19 / 25
十八 哀しき再会
しおりを挟む
(かなしきさいかい)
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
年が明け、二十日あまり経った、午下がり。
母屋から、機を織る音がしていた。
織っているのは、佐小(小手姫)である。
小予(錦代)が案じて、様子を見に来た。
「母様、ご無理は禁物です」
「なに、大事ありません」
日に日に衰弱しているように傍からは見えるが、当の本人は、嬉しそうであった。
それは無理もなく、誰も止めようがなかった。
織っているのは、産着用の絹布である。
小予の赤子のための産着である。
どうやら、身ごもっていることは確実であった。
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
本当は、かなり痛みもあり、座っていることも辛いはずであった。
しかし、生まれてくるであろう赤子のことを考えると、小手姫は機を織らずにはいられないのである。
障子越しの陽の光が、春めいていた。
だいぶ温かい。
「そなたこそ、今が大事なときですから、無理なきようにのう」
「はい、丸津殿にもそのように言われております」
「そうであろう、そうであろう、して、丸津殿は、この頃は何をされていますか」
「今は、染めのことを様々と差配しております」
「ほう、草木染めかの。それは精が出ることよのう」
「秋の内に取って、乾かしておいた萩を煎じて、染めております」
「それは楽しみ。この山野は、草木も多いゆえ、季節ごとに様々な染めができましょう」
「今朝は、呉藍(紅花)が欲しい、と言っておられました」
「種があればのう」
確かに、種子が無いと丸津は残念がっている、と言う。都に戻ればあるのだが、と。
どうして、丸津が呉藍にこだわるのかと言えば、それは、いつか、錦代が、小手姫は呉藍染めが好きだ、と言ったからであった。
「まあ、おいおいと」
小手姫は、周囲の焦りとは無縁だった。
この陽だまりに、静かに微笑みながら、機を織る。
そこには、儚いながらも、強く燃えるような小手姫の幸せが満ちているようである。
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
その、幸せを、小手姫は絹に織り込んでいるのである。
良く育て、良く育て、と。
小さき赤子のための絹布は多くは要らない。
それでも、力の限り、小手姫は機を織った。
それが生きる証であった。
それが、最後に、小手姫が遺したものであった。
やがて、機織りの音は、聞かれなくなった。
堂平での二年目の春蚕には、届かなかった。
五八七年三月十五日、小手姫の四十七年の生涯は、静かに幕を閉じた。
皆に見守られ、眠るように息を引き取られたのである。
急使が、秦黒山に走った。
そして、翌月は四月七日、蜂岡皇子、いや蜂俊は、修験者らを従えて堂平に到着した。
明け方である。
里の方から響き渡る、シャン、シャンという音とともに、彼らが村に入ってくることが分かった。
その音に気づいた村長が直ちに迎えの者を数人出し、蜂俊らを案内した。
「蜂岡様、お久しゅうございます」
峯能(糠手子)がお迎えの言葉を発した。
「大伴様、息災にて何よりです」
「いやいや、この老体は、無益に永らえております」
その糠手子の言葉が、全てを物語っていた。
親よりも早く先立った小手姫の不幸を。
蜂俊は、合掌して、歩み寄り、糠手子の肩に手を載せた。
「兄様」
堪えきれず、錦代が歩み寄って、蜂俊の腕に手を掛ける。
「蜂岡様、ご無事でよろしゅうございました」
「おお、丸津か。よく守ってくださいました、皆を。そなたの父も一緒である」
丸津が津に目をやった。
その目は、涙に潤んでいる。
数えきれない想いの涙である。
「皆、よく守ってくださった。有難きことよ」
「ご対面ください」
そういって、峯能が早速促した。
母屋には、村人が総出で造った石棺がおかれ、その中に小手姫は安置されていた。
村人数人が駆け寄り、急ぎ石棺の蓋が外された。
蜂俊は、変わり果てた小手姫を見て、手を合わせる。
そして、母の胸に手のひらを載せた。
「母様、半年遅うございました、我は。間に合いませんでした。残念です。呉藍(紅花)です。黒山の里に、呉藍(紅花)が育ったのです。その呉藍を、その呉藍を、増やして、秋には、お届けしようと思うておりました。いまだ修行の身。お許しください」
蜂俊は、この時ばかりは、蜂岡皇子に戻った。
止めどない涙が溢れ、棺に落ちていった。
それでも、間もなく我に返った蜂俊は、読経を始める。
修験者が揃ってあげる経は、それは荘厳で力に満ち溢れていた。
仏告優波離、汝今諦聴、是弥勒菩薩於未来世、当為衆生作大帰依処
若有帰依弥勒菩薩者、当知、是人於無上道得不退転
弥勒菩薩成多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀時、如此行人見仏光明即得授記
仏告優波離、仏滅度後、四部弟子天竜鬼神、若有欲生兜率陀天者、当作是観、繋念思惟
念兜率陀天持仏禁戒、一日至七日、思念十善行十善道、以此功徳廻向願生弥勒前者、当作是観
作是観者、若見一天人、見一蓮花
若一念頃称弥勒名、此人除却千二百劫生死之罪
但聞弥勒名合掌恭敬、此人除却五十劫生死之罪
若有敬礼弥勒者、除却百億劫生死之罪
設不生天、未来世中竜花菩提樹下亦得値遇、発無上道心
説是語時、無量大衆即従坐起、頂礼仏足礼弥勒足、遶仏及弥勒菩薩百千匝、未得道者各発誓願
我等天人八部、今於仏前発誠実誓願
於未来世値遇弥勒、捨此身已皆得上生兜率陀天
世尊記曰、汝等及未来世修福持戒、皆当往生弥勒菩薩前為弥勒菩薩之所摂受
仏告優波離、作是観者名為正観、若他観者名為邪観
それは、仏が説く、往生の方法であった。
その後、蜂俊らの意見、そして生前、小手姫が繰り返し登頂されたこともあり、小手姫の亡骸を納めた石棺は、御上山の山頂に埋葬された。
このおよそ半年後の、六月二十八日。
蜂俊ら秦黒山の修験者が再び、堂平を訪れた。
それは、小手姫が崩逝されて後、ちょうど百日目であった。
彼らは、多量の呉藍(紅花)を携えていた。
小手姫の石棺の中は、黄色い花弁で埋め尽くされた。
小手姫が愛した色であった。
こうして、堂平に養蚕を伝えた小手姫は、後世に女神として崇められ、御上山は、「女神山」と呼ばれるようになったのである。
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
年が明け、二十日あまり経った、午下がり。
母屋から、機を織る音がしていた。
織っているのは、佐小(小手姫)である。
小予(錦代)が案じて、様子を見に来た。
「母様、ご無理は禁物です」
「なに、大事ありません」
日に日に衰弱しているように傍からは見えるが、当の本人は、嬉しそうであった。
それは無理もなく、誰も止めようがなかった。
織っているのは、産着用の絹布である。
小予の赤子のための産着である。
どうやら、身ごもっていることは確実であった。
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
本当は、かなり痛みもあり、座っていることも辛いはずであった。
しかし、生まれてくるであろう赤子のことを考えると、小手姫は機を織らずにはいられないのである。
障子越しの陽の光が、春めいていた。
だいぶ温かい。
「そなたこそ、今が大事なときですから、無理なきようにのう」
「はい、丸津殿にもそのように言われております」
「そうであろう、そうであろう、して、丸津殿は、この頃は何をされていますか」
「今は、染めのことを様々と差配しております」
「ほう、草木染めかの。それは精が出ることよのう」
「秋の内に取って、乾かしておいた萩を煎じて、染めております」
「それは楽しみ。この山野は、草木も多いゆえ、季節ごとに様々な染めができましょう」
「今朝は、呉藍(紅花)が欲しい、と言っておられました」
「種があればのう」
確かに、種子が無いと丸津は残念がっている、と言う。都に戻ればあるのだが、と。
どうして、丸津が呉藍にこだわるのかと言えば、それは、いつか、錦代が、小手姫は呉藍染めが好きだ、と言ったからであった。
「まあ、おいおいと」
小手姫は、周囲の焦りとは無縁だった。
この陽だまりに、静かに微笑みながら、機を織る。
そこには、儚いながらも、強く燃えるような小手姫の幸せが満ちているようである。
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
その、幸せを、小手姫は絹に織り込んでいるのである。
良く育て、良く育て、と。
小さき赤子のための絹布は多くは要らない。
それでも、力の限り、小手姫は機を織った。
それが生きる証であった。
それが、最後に、小手姫が遺したものであった。
やがて、機織りの音は、聞かれなくなった。
堂平での二年目の春蚕には、届かなかった。
五八七年三月十五日、小手姫の四十七年の生涯は、静かに幕を閉じた。
皆に見守られ、眠るように息を引き取られたのである。
急使が、秦黒山に走った。
そして、翌月は四月七日、蜂岡皇子、いや蜂俊は、修験者らを従えて堂平に到着した。
明け方である。
里の方から響き渡る、シャン、シャンという音とともに、彼らが村に入ってくることが分かった。
その音に気づいた村長が直ちに迎えの者を数人出し、蜂俊らを案内した。
「蜂岡様、お久しゅうございます」
峯能(糠手子)がお迎えの言葉を発した。
「大伴様、息災にて何よりです」
