったくなかった。ハンスとレインも、軽く眉を上げる程度だ。
戦いに無知な一般市民ならば身構えるところだが、彼らは皆歴戦の戦士だった。
だから、明らかに魔力不足で発動しないであろう発光現象を前に、動じる理由がなかったのである。
暫く弱い光を放っていたムツキの掌だったが、やがて点滅し始めたかと思うと、完全に光は消えた。
「このように、皆さんには影響がなくても、ムツキちゃんだけは魔法が使えないわけです」
魔力を使う、あるいはなくなっていく感覚は、軍の訓練で嫌というほど体に叩き込まれている。
もし何かしらの影響があれば、セブエル達には体感としてそれが分かるだろう。
ムツキだけが魔力を奪われている状況を見れば、おのずとイツカの説明が正しいと判断できる。
「もちろん、セブエルさんにもトラップに実際にかかっていただける準備はしてあります。体験してみるのが一番ですから。どうなさいます?」
「はっはっは! それは面白そうですな! 是非試させていただきましょう!」
面白そうに笑うセブエルに、イツカは満足気に頷いた。それから、さらにトラップの解説を続ける。
「そうそう。これ、もう一つ欠点がありましてね? このトラップは本来、相手の魔力を奪って、ダンジョンの魔力にできるって触れ込みのものなんですよ」
「なんと。では、ムツキ殿ほどの魔力の持ち主が居るのであれば……」
「と、思うでしょう?」
どうも、そう上手くはいかないらしい。曖昧に笑いながら、イツカは重苦しい溜め息を吐く。
「このトラップ、動かし続けるのに魔力を使うんですよ。魔力を消費して魔力を奪う。まあ、その時点でなんか嫌なアレは感じると思うんですが」
「効率が悪い、ということかね?」
イツカは嫌そうに顔を顰め、コクリと頷いた。
「図星です。すこっぶる効率が悪くてですね。大体、トラップを動かすのに十魔力を使って、得られる魔力が十一ってところですかね」
「それは。私には判断はつかないが、微妙なのかね?」
「えーと、大体の基準なんですが。トラップを一つ設置するのと、ゴーレムを一体作るのに使う魔力が同じでして。便宜上これを、数値化して把握しやすいように一Gと表現しているんですが。あ、ちなみに魔力の量はジャビコのおかげでかなり正確に管理できてます」
そのあたりのことも、イツカは書類にして提出している。
一応、確認のために説明してはいるが、セブエルもよく心得ているらしい。
「で、ムツキちゃんから採れる魔力の生産量なんですけどね。結局得られるのは、大体二千Gぐらいなんですよ」
報告書では、猪型の魔獣を絞めたときに得られる魔力が、平均六百前後であった。そのほか、食用の鶏型の魔獣が百程度で、六本足の牛型の魔獣が五百程度。
それらに比べれば、確かに多い。だが、ここはかなり大規模な牧場だ。肉を出荷するために、魔獣は定期的にかなりの数が絞められている。
「微妙な数字ですな」
「そうなんですよねぇー。いや、ムツキちゃんからは、二万二千の魔力を奪ってるんですよ? 毎日」
「だが、そのために毎日二万の魔力を使っている、と」
セブエルは僅かに顔を顰めながら続けて尋ねる。
「ところで、全体として毎日消費する魔力とは、どの程度なのかね?」
「ダンジョンの維持に百。修復修理に大体三十ぐらい。訓練とかでトラップを使うときは、多くて一万ぐらいですかねぇ」
それは、ゴーレムなどを使い、戦闘訓練を行う際に使う魔力の数値だ。
一応、隣国という危険が目と鼻の先にあるため、用心するにこしたことはない。
ましてや日本人という不確定要素が多く見受けられるようになった現状であれば、尚更だ。
「あのー、すみません」
なんとも言えない表情で唸り合うイツカとセブエルに、声をかけてくる人物がいた。
