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成就
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「御前様、駿河より使者が参りましてございます」
女房ミツが最後まで言い切る前に、相模は通せ、と言った。
駿河からの使者を、乙御前は待ちに待っていたのである。
はたして使者は、阿多美聖範の文を運んできた。
時は、治安二年(一〇二二年)の盛夏であった。
文には、相模の伊豆山への案内については「謹諾」と書かれていた。
相模は、嬉しさのあまり、思わず膝を打った。
阿多美聖範とは、走湯(伊豆山)権現の仏僧であり、本名は、平盛方。
武将、平直方の二男である。
平直方の本拠地は、鎌倉別(現、神奈川県鎌倉市)。
鎌倉といえば、源氏だが、平安時代まで遡れば、平氏に行き着く。
更に、平直方は、源頼朝の源流、清和源氏の流れである河内源氏系、源頼義に娘を嫁がせている。
平直方の三代後の後裔が、北条時政である。
つまり、平治の乱(一一六〇年)で、平氏に敗れ、伊豆北条郡に流された源頼朝を監視していたのが、桓武平氏の流れをくむ北条時政であるが、その百年以上前にすでに、鎌倉を介して、頼朝と時政は縁があった、ということなのである。
加えて、歌人相模の養父である、源頼光は源頼義の父、頼信と兄弟であるのだ。
人のつながりは不思議なものである、と相模は後に回想する。
「亡き、父の霊が縁を引き寄せた」
そう思わずにはいられない相模であった。
夫、大江公資が国司である相模国。その隣の領である鎌倉別を護る平直方が、公資の妻の走湯(伊豆山)権現参詣の願いを耳にして、秘かに取り計らってくれたのである。
もちろん、これは直方の政治的な深慮もあったろうが。
当時、相模国から伊豆山に行くには、足柄坂(足柄峠)の越え、箱根山を越えて、一旦駿河国に入り、それから海側に山を越えて行くしかない、とされていた。
いくつもの難所を、古道を通って行かなければならなかったのだ。
鬼や獣が出るとされる山道を、時の国司の妻を何事もなく運ぶという重責を、おいそれと引き受ける者など、なかなか居るものではなかった。
挙げ句の果てに、波多野(秦野)の渡来人に頼み、舟で阿多美(熱海)まで渡る方策も考えられたほどだったが、結局それも危険がすぎると立ち消えになった。
そうこうしているうちに、平直方が噂を聞きつけたのであった。
直方は、一男の維方に家督を譲り、二男、盛方(阿多美聖範)には、走湯山を与え、一帯を護らせていた。
盛方が武士に向いていなかったというわけではない。
むしろ、逆で、伊豆山を我が庭のように、武芸鍛錬の場としていた盛方を見込んでのことである。
言うまでもなく、盛方は伊豆山の古道、隠れ道を知り尽くしている。
加えて、盛方は文芸の方も達者であり、仏教にも早いうちから関心を示していた。
まさに、適任であったわけだ。
盛方の文には、出立の時期についても記載があった。
冬枯れが始まった時期の山越えが望ましい、と。
道なき道を行くためであろうことが容易に予想された。
警護に関しては、露ほどの心配には及ばないが、一つだけ条件が付いた。
それは、各々が軍馬に騎馬しての行幸になる、ということであった。
それに、その文には無かったが、出立直前に聖範自らが、乙御前にもう一つの願いを伝えた。
「この道のりについては、他言無用にお願い申し上げます」
その道のりとは、早河牧(現小田原市)から山を越え、海にほど近い踏分道を抜け、土肥(現、湯河原町一帯)から阿多美(熱海)へ続く古道のことであった。
この古道は、伊豆平氏(後の北条)の者のみに直伝された隠れ道であった。
源頼朝が、大庭景親と戦った石橋山のすぐ近くを、この古道が通っていたはずである。
既に平安時代には、日本全国に整備された官道があり、約三十里ごとに駅家が設置されていた。
その官道は、朝廷が地方を管理するためのもの。庶民の生活道は当然別にある。
そして、北条の隠れ道のような古道も多くあったであろう。
その古道を、阿多美(熱海)まで行こう、というのであった。
はたして、山が色づく秋、予告どおり午の刻限(約十一時)に、阿多美聖範率いる武隊が現われた。
当初、この時刻の出立を乙御前は訝った。
「早朝ではござらぬのか」
「きっと、聖範様にお考えがあってのことにござります」
