瞽女(ごぜ)、じょんがら物語

滝川 魚影

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四十五 舞台の景色

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ぶたいのけしき


 小樽は、函館よりも進んだ街だった。
 鉄道がすでに走っていた。
 手宮線。
 明治十三年(一八八〇年)の開通だから、その年から十四年前ということになる。北海道で最初に開通した鉄道だった。
 タキゾウたちが宿にした旅館のすぐ脇を線路が通っていて、朝、芝居小屋に行く時には、線路を渡って行く。運が良ければ、朝の旅客便と出くわすこともあった。
「ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン・・・」
「車が鉄なんだ」
 長一郎がタキゾウに教える。
「鉄だが」
「下の線路も鉄。それで、ガタン、ゴトンと固い音がする」
 函館には無かった景色であった。
 線路を渡って、第二火防線(現・中央通)を更に東に一町(約百メートル)ほど歩くと、稲穂町の通りに出る。その更に東側の通り一本(現・梁川通り)入った裏角に、稲穂座(後の大黒座)があった。
 昨年(明治二十六年)に開業したばかりで、まだ木の香りがするほどの、真新しい芝居小屋であった。
 小樽の舞台構成は、最初が歌謡、幕間に手妻(マジック)、最後が歌舞伎という順だった。
 長一郎の手回しで、口上の上手い大川蝶五郎一座の才蔵(手妻師の相方・案内役で口上言う役)である、甚三が全体の司会を兼ねることになった。
 最初の口上に紹介されて、江差兄弟がトップで舞台に上がり、続いてタキゾウが加わり、歌謡の部が終わると、三人は下手に下がる。
 その後タキゾウだけは、下手の袖奥に置かれた椅子に座る。
 それが決まった形となった。
 函館の舞台の最後の方で、正福が用意したことが定形になったのである。無論、そうしてくれと頼んだのはタキゾウであった。
 タキゾウの座る場所からは、芝居小屋全体の景色が見渡せた。
 下手の袖中そでなかで演奏する出囃子、舞台の上、上手の袖中で出待ちをする役者の気配、そして観客の反応、それらの全体像が聞こえて分かるということだ。
「小屋の中の景色、全部見える」
 タキゾウはそう言って、その場所にまた座らせてくれと頼むのだった。
 自分の舞台を終わったタキゾウは、仁助に導かれて、定位置に座る。
 太鼓が、ドドンと鳴って、出囃子がゆっくりと始まる。
 才蔵が上手から出てきて、舞台中央にたどり着くと二番太鼓が鳴り、出囃子が止んだ。
「東西、座高うござりまするが、不弁説ながら、口上など申し上げ奉りまぁす。本日もたくさんのお運び、有難う存じます。暑さも和らぎ、港ではサンマが揚がる時節でございます。小樽と言えばニシンでありますが、サンマもなかなかどうして、美味でございます」
 客席の方から、ヨーなどと声が掛かる。
「あまた諸芸のある中で、いかようなる芸をお見せしようとも、目の肥えた御客様方には、なかなかお目止まるものではござりませぬ。されど、下手は上手の飾り物、蝶々トンボも鳥のうち、枯れ木も山の賑わい、下手な鉄砲も数打ちゃ当たると申します。なにとぞ鷹揚に、ご覧を願います。ただいまはニ番太鼓を打ち込みましたるばかり。楽屋にて太夫だゆう身ごしらえ、舞台にて後見、道具調べの間、今ひと囃子は、分けてご容赦」
 再びお囃子は始まり、才蔵が下袖に一旦下がる。
 下がった才蔵は、道具を整え運ぶため、舞台へ何度か足を運ぶ。最後に火の灯った蝋燭立てを、上手と下手に一台ずつ、最後に手元灯りを運ぶ。
 再び口上。
「東西」
 囃子が止まる。
「長らく打ち囃しまして、さぞやお耳やかましゅうございましょう。楽屋内におきまして、太夫身支度、あい整いましたるようなれば、いざ」
 そう声を発し、才蔵が手に持った小太鼓を鳴らす。それを合図に、太夫の出囃子が始まり、蝶五郎太夫がゆっくり出てきて舞台中央、二重舞台に上がり座る。
 出囃子が止む。
 観客の視線が太夫に注がれるのをタキゾウは感じた。
 注目は太夫の格好、衣装。頭は髷。熨斗目のしめの絹の着物。袖から胸まで別染めで、格子柄の入った着物。胸と背中に紋が入っている。その上にかみしもを付けている。
 再び才蔵。
「東西、お目通り、上座に控えられましたるは、江戸随一の手妻の使い手、大川蝶五郎太夫にございます。この度は、洋行帰りの凱旋がいせん巡業にて、はるばる海を渡ってこの北へ、小樽に参りました。初なるお客様へ、お目見え、御礼相済みましたれば、前所のわざごとより取り立てましてご覧に入れます」
 太夫は、深々と辞儀をした。