いつの間にか鉄格子の近くに寄って来ていた、ムツキだ。
先ほどまでの雰囲気はどこへやら。眉をハの字にして、不安そうな表情をイツカへ向けている。
「私、いつまでこのキャラやってれば良いんですか? なんかこう、凄く心にクルものがあるんですけど……」
「ああ、ゴメンゴメン。アメちゃん食べる?」
「いただきます!」
イツカが内ポケットから取り出したアメの包み紙を、ムツキは嬉しそうに受け取った。
両手に付けていたはずの手枷は、いつの間にか外れている。よく見れば鍵のかかっていない、簡単に取り外しができるものだと分かった。肌に当たる部分には綿が仕込まれているらしく、配慮の行き届いたおもちゃのようだ。
そんなやり取りを目にして、セブエルは不思議そうに小首を傾げる。
そこでふとイツカが、思い出したように説明を付け加えた。
「折角牢屋だし、なんかこう、雰囲気出した方がいいかなぁーって思いましてね? ムツキちゃんに、それっぽい演技してもらったんですよ」
「私、高校時代は漫画研究部と演劇部に所属してたんです」
棒つきキャンディーを口に含みながら、ムツキは得意気な表情を見せた。
単語の意味は分からずとも、ニュアンスは伝わったのだろう。セブエルは、ぽかんとした表情をしていた。だが、それも僅かの間だった。肩を震わせ、面白そうに声を上げて笑い出す。
その様子に、ムツキがはっとした顔をすると、慌てて鉄格子に顔を近づけた。
「あ、あの! 私、全然まったくこれっぽっちも反抗的な気持ちとかないですから! 今すっごく国家の下僕感満載で、刑期とかにも一切不満とかないですからっ!」
ムツキはどこか必死そうな、若干鬼気迫った雰囲気でセブエルに訴える。
「なんか、キョウジくんのOHANASHIが効いたみたいでしてね? ムツキちゃん凄く反省してるんですよ。マジで」
「凄く反省してます! 凄くしてるんです! だから命だけは! 全然言うこと聞きますから! 五百年、大人しくしてますからぁ!」
ムツキの刑期は、五百年。事実上の終身刑だ。
セブエルは声を出して笑うと、手でムツキを制した。
「いやいや! 君が反省しているらしい、という話は聞いているからね! 安心して構わないよ」
「あ、あ! ありがとうございます……!」
安心したのか、ムツキは脱力してその場に座り込んだ。手に持った棒つきキャンディーを食べながらなのは、本能レベルで舐めたいと思っているからだろう。
「うう……アメちゃんおいしいです……」
「そう? 美味くできてよかったわぁー」
「ん? それはイツカ殿が作ったのかな?」
驚いた顔で尋ねるセブエルに、イツカは当たり前といったふうに頷く。
「はい。うちの親戚にアメ屋が居ましてね。麦とか米とかトウモロコシとかを使った水アメ、散々作らされたんで」
イツカはなにやら両手で鍋をぐるぐるかき回しているような動作をしてみせる。
確かに今しがたイツカが言った材料で、水アメを作ることは可能だ。
だが、あまり一般的に持ち合わせている知識ではないだろう。
「はっはっは! お身内に職人がいらっしゃるのですな!」
「親戚だけは多いもんで。いろいろ手伝わされたもんですよー。あっはっはっは!」
セブエルに釣られるように、イツカも笑い声を張り上げた。
そんな二人を前に、それまでずっと黙っていたハンスが、眉間に指を当てる。
レインはそれを見て、気遣わしげに声をかけた。
「頭痛ですか?」
「まあ。なんと言うか。どっと疲れがな」
いろいろと言いたいことがあるが、とりあえず後にとっておこう。
一先ずイツカには後で説教だな。
そんな風に心に決める、ハンスであった。
4 料理をする男と、頭痛に悩まされる男
最後の客を外へ送り出し、ユーナはほっと息を吐き出した。