ミツは、そう返し、落ち着き払っていた。
「警護は、当方で一切引き受けます故、随行は最小限に願いたてまつります」
そういう聖範の申し出もあり、乙御前には、ミツともう一人の女房が付き添うのみとなった。
大住(現、平塚)を出立して、未の刻(約午後三時)には、早河牧にたどり着いた。
そこからは、乙御前らも、牛車からそれぞれの軍馬に乗り換える。
よく手懐けられた馬たちであった。
乗り方が不得手な乙御前と女房たちに動揺することもない。
早河牧を過ぎ、一行は、早河(現、早川)の右岸の道を、西に進路を取って歩く。
険しい箱根山が近づいてきた。
乙御前は、はあ、と声を上げた。
いくしほの時雨降りてかたつた姫
くれなゐの葉をふかく染むらん
(幾度の時雨に降られて、立田山の姫様は、紅葉の葉を色濃く染めるのでしょうか)
【のちに、『走湯奉納百首』 [歌題]季秋「葉の色の深さ」として選歌】
平城京の西にある、紅葉の名所、立田山にちなんで、その夜、乙御前は、箱根山の紅葉の美しさを讃えた。
「間もなく館に到着いたします」
館とは、伊豆平氏の居館。
その日の宿であった。
しばらくして、河幅の狭いところで、一行は早河を渡る。
河に浮き橋を掛けて待っていたのは、聖範の配下の者。
渡河して間もなく館が見えてきた。
聖範が乙御前の馬まで戻り、伝える。
「今宵は、ここを宿にいたします。温泉がございます故、ごゆるりと、明日からの山行きにお備えなされませ」
行き届いた計らいであった。
この先の旅に備えて、英気を養う、というのである。
温泉だけではなかった。
食事も地の幸に恵まれていた。
河口の港に揚がったカマスや、山菜、きのこなどの山のもの。
そして、あくる早朝から、踏分古道の行幸となるわけだが、その隠れ道は、まさに居館の裏手からそのまま続いていたのである。
つまり、この居館は、ただの館ではない。
隠れ道を隠すかのように建ち、かつ道の入口でもあったのだ。
一行は、林の中を一旦河口付近まで下り、一つの寺院の裏を通り、山道に入っていった。
予想はされたことだが、急坂を蛇行しながら上がって行く。
一刻(約三十分)歩き、早くも一つの尾根にたどり着いた。
乙御前は目を見張った。
左手に海が見下ろせた。
大住付近の「こゆるぎの浜」とはまるで違う風景であった。
正直、旅の前、乙御前は言葉にこそ出さなかったが、不安であった。
下向した時に通った、あの恐ろしい足柄坂のような酷く山深いところを行くとばかり想っていたからである。
ところが開けてみれば、聖範が案内する道は、狭い山道ではあるが、閉ざされた感じがない。
それは、時折眺められる、海のおかげであったろう。
深い碧。
見下ろすからこそ、その雄大さが際立った。
御山路のおとに聞きつる坂ゆけば
願ひ満ちぬる心地こそすれ
(霊験あらたかな伊豆山に続く、話に聞いた険しい坂道を行くと、「さかゆく」というように、我が身も栄えていって、願いが叶い、満たされていく心地がいたします)
【のちに、『走湯奉納百首』 [歌題]雑「坂」として選歌】
一日目は、山里に逗留した。
現在の根府川付近であったろう。
そこにも、質素だが、聖範が管理する建物がいくつかあり、そこに分かれて宿泊した。
そして、二日目は、いよいよ土肥まで進む。
逗留したのは、現在の奥湯河原辺りであった。
ここには、早河よりも立派な居館があった。
もちろん、湯もある。
「万葉から続く湯に浸かれるとは、夢にも思いませんでした」
そこで、聖範は助言した。
「一度に長く浸かってはなりませぬ。短く、間を置き、何度も入ってくだされ。こちらは早河の湯に比べて強い湯でありますゆえ」
三日目は、一旦海側に戻り、また寺院の裏手から山に入っていった。
そして一気に走湯(伊豆山)権現に向けて南下していくのである。
その日は、海が見えない深い山道を進んでいった。
それだから、阿多美(熱海)の海が見えたとき、乙御前は、本当に洞窟から外に出たような晴れがましい気持であった。
驚きは、それだけではなかった。
聖範は、伊豆山の宿として、乙御前のために新しい庵を提供したのである。
「時が許される限りにおきまして、こちらで歌業に勤しまれてくださいませ」
女房たちにも庵の隣に住まいが用意されていた。
その庵は、走湯権現の山門と、走湯のおよそ中間に位置していた。
毎朝参詣し、湯浴みをする日々であった。
乙御前らは、そこにおよそ四ヶ月の間滞在したのである。
後の歌人、相模は、この庵で多くの和歌詠作を行った。
女房ミツが最後まで言い切る前に、相模は通せ、と言った。
駿河からの使者を、乙御前は待ちに待っていたのである。
はたして使者は、阿多美聖範の文を運んできた。
時は、治安二年(一〇二二年)の盛夏であった。
文には、相模の伊豆山への案内については「謹諾」と書かれていた。
相模は、嬉しさのあまり、思わず膝を打った。
阿多美聖範とは、走湯(伊豆山)権現の仏僧であり、本名は、平盛方。
武将、平直方の二男である。
平直方の本拠地は、鎌倉別(現、神奈川県鎌倉市)。
鎌倉といえば、源氏だが、平安時代まで遡れば、平氏に行き着く。
更に、平直方は、源頼朝の源流、清和源氏の流れである河内源氏系、源頼義に娘を嫁がせている。
平直方の三代後の後裔が、北条時政である。
つまり、平治の乱(一一六〇年)で、平氏に敗れ、伊豆北条郡に流された源頼朝を監視していたのが、桓武平氏の流れをくむ北条時政であるが、その百年以上前にすでに、鎌倉を介して、頼朝と時政は縁があった、ということなのである。
加えて、歌人相模の養父である、源頼光は源頼義の父、頼信と兄弟であるのだ。
人のつながりは不思議なものである、と相模は後に回想する。
「亡き、父の霊が縁を引き寄せた」
そう思わずにはいられない相模であった。
夫、大江公資が国司である相模国。その隣の領である鎌倉別を護る平直方が、公資の妻の走湯(伊豆山)権現参詣の願いを耳にして、秘かに取り計らってくれたのである。
もちろん、これは直方の政治的な深慮もあったろうが。
当時、相模国から伊豆山に行くには、足柄坂(足柄峠)の越え、箱根山を越えて、一旦駿河国に入り、それから海側に山を越えて行くしかない、とされていた。
いくつもの難所を、古道を通って行かなければならなかったのだ。
鬼や獣が出るとされる山道を、時の国司の妻を何事もなく運ぶという重責を、おいそれと引き受ける者など、なかなか居るものではなかった。
挙げ句の果てに、波多野(秦野)の渡来人に頼み、舟で阿多美(熱海)まで渡る方策も考えられたほどだったが、結局それも危険がすぎると立ち消えになった。
そうこうしているうちに、平直方が噂を聞きつけたのであった。
直方は、一男の維方に家督を譲り、二男、盛方(阿多美聖範)には、走湯山を与え、一帯を護らせていた。
盛方が武士に向いていなかったというわけではない。
むしろ、逆で、伊豆山を我が庭のように、武芸鍛錬の場としていた盛方を見込んでのことである。
言うまでもなく、盛方は伊豆山の古道、隠れ道を知り尽くしている。
加えて、盛方は文芸の方も達者であり、仏教にも早いうちから関心を示していた。
まさに、適任であったわけだ。
盛方の文には、出立の時期についても記載があった。
冬枯れが始まった時期の山越えが望ましい、と。
道なき道を行くためであろうことが容易に予想された。
警護に関しては、露ほどの心配には及ばないが、一つだけ条件が付いた。
それは、各々が軍馬に騎馬しての行幸になる、ということであった。
それに、その文には無かったが、出立直前に聖範自らが、乙御前にもう一つの願いを伝えた。
「この道のりについては、他言無用にお願い申し上げます」
その道のりとは、早河牧(現小田原市)から山を越え、海にほど近い踏分道を抜け、土肥(現、湯河原町一帯)から阿多美(熱海)へ続く古道のことであった。
この古道は、伊豆平氏(後の北条)の者のみに直伝された隠れ道であった。
源頼朝が、大庭景親と戦った石橋山のすぐ近くを、この古道が通っていたはずである。
既に平安時代には、日本全国に整備された官道があり、約三十里ごとに駅家が設置されていた。
その官道は、朝廷が地方を管理するためのもの。庶民の生活道は当然別にある。
そして、北条の隠れ道のような古道も多くあったであろう。
その古道を、阿多美(熱海)まで行こう、というのであった。
はたして、山が色づく秋、予告どおり午の刻限(約十一時)に、阿多美聖範率いる武隊が現われた。
当初、この時刻の出立を乙御前は訝った。
「早朝ではござらぬのか」
「きっと、聖範様にお考えがあってのことにござります」
ミツは、そう返し、落ち着き払っていた。
「警護は、当方で一切引き受けます故、随行は最小限に願いたてまつります」
そういう聖範の申し出もあり、乙御前には、ミツともう一人の女房が付き添うのみとなった。
