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第一の芸
邪神さまとモンスターの都
♢
数年ぶりに踏み入れた人間の街は、跡形もなく消え去っていた。
「……え?」
王城の外壁が微かに残っているだけで、民家も城も川にかかる橋も、何もない。
では何があるのか。
モンスターの都だ。
丸太で作られた大きな家が不規則に並んでいる。
赤や緑、黄色といった屋根がポップで賑やかだ。物語に出てきそうな雰囲気の街を、モンスターが闊歩している。
――モンスターが人間の真似事をしている。
いや、これが本来の姿なのか。人間と争う必要のなくなった、モンスターとかいう種族の。
街の入り口で、俺は一歩も動けなくなった。
モンスターが恐ろしいのではない。ここまで人間のいた痕跡がなくなっていることに。故郷でもない街なのに。酷くショックだった。
「……」
目が凍り付く俺を笑うでもなく、ナメンソンさんは腕を組み、退屈そうに都を眺めている。邪神さまの天使なのだから、モンスターが栄えているのを喜ぶと思ったのに。あまり嬉しそうじゃない。俺に気を遣っているわけでもないだろうに……。
「これ。俺が入っても、死にませんか?」
のろのろと都を指差す。
「殺されろと声を大にして言いたいが……。貴様は私が守る。何も気にせず買い物をしろ」
立てた親指を思いっきり逆さまにしながら、心強いことを言ってくれる。
ごくっと息を呑んで、足を踏み入れた。
境界線を越えると、周囲にいたモンスターたちが一斉に、ざっとこちらを向く。
「ひっ」
視線が針のように突き刺さり、たまらず悲鳴を上げた。
「人間……だと?」
「おいおい。ペットショップから抜け出した個体がいるぜ」
モンスターと戦う力の無い俺はその場で蹲った。指先が冷たくなるほど震える。怖い。怖すぎる。
「……?」
あれ、でも。邪神さま(本当の姿)ほどではない、か……?
ちらっと顔を上げると、モンスターに取り囲まれていた。
「あ」
駄目だ。やっぱり怖い。
虎に包囲された兎になっていると、俺とモンスターの間に長い足が割って入ってくる。
「散れ。モンスター共。指一本、触れることは許さんぞ」
ナメンソンさんだった。
モンスターたちが怪訝な顔をする。
「ああ? なんだぁ、お前」
「この首輪が見え……ないな。おい。お前が蹲っているせいだ」
手袋に包まれた指が俺の首根っこを掴む。ひょいと持ち上げられた。
神石の嵌った首輪。
目に入らぬか! と俺を紋所のように突き出すと、モンスターたちはじりっと後退っていく。
「お、おい。あ、あの神石って」
「邪神さまの……。ち、散れ! 近づくと死ぬぞ!」
真っ青になり、我先へと逃げていく。
俺たちの周りからモンスターだかりが消える。一瞬だった。
「すごいですね」
「ふん。怪我したくないのなら、首が見えるように歩け」
蹲るなってこと? あー。首が見えやすいように髪を束ねる飾りをくれたわけね。
納得したところで手を放され、べちゃっと落ちた。
モンスターが寄って来なくなった。「このお店知りませんか?」と声をかけると無言である方角を指差すだけ。
「……どうも。ありがとう」
俺がお辞儀すると、幽霊でも見た顔で走り去っていく。
露店では果物や肉、骨、古書などが積み上げられ、賑わう朝市のよう。モンスターでごった返していたが、俺が通るとモーセの波のように左右に分かれていく。
古書が気になる。
「モンスターが書いた、本? 文字を書けるの……?」
「馬鹿にしとんのか」
無意識に呟いた言葉だったが、隣の長身天使にばっちり拾われた。
今の言い方だとモンスターを見下しているようだもんな。邪神さまの天使としては気分の良い発言じゃなかった。
「すみません」
とほほと肩を落とす。邪神さまのペットなのに。俺ってば……。でもいきなりモンスターを良く思えないって。敵だったんだから。
角を曲がると、俺の足は再び止まる。
人間が、いる。
同族がいたのだ。