窓から見える外の景色は、夕日に染まっている。
まだ夜とも呼べない時間だが、コウシロウの店はすでに店じまいの準備を始めていた。この辺りの田舎街では、夜遅くに出歩く人間などほとんどいないからだ。
皆それぞれの家に帰り、早々に寝てしまうのである。何か特別な事情でもない限り、日が昇れば起き出し、日が沈めば床に就く。そんな生活が当たり前なのだ。
「ユーナさん。そろそろ暖簾を仕舞ってもらえますか?」
「はい! 分かりました!」
厨房から聞こえた声に、ユーナは元気良く答える。
カウンター越しに声をかけてきたのは、にこにことした笑顔の、黒髪の青年だ。
この店の主、コウシロウである。
テーブルに残されていた食器の類をカウンターに置いて、ユーナは出入口にかけられた暖簾を店の中に仕舞った。それは元々、この街にはない文化の一つだったが、今ではコウシロウの店の目印になっている。
暖簾は店の看板として、まずお客様の目に入るもの。
だから、大切にしなければならない。ユーナはそう、コウシロウに教えられている。
初めのうちは暖簾を珍しがっていたユーナだったが、今ではすっかり当たり前になっていた。
暖簾を仕舞い終えたユーナは、洗い場の方へ足を運んだ。既に食器を洗い始めていたコウシロウの横に立って手伝う。そんなユーナをちらりと見て、コウシロウはにっこり笑った。
「さあ、明日は何にしましょうかねぇ」
それは、翌朝店で出すメニューのことであった。店が終わった後、こうして皿洗いをしながら、翌朝のメニューを決める。それが、定番のスタイルになっていた。
「そうですね。ええっと……」
コウシロウに問われ、ユーナは考え込むように唸った。もちろん、皿を洗う手は止めていない。
この街がある地方は、農村が多かった。
畑仕事は朝早くからする場合がほとんどのため、しっかり朝食を食べる習慣がある。それは街に暮らす人達も同じで、店でも朝から多めの食事を頼むお客が目立つ。
おかげで朝の準備はとても大変で、前日の店が終わってから、仕込みをしておくことになっていた。ユーナは食料庫にあるものを思い浮かべながら、何が良いか考える。
ベーコンと、炒め物に適した野菜。サラダ用の葉野菜もあるし、きのこが幾らか。
この街では、一年を通して同じ品質の野菜を手に入れることは難しい。何しろ日本などと違い、ハウス栽培や冷蔵冷凍の技術が発達していないのだ。それゆえ、そのときどきに手に入る食材から、メニューを考えなければならないのである。
今ある食材で何が作れるか判断するのは、修業の一環なのであった。
「野菜炒めスープ、なんてどうでしょう」
今の時期は旬の野菜も多く、それらをふんだんに使った料理がありがたがられる。煮込んだスープもいいし、生で食べるのもいい。だが、それではすぐに飽きが来てしまう。炒め物にしてもいいが、やはりそれも毎度では芸がない。
そこでユーナの脳裏に思いついたのが、野菜炒めスープだった。名前のとおり、野菜炒めにスープを注いだそれは、シンプルだが美味しく、たっぷりと野菜の栄養分が摂れるメニューの一つだ。
「ああ! いいですねぇ。ゴレイシアの良いのが入りましたか。それで野菜炒めを作りましょう。スープは、どうしましょうか?」
「ボルホルニオが良いと思います! 野菜炒めにするなら具材になる皮や切れ端が沢山出ますし、猪の骨もありますから!」
ボルホルニオというのは、この国ではよく作られる野菜の皮や切れ端と動物の骨で作るスープだった。
作り方はとても大雑把だが、それゆえに季節感や土地柄が出るスープとして知られる。また、どんな素材を組み合わせても上手く調和が取れることが、腕の良い料理人の証とも言われていた。
「いやぁ、それは美味しそうですねぇ」
「それだけだと寂しいでしょうか?」