大住(現、平塚)を出立して、未の刻(約午後三時)には、早河牧にたどり着いた。
そこからは、乙御前らも、牛車からそれぞれの軍馬に乗り換える。
よく手懐けられた馬たちであった。
乗り方が不得手な乙御前と女房たちに動揺することもない。
早河牧を過ぎ、一行は、早河(現、早川)の右岸の道を、西に進路を取って歩く。
険しい箱根山が近づいてきた。
乙御前は、はあ、と声を上げた。
いくしほの時雨降りてかたつた姫
くれなゐの葉をふかく染むらん
(幾度の時雨に降られて、立田山の姫様は、紅葉の葉を色濃く染めるのでしょうか)
【のちに、『走湯奉納百首』 [歌題]季秋「葉の色の深さ」として選歌】
平城京の西にある、紅葉の名所、立田山にちなんで、その夜、乙御前は、箱根山の紅葉の美しさを讃えた。
「間もなく館に到着いたします」
館とは、伊豆平氏の居館。
その日の宿であった。
しばらくして、河幅の狭いところで、一行は早河を渡る。
河に浮き橋を掛けて待っていたのは、聖範の配下の者。
渡河して間もなく館が見えてきた。
聖範が乙御前の馬まで戻り、伝える。
「今宵は、ここを宿にいたします。温泉がございます故、ごゆるりと、明日からの山行きにお備えなされませ」
行き届いた計らいであった。
この先の旅に備えて、英気を養う、というのである。
温泉だけではなかった。
食事も地の幸に恵まれていた。
河口の港に揚がったカマスや、山菜、きのこなどの山のもの。
そして、あくる早朝から、踏分古道の行幸となるわけだが、その隠れ道は、まさに居館の裏手からそのまま続いていたのである。
つまり、この居館は、ただの館ではない。
隠れ道を隠すかのように建ち、かつ道の入口でもあったのだ。
一行は、林の中を一旦河口付近まで下り、一つの寺院の裏を通り、山道に入っていった。
予想はされたことだが、急坂を蛇行しながら上がって行く。
一刻(約三十分)歩き、早くも一つの尾根にたどり着いた。
乙御前は目を見張った。
左手に海が見下ろせた。
大住付近の「こゆるぎの浜」とはまるで違う風景であった。
正直、旅の前、乙御前は言葉にこそ出さなかったが、不安であった。
下向した時に通った、あの恐ろしい足柄坂のような酷く山深いところを行くとばかり想っていたからである。
ところが開けてみれば、聖範が案内する道は、狭い山道ではあるが、閉ざされた感じがない。
それは、時折眺められる、海のおかげであったろう。
深い碧。
見下ろすからこそ、その雄大さが際立った。
御山路のおとに聞きつる坂ゆけば
願ひ満ちぬる心地こそすれ
(霊験あらたかな伊豆山に続く、話に聞いた険しい坂道を行くと、「さかゆく」というように、我が身も栄えていって、願いが叶い、満たされていく心地がいたします)
【のちに、『走湯奉納百首』 [歌題]雑「坂」として選歌】
一日目は、山里に逗留した。
現在の根府川付近であったろう。
そこにも、質素だが、聖範が管理する建物がいくつかあり、そこに分かれて宿泊した。
そして、二日目は、いよいよ土肥まで進む。
逗留したのは、現在の奥湯河原辺りであった。
ここには、早河よりも立派な居館があった。
もちろん、湯もある。
「万葉から続く湯に浸かれるとは、夢にも思いませんでした」
そこで、聖範は助言した。
「一度に長く浸かってはなりませぬ。短く、間を置き、何度も入ってくだされ。こちらは早河の湯に比べて強い湯でありますゆえ」
三日目は、一旦海側に戻り、また寺院の裏手から山に入っていった。
そして一気に走湯(伊豆山)権現に向けて南下していくのである。
その日は、海が見えない深い山道を進んでいった。
それだから、阿多美(熱海)の海が見えたとき、乙御前は、本当に洞窟から外に出たような晴れがましい気持であった。
驚きは、それだけではなかった。
聖範は、伊豆山の宿として、乙御前のために新しい庵を提供したのである。
「時が許される限りにおきまして、こちらで歌業に勤しまれてくださいませ」
女房たちにも庵の隣に住まいが用意されていた。
その庵は、走湯権現の山門と、走湯のおよそ中間に位置していた。
毎朝参詣し、湯浴みをする日々であった。
乙御前らは、そこにおよそ四ヶ月の間滞在したのである。
後の歌人、相模は、この庵で多くの和歌詠作を行った。
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