全裸で。鎖に繋がれ。犬のように四つん這いになって。
「……ぁ」
しかもそのことに屈辱も羞恥も滲ませていない。腕に焼き印があるのでペットショップ産だ。生まれながらに家畜だと教え込まれたニンゲン。言葉を話すこともなく、当然と言った顔で散歩させられている。モンスター、に。
俺の真横を歩いても、ニンゲンは反応すらしなかった。たまに主人であるモンスターを見上げるだけ。飼い主のモンスターの方も優しくペットにほほ笑んでから、ナメンソンさんに会釈だけして通り過ぎていく。
ニンゲンのお尻には異物が埋め込まれていた。異物の先には動物の尾のような房が垂れ下がり、ニンゲンが歩くたびに左右に揺れる。
まるで、人間という種族を否定するような――
「……はっ」
足がよろけ、民家にもたれかかる。
何を今さら。俺だって数日前までは、狩り用の動物だったじゃないか。
ちょっといい環境にいたからと、忘れていたのか。
「……」
う、動けない。頭の中で色んな事が飛び交って。足が前に出ない。
ナメンソンさんが小さく息を吐いた音だけが聞こえた。
「てめえ! このクソがぁ! 外で粗相するなって言っただろうが」
突然響いた大声にびくっと身をすくませる。ナメンソンさんはうるさそうに目線だけ飛ばす。
見れば大通りで堂々と、暴力を振るっている大柄なモンスターの姿が。
相手は……全裸の人間の子ども。
「あうっ、あぁ!」
「やめて」ということもできない。あの子は言葉を教えられていないのだろう。獣のように鳴くだけ。
脇腹を蹴られ、地面を転がるも首に巻かれた鎖が強引に引き起こす。身体は傷だらけで、首輪の鎖の跡があざになっていた。
酷い、光景だ。
「やめろ!」
「あ、バカ」
咄嗟に駆け出していた。
俺は暴力の類が嫌いだ。殴られている人を見るくらいなら、自分が殴られた方がマシなほどに。
暴れるモンスターの肩を掴む。
「子ども相手に――」
「うるせえ! 引っ込んでろ‼」
振り返ることなく、モンスターが腕を払おうとした。
……え?
人間とは比べ物にならないぐらいに太い腕。その肘が俺に迫る。
当たれば岩をも砕くだろう。俺の顔面など紙コップのようにひしゃげてお終いだ。
軽率だった。俺は暴力を振るわれないと安心していたけど、相手が首輪を見ずに攻撃してくる可能性が抜けていた。
瞼の裏に「死」の文字が弾けて消える。
(ごめんなさい。邪神さま)
脳裏に浮かんだのは、邪神さまの笑顔だった。
目を閉ざして腕で顔をガードしたが、間に合うはずもなく――
「……?」
待てども衝撃は襲ってこない。
瞼を上げれば、肘は止まっていた。寸止めしてくれた、わけではない。
ナメンソンさんが腕で、モンスターの肘鉄を止めていたのだ。
「あ……」
俺は情けなくも尻餅をついた。
ナメンソンさんのイラついた舌打ちを聞くと、モンスターはすぐさま腕を下ろす。
「あんたは……天使かっ?」
「見逃してやるから消えろ」
モンスターの方が巨体なのに、俺の首輪を見ると何度も頭を下げてくる。
「これはっ、失礼した。天使殿」
「ああぅ……」
傷だらけのペットを抱き上げると、モンスターは慌てて去っていく。暴れていたモンスターが無くなり、朝市の空気が弛緩する。暴れている他者に引いてしまうのは、モンスターも変わらないんだな。
俺はケツを叩きながら立ち上がった。
「流石の筋肉、ですね。助かりました」
「アホが。生身で突っ込むからだ」
「……はい」
モンスターが去ったあとをぼんやりと見つめる。あの子はこれからも、暴力を振るわれ続けるのか。悲しさと悔しさで心が冷たくなる。でも俺に、何かを言う資格はない。かつて人間は、同じようなことをしていたのだから。俺だって子どもの頃、鞭打たれて働かされている獣人に、何も思わなかった。
「……」
せめてこれ以上、あの子が暴力を振るわれないことを祈るしかできない。
俺は無言で歩を進めた。
数年ぶりに踏み入れた人間の街は、跡形もなく消え去っていた。
「……え?」