太夫「まず初めは、親指縛りのひと手より、取り立てましてご覧に入れます」
 三味線と太鼓の囃子が入る
 才蔵が、紙縒こより(観世縒かんぜより)を二本、太夫に渡す。
太夫「持ちいだしましたるは、二本の紙縒り」
 太夫は一本を口に加え、もう一本の左右を両手に持ち、引っ張って、強度を見せる。
才蔵「あのように強く引っ張りましても、切れることのない丈夫な紙縒りでございます」
太夫「まずは、この一本にて、重ねた両の親指をきつく結びます」
 才蔵が、まず一本の紙縒りを太夫の重ねた親指に二回まわして縛り、固結びにする。結んだ指を観客に見えるように掲げる。
太夫「はい、このように親指が紫に変わるまで縛りました。この才蔵、情け容赦がありません。さらにもう一本の紙縒りにて、両の親指の間を回して更に縛ります」
 才蔵が、結んだ親指の間に紙縒りを二回、三回回してから、これもまた固結びにする。再び、結び目を観客に見せます。
太夫「さて、これにて、もう両の親指は離れません。離れませんが、離れるはずのないこの指を柱がすり抜けるという不思議。あの上手に見えます柱をすり抜けますので、良くお目を見開きまして、ご覧ください」
 太夫は上手に進んで行き、柱の前に結んだ両手を掲げ、客の方に顔を向ける。
太夫「一、二の三で、柱を抜けます。さあて、一、二、三」
 親指は、見事すり抜け、柱が太夫の胸元に。ちょうど、柱に縛り付けられ、捕縛された様子。
 観客から、オー、の声が沸く。
太夫「更に、再び、一、二の三にて、柱をすり抜けますので、とくとご覧ください。一、二、三」
 親指は再びすり抜け、もとの状態になり、結ばれた親指の結び目を観客に見せながら、太夫は舞台中央に戻る。
 客席がどよめく。
太夫「はい、これはサムタイ。欧羅巴エウロパ(ヨーロッパ)より持ち帰りましたる奇術でございます」
 才蔵が太鼓を打ち鳴らし、再び囃子がにぎやかに入る。
 一旦、下手に太夫、才蔵は下り、先に才蔵だけが舞台に戻り、道具を二重舞台に準備する。
 しばらくして、親指を開放した太夫が再び舞台に現れる。
太夫「またもや半紙が一枚。これを半分、さらに半分と切ります。それを重ねて、更に引きちぎって、細かくして重ねます。これらを一旦束ねて、これを離します」
 紙片は、長い短冊になってひらりと垂れ下がる。観客が再び沸く。
 短冊を半分に切って、上の端の一片をちぎって、残りを懐に仕舞う。
 ちぎったものを縒り合わせて、一枚の花房のようにしてから、右の手のひらに載せ、息を吹きかけて、下に落とします。
 そして再び、それを拾い上げ、才蔵が手渡した四角い浅い盆に載せ、盆にすでに置かれていた扇子を取って口にくわえ、盆を客のほうに見えるように傾け、紙片が滑らせながら、扇子を口から手に取り、ぱっと広げて、仰ぎ始めます。
 花房は滑り落ちること無く、それどころか上に舞い上がり、扇の仰ぐのに合わせて、ひらひらと舞い始めます。
太夫「はい、これぞ、蝶の舞にございます」
 なるほど、紙片で作った花びらは、生きた蝶のように飛んだ。
 観客が大きく沸く。
 囃子が早鐘のように、軽快に鳴ります。
 太夫は盆を才蔵に渡し、替わりの扇子をもうひとつ受け取り広げ、両の手で扇子を仰ぎます。
 二つの扇子の間をふわふわと蝶が舞う。
 ひとしきり飛んだ蝶は、そのうちに、半分閉じた向かって右の扇子の頭に止まり、一休み。
 太夫はそのまま立ち上がりながら、向かって左の扇子で仰ぐと、蝶はそれを逃れるように再び宙に舞います。完全に立ち上がった太夫は、両の扇子を仰ぎながら、観客の方へ歩み進みます。もはや、太夫が蝶を追いかける形。こうなると観客は、蝶が何か上から糸などで釣られているというような疑念を捨て去り、ただ蝶は本当に蝶のように、飛び回っているとしか、思えない。
 しばらくして、才蔵が前に進み出て、先の盆を差し出します。蝶は仰がれながら、再び盆に舞い降り、収まります。
 太夫がぱっと、両の扇子を閉じ、見得を切ります。
才蔵「東西」
 太鼓が締めて、三味線が止まる
太夫「欧羅巴のサムタイ、蝶の一曲、お目に止まりますれば、手前、これにて失礼つかまつります」
 受け囃子が賑やかに鳴り、大川蝶五郎太夫が下手に下がる。
 才蔵は、舞台に残り、大取おおとりの演目である、河村正福一座を紹介する口上を始める。
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