錆びた街の落書き

宮滝吾朗

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第一部 脱出編

第9話 祈りの歯車

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境界の廊下は、塔の内臓へ続いていた。
壁の裏で細い光が流れ、定期的に遠くの金属が鳴る。単調な響きが祈りのように反復し、足音と同調していく。
角を二つ曲がるたび、温度が下がり、空気は乾いていった。壁に貼られた警句が、剥がれかけた皮膚のように震えている。
やがて廊下は縦に伸びた。螺旋階段。中心の空洞を無数の電線が束になって落ちている。見下ろすと底がなく、見上げても天井はない。光はどこからも来ないのに、金属の縁だけが鈍く光っていた。

「上は綺麗。下は正確。間が生き延びる」
声に出して反芻する。リタがかつて口にした言葉。祈りのように、呪いのように。
踊り場の角にだけ、細い赤い線が残っている。チョークの粉がまだ指に移る新しさ。タケルの足取りはここを選んだのだ。
俺は手すりを掴み、一定のテンポで上へ。心拍と足の運びを合わせ、目を上げすぎないように。ただ数える。二十四。二十五。二十六。呼吸と歯車の回転が一致していく。塔そのものが俺の体を測っているようだった。

上層の扉の横に、古い端末が一台。
電源は死んでいるはずなのに、画面が瞬き、ノイズの海から一枚の静止画が浮かび上がった。制服の少年たち。列の最後尾に、少しだけ背の高い影。鮮明ではないが、頬骨の角度が俺に似ている。
画面が暗くなり、白いテキストだけが残る。
「受講生第407号、記憶炉搬送」
喉の奥で熱が渦を巻く。手のひらが勝手に画面へ伸びる。
その瞬間、塔全体が低く鳴り、光の粒が立ち上がった。端末が崩れるように消える。残ったのは、指先の静電気と、胸の内側でひとつ跳ねる鼓動。

扉のノブを回す。
静かな室内。円形のホール。中央に低い台、周囲の壁に古い規格の端子がずらりと並ぶ。
上部は吹き抜けで、さらに高い層の機械の影が回転していた。
その回転軸の隙間から落ちる粉が、細雪のように舞う。舞っているのは灰かもしれない。そう思った途端、呼吸が浅くなった。
天井から吊られた鎖がかすかに鳴る。音は祈りの鈴のようで、どこか懐かしかった。

「兄貴……」
確かに聴こえた。幻聴と切り捨てるには具体すぎる音色。
俺は台の横の隙間へ膝を落とし、手探りで下へ降りる梯子を見つける。
暗い竪穴の底で、透明なチューブが幾本も集まっていた。
薄い液体がわずかに流れ、微細な泡が昇降している。一本、二本、三本。
目を凝らす。四本目の先に、人影が浮かんでいた。

タケル。
目は閉じ、口元は穏やかで、まるで眠っている。
首筋に繋がるケーブルの根元で、青いランプが一定のテンポで点滅している。
ガラス越しの頬は白く、呼吸の代わりに泡がわずかに立っては消えた。
俺はチューブ越しに手を当て、呼ぶ。
「戻るぞ。帰るんだ」
反応はない。ただ、ランプのテンポが一瞬だけ早くなった気がした。

俺は歯を食いしばり、接続を外す手順を探す。
どこかで見た工業規格。古い保守作業の手つきが、指に自然に戻ってくる。
クランプ、バルブ、ラッチ。三つ目を外そうとした瞬間、背後で足音。

リタがいた。額のゴーグルから赤い反射が落ちる。
「遅れてごめん。鍵を少し拝借したの。彼を外すなら、順番は逆。心拍同調が先よ」
彼女は胸元に指をあて、赤い脈をタケルのランプへ近づけた。
点滅が重なり、同じテンポになる。息を詰めるほどの集中。
リタの手が震えていた。彼女にも“心臓”があるのだと思い知らされる。

「今。二番、三番、最後に一番」
指示どおりにラッチを外す。音が軽く跳ね、チューブが弾ける。
液体が霧となって舞い、青白い光を散らす。
タケルの身体がゆっくりと沈み、次の瞬間、重力が戻ったように揺れた。
俺は腕を伸ばし、肩を抱え、引き上げる。重い。だが確かに温かい。
床に横たえ、頬を叩く。
「タケル!」
瞼がわずかに震えた。息が浅く入り、指が俺の袖を探る。掴まれた。確かな力。
胸の奥で何かがほどける。小さなカタルシスが音もなく弾け、目の奥が熱くなる。

リタは立ち上がり、周囲の端子を次々に破壊する。
火花が散り、ホール上部から警報が降ってくる。
赤い閃光が塔の壁を走り、歯車がひとつ、またひとつ目覚める。
「走る準備を。上の主機が目覚める」
「お前は?」
「行くわよ。あなたたちの前で道を作る」
リタはゴーグルを目に下ろし、心臓の赤を最大に上げる。
金属の床が熱を帯び、足元から震えが伝わる。
塔全体が呼吸を始める。巨大な生き物の体内にいるようだった。

ホールの扉が自動で開き、冷風が吹き込む。
俺はタケルを背負い、リタの背中の赤い点を目印に走り出す。
踊り場の角で、彼女が手を上げて合図する。
「右は綺麗で行き止まり、左は汚くて抜ける。迷うな」
俺は迷わず左へ身を投げた。
床の油が靴裏で悲鳴を上げる。背負った体温が肩甲骨に伝わる。
塔の奥から金属の唸りが迫る。主機の覚醒。
天井の鉄骨が外れ、鋼の粉雪が降り注ぐ。
霧の向こうに小さな光。出口ではない。境界だ。
しかし、境界にはいつだって僅かな風が吹く。
俺はその風を吸い込み、残った力を脚に集めた。

「行くぞ、タケル。――生き延びる」

リタが前方のセンサーへ掌を押し当てる。
赤い脈が鍵となり、扉が割れる。
開口の隙間を光が走り、俺たちはそこへ滑り込む。
背後で重い金属音が落ち、塔の唸りが一瞬遠のいた。
振り返ると、リタがこちらを振り向き、短く笑った。
「続きはまた、走りながら」

金属の粉が雪のように舞う中、塔全体が軋む。
上層から降る警報の光が赤く、まるで心臓の鼓動のように点滅している。
俺のポケットで小さな歯車の欠片が震え、タケルの指が袖をさらに強く掴んだ。
その刹那、塔の壁面を伝って低い唸りが流れ、どこか遠くで別の歯車が目覚める音がした。
それはまるで、街全体が祈りを再開したようだった。
鉄と油の匂いの奥で、何かが確かに“生きている”。
リタの赤が遠くで瞬き、塔の呼吸と重なった。

三人の鼓動が、しばらくのあいだ、同じ速さで重なっていた。
そして次の瞬間、風が吹いた。
祈りのように、再生のように。
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