王城の外壁が微かに残っているだけで、民家も城も川にかかる橋も、何もない。
では何があるのか。
モンスターの都だ。
丸太で作られた大きな家が不規則に並んでいる。
赤や緑、黄色といった屋根がポップで賑やかだ。物語に出てきそうな雰囲気の街を、モンスターが闊歩している。
――モンスターが人間の真似事をしている。
いや、これが本来の姿なのか。人間と争う必要のなくなった、モンスターとかいう種族の。
街の入り口で、俺は一歩も動けなくなった。
モンスターが恐ろしいのではない。ここまで人間のいた痕跡がなくなっていることに。故郷でもない街なのに。酷くショックだった。
「……」
目が凍り付く俺を笑うでもなく、ナメンソンさんは腕を組み、退屈そうに都を眺めている。邪神さまの天使なのだから、モンスターが栄えているのを喜ぶと思ったのに。あまり嬉しそうじゃない。俺に気を遣っているわけでもないだろうに……。
「これ。俺が入っても、死にませんか?」
のろのろと都を指差す。
「殺されろと声を大にして言いたいが……。貴様は私が守る。何も気にせず買い物をしろ」
立てた親指を思いっきり逆さまにしながら、心強いことを言ってくれる。
ごくっと息を呑んで、足を踏み入れた。
境界線を越えると、周囲にいたモンスターたちが一斉に、ざっとこちらを向く。
「ひっ」
視線が針のように突き刺さり、たまらず悲鳴を上げた。
「人間……だと?」
「おいおい。ペットショップから抜け出した個体がいるぜ」
モンスターと戦う力の無い俺はその場で蹲った。指先が冷たくなるほど震える。怖い。怖すぎる。
「……?」
あれ、でも。邪神さま(本当の姿)ほどではない、か……?
ちらっと顔を上げると、モンスターに取り囲まれていた。
「あ」
駄目だ。やっぱり怖い。
虎に包囲された兎になっていると、俺とモンスターの間に長い足が割って入ってくる。
「散れ。モンスター共。指一本、触れることは許さんぞ」
ナメンソンさんだった。
モンスターたちが怪訝な顔をする。
「ああ? なんだぁ、お前」
「この首輪が見え……ないな。おい。お前が蹲っているせいだ」
手袋に包まれた指が俺の首根っこを掴む。ひょいと持ち上げられた。
神石の嵌った首輪。
目に入らぬか! と俺を紋所のように突き出すと、モンスターたちはじりっと後退っていく。
「お、おい。あ、あの神石って」
「邪神さまの……。ち、散れ! 近づくと死ぬぞ!」
真っ青になり、我先へと逃げていく。
俺たちの周りからモンスターだかりが消える。一瞬だった。
「すごいですね」
「ふん。怪我したくないのなら、首が見えるように歩け」
蹲るなってこと? あー。首が見えやすいように髪を束ねる飾りをくれたわけね。
納得したところで手を放され、べちゃっと落ちた。
モンスターが寄って来なくなった。「このお店知りませんか?」と声をかけると無言である方角を指差すだけ。
「……どうも。ありがとう」
俺がお辞儀すると、幽霊でも見た顔で走り去っていく。
露店では果物や肉、骨、古書などが積み上げられ、賑わう朝市のよう。モンスターでごった返していたが、俺が通るとモーセの波のように左右に分かれていく。
古書が気になる。
「モンスターが書いた、本? 文字を書けるの……?」
「馬鹿にしとんのか」
無意識に呟いた言葉だったが、隣の長身天使にばっちり拾われた。
今の言い方だとモンスターを見下しているようだもんな。邪神さまの天使としては気分の良い発言じゃなかった。
「すみません」
とほほと肩を落とす。邪神さまのペットなのに。俺ってば……。でもいきなりモンスターを良く思えないって。敵だったんだから。
角を曲がると、俺の足は再び止まる。
人間が、いる。
同族がいたのだ。
全裸で。鎖に繋がれ。犬のように四つん這いになって。
「……ぁ」
しかもそのことに屈辱も羞恥も滲ませていない。腕に焼き印があるのでペットショップ産だ。生まれながらに家畜だと教え込まれたニンゲン。言葉を話すこともなく、当然と言った顔で散歩させられている。モンスター、に。
俺の真横を歩いても、ニンゲンは反応すらしなかった。たまに主人であるモンスターを見上げるだけ。飼い主のモンスターの方も優しくペットにほほ笑んでから、ナメンソンさんに会釈だけして通り過ぎていく。
ニンゲンのお尻には異物が埋め込まれていた。異物の先には動物の尾のような房が垂れ下がり、ニンゲンが歩くたびに左右に揺れる。
まるで、人間という種族を否定するような――
「……はっ」
足がよろけ、民家にもたれかかる。
何を今さら。俺だって数日前までは、狩り用の動物だったじゃないか。
ちょっといい環境にいたからと、忘れていたのか。
「……」
う、動けない。頭の中で色んな事が飛び交って。足が前に出ない。
ナメンソンさんが小さく息を吐いた音だけが聞こえた。
「てめえ! このクソがぁ! 外で粗相するなって言っただろうが」
突然響いた大声にびくっと身をすくませる。ナメンソンさんはうるさそうに目線だけ飛ばす。
見れば大通りで堂々と、暴力を振るっている大柄なモンスターの姿が。
相手は……全裸の人間の子ども。
「あうっ、あぁ!」
「やめて」ということもできない。あの子は言葉を教えられていないのだろう。獣のように鳴くだけ。
脇腹を蹴られ、地面を転がるも首に巻かれた鎖が強引に引き起こす。身体は傷だらけで、首輪の鎖の跡があざになっていた。
酷い、光景だ。
「やめろ!」
「あ、バカ」
咄嗟に駆け出していた。
俺は暴力の類が嫌いだ。殴られている人を見るくらいなら、自分が殴られた方がマシなほどに。
暴れるモンスターの肩を掴む。
「子ども相手に――」
「うるせえ! 引っ込んでろ‼」
振り返ることなく、モンスターが腕を払おうとした。
……え?
人間とは比べ物にならないぐらいに太い腕。その肘が俺に迫る。
当たれば岩をも砕くだろう。俺の顔面など紙コップのようにひしゃげてお終いだ。
軽率だった。俺は暴力を振るわれないと安心していたけど、相手が首輪を見ずに攻撃してくる可能性が抜けていた。
瞼の裏に「死」の文字が弾けて消える。
(ごめんなさい。邪神さま)
脳裏に浮かんだのは、邪神さまの笑顔だった。
目を閉ざして腕で顔をガードしたが、間に合うはずもなく――
「……?」
待てども衝撃は襲ってこない。
瞼を上げれば、肘は止まっていた。寸止めしてくれた、わけではない。
ナメンソンさんが腕で、モンスターの肘鉄を止めていたのだ。
「あ……」
俺は情けなくも尻餅をついた。
ナメンソンさんのイラついた舌打ちを聞くと、モンスターはすぐさま腕を下ろす。
「あんたは……天使かっ?」
「見逃してやるから消えろ」
モンスターの方が巨体なのに、俺の首輪を見ると何度も頭を下げてくる。
「これはっ、失礼した。天使殿」
「ああぅ……」
傷だらけのペットを抱き上げると、モンスターは慌てて去っていく。暴れていたモンスターが無くなり、朝市の空気が弛緩する。暴れている他者に引いてしまうのは、モンスターも変わらないんだな。
俺はケツを叩きながら立ち上がった。
「流石の筋肉、ですね。助かりました」
「アホが。生身で突っ込むからだ」
「……はい」
モンスターが去ったあとをぼんやりと見つめる。あの子はこれからも、暴力を振るわれ続けるのか。悲しさと悔しさで心が冷たくなる。でも俺に、何かを言う資格はない。かつて人間は、同じようなことをしていたのだから。俺だって子どもの頃、鞭打たれて働かされている獣人に、何も思わなかった。
「……」
せめてこれ以上、あの子が暴力を振るわれないことを祈るしかできない。
俺は無言で歩を進めた。
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クスッと笑えて、気づけば胸を撃ち抜かれている。
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※他サイトにもタイトル話、二話目、三話目のみ再掲。
※二年前の作品です。改稿しようとして断念しました。