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聖女の奇跡
しおりを挟むガーデアはパニックになりかけていた。
(右舷。右舷ってば!)
鎧の中はガーデアの身体が入っているのだ。兵士と入れ替わっていたことが知られれば――など、ガーデアの頭には無かった。右舷が目を覚まさない。それだけが気がかりで。
心配した仲間たちがガーデアの身体を医務室へ運ぼうとする。
が、それに待ったをかけたのは王子だった。
「待て。怪我をしたのかもしれん。……エルシィ。この者を治してやってくれないか?」
(キース様)
たかが一兵士を気にかけてくださるとは。
ガーデアは自分が仕える王族の少年に、騎士のように膝をついて頭を下げた。もちろんこんなことをしても、相手に見えているわけもないが。貴族として生きた人生がそうさせる。
「はい! キース様」
聖女も、そんな下賤な者など放っておきましょう、とは言わなかった。泣きそうな顔で倒れた兵士に駆け寄――
「きゃあっ」
慌てたせいか、ドレスの裾を踏んで転びかけてしまう。階段から落ちてきた聖女を、王子の逞しい腕が受け止めた。
「はわ! も、ももも、申し訳ございません!」
「怪我はないか?」
「……はい」
王妃や兵士たちはほっと胸を撫で下ろし、一部の兵士は「キース様ステキ!」と盛り上がっていた。が、じろりと王に睨まれて正座する。
腕から下ろされた聖女が、ガーデアの隣で両膝をつく。
「……? この兵士の御方。酷い怪我ですわ」
「刃物だけでなく、魔法攻撃も混じっていたのか。治せるか?」
「はい」
王子に力強く頷くと、聖女は祈るように両手を合わせた。ステンドグラスから光が降りそそぎ、彼女を包み込む。
それは、化学も魔法も跳び越えた、神の奇跡。
「聖女様」
「これが、エルシィ様の……」
目を奪われる会場すべてに暖かな風が吹き抜け、すべての怪我や病を払っていく。やわらかな風に撫でられ、キャルマリーは涙を流していた。
視界に、また泣いたんだろうなと思わせるガーデアと、一度見たら忘れられない顔面力のキースが映り込んだ。
(右舷)
脳内でガーデアが抱きついてくる。
(うおっ。美人さん? 俺は……? 寝てたのか?)
(倒れたんだよ! 馬鹿。やっぱり……全然怪我治ってないんじゃないか)
拳を丸めぼこぼこと殴ってくる。ちっとも痛くない。
叱られたし泣かれた。うーん、俺が悪いのか。
アンバー色の髪を撫でまくっていると、キースが息を吐いたのが分かった。
「気が付いたようだね」
キザったらしい声だ。
「……えっと」
身を起こすと、正体を隠す鎧は身に着けていなかった。
(鎧は⁉)
(鎧のまま寝かせておく人はいないよ……)
(よし! 逃げるか。なんかどこも痛くねーし!)
笑顔で拳を握ったが、ガーデアは首を横に振る。
(美人さん?)
(キース様と、お話して。なんだか、大丈夫そう、だから)
(は?)
ガーデアの姿でキースをまじまじと見つめる。王子様のくせに、医務室っぽい部屋には護衛も誰もいなかった。
「キ、キース、様?」
神秘系王子はにやっと笑うと、ふざけた敬礼などをして見せた。
「や。兄上。お会いしたかった」
「……」
ガーデアと共に固まる。
「キース王子」が絶対にしないであろう口調や仕草に面食らう。
俺の声はわなわなと震えた。
「お、お前……お前」
「左舷です。覚えておられるでしょう?」
「!」
俺が、俺が言う前「左舷」と名乗った。
「左舷か⁉」
「兄上!」
ガーデアの身体で、弟をむちゃくちゃに抱きしめた。左舷も、すぐに両腕を回して抱きしめ返してくれる。
「左舷! 左舷~」
「右舷兄上。お元気そうで何より」
弟の胸の中でわんわん泣く。
「兄上とか言うな~! キショイィ~」
「しゃーないでしょうが! この世界でもう十七年も、あ、今日で十八だ。十八年も過ごしてんだから。王子教育が身に付いちゃってんだよ! 馬鹿兄貴」
「はあああああ~?」
涙を流したまま、いい香りのするキースを引き剥がす。
「おま、十八年も前からここにいるのかよ! 俺は昨日、一昨日、あれ? どっちだっけ、なんでもいいわ。さっき来たばっかなのに!」
「さっき? グラリウス家の三男坊じゃないか! 確か俺と同い年なはず……。ガーデアが兄上だったなんて。な、なんで気づかなかったんだろう。顔を合わせたことあるのに」
俺が兄貴に気づかなかったなんて……と青ざめている。気づくわけないだろ。この身体に憑依? したのは本当に昨日なんだから。
情報を擦り合わせるためにざっと説明する。申し訳ないがガーデアのことも話すぞ? と訊ねると、彼は控えめに頷いた。
(なんだよ。嫌なら言えよ。俺に察する能力はないぞ)
(ううん。気にしないで)
「兄上?」
黙り込んだ右舷に、腕を組んだキースが首を傾げている。兄上呼びやめれ。
キースは形の良い顎に指をかける。
「ふーん……? 飛び降りた身体に、か。怪我酷すぎて聖女が驚いてたわけだ」
(飛び降りた身体で動き回ってたことにはつっこまないのですか?)
