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四 五八五年の諦念
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(ていねん)
「崩御されました」
河勝(秦河勝)は、平身低頭して、恭しく報じた。
「なんと」
泊瀬部皇子は呟き、そのまま俯いた。
敏達天皇十四年(五八五年)、九月十四日のことであった。
疱瘡に伏していた、敏達天皇であった。
皇子の重い反応は、当然のことだった。
敏達天皇崩御によって、継体天皇即位の時のように、世が再び乱れ、荒れることが確定したのであるから。
病にあっても、最早、守屋の怒りを鎮めることはできないだろう。
そうなれば、事が穏やかに済むはずもないし、また、簡単には片付かないことが、皇子には手に取るようであった。
「分かった。下がってよい」
皇子は、一人、心静かに、考えたかったのである。
皇子というが、泊瀬部皇子は、この年、六十六歳である。
継体朝の画期がなければ、とっくに即位していたであろう。
今でも、良識ある皇族、朝廷に仕えて長い群臣らは、泊瀬部皇子を皇位に、と推しているが、用明即位によって、それは完全に無くなった、と皇子は、すでに一人悟っていたのである。
もとより自身に後悔などない。
任那再建に明け暮れ、大和にあったことも少なかった。
ただ、支えてくれた妻子や、臣下、部民には、申し訳なかった。
この上は、迷惑はかけたくない、と皇子は思う。
つまり、自らの皇位継承の可能性そのものが、火種を生むだけで良きことなど無い、と考えるのであった。
しかし、そう決心したところで、再びの内紛は避けられない状況になってしまった。
「とにかく、急がねばのう」
皇子は、再び、河勝を呼んでくるように使いを出した。
そうしておいて、自らは机に向かった。
遺言をしたためたのである。
翌、九月十五日。
「父様、しばらくでございました」
蜂岡の皇子(蜂子皇子)が、倉梯宮(倉梯柴垣宮)に参った。
「おう、息災にしておったか」
「はい」
「仏教のほうはどうであるか」
「はい。順調ですが、これからが肝要にございます」
「そうであろうのう」
蜂岡の皇子にしても、とうの昔に、皇位など諦めている。
しかし、決断の日は、いずれどういう形であれやってくると考えていた。
そして、この前日、敏達天皇崩御の報を受け、また、父より呼び出しがかかったからには、いよいよと覚悟して馳せ参じた。
しばらくして、泊瀬部皇子は、ようやく重い口を開いた。
「すべては、終わり申した」
蜂岡皇子は、黙してひれ伏した。
これだけで、全ては分かった。
大和を離れる時が来たのだ、と。
「小手子と、錦代を頼んだぞ」
「はい、父様は」
「余は、しばらくここに残る」
そういう答えだと、蜂岡皇子にも分かりきっていたが、あえて聞いたのである。
蜂岡皇子には、「しばらく」の本当の意味も分かっていた。
それが、しばらくではないことをだ。
時が経っても、父は東国には向かわないことを。
しかし今、それを問いただしても、意味がない。
父はすでに決めてしまった後に、自らを呼んだのだろうから。
「その方は、決めてあるのか」
「はい、蝦夷の国へ」
「やはりな」
「中央の力が及ばないところしか、行き先はございません」
「それでは、河勝に余から言っておこう」
「いいえ、それには及びません。すでに、だいたいの話は付けておりますゆえ」
泊瀬部皇子は、頷いて微笑む。
ここまで、準備をさせてしまったか、であった。
「いつになろうか」
「母様のご決意が固まり次第でございます」
「それでは、それは余が話を付けよう」
「はい、よろしゅうお願い申します」
このやり取りが、実に泊瀬部父子の最後の会話であった。
それでも、蜂岡皇子が往んで後、泊瀬部皇子は、つくづくと感慨に浸った。
「この親にして、この子あり、か」と。
泊瀬部皇子の半生は、任那のことであり、また東国開拓のことであった。
もし、即位するようなことがあれば、特に東国、蝦夷の国の開拓を本格的に行いたいと考えていた。
そういう父の理想を、息子は受け継いだのであった。
もちろん、幼き頃から秦の人々と交わり、大陸文化だけでなく、日本全国に散らばる、秦氏たちの動向に、精通しているのだから無理もないことであった。
蜂岡皇子は、倉梯宮を出て、蜂岡には向かわなかった。
皇子を乗せた馬は、泊瀬道(現、泊瀬街道)を東に向かった。
目指すは、伊賀の穴穂宮。
穴穂部皇子を尋ねたのである。
「来ると思っておったぞ」
早速に居室に蜂岡皇子を通して、穴穂部皇子は言った。
穴穂部皇子は、今年、齢四十一。
用明天皇の、次代の天皇候補の一人であった。
いや、皇族の間では、病弱な用名よりも穴穂部皇子こそ、という人が多かった。
その皇子を、蜂岡皇子は、年が離れているが、兄と慕っていた。
「兄様、我は、大和を離れます」
「ほう、相変わらず、話が早いのう」
穴穂部皇子は笑いながら返した。
「すでに、だいたいお伝えしているとおりにございます」
「良い良い、蜂岡には、その道が一番合っておろう。して、いつになろうか」
「母の準備が整い次第にございます」
「やはり、小手子様も都を離れるのか」
「はい、それに錦代もでございます」
「そうなるのか。仕方ないことじゃが、寂しゅうなるのう」
蜂岡皇子は、それに応えず、穴穂部皇子の言葉を待った。
「余も、いよいよじゃ」
正念場、ということであった。
「やはり」
このまま、何事もせずに、過ぎるわけがなかった。
「詳しいことは、話せないが、そういうことじゃ」
穴穂部皇子も、この時を逸したら、もはや皇位は望めない。
いや皇位のことを抜きにしても、この蘇我の暴挙をこのままにしておくわけにはいかない、であった。
一つの外戚に留まっているのであれば、それも構わないが、このままでは、蘇我のための皇統になりかねなかった。
「糠手子(大伴糠手子)様は、どうなりましょうか」
蜂岡皇子は、そのことだけが気にかかった。
「糠手子様は、加担しないだろう。泊瀬部様と同じであろう」
両者とも、争いに疲れていた。
何も生まない、と。
倭の国は、もともと神の国であり、戦いを好まない国であった。
それが、外圧の中で、やむを得ず戦いに赴いたが、それも失敗に終っている。
そして、大陸からの渡来人が、戦いを倭に持ち込んだのである。
その戦乱が、雄略・継体朝での混乱をもたらした。
結果、どうなったか。
恨みは恨みしか生まない、のである。
それが今に続いていた。
糠手子は、泊瀬部皇子の願いで、蜂岡皇子に同行することになる。
「残念なことにございます」
蜂岡皇子は、そうとだけいった。
何が残念か。
戦わずにはいられない兄の宿命のことであった。
「何か、余に言い残すことはないか」
「はい」
「なんじゃ」
「河勝様のご尽力で、蜂岡の寺が間もなく完成致します。この寺をお守り頂きたいのでございます。都に居られるなら、わたくしが当然やるべきことなのですが。引き継ぐ子もありませんので」
「ほう、ついにのう。あい、分かった」
「もう一つ」
「ふむ」
「泊瀬部の民、財は、兄様の責任において、どなたか、然るべきお方にお引き継ぎ願います」
「それは、泊瀬部様がすべきことであろう」
「そうなのですが、万が一」
蜂岡皇子が案ずるのは、無理もなかった。
この先、泊瀬部皇子と穴穂部皇子は、共に、どうなるか知れなかった。
かと言って、都を離れてしまう自身には、どうすることもできない。
泊瀬部皇子が、当然、後のことを考えるだろうが、それとて、いずれ、秦河勝頼みであり、後ろ盾が不在なのである。
「分かった。しかと、道筋を付けようぞ」
この時、穴穂部の家には、十歳になる皇子があった。
いわゆる、厩戸皇子と知れた人物である。
のちに、聖徳太子と呼ばれる皇族である。
この日の蜂岡皇子の願いによって、泊瀬部は、厩戸皇子が管理を受け継ぐことになる。
加えて、蜂岡の寺(広隆寺)も、厩戸皇子が護った。
そして先のことではあるが、それらはすべて、厩戸皇子の次男が、引き継ぐことになった。
その皇子こそ、泊瀬王であった。
「崩御されました」
河勝(秦河勝)は、平身低頭して、恭しく報じた。
「なんと」
泊瀬部皇子は呟き、そのまま俯いた。
敏達天皇十四年(五八五年)、九月十四日のことであった。
疱瘡に伏していた、敏達天皇であった。
皇子の重い反応は、当然のことだった。
敏達天皇崩御によって、継体天皇即位の時のように、世が再び乱れ、荒れることが確定したのであるから。
病にあっても、最早、守屋の怒りを鎮めることはできないだろう。
そうなれば、事が穏やかに済むはずもないし、また、簡単には片付かないことが、皇子には手に取るようであった。
「分かった。下がってよい」
皇子は、一人、心静かに、考えたかったのである。
皇子というが、泊瀬部皇子は、この年、六十六歳である。
継体朝の画期がなければ、とっくに即位していたであろう。
今でも、良識ある皇族、朝廷に仕えて長い群臣らは、泊瀬部皇子を皇位に、と推しているが、用明即位によって、それは完全に無くなった、と皇子は、すでに一人悟っていたのである。
もとより自身に後悔などない。
任那再建に明け暮れ、大和にあったことも少なかった。
ただ、支えてくれた妻子や、臣下、部民には、申し訳なかった。
この上は、迷惑はかけたくない、と皇子は思う。
つまり、自らの皇位継承の可能性そのものが、火種を生むだけで良きことなど無い、と考えるのであった。
しかし、そう決心したところで、再びの内紛は避けられない状況になってしまった。
「とにかく、急がねばのう」
皇子は、再び、河勝を呼んでくるように使いを出した。
そうしておいて、自らは机に向かった。
遺言をしたためたのである。
翌、九月十五日。
「父様、しばらくでございました」
蜂岡の皇子(蜂子皇子)が、倉梯宮(倉梯柴垣宮)に参った。
「おう、息災にしておったか」
「はい」
「仏教のほうはどうであるか」
「はい。順調ですが、これからが肝要にございます」
「そうであろうのう」
蜂岡の皇子にしても、とうの昔に、皇位など諦めている。
しかし、決断の日は、いずれどういう形であれやってくると考えていた。
そして、この前日、敏達天皇崩御の報を受け、また、父より呼び出しがかかったからには、いよいよと覚悟して馳せ参じた。
しばらくして、泊瀬部皇子は、ようやく重い口を開いた。
「すべては、終わり申した」
蜂岡皇子は、黙してひれ伏した。
これだけで、全ては分かった。
大和を離れる時が来たのだ、と。
「小手子と、錦代を頼んだぞ」
「はい、父様は」
「余は、しばらくここに残る」
そういう答えだと、蜂岡皇子にも分かりきっていたが、あえて聞いたのである。
蜂岡皇子には、「しばらく」の本当の意味も分かっていた。
それが、しばらくではないことをだ。
時が経っても、父は東国には向かわないことを。
しかし今、それを問いただしても、意味がない。
父はすでに決めてしまった後に、自らを呼んだのだろうから。
「その方は、決めてあるのか」
「はい、蝦夷の国へ」
「やはりな」
「中央の力が及ばないところしか、行き先はございません」
「それでは、河勝に余から言っておこう」
「いいえ、それには及びません。すでに、だいたいの話は付けておりますゆえ」
泊瀬部皇子は、頷いて微笑む。
ここまで、準備をさせてしまったか、であった。
「いつになろうか」
「母様のご決意が固まり次第でございます」
「それでは、それは余が話を付けよう」
「はい、よろしゅうお願い申します」
このやり取りが、実に泊瀬部父子の最後の会話であった。
それでも、蜂岡皇子が往んで後、泊瀬部皇子は、つくづくと感慨に浸った。
「この親にして、この子あり、か」と。
泊瀬部皇子の半生は、任那のことであり、また東国開拓のことであった。
もし、即位するようなことがあれば、特に東国、蝦夷の国の開拓を本格的に行いたいと考えていた。
そういう父の理想を、息子は受け継いだのであった。
もちろん、幼き頃から秦の人々と交わり、大陸文化だけでなく、日本全国に散らばる、秦氏たちの動向に、精通しているのだから無理もないことであった。
蜂岡皇子は、倉梯宮を出て、蜂岡には向かわなかった。
皇子を乗せた馬は、泊瀬道(現、泊瀬街道)を東に向かった。
目指すは、伊賀の穴穂宮。
穴穂部皇子を尋ねたのである。
「来ると思っておったぞ」
早速に居室に蜂岡皇子を通して、穴穂部皇子は言った。
穴穂部皇子は、今年、齢四十一。
用明天皇の、次代の天皇候補の一人であった。
いや、皇族の間では、病弱な用名よりも穴穂部皇子こそ、という人が多かった。
その皇子を、蜂岡皇子は、年が離れているが、兄と慕っていた。
「兄様、我は、大和を離れます」
「ほう、相変わらず、話が早いのう」
穴穂部皇子は笑いながら返した。
「すでに、だいたいお伝えしているとおりにございます」
「良い良い、蜂岡には、その道が一番合っておろう。して、いつになろうか」
「母の準備が整い次第にございます」
「やはり、小手子様も都を離れるのか」
「はい、それに錦代もでございます」
「そうなるのか。仕方ないことじゃが、寂しゅうなるのう」
蜂岡皇子は、それに応えず、穴穂部皇子の言葉を待った。
「余も、いよいよじゃ」
正念場、ということであった。
「やはり」
このまま、何事もせずに、過ぎるわけがなかった。
「詳しいことは、話せないが、そういうことじゃ」
穴穂部皇子も、この時を逸したら、もはや皇位は望めない。
いや皇位のことを抜きにしても、この蘇我の暴挙をこのままにしておくわけにはいかない、であった。
一つの外戚に留まっているのであれば、それも構わないが、このままでは、蘇我のための皇統になりかねなかった。
「糠手子(大伴糠手子)様は、どうなりましょうか」
蜂岡皇子は、そのことだけが気にかかった。
「糠手子様は、加担しないだろう。泊瀬部様と同じであろう」
両者とも、争いに疲れていた。
何も生まない、と。
倭の国は、もともと神の国であり、戦いを好まない国であった。
それが、外圧の中で、やむを得ず戦いに赴いたが、それも失敗に終っている。
そして、大陸からの渡来人が、戦いを倭に持ち込んだのである。
その戦乱が、雄略・継体朝での混乱をもたらした。
結果、どうなったか。
恨みは恨みしか生まない、のである。
それが今に続いていた。
糠手子は、泊瀬部皇子の願いで、蜂岡皇子に同行することになる。
「残念なことにございます」
蜂岡皇子は、そうとだけいった。
何が残念か。
戦わずにはいられない兄の宿命のことであった。
「何か、余に言い残すことはないか」
「はい」
「なんじゃ」
「河勝様のご尽力で、蜂岡の寺が間もなく完成致します。この寺をお守り頂きたいのでございます。都に居られるなら、わたくしが当然やるべきことなのですが。引き継ぐ子もありませんので」
「ほう、ついにのう。あい、分かった」
「もう一つ」
「ふむ」
「泊瀬部の民、財は、兄様の責任において、どなたか、然るべきお方にお引き継ぎ願います」
「それは、泊瀬部様がすべきことであろう」
「そうなのですが、万が一」
蜂岡皇子が案ずるのは、無理もなかった。
この先、泊瀬部皇子と穴穂部皇子は、共に、どうなるか知れなかった。
かと言って、都を離れてしまう自身には、どうすることもできない。
泊瀬部皇子が、当然、後のことを考えるだろうが、それとて、いずれ、秦河勝頼みであり、後ろ盾が不在なのである。
「分かった。しかと、道筋を付けようぞ」
この時、穴穂部の家には、十歳になる皇子があった。
いわゆる、厩戸皇子と知れた人物である。
のちに、聖徳太子と呼ばれる皇族である。
この日の蜂岡皇子の願いによって、泊瀬部は、厩戸皇子が管理を受け継ぐことになる。
加えて、蜂岡の寺(広隆寺)も、厩戸皇子が護った。
そして先のことではあるが、それらはすべて、厩戸皇子の次男が、引き継ぐことになった。
その皇子こそ、泊瀬王であった。
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