8 / 60
第一部 脱出編
第8話 残響の回路
しおりを挟む
斜面の終端は平面ではなく、網のような鉄骨の橋だった。踏みしめるたび、足裏に古い振動が伝わる。下の空洞を流れる黒い回路は、時折青白く光り、忘れられた街の一場面を浮かべては飲み込む。俺たちは足音をできるだけ均等に刻み、梁の影を拾いながら前へ進んだ。
「この先に境界扉がある。教育局の内部と外縁をまたぐ門。あたしの心臓で開く」
リタが言った。胸元の薄い隙間で、赤い点が規則正しく瞬く。彼女が歩を止めるたび、光はわずかに強まり、また弱まる。橋の終わりに鉄扉が現れた。紋章は翼の歯車と鍵穴。表面には擦り傷と赤茶の汚れ。人の爪痕が幾筋も残っている。
扉の手前、壁際に細い箱が固定されていた。投函口みたいな狭い溝があり、紙片が何枚か詰まっている。俺は一枚を抜き取り、湿った文字を目で追う。
「上は綺麗、下は正確。角で迷うな。左は汚くて抜ける」
走り書き。最後に「アキトへ」とあった。指先が震える。紙の縁が指の火傷跡に触れ、昔の痛みが微かに蘇る。リタが横から覗き込んだ。
「タケルの癖。角でペンが止まる」
「ここまで来てる。生きてる可能性は」
「記録には“行方不明”。でも、記録は都合の悪い言葉を嫌う」
彼女は扉に掌を当てた。赤い光が金属へ移り、紋章が薄い音を立てて回転する。内部でカムが噛み合う音。扉が音もなく横へ滑った。青白い光、淡い気流。境界の向こうは世界の内側みたいに静かだった。
踏み込んだ瞬間、背後で甲高い警告音が鳴る。橋の起点側に四本の赤い線。追跡機が梁を這う。リタは振り返り、煙管の火を指でつまんで飛ばした。火花が冷気の中で線になり、最前の機体の眼を焼く。俺は床に落ちていた長いレンチで二体目の脚を払う。金属の悲鳴、火花、酸っぱい匂い。三体目が跳びかかる。リタの踵が関節を砕き、俺の肩の横を刃が風だけ残して通り過ぎる。
「入って、扉を閉める」
「お前は」
「先に行って。鍵は私」
逡巡の一拍。俺はレンチを投げ捨て、境界の内側へ飛び込む。リタが最後に一体を押し返し、扉枠のセンサーを撫でる。音が落ち、扉が閉じる直前、彼女が短く笑った。
「あなたの走り、タケルより一歩だけ上。……悔しいな」
重い金属が噛み合い、世界が二つに分かれる。静寂。境界内は薄青の霧に満ち、遠くの壁が見えない。足元の床には無数の細い線が刻まれ、回路図のように延びている。線の交点に立つと、床の下から人の声が微かに聴こえた。囁き、祈り、笑い声。過去の残響が電気の形で残っているのだろう。
霧の奥に、背の高い扉がもう一枚現れる。扉の中央には小さな丸窓。覗くと、薄暗い教室のような部屋。壁にカリグラフで書かれた標語が逆さに読めた。
「秩序は幸福、異端は修復」
その下、チョークで乱暴に重ね書き。小さな手のひらの跡。「逃げろ」。俺は丸窓から手を差し入れられないことを知りながら、伸ばしてしまう。取っ手に触れる。冷たい。押す。扉は軽く開いた。中に入ると、机が一列、椅子が一つ、黒板の隅に白い粉が残っている。机の裏、指が触れるところに刃物の傷で刻まれた文字があった。
「兄貴へ 左、下、間。上は見せかけ」
息が詰まる。タケルはここまで届いていた。部屋の壁の向こうで、小さな機械音が鳴った。誰かがいるのかもしれない。俺は机を回り込み、黒板の隅を押してみる。板が外れ、細い隙間から冷気が漏れた。そこに、天使の羽根のような歯車の小片が落ちていた。拾い上げると、微かな熱。握り込むと、胸の奥の鼓動と同じ速さで震えた。
「行こう、タケル」胸の内で呟く。返事はない。でも、震えは止まらない。小さなカタルシスが胸骨の下で弾け、霧の向こうへ一歩が軽くなった。
「この先に境界扉がある。教育局の内部と外縁をまたぐ門。あたしの心臓で開く」
リタが言った。胸元の薄い隙間で、赤い点が規則正しく瞬く。彼女が歩を止めるたび、光はわずかに強まり、また弱まる。橋の終わりに鉄扉が現れた。紋章は翼の歯車と鍵穴。表面には擦り傷と赤茶の汚れ。人の爪痕が幾筋も残っている。
扉の手前、壁際に細い箱が固定されていた。投函口みたいな狭い溝があり、紙片が何枚か詰まっている。俺は一枚を抜き取り、湿った文字を目で追う。
「上は綺麗、下は正確。角で迷うな。左は汚くて抜ける」
