羽黒山、開山

鈴木 了馬

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十八 哀しき再会

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 (かなしきさいかい)


「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
 年が明け、二十日あまり経った、午下がり。
 母屋から、機を織る音がしていた。
 織っているのは、佐小(小手姫)である。
 小予(錦代)が案じて、様子を見に来た。
「母様、ご無理は禁物です」
「なに、大事ありません」
 日に日に衰弱しているように傍からは見えるが、当の本人は、嬉しそうであった。
 それは無理もなく、誰も止めようがなかった。
 織っているのは、産着用の絹布である。
 小予の赤子のための産着である。
 どうやら、身ごもっていることは確実であった。
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
 本当は、かなり痛みもあり、座っていることも辛いはずであった。
 しかし、生まれてくるであろう赤子のことを考えると、小手姫は機を織らずにはいられないのである。
 障子越しの陽の光が、春めいていた。
 だいぶ温かい。
「そなたこそ、今が大事なときですから、無理なきようにのう」
「はい、丸津殿にもそのように言われております」
「そうであろう、そうであろう、して、丸津殿は、この頃は何をされていますか」
「今は、染めのことを様々と差配しております」
「ほう、草木染めかの。それは精が出ることよのう」
「秋の内に取って、乾かしておいた萩を煎じて、染めております」
「それは楽しみ。この山野は、草木も多いゆえ、季節ごとに様々な染めができましょう」
「今朝は、呉藍(紅花)が欲しい、と言っておられました」
「種があればのう」
 確かに、種子が無いと丸津は残念がっている、と言う。都に戻ればあるのだが、と。
 どうして、丸津が呉藍にこだわるのかと言えば、それは、いつか、錦代が、小手姫は呉藍染めが好きだ、と言ったからであった。
「まあ、おいおいと」
 小手姫は、周囲の焦りとは無縁だった。
 この陽だまりに、静かに微笑みながら、機を織る。
 そこには、儚いながらも、強く燃えるような小手姫の幸せが満ちているようである。
「カラカラカラカラ、パタン、パッタン」
 その、幸せを、小手姫は絹に織り込んでいるのである。
 良く育て、良く育て、と。
 小さき赤子のための絹布は多くは要らない。
 それでも、力の限り、小手姫は機を織った。
 それが生きる証であった。
 それが、最後に、小手姫が遺したものであった。
 やがて、機織りの音は、聞かれなくなった。
 堂平での二年目の春蚕には、届かなかった。
 五八七年三月十五日、小手姫の四十七年の生涯は、静かに幕を閉じた。
 皆に見守られ、眠るように息を引き取られたのである。
 
 急使が、秦黒山に走った。
 そして、翌月は四月七日、蜂岡皇子、いや蜂俊は、修験者らを従えて堂平に到着した。
 明け方である。
 里の方から響き渡る、シャン、シャンという音とともに、彼らが村に入ってくることが分かった。
 その音に気づいた村長むらおさが直ちに迎えの者を数人出し、蜂俊らを案内した。
「蜂岡様、お久しゅうございます」
 峯能(糠手子)がお迎えの言葉を発した。
「大伴様、息災にて何よりです」
「いやいや、この老体は、無益に永らえております」
 その糠手子の言葉が、全てを物語っていた。
 親よりも早く先立った小手姫の不幸を。
 蜂俊は、合掌して、歩み寄り、糠手子の肩に手を載せた。
「兄様」
 堪えきれず、錦代が歩み寄って、蜂俊の腕に手を掛ける。
「蜂岡様、ご無事でよろしゅうございました」
「おお、丸津か。よく守ってくださいました、皆を。そなたの父も一緒である」
 丸津が津に目をやった。
 その目は、涙に潤んでいる。
 数えきれない想いの涙である。
「皆、よく守ってくださった。有難きことよ」
「ご対面ください」
 そういって、峯能が早速促した。
 母屋には、村人が総出で造った石棺がおかれ、その中に小手姫は安置されていた。
 村人数人が駆け寄り、急ぎ石棺の蓋が外された。
 蜂俊は、変わり果てた小手姫を見て、手を合わせる。
 そして、母の胸に手のひらを載せた。
「母様、半年遅うございました、我は。間に合いませんでした。残念です。呉藍(紅花)です。黒山の里に、呉藍(紅花)が育ったのです。その呉藍を、その呉藍を、増やして、秋には、お届けしようと思うておりました。いまだ修行の身。お許しください」
 蜂俊は、この時ばかりは、蜂岡皇子に戻った。
 止めどない涙が溢れ、棺に落ちていった。
 それでも、間もなく我に返った蜂俊は、読経を始める。
 修験者が揃ってあげる経は、それは荘厳で力に満ち溢れていた。
 