「いやいや、この老体は、無益に永らえております」
その糠手子の言葉が、全てを物語っていた。
親よりも早く先立った小手姫の不幸を。
蜂俊は、合掌して、歩み寄り、糠手子の肩に手を載せた。
「兄様」
堪えきれず、錦代が歩み寄って、蜂俊の腕に手を掛ける。
「蜂岡様、ご無事でよろしゅうございました」
「おお、丸津か。よく守ってくださいました、皆を。そなたの父も一緒である」
丸津が津に目をやった。
その目は、涙に潤んでいる。
数えきれない想いの涙である。
「皆、よく守ってくださった。有難きことよ」
「ご対面ください」
そういって、峯能が早速促した。
母屋には、村人が総出で造った石棺がおかれ、その中に小手姫は安置されていた。
村人数人が駆け寄り、急ぎ石棺の蓋が外された。
蜂俊は、変わり果てた小手姫を見て、手を合わせる。
そして、母の胸に手のひらを載せた。
「母様、半年遅うございました、我は。間に合いませんでした。残念です。呉藍(紅花)です。黒山の里に、呉藍(紅花)が育ったのです。その呉藍を、その呉藍を、増やして、秋には、お届けしようと思うておりました。いまだ修行の身。お許しください」
蜂俊は、この時ばかりは、蜂岡皇子に戻った。
止めどない涙が溢れ、棺に落ちていった。
それでも、間もなく我に返った蜂俊は、読経を始める。
修験者が揃ってあげる経は、それは荘厳で力に満ち溢れていた。
仏告優波離、汝今諦聴、是弥勒菩薩於未来世、当為衆生作大帰依処
若有帰依弥勒菩薩者、当知、是人於無上道得不退転
弥勒菩薩成多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀時、如此行人見仏光明即得授記
仏告優波離、仏滅度後、四部弟子天竜鬼神、若有欲生兜率陀天者、当作是観、繋念思惟
念兜率陀天持仏禁戒、一日至七日、思念十善行十善道、以此功徳廻向願生弥勒前者、当作是観
作是観者、若見一天人、見一蓮花
若一念頃称弥勒名、此人除却千二百劫生死之罪
但聞弥勒名合掌恭敬、此人除却五十劫生死之罪
若有敬礼弥勒者、除却百億劫生死之罪
設不生天、未来世中竜花菩提樹下亦得値遇、発無上道心
説是語時、無量大衆即従坐起、頂礼仏足礼弥勒足、遶仏及弥勒菩薩百千匝、未得道者各発誓願
我等天人八部、今於仏前発誠実誓願
於未来世値遇弥勒、捨此身已皆得上生兜率陀天
世尊記曰、汝等及未来世修福持戒、皆当往生弥勒菩薩前為弥勒菩薩之所摂受
仏告優波離、作是観者名為正観、若他観者名為邪観
それは、仏が説く、往生の方法であった。
その後、蜂俊らの意見、そして生前、小手姫が繰り返し登頂されたこともあり、小手姫の亡骸を納めた石棺は、御上山の山頂に埋葬された。
このおよそ半年後の、六月二十八日。
蜂俊ら秦黒山の修験者が再び、堂平を訪れた。
それは、小手姫が崩逝されて後、ちょうど百日目であった。
彼らは、多量の呉藍(紅花)を携えていた。
小手姫の石棺の中は、黄色い花弁で埋め尽くされた。
小手姫が愛した色であった。
こうして、堂平に養蚕を伝えた小手姫は、後世に女神として崇められ、御上山は、「女神山」と呼ばれるようになったのである。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
婚約者の幼馴染?それが何か?
仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた
「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」
目の前にいる私の事はガン無視である
「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」
リカルドにそう言われたマリサは
「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」
ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・
「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」
「そんな!リカルド酷い!」
マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している
この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ
タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」
「まってくれタバサ!誤解なんだ」
リカルドを置いて、タバサは席を立った
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる