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十七
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「市川海老蔵ってえのは、あの海老蔵だろ」
「いや、そうではねえのさ」
「おう、初夢と一緒に名前も売っちまったんだってよ」
「なんだとお」
「売値、百両」
噂は、その年の初めのうちに、広まっていった。
それは劇場の客の間だけではなかった。
江戸中、いや、成田山を信心する人々の口の端に上った。
「その百両はさあ、お不動様に寄進したって言うのさ」
「そうそう、それで、成田屋の屋号を名乗る許しを得たって、聞いたわ」
一方、成田山を参詣する、諸国の人々にも、当然その噂が流れ、駆け巡る。
「市川海老蔵の歌舞伎ってのを観てみんべえなあ」
「知ってっか、おめえ、市川海老蔵ってえのはなあ、元は旅芸人でなあ、この参道裏でも何度か芝居小屋掛けて、興行したことあんだってよお」
すべて、重蔵の目論見通りだった。
彼の商才が存分に発揮され、実を結んだ結果だった。
磔の初夢を百両の大金で買った、ということが客の間で噂にならないわけがなかった。
そういう噂は、人の興味感心を得て、客を増やす。
そして、その百両を成田不動に寄進すれば、成田からの客を劇場に呼ぶことができる。
さらに、その寄進によって、成田不動から「成田屋」の屋号にお墨付きを得る。
「成田」「日本市川」「市川海老蔵」の三点が結びつく。
商売における「宣伝」の力の成せる技であった。
そんなある朝、まだ店の開く前、海老蔵が重蔵のもとにやってきた。
「親父殿、朝早く、すみません。すぐにお知らせしたくて」
「おう、なんだ、こんな早くに」
「これを御覧ください」
海老蔵が持って来たのは、一巻の巻物であった。
「正本(しょうほん)でございます。今朝、書き上がりました」
「ほう」
目の前に置かれた巻物を開き、それを読みながら、何度も頷く重蔵。
「ただの手習いをしているとばっかり思っていたが、おめえ、こんなことをしてたのか」
重蔵は、ただ驚くばかりだった。
そもそも、孤児(みなしご)が、字など何処で習ったのか。
そこには、決して上手くはないが、丁寧な漢字とカナで、ぎっしりと文字が書かれていた。
正本、頼光跡目修羅憂息子討。
「らいこう、あとめ、しゅら、うれい、むすこうち、です」
「これは、あの」
「そうです。元は、浄瑠璃の頼光跡目論(らいこうあとめろん)です」
「頼光跡目論」は、江戸の浄瑠璃正本作者、岡清兵衛(おかせいべい)の代表作の一つだ。
浄瑠璃といっても、古浄瑠璃。
古浄瑠璃とは、かの近松門左衛門の「出世景清」以前の浄瑠璃を総称した分類である。
義太夫節の始まりとされる人形浄瑠璃「出世景清」は、後に歌舞伎の演目にもなる。
岡清兵衛が、浄瑠璃語り(太夫)である桜井丹後少掾(さくらいたんばのしょうじょう)、前名「和泉太夫」のために書いたのが「頼光跡目論」だった。
和泉太夫は、金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)の創始者。
金平は、坂田金平という架空の武者で、坂田金時(金太郎)の息子という設定。
その金平が、活躍する物語を扱ったのが金平節(金平浄瑠璃)であった。
素朴で、剛勇な金平を主人公とする、悪人退治などの単純な物語は、武士社会であった江戸において好まれ、一世を風靡する。
それは、もともと浄瑠璃の本場である京阪に逆輸入され、人気を博する。
「わたしが、最初にこの演目を観たのは大阪でした」
海老蔵は説明した。
「井上播磨掾(いのうえはりまのじょう)の語りでした」
頼光跡目論は、井上播磨掾の語りで評判を取り、義太夫節以前の古浄瑠璃の代表作と言われるようになった。
播磨掾は、大阪の浄瑠璃語りで、播磨風と言われる、その独特の語り方は、義太夫の源流となった。
亨保十二年(一七二七年)に刊行された浄瑠璃の歴史書「今昔操年代記(いまむかしあやつりねんだいき)」には、「フシ、オクリ、三重、ヲン、フシオクリ、ハル、ギン、此類に心をくばり、なかんづくうれい、修羅を第一にかけ」とある。
「うれい」は愁嘆、「修羅」は戦(いくさ)である。
播磨掾は、この両方を巧みに語り分け、音曲と合わせて表現した。
その当時、田村鶴太郎が、この演目をひと目観て、脳天に電気が走り、共感を覚えたのは、まさにその播磨風であった。
これを我が芝居に、という思いを胸に筆を取ったのであった。
年開けること、貞亨二年(一六八五年)、市村座にて、「頼光跡目修羅憂息子討」が初演された。
重蔵が座元に掛け合い、海老蔵が独り仮演技を披露して、許しを得たのだった。
ほかにも、重蔵が仕掛けたことがあった。
「おめえ自身が、止めていた赤い隈取(くまどり=歌舞伎特有の化粧法)、あれを復活しておくれな。今度の金時役には、まさにぴったりだ。それで鶴太郎風、いや富久猿風に、派手に、豪快にやるんだ」
赤い隈取を封印したのは、周りへの遠慮からだった。
重蔵は、今回はお前が正本まで書いて取った役なのだから、最後までお前なりに演じたほうがいい、と強く勧めた。
「それとな、俺はもう一つ決心した。お前はこの役から、名を変えるんだ」
「え、またですか」
「良いんだ、隈取の復活ではまり役を演じ、更に出世する。勢いは止めたらいけない」
こうして、市川段十郎(後に團十郎に改名)は誕生する。
段十郎演じるは、坂田の金時(金太郎)。
立役には、九代目市村家橘(かきつ)。
家橘は、五段目(話の五話目)で勝利を勝ち取る四天王、平井の保章を演じた。
「諸行無常と響きつつ
菩提を知らする遠寺(えんじ)の鐘
生者必滅(しょうじゃひつめつ)
四季天変(しきてんべん)の花の色
定めなきは娑婆世界
ここに六孫王(そんおう)のお孫
多田(ただ)の満仲(まんじゅう)のご嫡子
摂津の守、源の頼光(らいこう)は
数度(すど)の戟塵(げきじん=戦の騒ぎ)を打ち平らげ
平安城に御所を建て」
「べん、べん、べん、べん、じゃんじゃん、じゃん、じゃんじゃんじゃんじゃん・・・」
ここで、オクリの三味線が入る。
頼光跡目修羅憂息子討の一段目は、ほぼ原作通りの語りで始まった。
「帝都を守護し申さるる」
頼光跡目論は、源の頼光の跡目相続にまつわる物語だ。
源の頼光は病におかされ、いっこうに良くならないということで、跡目を考える。
頼光には嫡男、頼親(よりちか)がおり、普通に行けばその頼親が跡目を継ぐ。
しかし、その頼親は無類の放蕩息子。
その頼親に跡を継がせたならば国が滅びる、ということで、結局、頼光の舎弟、頼信(よりのぶ)が跡目を相続することになる。
これを不服として、頼親が兵を起こし、杣山(そまやま=現、福井県南条郡辺り)にて合戦となるが、頼光側の大将には、坂田の金時が任ぜられる。
さすがの頼親も、名将、金時の軍勢に攻められ、たちまち形勢不利となり、籠城戦となる。
これに怒った頼親は、懐刀の一人武者、二の瀬廣春を抜擢し、城壁際の最前線に送り込む。
廣春は、慮外(無礼)ながら廣春が働きを御見物候へ、と、枯れ木に鳩がとまる模様の家紋が入った小旗を下人に持たせて、ゆらりゆらりと登場する。
「我はこれ二の瀬の源六廣春なり。こと新しき様なれども、さてもこの指し物(ここでは小旗のこと)は我らが先祖二の瀬かいりょう宿願あって、氏神八幡宮へ参詣せしむる所に、一族ども俄に逆心をおこしあとより押し寄せ来たりし時、かいりょう辺りを見れば、枯れ木に鳩のとまりてあり。これぞ八幡大菩薩まさに正直の誠を照らし給うと禮拜(らいはい=礼拝)し、多勢の中を割って入り、組(ぐ)んで落ちては首を取って、押さえては捻じ首し、息をもつかず宗徒(むねと=主だった者)の首を八つ討ち取り、くだんの枯れ木の枝に掛け、そのほかの軍勢を秋の木の葉と打ち散らし急難を晴らしたこと、この大菩薩の御恵、それよりもこの方代々家の印とす」
そう、二の瀬は、家紋の由来を語りあげる。
その武勇伝を、今、この戦で再現、実践するという訳だった。
更に、二の瀬は、八本の木の枝には、八相成道(釈迦が一生涯に現したという八度の変相)の意味がある、と豪語し、金時軍の兵を一人一人討ち取り、その首を、城内の木の枝に、まさに掛けていった。
首七つ、となったところで、満を持して、四天王、坂田の金時の登場となる。
金時を演じるは、市川段十郎である。
紺糸の物の具に白母衣(ほろ)の姿。
化粧は、かの田村鶴太郎の、赤い隈取。
それがさらに派手に、豪壮に進化している。
凄みがあるが、響き渡り、歌うような声で。
「げに二の瀬に及ばん物は味方の内には覚えず。時の大将蒙る身がさし当ったる味方の恥辱、ぜひなし」
金時は、刀を体に引き寄せ、さっと駆け出た。
「坂田の金時にあり、相撲がつくれば行司が出てころぶとかや。身不肖なれどもそれがしが首の数に入れ申さん。いかにいかに」
これに対して、二の瀬が、
「この間は久しゅう候坂田殿、年ごろ日ごろ肩を並べ膝を組み、互いにさいつさされつ(さしつさされつ)酒酌みたりしも移りかわれる夢なれや。二の瀬が首を御肴に進上いたすか、また御首を肴に申し受くるか。有無の酒宴仕るなり」
二の瀬は、ただ一太刀、と打ってかかり、金時はそれをしっかり受け、返して切り込む。
二の瀬は、それを、とう、と受けてひっ外し、太刀の寸は伸びたり、とまくし立て、隙を見せずに打ち込むのを、金時は見計らって、ひらりと飛び、肩先から乳の下までを、はらりずん、と切り据え、返す刀で首を打ち落とした。
ここで金時、睨みを利かし、つら灯りが、その顔を照らしだす。
まさにこの瞬間、市川段十郎の荒事(あらごと)が誕生したのだった。
「いや、そうではねえのさ」
「おう、初夢と一緒に名前も売っちまったんだってよ」
「なんだとお」
「売値、百両」
噂は、その年の初めのうちに、広まっていった。
それは劇場の客の間だけではなかった。
江戸中、いや、成田山を信心する人々の口の端に上った。
「その百両はさあ、お不動様に寄進したって言うのさ」
「そうそう、それで、成田屋の屋号を名乗る許しを得たって、聞いたわ」
一方、成田山を参詣する、諸国の人々にも、当然その噂が流れ、駆け巡る。
「市川海老蔵の歌舞伎ってのを観てみんべえなあ」
「知ってっか、おめえ、市川海老蔵ってえのはなあ、元は旅芸人でなあ、この参道裏でも何度か芝居小屋掛けて、興行したことあんだってよお」
すべて、重蔵の目論見通りだった。
彼の商才が存分に発揮され、実を結んだ結果だった。
磔の初夢を百両の大金で買った、ということが客の間で噂にならないわけがなかった。
そういう噂は、人の興味感心を得て、客を増やす。
そして、その百両を成田不動に寄進すれば、成田からの客を劇場に呼ぶことができる。
さらに、その寄進によって、成田不動から「成田屋」の屋号にお墨付きを得る。
「成田」「日本市川」「市川海老蔵」の三点が結びつく。
商売における「宣伝」の力の成せる技であった。
そんなある朝、まだ店の開く前、海老蔵が重蔵のもとにやってきた。
「親父殿、朝早く、すみません。すぐにお知らせしたくて」
「おう、なんだ、こんな早くに」
「これを御覧ください」
海老蔵が持って来たのは、一巻の巻物であった。
「正本(しょうほん)でございます。今朝、書き上がりました」
「ほう」
目の前に置かれた巻物を開き、それを読みながら、何度も頷く重蔵。
「ただの手習いをしているとばっかり思っていたが、おめえ、こんなことをしてたのか」
重蔵は、ただ驚くばかりだった。
そもそも、孤児(みなしご)が、字など何処で習ったのか。
そこには、決して上手くはないが、丁寧な漢字とカナで、ぎっしりと文字が書かれていた。
正本、頼光跡目修羅憂息子討。
「らいこう、あとめ、しゅら、うれい、むすこうち、です」
「これは、あの」
「そうです。元は、浄瑠璃の頼光跡目論(らいこうあとめろん)です」
「頼光跡目論」は、江戸の浄瑠璃正本作者、岡清兵衛(おかせいべい)の代表作の一つだ。
浄瑠璃といっても、古浄瑠璃。
古浄瑠璃とは、かの近松門左衛門の「出世景清」以前の浄瑠璃を総称した分類である。
義太夫節の始まりとされる人形浄瑠璃「出世景清」は、後に歌舞伎の演目にもなる。
岡清兵衛が、浄瑠璃語り(太夫)である桜井丹後少掾(さくらいたんばのしょうじょう)、前名「和泉太夫」のために書いたのが「頼光跡目論」だった。
和泉太夫は、金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)の創始者。
金平は、坂田金平という架空の武者で、坂田金時(金太郎)の息子という設定。
その金平が、活躍する物語を扱ったのが金平節(金平浄瑠璃)であった。
素朴で、剛勇な金平を主人公とする、悪人退治などの単純な物語は、武士社会であった江戸において好まれ、一世を風靡する。
それは、もともと浄瑠璃の本場である京阪に逆輸入され、人気を博する。
「わたしが、最初にこの演目を観たのは大阪でした」
海老蔵は説明した。
「井上播磨掾(いのうえはりまのじょう)の語りでした」
頼光跡目論は、井上播磨掾の語りで評判を取り、義太夫節以前の古浄瑠璃の代表作と言われるようになった。
播磨掾は、大阪の浄瑠璃語りで、播磨風と言われる、その独特の語り方は、義太夫の源流となった。
亨保十二年(一七二七年)に刊行された浄瑠璃の歴史書「今昔操年代記(いまむかしあやつりねんだいき)」には、「フシ、オクリ、三重、ヲン、フシオクリ、ハル、ギン、此類に心をくばり、なかんづくうれい、修羅を第一にかけ」とある。
「うれい」は愁嘆、「修羅」は戦(いくさ)である。
播磨掾は、この両方を巧みに語り分け、音曲と合わせて表現した。
その当時、田村鶴太郎が、この演目をひと目観て、脳天に電気が走り、共感を覚えたのは、まさにその播磨風であった。
これを我が芝居に、という思いを胸に筆を取ったのであった。
年開けること、貞亨二年(一六八五年)、市村座にて、「頼光跡目修羅憂息子討」が初演された。
重蔵が座元に掛け合い、海老蔵が独り仮演技を披露して、許しを得たのだった。
ほかにも、重蔵が仕掛けたことがあった。
「おめえ自身が、止めていた赤い隈取(くまどり=歌舞伎特有の化粧法)、あれを復活しておくれな。今度の金時役には、まさにぴったりだ。それで鶴太郎風、いや富久猿風に、派手に、豪快にやるんだ」
赤い隈取を封印したのは、周りへの遠慮からだった。
重蔵は、今回はお前が正本まで書いて取った役なのだから、最後までお前なりに演じたほうがいい、と強く勧めた。
「それとな、俺はもう一つ決心した。お前はこの役から、名を変えるんだ」
「え、またですか」
「良いんだ、隈取の復活ではまり役を演じ、更に出世する。勢いは止めたらいけない」
こうして、市川段十郎(後に團十郎に改名)は誕生する。
段十郎演じるは、坂田の金時(金太郎)。
立役には、九代目市村家橘(かきつ)。
家橘は、五段目(話の五話目)で勝利を勝ち取る四天王、平井の保章を演じた。
「諸行無常と響きつつ
菩提を知らする遠寺(えんじ)の鐘
生者必滅(しょうじゃひつめつ)
四季天変(しきてんべん)の花の色
定めなきは娑婆世界
ここに六孫王(そんおう)のお孫
多田(ただ)の満仲(まんじゅう)のご嫡子
摂津の守、源の頼光(らいこう)は
数度(すど)の戟塵(げきじん=戦の騒ぎ)を打ち平らげ
平安城に御所を建て」
「べん、べん、べん、べん、じゃんじゃん、じゃん、じゃんじゃんじゃんじゃん・・・」
ここで、オクリの三味線が入る。
頼光跡目修羅憂息子討の一段目は、ほぼ原作通りの語りで始まった。
「帝都を守護し申さるる」
頼光跡目論は、源の頼光の跡目相続にまつわる物語だ。
源の頼光は病におかされ、いっこうに良くならないということで、跡目を考える。
頼光には嫡男、頼親(よりちか)がおり、普通に行けばその頼親が跡目を継ぐ。
しかし、その頼親は無類の放蕩息子。
その頼親に跡を継がせたならば国が滅びる、ということで、結局、頼光の舎弟、頼信(よりのぶ)が跡目を相続することになる。
これを不服として、頼親が兵を起こし、杣山(そまやま=現、福井県南条郡辺り)にて合戦となるが、頼光側の大将には、坂田の金時が任ぜられる。
さすがの頼親も、名将、金時の軍勢に攻められ、たちまち形勢不利となり、籠城戦となる。
これに怒った頼親は、懐刀の一人武者、二の瀬廣春を抜擢し、城壁際の最前線に送り込む。
廣春は、慮外(無礼)ながら廣春が働きを御見物候へ、と、枯れ木に鳩がとまる模様の家紋が入った小旗を下人に持たせて、ゆらりゆらりと登場する。
「我はこれ二の瀬の源六廣春なり。こと新しき様なれども、さてもこの指し物(ここでは小旗のこと)は我らが先祖二の瀬かいりょう宿願あって、氏神八幡宮へ参詣せしむる所に、一族ども俄に逆心をおこしあとより押し寄せ来たりし時、かいりょう辺りを見れば、枯れ木に鳩のとまりてあり。これぞ八幡大菩薩まさに正直の誠を照らし給うと禮拜(らいはい=礼拝)し、多勢の中を割って入り、組(ぐ)んで落ちては首を取って、押さえては捻じ首し、息をもつかず宗徒(むねと=主だった者)の首を八つ討ち取り、くだんの枯れ木の枝に掛け、そのほかの軍勢を秋の木の葉と打ち散らし急難を晴らしたこと、この大菩薩の御恵、それよりもこの方代々家の印とす」
そう、二の瀬は、家紋の由来を語りあげる。
その武勇伝を、今、この戦で再現、実践するという訳だった。
更に、二の瀬は、八本の木の枝には、八相成道(釈迦が一生涯に現したという八度の変相)の意味がある、と豪語し、金時軍の兵を一人一人討ち取り、その首を、城内の木の枝に、まさに掛けていった。
首七つ、となったところで、満を持して、四天王、坂田の金時の登場となる。
金時を演じるは、市川段十郎である。
紺糸の物の具に白母衣(ほろ)の姿。
化粧は、かの田村鶴太郎の、赤い隈取。
それがさらに派手に、豪壮に進化している。
凄みがあるが、響き渡り、歌うような声で。
「げに二の瀬に及ばん物は味方の内には覚えず。時の大将蒙る身がさし当ったる味方の恥辱、ぜひなし」
金時は、刀を体に引き寄せ、さっと駆け出た。
「坂田の金時にあり、相撲がつくれば行司が出てころぶとかや。身不肖なれどもそれがしが首の数に入れ申さん。いかにいかに」
これに対して、二の瀬が、
「この間は久しゅう候坂田殿、年ごろ日ごろ肩を並べ膝を組み、互いにさいつさされつ(さしつさされつ)酒酌みたりしも移りかわれる夢なれや。二の瀬が首を御肴に進上いたすか、また御首を肴に申し受くるか。有無の酒宴仕るなり」
二の瀬は、ただ一太刀、と打ってかかり、金時はそれをしっかり受け、返して切り込む。
二の瀬は、それを、とう、と受けてひっ外し、太刀の寸は伸びたり、とまくし立て、隙を見せずに打ち込むのを、金時は見計らって、ひらりと飛び、肩先から乳の下までを、はらりずん、と切り据え、返す刀で首を打ち落とした。
ここで金時、睨みを利かし、つら灯りが、その顔を照らしだす。
まさにこの瞬間、市川段十郎の荒事(あらごと)が誕生したのだった。
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