「そうですねぇ。スープですから、もう一品欲しいかもしれませんねぇ?」
「うーん、何が良いでしょうか」
ユーナは難しそうな顔を作ると、唸り声を上げた。
その様子が面白かったのか、コウシロウは笑い声を漏らす。
朝のメニューに関しては、コウシロウはあまり口出しをしないことにしていた。
弟子のユーナに経験を積ませる目的もあったが、単純に彼女がどんなものを作るのか興味があったからである。あれこれと想像力を巡らせてアイデアを捻り出すユーナを見るのは、コウシロウにとってそれだけでも楽しいことなのだ。
ユーナがもう一品を思いついた頃には、洗い物はすべて終わっていた。
店の中の掃除を手早く済ませたら、残り物で夕食を済ませる。残り物と言っても、材料はお客に出すのと同じであり、作るのはコウシロウだ。美味くないはずがない。舌を鍛える目的で、なかなか手の込んだ料理を出してくれるため、ユーナはこの夕食をいつも心待ちにしていた。
それを食べ終えると、いよいよ明日の仕込みだ。
といっても、すべて終えてしまうわけではない。大方を終える頃には、日が沈んでしまうので、残りは次の日に行う。残業など、ほとんどない。太陽が半分ほども隠れる頃には、ユーナも欠伸を必死に我慢している始末だった。
それを見たコウシロウは、面白そうに笑う。
「そろそろ、終わりにしましょうかねぇ」
「は、はい! 分かりましたっ!」
眠気を振り払うような気合いの入った声に、コウシロウはますます笑顔を深くするのであった。
翌朝、日がまだ昇りきらぬうちに床から起き出すと、ユーナは慌てて服を着替えた。
手早く身支度を済ませ、二階の自室から飛び出して一階へ急ぐ。
階段を下りて一旦呼吸を整えると、恐る恐る厨房を覗いた。
「ああ、ユーナさん。おはようございます」
そこには、既に調理を始めているコウシロウの姿があった。
ユーナはしょげた顔をして、がっくりと項垂れる。
それでも挨拶は元気にしなければと、気合いを入れ直して声を出す。
「おはようございます!」
「まだ少し早いですから。お茶でも飲んで、ゆっくりしていてくださいねぇ」
にっこりと笑いながら言うコウシロウに、ユーナは慌てて首を横に振る。
まさか師匠だけを、働かせておくわけにはいかないからだ。
修業中の料理人というのは、普通は師匠よりも早く起き出し、仕込みをしておくものだろう。
この世界でもそれは同じようで、ユーナも初めの頃は何とかコウシロウよりも早く起きようと努力していた。
ところが、この異世界から来た風変わりな日本人は、そういった常識に捉われない人物だった。
いつもユーナよりも早く起き出し、彼女が厨房にやって来る頃には、朝の仕込みを半分ほども終えてしまっているのである。恐縮し、慌てて謝るユーナに対し、コウシロウはこう言ったのだ。
「ああ。どうも歳のせいか、目が覚めてしまいましてねぇ。眠っている方が億劫なんですよ。ユーナさんは若いんですから、いくら寝ても寝たりないでしょう。朝はゆっくりでいいですからねぇ」
残念ながらユーナは、そう言われたからといって、お言葉に甘えられるタイプではなかった。
余計に恐縮して、何とか師匠よりも早起きしようと頑張ってはいるのだが、その努力は今のところ一度も報われてはいない。
「あの、私もすぐに手伝います!」
「大丈夫ですよ? 昨日のうちにほとんど終わっていますからねぇ」
「師匠を働かせて自分だけ休むわけにいきません!」
ユーナは腕まくりすると、自分も厨房へ入り仕事を始めた。
苦笑を漏らしつつ、コウシロウはそんなユーナを優しく見守る。
応援ありがとうございます!
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