錆びた街の落書き

宮滝吾朗

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第一部 脱出編

第3話 特別区への連行

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白い光が網膜を刺し、視界の輪郭が滲んだ。鉄と薬品の匂い。規則正しい低い鼓動音が耳の内側で鳴っている。天井は金属の格子で組まれ、そこから垂れた管がゆっくり呼吸するように膨らんではしぼんだ。

両手首は冷たい輪に固定され、足首にも同じ負荷がかかっている。鋼の台の縁が背中の骨を押し、体温が金属へ吸い取られていく。指先が痺れ、時間の感覚が薄まる。

「目が覚めたのね」

声の方向に顔を向けると、リタが小さな操作卓の前に立っていた。黒革のスーツ、白い手袋。額の赤いゴーグルが天井灯を反射する。表情は穏やかだが、瞳は計測器の光だ。

「ここは……どこだ」
「教育局・第七矯正棟。あなたの初期評価は“抵抗的だが回復性あり”。悪くない数値」

リタが端末に触れると、管のひとつで透明な液体が上昇した。喉奥に金属の味が広がる。

「タケルはどこにいる」
「“受講生第407号”。記録上は行方不明」
「記録上は──?」
「逃げたと書くと、上が機嫌を損ねるの」

画面には灰色の廊下、無人の教室、暗いシャフト。人影はないのに監視は厳しい。

「ここで何をする」
「再教育。記憶の整理と行動の矯正。痛みは最小、効果は最大──と標準書にはある」
「標準書?」
「現場はいつも、もう少し汚れるわ」

胸が重くなる。自分の鼓動より一拍遅れて別の鼓動が響く。拘束具に力を込めると、バンドが甲に食い込み、火傷跡が疼いた。

「落ち着いて。あなたの“心臓”はまだあなたのものよ」
「まだ、とは」
「選ばなければ、誰かのものになる。ここではそういう手順」

彼女は白い手袋を外し、素手で頬に触れた。冷たいのに、触れた場所だけ熱が戻る。

「この街は、忘れるより錆びつかせるのが得意。忘れたふりをして、覚えて生きるの」
「それを、弟に教えたのか」
「教える前に、タケルは走った。いい走りだった」

言葉の端がわずかに揺れる。胸元の隙間で微かな赤い光が鼓動に合わせて点滅した。

「手伝え、リタ。俺を、タケルのいた場所へ」
「命令?」
「頼む」

短い沈黙。スイッチが一つ切られ、拘束が少し緩む。額に小さなパッドが貼られ、視界が鋭くなる。

「痛みを下げる。走れる足は残しておく」
「走る先は?」
「壁の向こう。けれど、今は“内側”を見なさい」

モニターが切り替わり、古いボイラー室の映像。錆びた壁に翼の歯車。隣に小さな文字。

「逃げろ」「アキトへ」

呼吸が止まる。文字の癖、線の震え──タケルの手だ。

「場所は?」
「第七棟の下、廃止層。番号では──エテルナ」
「ホテルの名か」
「かつての。今は避難区画。管理人は物忘れが酷い。けれど何も忘れていない」

リタがゴーグルを額から目に落とす。レンズの内側で数値が流れた。

「連れて行ってくれるのか」
「連れて行く。あなたが目を閉じて、三つ数えたら」
「なぜ目を」
「ここから“下りる”には、ひとつの嘘が要るの。あなたが“おとなしくなる”という嘘」

彼女の声は低く柔らかい。管の鼓動が落ち、台のロックが外れる。足首の輪が解ける。

「約束して、アキト」
「何を」
「走るとき、最初の角で迷わないこと。右は綺麗で行き止まり、左は汚くて抜ける」
「覚えた」

目を閉じる。暗闇の底で誰かが囁く──逃げろ。リタの指が額のパッドを弾き、軽い落下の感覚。

「三」

金属臭が遠のく。

「二」

どこかで蒸気が裂ける音。

「一」

台が沈み、床が開く。冷たい風、錆と油と古い紙の匂い──エテルナ。
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