瞽女(ごぜ)、じょんがら物語

滝川 魚影

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五十 祈り

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いのり


 悪阻つわりが相当にひどく、安産でもなかったが、誰もが、初産というのはそういうもの、と言ってタケを力づけた。
 しかし、どうしても、おかしい。何かが。
 もちろん、そういう感覚は、経験の少ないタケの思い込みかもしれないが、それにしても、であった。
 言い表しようのない違和感、いや、掴みどころのない不安。
 だいぶ後になって、タケは、それは母親の直感だった、と識るのであった。
 さらに、タケの母乳は良くは出なかった。心配した婚家の清五郎はあれこれ思案した結果、ヤギを求めて手に入れ、持ってきた。
「ヤギの乳は精がづぐはんで、こぃ飲めば、乳もよぐ出るようになるはんで」
 清五郎の言う通りだった。
 タケは血色が良くなり、乳も少しずつ出るようになっていった。
 しかし、赤ん坊は、やはり、少し飲んでは、すぐに乳首を離した。
「なんだゲンゾウ、もう飲まないのか」
 抱きとった、ハマが源蔵の頭をなでながら、声を掛けた。
 そういうことが続けば、周囲の人たちは、自然と良からぬ想像をし始める。そういう雰囲気はタケにも伝わる。伝わらないように気を使えば使うほど、タケはそれを感じるのであった。
 それに乳飲み子のことは、母親のタケこそ、よく分かるものである。
 そうこうしているうちに、夏が来た。
 この年の祭りには、タケはもちろん、タキゾウも出なかった。タキゾウは、按摩の仕事が忙しいから、と言い訳をしたが、その実は源蔵とタケのことが気がかりなのであった。
 暑い夏は、大人でも食欲が無くなる。ましてや・・・。
「ヤギの乳だば飲むがもすれね」
 タキゾウが思いつきに言い出し、試しに飲ませてみようか、ということになりさらしに浸したヤギの乳を源蔵の口に含ませてみた。
「ああ、よう飲む、よう飲む」
「そうが、よぐ飲むが」
 そう喜んだのも束の間だった。
 源蔵は少し経って、飲んだものを全て戻したのだった。
 この他、あえて重湯を飲ませてみたり、豆乳を試したりしたが、結果は同じであった。
 つまり、量を飲めない、のである。
 結果として、飲むだけ良い、ということで無理をしないようにするしかなかった。
 そのようにして、なんとか夏を乗り越えた。
 誰も口にはしなかったが、暑い夏だから殊更に赤子を気遣ったわけで、涼しい秋になり、誰もが知らずに安堵するのだった。
 タキゾウも、少し気持ちに余裕が出来たかして、久しぶりに利兵衛を見舞いがてら、十三を訪れた折、按摩の師、岡の亦一のところに顔を出した。
「一度、又玄先生さ診でもらったっきゃどうがね」
 そうか、ということになり、タキゾウは清五郎に馬車を手配してもらい、医者又玄を金木村に呼んで、源蔵を診察してもらったのである。
 又玄は、最新の片耳聴診器を源蔵の小さな胸に当てて、慎重に音を聴いた。後から又玄が語ったことだが、聴診器を当てられて泣かない赤子が珍しい、ということだった。
「少し不規則な心音だが、この程度のことはよくあることだし、乳も全く飲まないわけではないと言うから、だんだん成長していくごとに丈夫になっていくだろう」
 重苦しく、慎重な物言いではあったが、この又玄の診断は、タキゾウとタケ、いやハマ、そして清五郎やキヨを大いに勇気づけたのであった。
 そう、安心したもの束の間。
 津軽の秋は短い。
 タキゾウは、いっぱい稼いで炭を蓄えないと、と按摩で方方に出向いて行った。
 長く厳しい津軽の冬こそ、ひ弱な赤子にはきついだろう、タキゾウは直感的に想ったのである。家の中は、できるだけ温かくしたほうが良いはずだ、と。
 不思議なものであった。
 ほんの二年前までは、寝ても覚めても、三味線や唄のことだけを考えていたタキゾウが、今は寝ても覚めても子のことだけを想って生きていた。
 そういう想いが通じたのか、源蔵は無事に、その年を越すことができた。こんなにも、新しい年を迎えることが目出度いと思えたことは、無かっただろう。皆にとって。
 ハマは、弁天様に何度もお礼を言って、経を唱えた。
 そして何とか、松の内に、源蔵を伴って、金刀比羅宮に初詣も叶ったのであった。
「今年は、年になる」
 誰もが、そう想い願ったのであった。
 しかし、源蔵に、春は来なかった。
 二月十日の朝は、昨夜の吹雪が嘘のように、良く晴れ渡った朝だった。
「いやだあ」
 タケの叫び声で、タキゾウは飛び起きた。
 すぐに源蔵を抱きとったハマが、呟いた。
「だめだったか」
 タキゾウは手を伸ばして、ハマの肩から腕を探った。
「わーさ源蔵ばっ」
 ハマは、そっと、源蔵をタキゾウに渡した。
 ハマが、静かに泣き始め、やがて泣き伏した。
 その後の事は、後世誰も語る者は無かった。申し合わせたわけではなく、皆が心に閉じ込め、蓋をしたのである。
「うそだ、まだぬぐぇでねが。生ぎでら」
 唯一残った記憶といえば、ただタキゾウだけが源蔵の死を、頑として認めなかった、ということだけだった。
 タキゾウは、その後三日、源蔵を着物の懐に抱いて過ごした。そうすれば、源蔵は息を吹き返す、と信じて疑わなかったのである。
 そして四日目の朝、タキゾウは泣き崩れた。源蔵の死を認めなければならない朝が、遂にタキゾウに訪れたのだった。
 この世で見たこともない泣きように、誰もが恐れおののく中、その朝も心配で早くに訪れた清五郎が、ゆっくり近づき、タキゾウの懐から異様な臭いを放つ、源蔵の亡骸を取り上げた。それは、タキゾウの父親にしか出来なかったことであろう。
 その後、タキゾウは長いこと床に臥して、起きることも稀だった。
 力なく、言葉も一切発しないタキゾウは、まるで、そのまま源蔵の後を追い死んでしまうのではないかと想うほどに痩せこけ、日に日に衰弱していくのだった。
 実際、タケが付ききりで面倒を見なければ、タキゾウは本当に死んでいたに違いない。
 それでも時は、無常に悲しみを連れ去り、やがて津軽に春がやってきた。
 田んぼの脇から、雪解け水が流れ初め、野生の浅葱あさつきが芽を出した。
 そういう小さな流れが、徐々に増え、そのうちに豊富な流れとなり、金木川を下り、母なる岩木川を湛える。
 川は力強く、その朝も流れていた。
 渦を巻きながら流れる水の音が聞こえる。
 何事も無く、まるでずっとそうしていたかように流れる。
 五月さつきだった。
 この雪代ゆきしろは、田に引かれ、そしてまた田植えが始まる。
 そうやって、人は生きてきたのだ。そして生きていくのだ。
 タキゾウは、小さな流れの一筋一筋を聴き取るように、一本一本の糸を静かに合わせていった。
 そして、やおら、三味線をかき鳴らした。
 音は、流れに、野に、田に染み渡るように響き、遠くまで広がっていった。
 力の限りの哀悼であった。それがタキゾウなりの形だった。
 震えるからだから湧き出る汗、そして涙が飛び散り、水の流れに合わさり、流れていくのだった。
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