相模にくだりて

鈴木 了馬

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相模百首歌の起こり(終話)

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「相模に下りて、相模を号す」
 再び、声に出してみて、乙侍従は、頷いた。
 しっくりいく。
 日が昇り始め、鶯は飛び去った。
 乙侍従は、走湯の庵に想いを馳せる。
「聖範殿には、たいそう世話になった」
 庵からは、伊豆の半島、島々を見渡すことができた。
 その雄大な景色を眺める小さき庵。
「あれこそ、走湯権現の御利益」
 自らの歌業は、走湯の地での鍛錬に端を発している。
「有り難い」
 自らを支えてくれた、人々の顔が脳裏に次から次へと浮かんでは消えた。
 気づけば、思いがけず、涙がこぼれている。
 寂しいわけではない。
 ただただ、有り難いのであった。
 気を取り直して、座り直した時に、閃いたことがあった。
「そうであるか、百首歌に」
 閃きは続く。
「それでも余りある」
 乙侍従が、相模国にて、詠作した歌群は、優に五百首以上はあった。
 そして、贈答歌、返歌もそれなりにある。
 この日、このようにして三つの百首、「走湯奉納百首」、「走湯権現返歌百首」、「走湯ふたたび奉納百首」が企図され、形作られていったのである。
 また、意図して、不出来を装ったり、権現になりすまして追加創作し、編纂していった。
 それだけではない。
 藤原定頼との贈答・返歌を紛れ込ませ、殊更、夫の不仲を書き、それに悩む妻を演出したのである。
 まさに、編纂者として、閨秀けいしゅう歌人「相模」は、百首群を書きあげたのである。
「聖範殿は、権現様」
 組み立てが決まり、相模は、忘れぬうちに、とすぐに冒頭文を書き始めた。
 もちろん、それは、一部事実をじえた創作であった。

 このところは、毎日思い悩む事も多く、あまり気がすすまないうちに、吾妻の国に下向したのでしたが、こういう機会だからと、長年詣でたいと願っておりました走湯の権現様に、ようやく下向して三年目の正月、参詣することが叶いました。
 その場で、心に思うことのすべてをお願いすることなど出来まいと思われましたので、途中の宿にて、雨で足止めとなり、手持ち無沙汰だったので、心の内に思うことをそのまま、権現様に奉納する奉幣を小さき冊子にして書きつけました。
 そうして書いた百首は、みな古風な歌ばかりで、特に良いと思うものをその中から選んでしまいたいくらいなのですが、仕方なく差し出がましいことではありますが、気に入らない不出来な歌も、そのまま残します。
 にわかに思い立ったことですので、走湯権現の社殿の下に埋めてもらいました。
 精進する期間は、「とき」ということにいたしました。
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