走り書き。最後に「アキトへ」とあった。指先が震える。紙の縁が指の火傷跡に触れ、昔の痛みが微かに蘇る。リタが横から覗き込んだ。
「タケルの癖。角でペンが止まる」
「ここまで来てる。生きてる可能性は」
「記録には“行方不明”。でも、記録は都合の悪い言葉を嫌う」
彼女は扉に掌を当てた。赤い光が金属へ移り、紋章が薄い音を立てて回転する。内部でカムが噛み合う音。扉が音もなく横へ滑った。青白い光、淡い気流。境界の向こうは世界の内側みたいに静かだった。
踏み込んだ瞬間、背後で甲高い警告音が鳴る。橋の起点側に四本の赤い線。追跡機が梁を這う。リタは振り返り、煙管の火を指でつまんで飛ばした。火花が冷気の中で線になり、最前の機体の眼を焼く。俺は床に落ちていた長いレンチで二体目の脚を払う。金属の悲鳴、火花、酸っぱい匂い。三体目が跳びかかる。リタの踵が関節を砕き、俺の肩の横を刃が風だけ残して通り過ぎる。
「入って、扉を閉める」
「お前は」
「先に行って。鍵は私」
逡巡の一拍。俺はレンチを投げ捨て、境界の内側へ飛び込む。リタが最後に一体を押し返し、扉枠のセンサーを撫でる。音が落ち、扉が閉じる直前、彼女が短く笑った。
「あなたの走り、タケルより一歩だけ上。……悔しいな」
重い金属が噛み合い、世界が二つに分かれる。静寂。境界内は薄青の霧に満ち、遠くの壁が見えない。足元の床には無数の細い線が刻まれ、回路図のように延びている。線の交点に立つと、床の下から人の声が微かに聴こえた。囁き、祈り、笑い声。過去の残響が電気の形で残っているのだろう。
霧の奥に、背の高い扉がもう一枚現れる。扉の中央には小さな丸窓。覗くと、薄暗い教室のような部屋。壁にカリグラフで書かれた標語が逆さに読めた。
「秩序は幸福、異端は修復」
その下、チョークで乱暴に重ね書き。小さな手のひらの跡。「逃げろ」。俺は丸窓から手を差し入れられないことを知りながら、伸ばしてしまう。取っ手に触れる。冷たい。押す。扉は軽く開いた。中に入ると、机が一列、椅子が一つ、黒板の隅に白い粉が残っている。机の裏、指が触れるところに刃物の傷で刻まれた文字があった。
「兄貴へ 左、下、間。上は見せかけ」
息が詰まる。タケルはここまで届いていた。部屋の壁の向こうで、小さな機械音が鳴った。誰かがいるのかもしれない。俺は机を回り込み、黒板の隅を押してみる。板が外れ、細い隙間から冷気が漏れた。そこに、天使の羽根のような歯車の小片が落ちていた。拾い上げると、微かな熱。握り込むと、胸の奥の鼓動と同じ速さで震えた。
「行こう、タケル」胸の内で呟く。返事はない。でも、震えは止まらない。小さなカタルシスが胸骨の下で弾け、霧の向こうへ一歩が軽くなった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
蒼穹の裏方
Flight_kj
SF
日本海軍のエンジンを中心とする航空技術開発のやり直し
未来の知識を有する主人公が、海軍機の開発のメッカ、空技廠でエンジンを中心として、武装や防弾にも口出しして航空機の開発をやり直す。性能の良いエンジンができれば、必然的に航空機も優れた機体となる。加えて、日本が遅れていた電子機器も知識を生かして開発を加速してゆく。それらを利用して如何に海軍は戦ってゆくのか?未来の知識を基にして、どのような戦いが可能になるのか?航空機に関連する開発を中心とした物語。カクヨムにも投稿しています。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
異世界で農業を -異世界編-
半道海豚
SF
地球温暖化が進んだ近未来のお話しです。世界は食糧難に陥っていますが、日本はどうにか食糧の確保に成功しています。しかし、その裏で、食糧マフィアが暗躍。誰もが食費の高騰に悩み、危機に陥っています。
そんな世界で自給自足で乗り越えようとした男性がいました。彼は農地を作るため、祖先が残した管理されていない荒れた山に戻ります。そして、異世界への通路を発見するのです。異常気象の元世界ではなく、気候が安定した異世界での農業に活路を見出そうとしますが、異世界は理不尽な封建制社会でした。
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる