断罪の果てに、ふたり

希臘楽園

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第一章 均衡

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 ルーメンブルク王国の王都アルセリアの春は遅い。

 白亜の王城を囲む庭園にもまだ硬い蕾しかなく、石造りの回廊を渡る風は冷たい。その冷気の中に、この国の均衡もまた、目に見えぬ形で張り詰めていた。

 王国を支えるのは、二つの大公爵家である。

 一つは公爵家アストリア。現王妃の実家であり、古くから王宮の中枢を担ってきた家だ。内政、財務、近衛の人事に至るまで、宮廷の要所には必ずアストリアの縁者がいる。秩序を重んじ、伝統を守ることを第一とするその姿勢は、多くの貴族に安心を与えてきた。

 もう一つは公爵家ベルンハルト。西方諸国との交易路を掌握し、幾度もの外交危機を収めてきた家である。国外に広い人脈を持ち、柔軟な思考で時流を読む。王国の外へと視線を向ける役割を担ってきた。

 両家は拮抗していた。

 露骨に争うことはない。だが、王宮の会議室において、あるいは舞踏会の片隅において、常に見えぬ綱が張られている。どちらかが一歩踏み出せば、もう一方が必ず重石を置く。その均衡の上に、この王国は保たれてきた。

 現王エドワルドは、その均衡の上に立つ存在だった。

 隣国から迎えられた王配上がりの国王。血統としては正統だが、王国に根を張る両公爵家に比べれば基盤は弱い。ゆえに王は中立を保ち続けた。どちらにも深く与せず、どちらにも明確に逆らわない。

 その王の一人息子、王太子レオンハルトは、母方であるアストリア公爵家の影響を色濃く受けて育った。

 聡明で、冷静で、感情を表に出さぬ青年。

 だが彼自身は知っている。己が立つ場所が、決して盤石ではないことを。

 王家の威は、均衡の上にしか存在しない。

 だからこそ、数年前に決まった婚約は、政治的必然だった。

 王太子の婚約者として選ばれたのは、公爵家ベルンハルトの令嬢、クラウディア。

 それは王家の明確な意思表示であった。二大公爵家の均衡を、次代にも持ち越すという宣言。

 アストリア家にとっては不満を呑み込む決定であり、ベルンハルト家にとっては悲願に近い。

 そして当のレオンハルトにとっては――

 まだ、ただの政略に過ぎなかった。

 初めて正式に対面したのは、王城南棟の小広間だった。

 大仰な儀礼は省かれ、両家の重鎮が数名立ち会うだけの、控えめな顔合わせ。

 クラウディアは淡い灰青のドレスをまとい、静かに一礼した。

「お目にかかれて光栄です、殿下」

 声音は柔らかいが、揺らぎがない。

 レオンハルトは一瞬、その目に宿る理知を見た。

「こちらこそ。今後、王国のために力を貸してほしい」

 形式的な言葉。

 だが彼女はわずかに微笑み、答えた。

「王国のため、というのであれば。まずは西方同盟との関係を整理なさるべきかと存じます」

 立会人たちが息を呑む。

 顔合わせの場で、いきなり外交の話題を出す令嬢は多くない。

 だが彼女は続けた。

「近年、アストリア家主導の関税改定により、隣国との交易が停滞しております。均衡を保つには、外との流れを滞らせぬことが肝要かと」

 穏やかな口調。だが、核心を突いている。

 レオンハルトはわずかに目を細めた。

 反発でも、挑発でもない。

 ただ事実を述べている。

「……詳しく聞かせてもらおう」

 その瞬間、彼は理解した。

 この婚約は、単なる均衡の駒では終わらないかもしれない。

 対等に言葉を交わせる相手。

 それは、王太子という立場にあって、初めて得た感覚だった。

 だが同時に、宮廷の空気が微かに軋むのも感じていた。

 アストリア家の重鎮の視線が、わずかに硬い。

 ベルンハルト家の当主は静かに成り行きを見守っている。

 均衡は保たれている。

 しかし、均衡とは常に不安定なものだ。

 レオンハルトはその日、確かに予感していた。

 この婚約が、王国の未来を左右することを。

 それが、どのような形であれ。

 春はまだ遠い。

 王都の庭園に蕾がほころぶよりも早く、王宮の均衡は、わずかに軋み始めていた。
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