ガーデアがまた細かいことを気にしている。
「お前は、いつ思い出したんだ? 自分が左舷だって」
「は? 俺はずっと左舷だったけど? 兄上を権力使って探しまくってたし。要領と運動神経は良いけどどこか抜けてて運が悪くて人たらしな、コソコソした動きが得意で性格の悪い男をさあ」
王子の顔面に拳を叩き込むところだった。うーんでも、別にいいかな?
ずっと抱きついているガーデアに止められる。美人さんからすれば自分が仕える王子なんだろうけど、俺からすれば殴りたい弟なんだよ放せ。
(ダメ!)
殴りかかってこない兄に、身構えていた左舷が腕を下ろす。
「どうした? まだどこか痛む?」
「いや、万全だ。で、さあ。左舷。お前が王子なら、俺も人探しを頼みたいんだけど」
ガーデアを追い詰めたマヌケの処理をしとかないとな。落ち着かないぜ。
(いいよ! やめて。私のことは。……右舷は、好きに生きて)
好きに生きてと許可をもらったので復讐代行を始めようか。つーか、そんな愚か者を生かしていたら、またガーデア(俺)に危険が及ぶかもしれないしな。とりあえずそのマヌケの鼻の穴に指突っ込んで宙吊りにしてやるわ。美人さんが「違う! そういう意味じゃない」となんか喚いているが知ったことか。
キースが腰を上げる。
「話があるなら俺の部屋に行きましょう。誰かが聞いていたら面倒だ」
「敬語やめんか? 鳥肌が止まらん」
「文句言うなら手伝わねぇぞ」
適当な服を渡されて、それに着替える。身体の汚れもすっかり落ちていた。
王子についていくと通されたのは目がくらむような一室。物凄く場違い感がすごい。回れ右したい。
「てか、お前暗殺されかけたじゃねーか。そのごたごたはいいのか?」
「はあ? 兄貴が爆睡してる間に片付けたけど」
何言ってんだと氷のような目で見てくる。ああ~。左舷だぁ。
「有能なのに権力まで手に入れやがって。お兄ちゃん嬉しいよ」
「何キショイこと言ってんだこの兄貴は……」
適当に座れと顎で示してくる。美人さんは王子と同じ席に座るなど……と躊躇っていた。
身体の今の持ち主は頓着せずに腰掛ける。両足をガッと開いてテーブルに肘をつく。美人さんが顔を覆っていた。ごめんて。上品な座り方なんて知らないんよ。
「兄貴って紅茶飲めたっけ?」
「ナニソレ」
「……あ、うん。飲んでみて。駄目だったら他のを出すから」
メイドが入って来てテキパキとお茶の準備をする。左舷が傍に置いているメイドさんなだけあり、俺の存在にいちいちつっこんでこなかった。有能だ。
一礼して、無言で去っていくメイドさんの尻を眺める。
「いい……」
(右舷!)
むすっとした顔で美人さんが睨んでくる。どうした? 胸派だったか?
赤く色づいた水が入ったカップの縁を指でなぞる。
「左舷。お前王子だろ? 権力者だろ? なんでメイドのスカートをミニにしてストッキング着用にしなかったんだ? 正気か?」
「兄貴よりはだいぶ正気だよ。その身体の持ち主に謝ったら?」
ごめん。
カップに口をつける。色のついた水を口内でじっくり味わうと、静かにソーサーに戻した。
「ありがとう。もう二度と飲みたくない」
(私も紅茶は、その、少し……)
「完全浄化水ならあるよ。勝手に飲め」
部屋の隅を指差す。それを目で追うと水の入ったタンク……地球で言うところのウォーターサーバーのような物が置かれていた。
「水?」
「そう。地球より水は綺麗だけど王族が口をつけるものだからって。エルシィ……聖女が毎日水源を浄化してくれてる。あれはその一部」
そのお金を聖女は孤児院に寄付しているとのこと。心まで聖女で驚いている。
「あのかわいこちゃん。万能だな。俺も助けてもらったし」
「ああ。便利で助かってる」
クスッと笑い、カップに口をつけるキース。よく十八年もその本性隠せてたな。
「隠してない。俺の周囲の人間は、王子がこういう奴だと知ってる」
「心を読むな」
ま、王子様だもんな。純粋無垢より性格捻じ曲がってる方が長生きしそうだ。
「身を挺して庇ってたくせに」
「その方が、印象が良いだろう?」
腐った笑みを浮かべている。こいつのこういうところ、大好き。
せっかくなので完全浄化水とやらをカップに入れて飲んでみる。サーバーの横で。立ち食いならぬ立ち飲み。
ガーデアが裾を引っ張る。
(座って! キース様の御前ですよ)
(弟の御前なんだよなぁ)
ごくっと喉を通るなんだかやたら滑らかで喉越しの良い水。やっべぇ。止まらない。
がぶ飲みしているとキースが近くまで歩いてきた。
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