 仏告優波離仏は優波離にお告げになられた汝今諦聴「汝、いまあきらか聴けよ是弥勒菩薩於未来世この弥勒菩薩は未来世において当為衆生作大帰依処まさに迷い多き人間界のために偉大なる拠り所を造ったのだ」
 若有帰依弥勒菩薩者「もし弥勒菩薩にすがる者があるならば当知まさに知るだろう是人於無上道この行人は、悟りの道において得不退転もはや迷いがない」
 弥勒菩薩「弥勒菩薩が成多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀時多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀となる時如此行人見仏光明その行人は、仏の光明を目の当たりにし、即得授記ただちに弥勒菩薩は、その者が仏になることを保証されるだろう」と
 仏告優波離さらに仏は、優波離にお告げになられた仏滅度後「仏は、悟りの境地を得た後四部弟子天竜鬼神四部の弟子、天・竜・鬼神にして若有欲生兜率陀天者もし兜率陀天に生まれ変わることを望む者があれば当作是観道理を与え繋念思惟思いを繋ぎ、深く考えるであろう」と
 念兜率陀天持仏禁戒「兜率陀天を念じ、仏の禁戒を守って一日至七日、思念十善行十善道七日目、十善行・十善道を思念して以此功徳廻向願生弥勒前者この功徳をもって廻向して弥勒の前に生まれ変わると願う者は当作是観まさに仏の真理を得るであろう」と
 作是観者「また、この真理を得た者は若見一天人一人の天界に住まう者と会い見一蓮花一輪の蓮の花を見るだろう」と
 若一念頃称弥勒名「もし、一念の頃に、弥勒の名を唱えれば此人除却千二百劫生死之罪その行人は、千二百劫の生き死の罪を除却されるだろう」と
 但聞弥勒名「ただ、弥勒の名を聞き合掌恭敬合掌し慎み敬うことだけをしても此人除却五十劫生死之罪その行人は、五十劫の生き死の罪を取り除かれるだろう」と
 若有敬礼弥勒者「もし弥勒を敬礼するならば除却百億劫生死之罪百億劫の生き死の罪を除却されるだろう」と
 設不生天「たとえ天上に生まれ変わることができなくても未来世中竜花菩提樹下亦得値遇未来世のうちには、竜花菩提樹の下にまた縁を得て発無上道心無上道への道理は与えられるだろう」と
 説是語時仏が、この言葉を説かれた時無量大衆即従坐起数えきれないほど多くの僧侶が、直ちに立ち上がり頂礼仏足礼弥勒足仏の御足下にひれ伏し遶仏及弥勒菩薩百千匝仏および弥勒を周ること、百千回未得道者未だに道を得ていない者たちも各発誓願おのおのが誓願を起こした
 我等天人八部「我ら天人八部今於仏前発誠実誓願いま仏前において誠実に誓願を発し
 於未来世値遇弥勒未来世において弥勒にめぐりあい捨此身已この身を捨ておわりて皆得上生兜率陀天みな兜率陀天に上生することを得るだろう」と
 世尊記曰世尊、記して言われた汝等及未来世修福「汝らおよび未来世に福を身につけ持戒戒めを持つ者皆当往生弥勒菩薩前皆まさに弥勒菩薩の前に往生することとなり為弥勒菩薩之所摂受弥勒菩薩よりあたたかく仏道に導かれることであろう」と
 仏告優波離仏はまた、優波離に言われた作是観者名為正観「この真理を得ることを正観と名付けて言う若他観者名為邪観これ以外の真理を邪観と言う」と

 それは、仏が説く、往生の方法であった。

 その後、蜂俊らの意見、そして生前、小手姫が繰り返し登頂されたこともあり、小手姫の亡骸を納めた石棺は、御上山の山頂に埋葬された。

 このおよそ半年後の、六月二十八日。
 蜂俊ら秦黒山の修験者が再び、堂平を訪れた。
 それは、小手姫が崩逝されてのち、ちょうど百日目であった。
 彼らは、多量の呉藍くれのあい(紅花)を携えていた。
 小手姫の石棺の中は、黄色い花弁で埋め尽くされた。
 小手姫が愛した色であった。

 こうして、堂平に養蚕を伝えた小手姫は、後世に女神として崇められ、御上山は、「女神山」と呼ばれるようになったのである。
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